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サステナビリティにおける主要テーマとして、近年注目が集まっているのが生物多様性だ。気候変動や生息地の破壊、外来種や化学物質の流入などにより、絶滅危惧種は急増。世界自然保護基金(WWF)のレポートによると、生態系全体の健全性は1970年と比べて69%減少したとされる。国際社会では現在、2030年までに生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せる「ネイチャー・ポジティブ」の考えが示されており、日本でも多くの企業が生物多様性保全の取り組みへの責任を持ち、情報開示や事業創出が進んでいる。
その中でも先進的な試みで、都市部を中心とした生物多様性にアプローチしているのが、積水ハウスだ。住宅を中心に庭の植栽も手掛ける同社は、生態系に配慮した庭づくりで都市の緑のネットワークをつくる「5本の樹」計画を推進。さまざまな外部機関との共同研究を行うとともに、2021年からは「都市の生物多様性フォーラム」を開催し、社会全体にネイチャー・ポジティブに向けた取り組みを広める情報発信のほか、生物多様性保全の先進事例や自社の取り組み手法の共有、意見交換なども行っている。
今回AMPでは、2024年7月に開催された「都市の生物多様性フォーラム 〜見える化で広がるネイチャー・ポジティブの実践と幸せな暮らし〜」を取材した。生物多様性という壮大なテーマに対して日本の都市部で今後、必要となってくることは何か、その筋道を探っていく。
都市部の生物多様性と、積水ハウスの「5本の樹」計画
地球上の生命が多様な状態で関わり合う生物多様性は、多くのビジネスパーソンが注目すべきテーマだ。2021年には「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」が発足し、企業が自社の経済活動による自然環境や生物多様性への影響を評価・情報開示する枠組みが構築されている。
また、2022年の「国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)」では2030年に向けたネイチャー・ポジティブの世界目標が採択され、日本でもネイチャー・ポジティブ実現に向けたロードマップである「生物多様性国家戦略2023-2030」が策定された。こうした流れから多くの企業は、生物多様性を気候変動と並ぶ重要課題と位置付けているのだ。
そうした中で積水ハウスが推進する「5本の樹」計画は、ネイチャー・ポジティブな未来に向け、ビジネスを通じて取り組む上でのヒントを与えてくれる。同計画は、“3本は鳥のために、2本は蝶のために”という思いの下、各地域の気候風土や生態系と相性の良い植栽を通じた、庭づくりやまちづくりを提案する取り組みだ。都市空間を緑地のネットワークでつなげ、里山のように豊かな生物多様性を育むことを目指している。
同社が生物多様性に対し積極的に取り組むのは、「『わが家』を世界一幸せな場所にする」というグローバルビジョンを掲げ、住まい手の幸せを考えることが根底にあるからだ。生物にとって心地よい自然環境は、人間にとっても心地良い空間という考えに立てば、ネイチャー・ポジティブと企業活動の方向性が一致する。そして自社事業にとどまらず、他の企業、行政、専門家などとの連携にも注力しており、「都市の生物多様性フォーラム」では多くの知見が共有されてきた。
3回目となる今回のフォーラムでは、各分野の第一人者や多彩な企業が参加。生物多様性保全の最新の取り組みや研究結果の紹介に加え、新たな試みとして、業界を超えて生物多様性保全効果の定量評価について意見交換を行った。
都市の生物多様性は、どのような形で実現されているのか、その内容について探っていく。
パートナーシップにより推進される、自然共生社会への歩み
イベント冒頭では積水ハウス株式会社代表取締役 社長執行役員 兼 CEOの仲井嘉浩氏が登壇し、「5本の樹」計画の進捗を報告した。
