ICT(情報通信技術)業界を中心に人材不足が深刻化する中、オランダでは海外からのトップ人材の採用が経済発展を支えるために不可欠となっている。近年はインドや中国などからの知的労働者が急増しており、彼らとともに移住してくる家族のケア問題が浮上してきた。

特に問題視されているのが、配偶者の就職問題だ。夫(またはまれに妻)についてオランダに来たものの、オランダ語能力やネットワークの不足により、なかなかキャリアや能力に見合った職に就くことができず、孤独や絶望感に陥りやすい。挙句の果てには「国に帰りたい」ということになり、せっかく獲得した優秀な人材が流出してしまう原因にもなっている。

夫のオランダ赴任についてきた妻の就職をサポートするイベント「Women for Women」のステージ。民間組織と地元政府が協力して取り組んでいる(写真:筆者撮影)

ヨーロッパ有数のハイテク集積地であるオランダ南部のブラバント州は、他地域に先駆けて、いち早くこの問題に対処し始めている。

「Women for Women」で国際タレントと地元企業をマッチング

「Women for Women」の朝食セッション。平日の早朝に開催されるので、リクルーターは仕事に行く前に参加できる(筆者撮影)

平日の朝7時45分、ブラバント州アイントホーフェン市の住宅街にある公共施設に50人ほどの女性たちが集まって、コーヒーを飲みながら歓談している。さまざまな人種や国籍の人たちが集まっており、聞こえてくる共通言語は英語だ。時刻が8時になると、参加者はシアタールームに通され、前方の舞台で1人1分間の「ピッチ」が始まった。

「みなさん、立ち上がって!スイングしてください」

ブラジル人のクリスティン・マルガードさんは聴衆に手拍子をさせると、それに合わせてバイオリンを奏でた。そして演奏を終えると、自己PRを始めた。「私はブラジルでクリエイティブ・プロジェクト・マネジャーとして働いてきました。この経験を活かして、オランダでもクリエイティブな分野で仕事をしたいと思っています」

就活中の女性たちが1人ずつ舞台で自己PRする(筆者撮影)

ほかにも約20人の女性が次々と舞台に表れ、客席に座る「アンバサダー」と呼ばれる地元の企業や組織の人事担当者に自らを売り込んだ。

ピッチの後は朝食セッション。参加者はアンバサダーとクロワッサンやハム・チーズを食べながら、交流を深める。基本的に求職者1人につきアンバサダーが1人付き、個人的な交流を通じて彼女たちの就職活動を物理的・精神的に支えている。

「Women for Women」という同プログラムは2018年からスタートし、すでに10回目を迎えた。夫についてブラバント州に移住してきた配偶者が登録し、3カ月間、アンバサダーのサポートを受けながら就活をするという取り組みだ。これまでに150人以上が仕事を見つけた。成功率は実に80%という。

ブラジル出身のジェシカ・コンスタンティノさん(左)と、彼女の就活をサポートするアイントホーフェン工科大学人事担当のフェムケ・フェルフーへンさん(右)(筆者撮影)

妻の仕事が見つからない

「Women for Women」を主催するのは、「Expat Spouses Initiative(外国人配偶者イニシアティブ:ESI)」と非営利政府機関「ホランド・エキスパット・センター・サウス(以下エキスパットセンター)」だ。

ESIは、はじめ3人の外国人女性が集まってボランティア活動のような形で始まったが、2017年ごろからエキスパットセンターがこの活動をサポートしはじめ、同年には独立した「ソーシャルエンタープライズ」として法人化された。

創設者兼CEOのカビータ・バラタンさんは、2008年以来オランダに住むインド人女性だ。彼女は自国で建築家として活躍していたが、夫がオランダのフィリップスで職を得たのを機に、アイントホーフェン市に移住した。

移住後は、地元アイントホーフェン工科大学で建築の修士号を取得するなど努力したものの、出産でキャリアギャップが生まれてしまったことや、金融危機の影響など複数の要因が重なり、オランダでなかなか定職に就くことができなかったという。

