教育や介護、生活など、“人”を軸にした課題を解決すべく、さまざまな事業・サービスを展開するベネッセグループ。AMPでは本連載で、それぞれのライフステージにおける「よく生きる」を支援するベネッセの事業を取り上げながら、現代の大きなテーマの一つであるウェルビーイングに迫り、誰もが自分らしく「よく生きる」ために何が必要なのかを掘り下げてきた。
ベネッセは2022年12月に「ベネッセ ウェルビーイングLab 」を設立。バックグラウンドの異なる多彩な人々による対話を通じ、ウェルビーイングの探求を進める新たな活動を始動した。
2月に開催された「第7回サステナブル・ブランド国際会議2023東京・丸の内」では、ウェルビーイングをテーマとしたトークセッション「日本ならではのWell-beingとは?―幸せの国デンマークからの応援歌―」に、現在デンマークに住む駒澤大学教授 青木茂樹氏、文化翻訳家 ニールセン 北村朋子氏、ロスキレ大学 准教授 安岡美佳氏の3人と共に、「ベネッセ ウェルビーイングLab」所長であるベネッセホールディングス 常務執行役員、ESG・サステナビリティ推進本部長 岡田晴奈氏が参加。サステナビリティや福祉国家の先進モデルとされるデンマークの事例から、ウェルビーイングの在り方を議論した。
連載最後となる第6回のテーマは、「日本らしいウェルビーイング」。サステナビリティの時代における、日本が目指すウェルビーイングについて、海外の事例や在住者の視点を参考に、日本で暮らす私たちが取り入れるべきマインドに迫る。
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- 第5回:幸せに生き、働くためのコツとは? “幸福学”から紐解く、社会人のウェルビーイング
幼少期から「自尊心」と「民主主義」を育む、デンマークの社会
ファシリテーターの駒澤大学 経営学部 市場戦略学科の青木教授は、現在デンマークのオールボー大学ビジネススクールにも籍を置き、現地に在住している。その体験も踏まえ、初めに北欧、デンマークとはどんな国なのかをデータで示した。
青木氏「世界のSDGsランキングでは、1位がフィンランド、2位がデンマーク、3位がスウェーデン。北欧諸国がトップに並ぶ一方で、日本は19位でした(※1)。また、1人当たりのGDPにおいてデンマークは9位、世界デジタル政府ランキング(※2)では1位になっています。サステナビリティで高い評価を得ながら、経済活動やデジタル化においても優れた国に強く興味を持ち、私は現在デンマークに住みながら研究を進めています。今回のテーマであるウェルビーイングに関連するところでは、世界幸福度ランキングでデンマークは2位。日本は54位ですが、その中身を見ると他者への寛容さや、国への信頼度が低いことが分かっています(※3)。
このようなデータで日本は低いからダメだということではなく、サステナビリティやウェルビーイングが進んでいるとされる国の根源にあるものは何なのか。それを捉えながら、外からの視点も含めて日本ならではのウェルビーイングの在り方を共に考えていきたいと思います」
デンマークのロラン島からオンラインで参加したのは、文化翻訳家のニールセン氏。同国に21年在住し、日本とデンマークや世界を結びながら、現地で「人生の学校」フォルケホイスコーレを開講するなど、教育領域でも精力的に活動している。
ニールセン氏「デンマークで、ウェルビーイングとはどんなことなのかと聞くと、『あなたも、あなたの周りの人も あるがままに存在し続けられること』といった答えが返ってくることが多いです。自然を含む環境がストレスなく、皆がそのままの自分であり続け、それを次の世代にもつないでいくことを意味しているのだと思います」
続けてニールセン氏は、幾つかの子どもたちの日常シーンを提示した後で「このような当たり前の権利を、子どもや若者が享受できているでしょうか」と、私たちに問いかける。
ニールセン氏「『自然の中で、友達と思い切り遊び尽くす』『ファンタジーに思う存分浸る』『やってみたいことを、失敗や評価を気にせずやってみる 五感を解き放つ』など、これら七つの項目はデンマークにおいて多くの教育機関が大切にしている価値観です。