仲井氏「2001年からオーナー様のご賛同の下に取り組んできた『5本の樹』計画は、2024年4月に累計植樹本数が2,000万本を突破しました。これは東京都の街路樹の約20倍に当たる実績です。また6月には、庭木の提案においてネイチャー・ポジティブの効果を可視化する『生物多様性可視化提案ツール』を、生物多様性のビッグデータを有する株式会社シンク・ネイチャーと共同で開発しました。地域ごとに生物多様性保全効果が高い植栽樹種の組み合わせをシミュレーションできるツールは、世界初の事例となります(※)」
(※)積水ハウス調べ。「生物多様性可視化提案ツール」を用いて、地域ごとに生物多様性効果が高い植栽樹種の組み合わせをシミュレーションすることができる点において世界初となる
これらの実績に加え、東京大学大学院農学生命科学研究科 准教授の曽我昌史氏との研究成果も報告された。曽我氏の研究グループと積水ハウスは、庭における身近な自然が、居住者の健康や環境配慮意識に及ぼす影響を検証してきた。
仲井氏「一つの結果として、庭の在来樹種数が増えることで多様な生きものを呼び込み、その生きものと敷地内でふれあうことと、住まい手の幸福感や充実感との間に、相関関係が見られました。今回の結果は、都市における生物多様性が、人と自然の共生社会の実現に貢献することを示す、重要な成果だと捉えています」
また、環境省 生物多様性主流化室 室長の浜島直子氏も来賓としてフォーラムへ参加。仲井氏に続き、ネイチャー・ポジティブ経済について説明した。
浜島氏「地球全体では現在、経済・社会システムの基盤となる、健全な環境という前提が崩れつつあります。こうした状況を経済から変えていくのがネイチャー・ポジティブ経済であり、企業における環境へのアクションが、コストではなくオポチュニティ(好機)となるような仕組みも必要です。企業の皆さまにおいては、持続可能な成長を実現するため、地域や社会に何を還元すべきかを常に考えていると思います。その源泉の中に、ぜひ自然も加えていただきたいです」
ウェルビーイングに深く影響する、自然との関わり
積水ハウスの共同研究のパートナーである曽我氏からは、「自然との『かかわり』が導く持続可能な社会」をテーマに都市における生物多様性の重要性が共有された。
曽我氏「現在、私たち人間と自然との関わりは、都市化や生態系の劣化により世界中で減少しています。同時に学術界では、人間が自然と関わることの重要性が検証されてきました」
自然との関わりが重視される理由は、主に二つあると曽我氏は語る。一つは身体や精神、社会へのプラスの効果。実際に自然とのふれあいが良好な健康状態に影響するというエビデンスが、数多く示されている。二つ目は、生態系そのものの保全だ。「生物多様性国家戦略2023-2030」では基本戦略の一つとして「生活・消費活動における生物多様性の価値の認識と行動」を設定しているが、自然との関わりが人々の行動変容を促すというデータも、近年頻繁に報告されているという。
曽我氏「人口の大多数が暮らす都市において、日常的に自然と関わることができる場所の一つが、庭です。生活空間から距離が近い庭は、管理の仕方一つで多様な自然体験、生態系への便益を生み出せるでしょう。積水ハウスさんとの共同研究では、『多様な樹種を含む庭に住む人は、より良好なウェルビーイング、高い環境配慮意識を持つ』という仮説の下、分析を進めています」
1,000人を超える積水ハウスの住宅オーナーへのアンケート調査と並行し、庭における詳細な樹木データの分析をひもづけた同研究では、関連を示す結果が出ている。在来種を中心とした植栽に囲まれた家に住み、庭に訪れるさまざまな生物とよくふれあう人は、鬱症状の発症リスクが20ポイント低く、より高い環境配慮意識を持つことが明らかになった。
曽我氏「在来植物種数が多い家ほど、鳥とのふれあいが増え、住まい手のウェルビーイングの状態が良好であることが判明しつつあります。さらに、自然とのふれあいがもたらすメンタルヘルスへの影響は、収入や年齢と同程度の関連性を持つことも分かりました。今後は植物の形質といった新たな指標も取り入れながら、分析を精緻化していく予定です。庭における自然との関わりが、新たに別の関わりを生み、社会全体の自然共生を実現する。こうした循環の可能性を踏まえると、『5本の樹』計画のような身近な取り組みも、重要なステップといえるでしょう」
