先が見えないからこそ、その時の価値観を大切に

「2年半ぐらい安定収入はなかったけど、生きてこれたんですよね」

話は少し逸れるが、17歳の時、最愛の母親との別れを経験した。「自分がやりたいことをやるようになったのは、この時からだったと思う」と語る渡邉さん、10代までは“すべき”を優先しがちだった。

高校受験の時は、評判のよさで学校選びをしたし、就職で銀行を選んだのも、肩書きが理由の1つ。実用性や損得で動く若者だった。大きく道から外れることができない性格だからこそ、堅実な選択ができてきたのかもしれない。けれど、自分の気持ちを優先してもいいのではないか。

アメリカ留学時代

母の死をきっかけに目を向け始めた「自分がやりたいこと」。でも、案外ぼんやりしていた。やりたいことも目標も一応あるが、突き動かされるほど絶対的ではない。義務的なものばかり見てきたからか、願望がおぼろげになっていた。

しばらくは、結局「すべき」に逃げていた。そんな自分にモヤモヤしながらも、「やりたくないこと」はある程度はっきりしていることに気づいた。そんなとき、小学生の時に聴いたB’zの曲の歌詞に登場する言葉が脳裏をよぎり、1つの仮説に取り組むことにした。

「やりたくないことはやらないという消去法的な判断をしてきたら、気づいたら実はやりたいことやってるんじゃないか」

半信半疑だったこの仮説に最近、自信が持てるようになってきた。

「やりたいことを『すべき』にとらわれずに認識していけるようになりましたね。その時の価値観とすりあわせるのも大切なのかな」

立ち上げた事業「にゅーびだ」での様子

思い返せば、銀行を退職するときに海外留学することもできたはず。でも行かなかったのは、本当に海外行きたいのか?という自分自身からの問いかけに、うまく答えられなかったから。

「銀行含め日本時代の生活もそれなりに楽しかったから、有名企業でお金稼いだり、社会的地位もつけたり、もっと大きなことを成すべきなんじゃないのか?という『すべき』にとらわれてました。一方で、それは本当にやりたいことなのか?と違和感がありながらも、すべきを払拭するほどにやりたいことがなかった気もする。昔から成し遂げたい明確な目標がない中で、それなりに人生楽しんでいるっていうことが中途半端に思えてモヤモヤしてたのかな」

MBAでサッカービジネス学んだのも、どうしてもやりたいことというわけではなく、日本や前の環境から離れたかったから選んだに過ぎなかったのかもしれない。真の希望に絡みつく、不安、欲望、見栄。一つひとつ剝ぎながら、自分の核を探し求める。

そうしてたどり着いた、今の答え。それは「身近な存在を大切にしたい」ということ。

だから渡邉さんはフリーランスとして仕事をしつつ、自身の事業をすすめる道を選んだ。MBAの卒業生はサッカークラブやFIFAなどに就職する人も多いため、入学当初は有名なクラブでのキャリアを多少なり思い描いていたが、それはしっくりこなかった。

「考えているうちに、ボールを蹴る時間がなくなるほうが嫌だなというのが確信に変わりましたね。仕事をしつつも、自分には友人とボールを蹴ったり、一緒に過ごす時間が自分には必要なんだなと。それがどんな形であれ日本サッカーの発展につながれば良いな」

等身大の自分に、ようやく出会えた気がする。

撮影:Kazumasa Horiuchi

ともあれ人生、先のことは分からない。自分が銀行や予備校に勤めていても、倒産するかもしれない。病気になるかもしれない。今後、仕事を辞めるかもしれないし、子どもができたり、別の国に行くかもしれない。

反対に、予備校の経営が安定していたら留学はしていなかったかもしれない。それはそれで、良い人生だったかもしれないけれど。

目の前の楽しいこととやるべきことを続けていたら、なにかがその先にあるのではないか。その過程でめぐり合う人びととの出会いや、運、タイミングがうまく重なれば、いいほうに転ぶだけのこと。

「すべきの中で、やりたいことをどうするか、なのかな」

飄々とした表情に、少年のような笑みを浮かべて見せた。

[取材・文] 星谷なな
[編集] 岡徳之(Livit