インバウンド需要の伸張に見られるように、コロナ禍を経て観光の回復が進む日本。観光は地域活性化に欠かせない要素の一つではあるものの、地域住民や自然環境の視点に立つならば、需要拡大だけがゴールではない。ステークホルダーの声を多角的に集めながら、オーバーツーリズムなどの社会問題にも向き合い、地域全体で持続可能な観光を推進することで、活性化にもつなげていく。観光従事者は、観光客と地域住民の相互の“つながり”を重視した姿勢が求められていくのだろう。

人々の空の移動を担う航空会社もまた、果たすべき役割は大きいといえる。観光で地域を活性化させていく一方で、地域のことを考え、地域に寄り添った事業活動を進める姿勢が求められるからだ。

そうした中、JALグループは、移動という手段を通じて“つながり”の可能性を追求し続けている。そして、空の移動が結んださまざまな縁に関わる人々にフォーカスし、その“つながり”について想いを語ってもらう「My ENJIN(マイ エンジン)」を始動した。「My ENJIN」の「ENJIN」という言葉には、縁を紡ぐ人「縁人」、原動力を表す「エンジン」、そしてつながりの輪を表す「円陣」の三つの意味が込められている。

同グループが提供する移動を通じた“つながり”によって、社会課題や未来の可能性と向き合う人たちが原動力となり、人と人はもちろん、場所、モノ・コトと縁を紡ぎ、多様なステークホルダーと手を取り合うことで、さらなる“つながり”の輪を創出し、広げていく取り組みだ。

今回AMPでは、この「ENJIN」が生み出す、人々の多様な“つながり”の可能性を連載形式で探っていく。

連載第1〜5回は、鹿児島県・奄美群島の「ENJIN」を紹介。第5回の主人公は、一般社団法人奄美群島観光物産協会で統括リーダーを務める山下久美子(やました くみこ)さんだ。旅行や航空、メディア各社に対する奄美への誘客活動をはじめ、観光・物産振興に奔走している。「私たちがこの島で幸せに暮らしていく。観光はそのための道具に過ぎない」――。山下さんが多くの人との関わりを通じて感じた、観光における“つながり” の重要性とは。

自身のルーツ・奄美と出会ったことで広がったキャリア

大阪府出身の山下さんは、20歳の頃から奄美大島に旅行に出かけるようになった。自身のルーツが奄美にあったことが、きっかけだったという。

「祖父が奄美大島出身だったんです。私が幼い頃に亡くなってしまったのですが、父から奄美の話は時々聞いていました。小学生の時に奄美の親戚が2人遊びにきた時、お土産でもらったパッションフルーツに感動して、『自分のルーツである奄美は、どういう所なのだろう』と初めて興味を抱いたのを覚えています。その後、成人の記念で初めて奄美を訪れた際には、親戚の人たちが家に入り切らないくらい集まってくれ、地元のお祝い料理を作ってくれたんです。奄美に住む方々の開放的な雰囲気、温かい人柄に心を打たれ、定期的に通うようになりました」

奄美への移住を決めたのは、当時熱中していたスキューバダイビングがきっかけだった。次第にダイビングのインストラクターに憧れるようになり、大学卒業後に働いていた繊維関係の会社を辞め、27歳の時に奄美へと移った。

「実際に生活をしてみると、旅行では味わえない奄美の醍醐味を感じる日々でした。帰宅の際に月明かりで玄関のドアの鍵穴が照らされたり、季節の移り変わりを風の向きや渡り鳥の泣き声の変化で感じたり、都会では感じることのなかった自然と隣り合わせにある生活に感動したんです」

一般社団法人 奄美群島観光物産協会 統括リーダー 山下久美子さん

インストラクターとして新しい生活を充実させていた山下さんだが、長期的に奄美で暮らすことを念頭に、新たなキャリアを意識し始めたという。

「3~4日間お客さんと過ごすインストラクターの仕事は、人の“つながり”が広がっていくことが魅力的でした。ただ、人の命を預かる仕事でもあるため、年齢に伴う体力の低下も考慮し、転職も考えていたんです。そんな時、ダイビングの仕事の縁で知り合った元JALの奄美営業所長だった方が、新しく設立される奄美群島観光物産協会の統括リーダーに就任することになり、『島コーディネーター』というポジションに私を推薦してくれたんです」