Expat Spouses Initiative(ESI)創始者兼CEOのカビータ・バラタンさん(左)と、アイントホーフェン市役所の「リビングイン・プログラム」コーディネーター、エドヘールスハップさん(右)(筆者撮影)

しかし、こうした状況に直面していたのはバラタンさんだけではなかった。夫の赴任に伴ってオランダに移住した外国人女性は、高学歴で立派な職歴があるにも関わらず、何年も職が見つからないケースが非常に多く見られるのだ。

オランダでは「知的労働者ビザ」で入国した人の配偶者は、自動的に就労資格を持つ。これはヨーロッパ内で珍しく、オランダはその意味で外国人にオープンと言えるのだが、公用語が英語でないことに加え、外国人を雇った経験のない保守的な中小企業が多いこと、そしてかなりの「コネ社会」であることが、配偶者の就業を阻む要因となっている。

「仕事が見つからない配偶者はアイデンティティをなくし、夫婦間の関係も悪くなります。夫は新しい仕事で人生を謳歌している一方、妻は収入を夫に依存してみじめな気持ちで過ごしている例がたくさんあります」(バラタンさん)

バラタンさんによれば、アイントホーフェン市で収入を依存している配偶者の数は、2020年時点で2万3,000人(同市の全人口の約10%)。この数にはEU圏内からの移住者は含まれていないほか、コロナ禍を経て、外国人移住者の数は急増しているため、現在この数はさらに多くなっていると想定される。

労働市場のひっ迫、地元政府が対策に本腰

一方、オランダの労働市場のひっ迫はコロナ禍以降、かなり深刻な状況となっている。特にアイントホーフェン市を中心とするブラバント州南東部は、ハイテク企業が集積しているため、その深刻度合いが大きい。

オランダ労働保険事業団(UWV)の統計によると、同地域の労働市場緊張指数(求人数を失業給付金を受給して6カ月未満の人数で割ることで計算される)は、2021年以降に急上昇しており、第3四半期以降は「非常にひっ迫」を表す「4以上」の数値になっている。

コロナ禍を経た2021年第3四半期以降、ブラバント州南東部の労働市場は「非常にひっ迫」している(UWV資料より筆者作成)

UWVの労働市場アドバイザー、ミル―・アウデナルドさんによれば、その要因はデジタル人材の需要急増、人口の老齢化、パートタイム人口が多いことなど、複数の要因が絡んでいるという。

セクター別にみると、すべての業種で人材が足りない状況となっているが、中でもICT関連のひっ迫状態が顕著で、人材1人に対する求人数は2021年第1四半期以降、ずっと最高値の「16以上」となっている(オランダ全土でも14.89)。こうした人材はオランダ国内だけでは賄えず、企業は世界中から人材をかき集めているのが現状だ。

オランダ全土でICT人材が不足している。「zeer krap(労働市場が非常にひっ迫)」を表わす濃い赤色で全国が塗りつぶされている(資料:UWV)

これら外国人が地域に根付き、スムーズな生活を送れるように支援しているのが、前述の「エキスパットセンター」だ。アイントホーフェン市役所内にあり、ここに登録した外国人はさまざまな支援サービスを受けることができる。13年前の発足当時、登録者数は800人に過ぎなかったのが、現在は1万人に拡大している。

「例えば、私が担当する『リビングイン』というプログラムでは、『オランダで家を買うにはどうすればいいのか』ということについて、セミナーを開いたりしています。リビングインの目的は、外国からの人材を保持することです。配偶者の就職についてもサポートサービスを考えていたときに、ちょうどESIの活動を知ったのです」。同プログラムのコーディネーター、エド・ヘールスハップさんは説明する。

今年6月にブレダ市で開催された「Women for Women」の舞台。リクルーターたちを前に10人の外国人女性の経歴が紹介された(筆者撮影)