息子が通い、私自身も携わった『森の幼稚園』では、どんな天気でも3年間をずっと外で過ごし、木登りをして遊んだり、作りたい道具があればナイフや斧で自ら作り、食べたいものがあれば火をおこして作ったりします。そこで何をするかは子どもたちに委ねられていて、さまざまな考えを持つ子どもたちが話し合い、自分たちが遊びの“決定者”となりながら、自分と違う意見・多様性にごく幼い頃から自然の中で触れていくのです」
「森の幼稚園」のような自然施設で過ごした子どもは、複雑かつ多様な遊びを通して集中力が高く、学校に進学してからの学びの定着率も高いということが、調査で明らかになりつつあるという。ニールセン氏はもう一点、デンマークの教育機関が重視していることとして、「自尊心」を挙げる。
ニールセン氏「『子どもが自信を持つように』というムードは日本にも見られますが、デンマークでは自信と自尊心は似て非なるものとして、特に自尊心を重視します。自信は『誰かからの評価によって感じられるもの』であるのに対し、自尊心は自分軸。誰が何と言おうと、自分はこういうことが『好き』なのだ、という自分の感性や価値観を育むことが大切にされます」
こうしたデンマークの教育は、民主主義にもつながるという。
ニールセン氏「さまざまな人がいる中で、話し合いながらトライし、最善の妥結点を探していくのが民主主義です。デンマークでは幼稚園から大学まで『今の毎日の生活に満足しているか?』が度々問われ、満足していないならばそれはどうしてなのか、もっといい方法はないのか、本当はどうしたいのか。時には当たり前を疑いながら、本音を引き出すクリティカル・シンキングで突き詰めて考え、行動する体験を積み重ねます。
このような中で、自分の行動の一つ一つが最終的に皆の幸せにつながるのかを考えていく。その先に、民主主義をベースとした社会が形つくられています。日本でも、豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持することを可能にする社会的装置として、『社会的共通資本』という概念を経済学者の宇沢弘文さんが提唱されていますが、デンマークではそれが教育や社会、政治における民主主義として実践されているのだと思います」
※1 「Sustainable Development Report」(2022年度版)
※2 「早稲田大学世界デジタル政府総合ランキング2022」
※3 「World Happiness Report 2022」
人々の幸せにつながる、デジタル化の意義
民主主義が根付くデンマークでは、社会のデジタル化も進んでいる。デジタル化とウェルビーイングにはどのような関係があるのだろうか。デンマークのロスキレ大学で准教授を務め、ヒューマンコンピュータインタラクションやITを通じた社会改善を研究する安岡氏は、現地の最新事情を共有する。
安岡氏「30年ほど前は、デンマークというと『福祉国家』と語られることが多かったのですが、その後は『デザインの国』、そして近年では『幸せな国』と『デジタル化が進む国』として知られるようになりました。私はこの『幸せ』『デジタル』の二つが関連していると考えています。
例えば教育では、デジタルツールの活用が浸透して、先生と生徒、学校と親をつなぐコミュニケーションプラットフォームが早い段階から利用され、学校に関連するさまざまな連絡が素早く共有されます。ラーニングマネジメントシステムも進んでいて、レポート提出もそこでできますし、数名でのプロジェクトワークやグループワークもデジタルツールを活用して行われます。こうしたデジタル化の進展はコロナ禍で真価を発揮しただけでなく、社会の中で自分の居場所を感じながら『自分のペースで学びを進める』ことにも貢献しています」
安岡氏の子どもは、デンマークでは平日に現地の学校、週末に日本人補習校に通っており、そこには学びにおける大きな違いがあるという。