奄美群島観光物産協会では、それぞれの島に一人以上コーディネーターがおり、観光スポットや特産品の情報を対外的に発信している。山下さんは、ダイビングのインストラクターとして観光の現場を理解していたことから、奄美大島北部の島コーディネーターに抜てきされたのだ。

「ある日、その元JALの奄美営業所長に会議に呼ばれ、島コーディネーターに推薦されました。会議後にその方から『山下さんはいつも笑顔だし、君みたいな人がコーディネーターになるといいと思ったんだよね』と言われたのを覚えています。突然の出来事だったのですが、チャレンジしてみようと思いました 」

以後、山下さんは「奄美大島観光協会」「あまみ大島観光物産連盟」のスタッフとしても活動し、現在はかつて元JALの奄美営業所長が務めていた、奄美群島観光物産協会の統括リーダーとして活動している。

「島コーディネーターになって以来、JALさんとはさまざまなことをご一緒させていただき、いつも私を推薦してくれた元JALの奄美営業所長の姿を見ていました。統括リーダーのポストがあいた際、後任の人をなかなかイメージできず、であれば私がやってみようと、意を決して応募しました」

スキューバダイビングのインストラクターとしても活動していた時の写真

島コーディネーターとしてJALと連携し奄美の魅力を世界へ

島コーディネーター就任以来、約13年にわたり山下さんは奄美の観光振興に従事してきた。その活動内容は、イベント出展や体験型プログラムの企画を通じた旅行者の誘客活動、奄美黒糖焼酎や奄美大島紬(つむぎ)といった物産品のPRや販路拡大など、多岐にわたる。旅行会社、航空会社、メディアなど事業者向けのPRにも積極的で、JALとの関係性はこうした活動の中で強化されてきた。

「FAM(ファム)トリップという、国内外の旅行事業者やメディアを招待し、実際に観光を体験してもらうツアーがあるのですが、JALさんにも協力いただきながら、招致する旅行事業者を増やしています。ネットワークや信頼においては、私たちのような小さな協会では及ばないことが多いんですね。中でも『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で紹介されたのは、一番大きなことでした」

ミシュラン・グリーンガイドは、観光地を格付けするミシュランのガイドブックであり、2020年に販売が開始された「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」改訂第6版にて、奄美群島が紹介されるに至った。ミシュランの編集者を現地に招致するのは容易でなかったと思われるが、ヨーロッパ観光客における奄美群島の自然や文化の親和性は高いという考えから、JALがミシュランに奄美群島を紹介し、調査が実現したのだ。

「現地での案内はJALと島コーディネーターが担い、私も奄美大島を担当しました。奄美群島として星二つ、他にも奄美大島の大浜海浜公園、与論島の大金久海岸など、複数の場所が星二つの高評価を獲得しました。奄美の潜在能力を国際的に認めてもらえたことがうれしかったです」

『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』奄美大島初掲載に際し奄美空港に駆けつけたミシュランマンと

こうした対外的なPRは、インバウンド需要の伸張、さらには2021年に奄美大島が徳之島、沖縄島北部および西表島とともに世界自然遺産として登録されたことも追い風となり、外国人観光客の増加につながっていく。しかしインバウンド対策は十分ではないと山下さんは語る。

「海外からの直行便がないため、国内の有名観光地と比べると成長を伸ばし切れていない印象です。一方、クルーズツアーなどで一度に多くの方が来島されると、今度は多言語対応などが追いつかなくなってしまいます。インバウンド誘客では、奄美ならではの豊かな自然が魅力に映ることを把握できたので、今後は情報発信方法や受け入れ態勢を工夫しながら、最適なPRにつなげていきたいですね」

異なる考えを尊重しながら、観光振興を形にしていく

観光客の総数が増加することだけが、観光振興の目的ではないことも事実だ。地域の文化や産業、自然などに対する理解を深めながら、持続可能な観光の形を築いていくことも、山下さんたちのような観光推進団体の責務である。

「集落滞在や文化体験などで、奄美の本質を知ってもらうことは大切です。“青く美しい海”を求める人が大多数ですが、地域独自の文化に価値を見いだす人も一定数います。アンケートをはじめ、観光で訪れる方のニーズを把握しながら、ツアーなどの最適化を図っていきたいです」

