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「幼少期から本当に何をしてもダメで」と語る彼女の顔は、なぜか満点の笑顔。憧れの航空会社のグランドスタッフとしてようやく働き出すも、新型コロナで仕事も激減し、自分は何者なのかと自問自答する時間が増えた。何かを掴まねばと必死に本を読み漁って見つけた答えは「スコットランドへの移住」だった。そして現在、日本食のお弁当店を開業し、大盛況となっている。
- 眞野華菜子(まの・かなこ)
- 1996年生まれ。千葉県出身。外語大在学中にスコットランド留学。卒業後は日系航空会社のグランドスタッフとして3年勤務。2021年に移住したスコットランド・オークニーに在住。弁当店「さくらキッチン」経営
大好きだったグランドスタッフの仕事がコロナでゼロに
スコットランドに移住する前、眞野さんは成田空港で大手航空会社のグランドスタッフとして働いていた。
グランドスタッフといえば、出発カウンターでパスポートを確認したり搭乗ゲートで出発するお客さんを案内する仕事がイメージされるが、海外から戻ってきた飛行機を空港に入れたり、バックオフィスでの仕事もこなす。使命は“飛行機を安全に定刻で飛ばす”こと。
「私の働いていた会社では“定刻”が基本中の基本でした。そのためお客様が搭乗予定の飛行機に間に合わなさそうな時は、10キロの荷物を両手に持って空港を猛ダッシュなんてこともありました。ハイヒールで1日1万歩、2万歩歩いていましたね」
飛行機を1便飛ばすためには、何十人ものスタッフが関わっているという。お客さんが予約を取り、空港に来て飛行機に乗り、現地に到着する。飛行機が旅客を目的地までに届けるため、チーム全員が一丸となる。プレッシャーは大きいが、飛行機がトラブルなく出発させられた時の達成感は何にも替え難かった。
「やっぱり無事に飛行機が離陸すると、気持ちいいというか、達成感がありますね。接客も世界中のお客様とのコミュニケーションを楽しめるので大好きで、月並みですけどお客様の笑顔とか、ありがとうと言われるとうれしかったですね」
「大好きだった」。グランドスタッフとしての仕事をそう振り返った。やりがい、充実感でいっぱいの仕事だったが、突然新型コロナが全てを奪っていった。
「今までめちゃくちゃ忙しかった成田空港が一気にゴーストタウン化したんです。1日に飛行機が数便しかない。客なし、貨物のみの時期もありました。コロナが始まって数ヶ月で空港から誰もいなくなって、本当にびっくりしました。世界の終わりだと思いました。国同士の出入国の規制に関するルールが毎日のように変わって、アップデートも大変でしたね」
昨日まで空港の端から端までをハイヒールで駆け回っていたのに、気づけば自宅の部屋に1人で座る日々。人生について考えてしまうのは、当然のことだった。
自分らしい生き方、人生学、幸せについて。何かを探し求めて、必死で本を読み漁った。起業した人や、個人事業主として働く人の本を読むことが多かったこともあり、会社員としての働き方にも疑問を抱いた。
「本を読んでいるうちにたくさんの言葉、生き方にインスパイアされて、視界がうわーと広がった気がします。だんだん、自分で起業して、自分自身で勝負したいと思うようになったんです」
「私個人として、どう生きていきたいのか、どうなりたいのか」、自分が何者になりたいか、何を成し遂げる人生なのかを自己分析していたら、スコットランドの景色が脳裏に蘇ってきた。スコットランドは大学時代に約半年間留学した国で、英語やホスピタリティを学んだ思い出深い場所だ。
「大好きなスコットランドにもう一度住んで、挑戦してみたい。移住しよう!」
すぐにネットで移住する方法と検索すると、YMSと呼ばれる若者向けの2年間限定で滞在できるビザがあることを突き止めた。少ない枠にたくさんの人が応募するため、倍率は10倍とも、20倍とも噂されているが、ダメもとで応募したところ、なんと当選したのだ。
「わあ、なんてラッキー!いっちゃお!会社辞めるぞ!」
全速力で走り出した眞野さんを止められる人は誰もいない。ビザ取得の見込みがたち、上司に退職の意向を伝えた。
2021年3月31日に成田空港で丸3年勤めたグランドスタッフとしての出勤を終え、4月1日にスコットランドへ向かうため、羽田空港にやってきた。