安岡氏「ある日、娘が言いました。『日本の学校はみんなで一斉に問題を解くから、緊張しちゃう』と。皆さんも記憶にあると思いますが、『はい、じゃあ〇〇ページ開けて。1番から3番まで。できた人から手を挙げてね』といった光景が、日本人補習校でも行われているわけです。では、デンマークの学校はどうかというと、みんな自分だけの問題をそれぞれに解くのです。娘からは『だって、得意なものとそうじゃないものがあるでしょ』と言われましたが、教育の方法そのものが違い、デジタルツールがこうした学び方を促進しているのです」
こうしたデジタル化は教育シーンにとどまらず、社会全体で進んでいるという。その一例として、安岡氏はデンマークのデジタルID「MitID」を挙げる。
安岡氏「MitIDは個人認証の仕組みで、免許証と印鑑を組み合わせたようなもの。デンマークではこのIDによって自分を証明することができ、デジタルのさまざまな仕組みにアクセスすることができます。日本が導入を進めるマイナンバーとも似ていますが、例えば病院の予約、税金の支払いなど、銀行・行政に生活シーンのさまざまな手続きがこれ一つでできるという点がポイント。こうしたデジタル化が社会の基盤として整い、日常の生活における利便性を高めています」
こうした先進的な取り組みにより、世界デジタル政府ランキングでもトップに位置するデンマーク。政府の迅速なデジタル化推進も、良質な民主主義が育む、国に対する人々の信頼が支えているのかもしれない。
多様な視点と知見を生かし、日本らしいウェルビーイングを
次に、日本において長年「Benesse(よく生きる)」を支援するための取り組みを行ってきた企業からの視点として、「ベネッセ ウェルビーイングLab」(以下、ラボ)で所長を務める岡田氏が、その設立につながる背景を共有した。
岡田氏「ベネッセという企業哲学であり社名は、ラテン語の『bene(よく)』と『esse(生きる)』の造語で、英語では『ウェルビーイング』です。ベネッセは30年以上前からこの社名とともに人々が『よく生きる』ための事業活動を行ってきました。
そもそもなぜベネッセとなったのか?その原点には、先ほどニールセンさんのお話にあったような、もっと自然の中で子どもたちが試行錯誤しながら学ぶ時間を提供したいという思いから当時、瀬戸内海の直島で進めていたキャンプ場の開発がありました(現在は形を変え「ベネッセアートサイト直島」として、土地の個性・地域に暮らす人々との関わりを大切に、現代アートを取り入れた独自の活動を展開)。創業社長の急逝後に2代目社長となった福武總一郎が、東京を離れ岡山へと戻って瀬戸内海の島々を回遊する中で、自然や人々に接し、本当の幸せや豊かさとは何かを見つめたといいます」
瀬戸内海は、今でこそ風光明媚(めいび)な場所として知られるが、高度成長期に負の遺産を負った場所でもあった。そうした地で、最後に大切なのは「やはり人、人の営みである」という思いに至った福武氏は、「人の生きることを支援する会社となろう」という決意から「Benesse(よく生きる)」を掲げ、以来同社が追求し続ける使命になったという。
岡田氏「ベネッセとなってからは、人生のあらゆるライフステージに寄り添って『よく生きる』を実現するため、教育や介護などの事業に取り組んできましたが、サステナビリティの時代となり、ウェルビーイングという概念が地球規模のアジェンダとなった今。改めて『よく生きる』やウェルビーイングを、原点に立ち戻って深め、考えていこうということで、ラボを昨年12月に設立しました。ラボでは、多様性と対話を重視しながら、あらゆる人のウェルビーイングに対する考え方や実践の事例などを集め、それを共有しながらより幅広い人のウェルビーイングを実現するお手伝いができればと考えています」
その“対話”を実践する場の一つがこのセッションだ。では、デンマークのような事例、そこでの知見を参考にし、今後どのようにして“日本らしい”ウェルビーイングを目指していくべきなのか。各登壇者が意見を交わしていく。