ビッグデータ活用で実現された「生物多様性可視化提案ツール」
次に基調講演を行ったのは、シンク・ネイチャー社で代表取締役CEOを務める、琉球大学理学部 教授の久保田康裕氏。経済やビジネスの観点から生物多様性にアプローチする、生態学の研究者だ。
久保田氏「森、川、サンゴ礁、マングローブといった多様な生態系は、それぞれの生き物がさまざまな環境条件に対応し、分布することで生まれます。そして農林水産業から半導体の生産まで、人間の多くの生産活動は、自然の資源抜きには成り立ちません。私たちは生物多様性を資本として利用しているわけで、豊かな生物多様性が消失してしまうことは、経済やビジネスにとっても重大な問題になります。企業の取り組みは欠かせませんが、目的達成に向けてまず重要になるのが、自然の価値の定量化です」
土地開発などによる生物多様性の消失を防ぐためには、人間が自然の価値を定量的に把握することが第一歩だと、久保田氏は考えている。そのためには生物多様性の可視化が必要だ。そこで久保田氏の研究チームは、地球規模での生物の分布をビッグデータ化し、AIを活用して地図化する活動に取り組んでいる。日本においては高解像度の地図が作成されており、生物多様性保全の優先度を一目で把握することが可能だ。
久保田氏「私たちの地図を用いれば、植栽による緑化など、保全に向けたアクションの効果をエリアごとに分析でき、ネイチャー・ポジティブな土地の利用方法を考案する際に有効です。不動産や住宅関連の業界では、植栽による緑化が長年進められてきましたが、各アクションの評価にも役立てられます。こうした経緯から積水ハウスさんと共同で、『生物多様性可視化提案ツール』を開発しました」
「生物多様性可視化提案ツール」は、シンク・ネイチャーの生物多様性地図をベースにした1kmメッシュごとの生物分布情報と生物種間の生態学的相互関係情報に基づいて、積水ハウスが推奨する庭木リストから植栽樹木種の組み合わせを探索し、生物多様性の回復効果を数値化検証するツールだ。庭に植えた樹種や樹木の本数が、鳥や蝶などの生息場所をどの程度再生するのかを定量分析することが可能で、積水ハウスの従業員がお客様に植樹を提案する際にも活用できる。
久保田氏「これまで樹種の選択は、経験や感覚によるところが大きかったのです。今後はデータに基づき判断することが可能になり、都市における生物多様性の最大化に貢献できるでしょう。そもそも人間にとって自然は不可欠で、その人間が集まるのが都市です。そのため多くの都市は、もともと生物多様性が豊かな場所に構築されてきました。かつての都市開発はネガティブな影響が大きかったものの、考えを逆転させネイチャー・ポジティブに移行することで、生物多様性の保全はもちろん、そこに暮らす人々のウェルビーイングにも寄与するはずです」
定量分析を通じたオポチュニティの創出は、企業価値向上にもつながる
フォーラムの後半では、都市の生物多様性保全に向け、先進的な取り組みを進める企業を迎え、パネルディスカッションを実施。生物多様性における現況を共有すべく、東急不動産ホールディングス株式会社 グループサステナビリティ推進部 部長の松本恵氏、三菱地所レジデンス株式会社 商品企画部 技術環境室 グループマネージャーの井上直樹氏が、自社の取り組みを説明した。
松本氏「東急不動産ホールディングスでは環境における重要課題として生物多様性を位置付けています。2024年1月には、当社の経済活動による生物多様性への影響について情報を開示した『TNFDレポート』の第2版を発行しました。『ENCORE』というツールを活用し、自然への『依存・インパクト』の重要性を事業別に4段階で整理したところ、不動産開発、特に売り上げに占める割合が大きい都市開発事業が、自然に対する影響が大きいことを確認しています。