出発前、空港には久しぶりに会う同僚がいた。「移住するから辞めたの!バイバイ!」とスーツケースを引く眞野さん。その姿に、みんなの目がテンになったのは言うまでもない。
海の幸に恵まれたオークニーで弁当店開業へ
4月1日にスコットランドへ到着、2日には市場調査を開始した。
スコットランドには首都のエディンバラやグラスゴーという大都市があるが、以前から興味のあったオークニーを最初の調査地とした。
「初めて訪問する町でしたが、大自然と古代浪漫あふれる街でずっと気になっていました」
そしてこの街との出会いが運命を変えた。
オークニーはスコットランドの北部にある約70の島で構成された諸島郡。美しい自然やスコッチウイスキーの産地としても有名だ。そんな肥沃なオークニーの大地に降り立ち、しばらく滞在していたら、街は静かで、人も優しく、過ごしやすい。エディンバラなど大きな都市での起業を考えていたが、オークニーが気に入ってしまった。
「この土地の人が喜んでくれることをしたい」。起業することは心に決めていたが、具体的に何をするのかは現地で判断することにしていた、眞野さん。特定のビジネスアイディアはなく、できることならなんでもトライするつもりだった。
「日本人としての特色や、これまでの経験などを活かせるものがいいなとは考えていましたが、これといった職種は浮かんでなかったですね」
起業のヒントを探して街を歩くと、ある発見をした。中華料理、インド料理、イタリア料理はあるが、日本食レストランは全く参入していなかったのだ。
日本食に目を向け始めた理由はもう一つあった。それはオークニーは食材の宝庫であること。海に囲まれ、美味しいサーモン、エビ、カニ、ロブスターが揃っている。中でもホタテは大振りで旨みも強く、ほっぺたが落ちるほどにおいしい。大都市で出回れば高級食材だが、オークニーなら比較的安く仕入れることができる。
オークニーは人口2万人ほど。ロンドンやエディンバラなどの大都市と比べれば小さな街だが、店舗を構えずに持ち帰りの弁当販売ならば勝算はあるのではないか。
「起業の構想段階では“ノマド”のように、パソコンで仕事をするというのは考えとしてありました。でも、実際に来て、自分のユニークさを活かせる日本食の持ち帰り専門店が案として出てきたんです。これといった理由、きっかけ、大きな何かがあったわけじゃないですが、一つずつ選択していたら、日本食のお弁当店開業という流れになった感じです」
そうして、日本食お弁当店「さくらキッチン」がスタート。店名にさくら、を入れたのは、桜が日本を代表する花であることに加え、ウキウキするような可愛らしい店にしたいという願いを込めてのこと。
「提供するお料理やお店の価値を考えたときに、桜はピッタリだなと思いました。あと、日本で仲の良かった友人の名前が”さくらちゃん”で、可愛い名前だなと思っていたんです」
当時暮らしていた自宅の小さなキッチンで保健所による検査を受け、事業登録。スコットランド渡航からわずか2カ月後の2021年6月の出来事だった。
あれだけ欲しかった”金メダル”が必要なくなった日
さくらキッチンの人気メニューは鶏の照り焼き。お味噌汁なども一緒に注文されることが多いそうだ。味付けは日本食ならではの素朴なうまみを大事にしながらも、オークニーの人々が好む少し甘めにしているという。旨みも、舌で感じてもらいやすいように強めにするなど、工夫を重ねた。客層は働く世代の女性たちや、30〜40代のカップルなどが中心だそうだ。
最近では盛り合わせプレートも人気で、サプライズパーティーや誕生日パーティーなどで注文が入るという。繊細なデザインのケーキも好評だ。
「もともと食が好きで、人に振る舞うのが好きでしたね。人に喜んでもらいたいというのが根底にあるので、どうしたら美味しくなるか、可愛くなるか日々試行錯誤を重ねています」
街に初めてできた日本食の店、さくらキッチン。日本食を初めて食べた人も多く、お弁当のおいしさに感激して、リピーターになる人が増えていった。
「日本食を好きになったきっかけが、さくらキッチン」。そんな光景をみるのはやりがいにつながるだけでなく、自身の存在意義を感じる理由にもなっていった。