ニールセン氏「ハードルの一つは、日本のジャーナリズムかもしれません。日本にいると世界のリアルタイムな情報が、包括的に入ってこないと思うことや、透明性の担保に疑問を感じることがあります。デンマークでは、三権分立を監視し、民主主義を支える第4の権力としてジャーナリズムが捉えられています。国民が知るべき情報を提供した上で、さまざまな意見から『問題の本質は何なのか』など、“問い”を提供する役割をジャーナリズムが果たしています。日本は人口構成が昔と変わっても、教育に対する考え方なども変わっていないように思いますが、ジャーナリズムからの良質な“問い”によって、変えることをいとわない姿勢が社会に広がればと思います」
安岡氏「ウェルビーイングを日本でどう実現するかと考えた際、必ずしもヨーロッパ的な観点で作られる指標だけに準じないことも、大切かもしれません。アジア的なウェルビーイングもあるはずで、個々も重要だけど周りとの調和を大切にしたり、周りの人が幸せなことが自分の幸せに通じたりと、日本人が備える素質からつながることもあります。もう少し足元を見つめてウェルビーイングを考えてみることで、もっと日本にフィットする形が見つかるのではないでしょうか。その中で教育が果たす役割は大きく、デンマークが幼稚園からの教育で民主主義を根付かせているように、教育を通してウェルビーイングを根付かせていくことができればと感じました」
岡田氏「子どもに限定した精神的な幸福度ランキングでは、OECD加盟国の38カ国中、日本は37位(※4)、一方で1位はオランダです。オランダでは小学校の同じクラスでも、国語をとる子と算数をとる子が分かれていたり、中には自分で『私はまだ中学校に上がる力がないので、留年します』という選択をする子がいたりと、子どもたちの主体性がとても高いことに驚きます。そして、皆がイキイキと学校生活を送っています。改めて、これからは日本においてもより子どもたちが幸せを感じられるような社会をつくっていかなければならないと思います」
※4「Worlds of Influence: Understanding what shapes child well-being in rich countries」
対話を重ね、これからのウェルビーイングを考える
さまざまな対話が生まれたセッションで、登壇者は最後にウェルビーイングの実現に向けた抱負や、「ベネッセ ウェルビーイングLab」への期待について語った。
ニールセン氏「日本の子どもたちや若者たちと話をすると、よく聞くのが、『自分にしっくりくる言葉が見つからない』という悩みです。SNSなどではやっている言葉を使ってみるけど、それは自分にとってはしっくりこないということがあるようです。もっと自分を表現できる、言葉や音、色などに出会える場としてワークショップなどがあれば面白いのではないかと思います」
安岡氏「リビングラボ―いろいろと失敗しても、間違えてもいい、そこに行ったら失敗も許容されるような空間があればいいなと思います。また、子どもだけではなくて、幅広い方やシニアの方たちの『よく生きる』というのも、これからどんどん重要になってくると思います。そんなことを考え、試行錯誤する場所が一つあるだけで、いろいろな可能性が広がっていくのではないでしょうか」
岡田氏「日本は失敗を恐れる風潮がいまだ強いので、もっとトライ&エラー、失敗も認められ、それが子どもたちの糧になるような体験ができる社会をつくりたいと、個人的にも強く感じました。始まったばかりのラボでは、今後、より幅広い方に参加していただきながら、ウェルビーイングの在り方を多様な視点で考え、その実践へと向かえるような機会をつくっていきたいと考えています」
ウェルビーイングの捉え方、在り方は人によってさまざまだ。それは国や地域においても同様で、これからは日本の価値観や風土に根差したウェルビーイングの形を模索することも重要になるだろう。そのプロセスで欠かせないのが、多くの人々による対話である。異なる価値観を持つ人が交わる「ベネッセ ウェルビーイングLab」の今後の活動に、期待したい。
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