また、保有・運営する物件所在地の分析も行った上で、『広域渋谷圏』(※)と『リゾート施設等の地域』を優先地域に特定しました。特に、生物多様性の保全優先度が高い広域渋谷圏の各施設では、生物多様性の再生効果を詳細に分析しており、今後の緑化や施設活用などのアクションにつなげたいと考えております」
(※)東急グループでは、渋谷駅を中心とした半径2.5km圏内を「広域渋谷圏」と定めている
井上氏「三菱地所レジデンスでは、2015年から、新築分譲マンション『ザ・パークハウス』の緑化に、地域になじみある樹種の採用や環境に優しい維持管理手法を取り入れる『ビオ ネット イニシアチブ』を、『ネイチャー・ポジティブ』の概念が確立する前より取り組んでいます。開発したマンションが生物飛来の中継地となり、地域に緑のネットワークが広がることを目指し、侵略植物の不採用、地域性植物や在来種の活用、病気や害虫が発生しにくい植物の採用などを進めてきました。現在、ビオ ネット イニシアチブを採用した物件は200プロジェクトを突破し、再生効果検証も実施しています。それによって導入物件における明確なネイチャー・ポジティブ効果が見られました」
パネルディスカッションでは久保田氏、積水ハウス ESG経営推進本部 環境推進部 環境マネジメント室の八木隆史氏も登壇し、都市における生物多様性保全の取り組み、その先に見据える未来について、意見が交換された。
久保田氏「今回登壇された3社を含め、さまざまな企業と対話や協業をする中で、各社の優れたアクションがまだまだ世の中に認知されていないことを感じてきました。物件を利用するエンドユーザーの方々に生物多様性の価値を伝えることは、ビジネスとしてオポチュニティを創出する上でも重要です。定量分析を通じて私たちが少しでも貢献することで、土地開発を担う企業全体に、アーバン・ネイチャー・ポジティブの考えが普及してほしいと考えています」
八木氏「積水ハウスが扱う庭は、緑の規模としては小さいですが、日本中に点在しています。定量分析を通じて評価し、同様の取り組みを進めるさまざまな企業と情報共有や協業をすることで、小さな取り組みを積み重ねる。そのことが、自然共生社会に近づく一歩だと考えています」
松本氏「TNFDレポートを発行し、都市部の中でも生物多様性に取り組める可能性を示せたことで、渋谷エリアの企業さんからも協業のお声がけをいただくケースが増えました。1社では実現できないネイチャー・ポジティブにおける、共創やデータ活用の意義を強く実感しています」
井上氏「マンション建設はスクラップアンドビルドのイメージが強いと思いますが、実際に私たちが目指すのは、マンション建設時から環境を良くすることです。環境に配慮した植栽計画などを実施することで、マンション価値の向上にもつながり、この点においてもお客さまにとっての幸せとなり、人にも、植物にも、生き物にも良いものを作り、全てが幸せになれると考えます。ビッグデータ活用などにより再生効果を公表することで、より良い社会に向けた好循環が生まれることを期待します」
シナジー効果でネイチャー・ポジティブの実現を
さまざまな企業や専門家が知見を持ち寄り、社会に共有することを目指した、今回の都市の生物多様性フォーラム。こうしたシナジーがもたらす可能性の大きさは、仲井氏の一言に象徴される。
仲井氏「小さな庭から生態系を守り、自然とふれあうことで感性を育み、健康で幸せに過ごしていく。そんな生活の一助になりたいと、当社はこれからも『5本の樹』計画を推進します。そして生物多様性が持つ価値の可視化、ビジネスに落とし込む実践事例の公開を通じ、業界や業種を超えた連携を図りながら、ネイチャー・ポジティブを実現していきます」
フォーラムから見えてきたのは、定量分析により可視化したデータを公開することで、ステークホルダーと連携し、持続可能なモデルで生物多様性を目指す重要性だ。ネイチャー・ポジティブに向け損失を反転させる2030年は、すぐそこに迫っている。シナジーの加速による自然共生社会の実現に期待したい。
※登壇者の所属や肩書きについては2024年7月9日取材時点のものです
取材・文:相澤優太
写真:水戸孝造