「金メダルがほしい、って小さい頃から思っていたんです。でも、スコットランドに来て、一番になろうって思わなくなってきました。大切なのはそれだけじゃないなと」
小学生、中学生の頃から学業やスポーツ、芸術など幅広く挑戦してきたが、明確に「一番」を取ったことがなかった、と語る眞野さん。自分自身はナンバーワンでもなければ、オンリーワンでもない。何をしても中途半端な自分にコンプレックスを感じていたそうだ。
言葉で言うほどネガティブになっていたわけではないし、ありのままの自分、スキルで満足はしていた。けれど、自分の人生の切れ味がもう少し良かったら。日本で生まれ育ち、学び、働く中で、モヤモヤとした何かがずっと付き纏っていた。
ある時、その感情を俯瞰してみたときに、「このまま自分が自分自身に対しても、社会からも、金メダルをもらえない人生なのかと思うと逃げちゃダメだ」、そう思ったそうだ。そしてそれはスコットランド移住を決断する理由の一つにもなった。
「一番になってやる!」
強い思いを胸に秘めて、店をオープン。2年限定のYMSビザが切れた後も店の営業を続けるため、就労ビザの一つであるスキルワーカービザの取得を目指し、自身で会社を設立し、現地の弁護士とやり取りを行った。
イギリスは移民政策などの理由から特にビザ取得が難しく、就労ビザとなれば尚更難易度は上がる。かつ、手続きをすれば取得できるわけではないうえ、一つの手続きに数カ月かかるなど時間も労力もお金もかかる。日本ではあり得ないトラブルが発生したこともあった。何度心が折れそうになったか分からないが、諦めず最後まできっちり準備し申請をしたら、見事にビザが降りたのだ。
全ては金メダルを掴むため。だったはずなのに、店を続ける中で金メダルに不思議と興味がなくなった。
「自分が以前の自分と比べて成長しているかどうか、という点に注目できるようになったんです。多分、競争が少ないおかげでそういう考えになれたのかもしれないです。もちろん、飲食店は他にもあるので競争がないわけではありません。でも、日本の会社員生活のようなレッドオーシャン的な競争とは違うんです。もっといえば、成長というよりも、いかに社会に貢献できているのかに大きな意味を感じています」
自分自身の成長だけでなく、社会に目をむけるようになった。自分の力を活かして戦える環境に身を置けているからこその変化だろう。
「日本に身を置いて、会社員を続けていたら、現在のような考え方に至っていたか分からないですね。常に何かしらの競争、比較があり、その中で生きていたように思います」
毎年オークニーでは飲食業コンペが開催される。投票で選ばれた店は入賞するイベントに眞野さんも参加した。眞野さんは入賞したいとは思いつつも、お客さんが喜んでくれた上で、賞にご縁があればいいと思うにとどまった。以前の眞野さんであれば、入賞することが目標だったかもしれない。
新型コロナで仕事がなくなった時期、読んでいた本のなかで忘れられない言葉があると教えてくれた。
『成功する人生とは、自分の人生を自分流に生きること』
アメリカの作家、クリストファー・モーリーの言葉。これを読んで、眞野さんは部屋で一人涙を流した。当時、社会人3年目。涙が止まらない理由が分からないほどに悩んでいた彼女に、風穴を開けた一文だった。
「スコットランドに来て良かったです。本当に来て良かった。悩んでいた時期は長かったけど、それは通過点であって、結果的にスコットランドに来る決断ができた。その決断をしたのも何かに引き寄せられたからなのかも知れないですね」
店はいま、ひとりで切り盛りするのが大変になるほどのオーダーが舞い込んでいて、当初間借りしていたフラットの小さなキッチンから、大きなキッチンのある新しい自宅へと移った。
店をスタートさせることよりも、店を2年安定して継続させることは想像以上に大変だった。さらにメニューのアップデートを重ね、自分の腕を磨きながら、お客さんが喜ぶ姿を見ると頑張れる。
「これから事業をどんどん拡大していきたいですね。でも私はせっかちな性格なので、急成長させるとどこかで失敗する気がするので、着実に、自分の身の丈にあった成長をしていくのが目標です」
さくらキッチンを街から愛されるブランドに育てていく。どんな花をオークニーの大地に咲かせていくのだろうか。
取材・文:星谷なな