配偶者の就職問題については、アイントホーフェン市だけでなく、ブラバント州政府も乗り出すことになった。

同州政府・国際協力部門のアリーナ・トッティさんは、「配偶者も職を得て幸せを感じられなければ、最終的に国際人材は家族を連れて母国に帰ったり、他国に移住したりしてしまいます。これはオランダで社会問題から経済問題に発展しています」と強調する。トッティさん自身、ルーマニア出身で、学歴・職歴ともに申し分ないにも関わらず、オランダで職を得るまでに15カ月の「暗黒時代」を送った苦い経験を持つ。

ESIが主催する「Women for Women」は今年6月、ブラバント州西部のブレダ市でも開催された。今後は州全体にこの動きを広げるほか、オランダの社会雇用省などに働きかけることで、全国的な展開も計画しているという。

「ダイバーシティ&インクルージョン」で企業を巻き込む

ESIと地元政府が次の目標としているのは、企業を巻き込むことだ。特に、国内企業の7割を占めるという中小企業に「国際マインド」を植え付けることを目指している。バラタンさんとヘールスハップさんはまず、すでに問題に気付いている「アーリーアダプター」たちを活用して、中小企業に働きかけていきたいと考えている。

「オランダ人だけでなく、外国人にも門戸を開いていかないと、5~10年後には人材を得ることができずに、企業として存続できないかもしれないよ、と呼びかけています。そして、雇用だけではなく、その先を見ること。外国から移住してくる家族がなにを必要としているかを見てください、とも言っています」(ヘールスハップさん)

ESIとエキスパットセンターのプレゼン資料より。配偶者も職を得られれば、外国からの人材は長くとどまるとの調査結果もある

ESIが企業に求めるのは2点。1つは外国人従業員の配偶者の就活をサポートするために、企業が資金を提供すること。もう1つは、誰かを雇用する際、外国から人材を呼び寄せる前に、すでにオランダに移住している外国人求職者のプールを見るということだ。

彼らの働きかけに対し、企業の反応は上々。最近では企業の方からもアプローチが増えてきているという。バラタンさんによれば、コロナ禍で人事担当者の権限が大きくなっていることも好影響を与えた。

「コロナ禍は大きな転換点になりました。従業員が家でリモートワークをするようになったので、会社が従業員のプライベートライフに関与するようになったし、従業員は企業を選ぶ際、単に給料がいいというだけではなく、家族ケアなどの“暖かいハートを持った企業”を重視するようになってきています。人事部の良いアクションプランが人材確保の決め手となっているので、今や人事担当者は企業のヒーローなのです」と、バラタンさんは解説する。

また、前述のアリーナさんも、人々が職場を選ぶ際の決め手として、「パートタイム労働でフレキシブルに働けるなど、ワークライフバランスを追求できることが重視され始めています」と説明。オランダの組織はその点で他国の企業に勝っていると指摘している。

企業の人事担当者を招いて開かれる会合「Including You」。バラタンさんたちは、「ダイバーシティ&インクルージョン」の観点から、配偶者を含めた国際人材の活用を求めている。(筆者撮影)

「SDGs(持続可能な開発目標)」への意識の高まりも、ESIの活動を後押しする。ESIは、SDGsの中でも特に「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン(D&I)」の観点から、企業に従業員の国際化を促したいと考えている。そのために今年から取り組んでいるのは、「Including You」という会合。パートナー企業になって、ESIの活動を支援してもらうのが狙いだ。

「Including Youの会員になれば、それは企業のブランディングにもなります。今やZ世代などはサステイナブルな企業で働きたいと思っています。チャリティだからやるというのではなく、長期的に企業に多くの利益をもたらすことを理解してもらうのです」(ヘールスハップさん)

人口の老齢化などで労働市場がひっ迫していること、英語が公用語ではないこと、外国人になじみが薄い中小企業が多いこと――オランダの状況は、日本をはじめとする多くの非英語圏の先進国にも共通してみられる。外国からの知識労働者が不可欠になっている現在、配偶者のウェルビーングに取り組み始めたオランダの試みは、これから多くの国が参考にできるものではないだろうか。

文:山本直子
編集:岡徳之(Livit