一方で、奄美の未来につなげるための観光振興では、地域の事業者や住民の声を収集することも重要だ。山下さんは仕事の中で、多くの人と会って話をする姿勢を大切にしている。

「電話一本ではなく、会って話すのが基本です。奄美のような小さな地域でも、関係者ごとに立場や意見は全く異なります。観光に直接的に関わる方はもちろん、住民の方々など周りの方を含め、押し付けるのではなく個々の想いをくみ取りながら、一つ一つの施策を進めなければなりません。以前、奄美大島中長期観光戦略のゴールを策定する機会があったのですが、その際もさまざまな立場の委員の意見を募りながら、緻密に検討しました」

アドベンチャーツーリズムのガイド研修時の様子

この時に策定されたゴールは、「誰もが訪れたくなる島、いつまでも暮らしたい島」(あまみ大島観光物産連盟)。山下さんはこの時、観光のあるべき姿に対して一つの確信を得た。

「観光というのは、住民が幸せに暮らすための道具なのだと、理解することができました。主役はやはり住民の方々なのですが、私たち観光推進団体は、『ツアーに集落巡りを組み込めば、人が来てにぎやかになる。観光に取り組めば集落が活性化する』というように、つい一方的に考えを押し付けがちです。やはり本来は、地域の一人一人が本当に望んでいることに対し、背中を押すような役目であるべきでしょう。地域の中には、『今のままで十分幸せだ』と考えている方もいらっしゃいますので、私たちはむしろ、観光がきっかけでコミュニティーに亀裂が生じないよう、より良い方法を模索する立場なのだと考えています」

観光は人々が暮らす道具。その道具の使い方を間違えれば、人々の生活にマイナスの影響が出る。小さな地域だからこそ、その循環も直接的に働くのだろう。

「例えば、私たちはエコツアーなどで山に入りますが、アマミノクロウサギなどの動物たちへの影響を考えると、人間なんて山に入らない方がいいんです。しかし、ツアーを通して彼らがその地に生息していることを知ることで、環境保全に対する意識が高まり、動物たちが暮らす環境も、私たちが暮らす環境もより良くなることもある。そうした長期的な視野に立ちながら、観光という道具を上手に使うことが、今求められていることなのだと感じます」

自然写真家と一緒に訪れたガジュマルの巨木

生活手段である航空路線を、観光を上手に使って維持していく

長年観光の仕事に携わってきた山下さんにとって、一人一人の異なる考えは、常に向き合うべき対象だった。一方、島の人々の根底には、意見や立場を超えた深い“つながり”があることも、奄美の特徴だという。

「奄美に住む方々は本当に仲が良く、人に対して温かいんですね。クルーズ船が来る時は、冬の早朝の真っ暗な中でも集合して、テント設営など準備をし、船が到着すると横断幕でお迎えするんです。夜11時に出航する船をお見送りする時は、出航までバーベキューをして過ごしたこともありました。いざという時は助け合い、外の人を手厚く歓迎するような人柄も、奄美の魅力の一つなんです」

こうした“つながり”を生むことも、観光が持つ意義の一つなのだろう。人の“つながり”に欠かせない要素の一つが飛行機であるが、山下さんはどのような視点で捉えているのだろうか。

「奄美大島観光協会で働いていた頃、『観光振興の目的の一つは、航空路線の維持』という考えに出会いました。島の生活には飛行機が必須ですが、その維持は観光需要にも左右されます。観光を取り巻く各産業も、最終的には生活のために営まれている。島だからこそ、その因果関係は密接で、飛行機は生活や仕事と表裏一体なんです。地域住民の生活を起点にした発想で、飛行機などの移動手段、自然や文化などの観光資源と向き合うことが、奄美を未来へとつなぐ上で、重要なのではないでしょうか」

異なる意見を尊重しながら、奄美に持続可能な観光を取り入れようと努力する山下さん。住民の生活という確固たる核があるからこそ、人々を巻き込みながら、新たな施策にチャレンジできるのだろう。“つながり”がもたらす「ENJIN」が、絶えず未来へつながるために、観光もアップデートされていくはずだ。

取材・文:相澤優太