教育や介護、生活など、“人”を軸にした課題を解決すべく、さまざまな事業・サービスを展開するベネッセグループ。AMPでは連載を通じて、それぞれのライフステージにおける「よく生きる」を支援するベネッセの事業を取り上げながら、現代の大きなテーマの一つであるウェルビーイングに迫り、誰もが自分らしく「よく生きる」ために何が必要なのかを掘り下げてきた。
そうした中、ベネッセは2022年12月に「ベネッセ ウェルビーイングLab 」を設立。バックグラウンドの異なる多彩な人々による対話を通じ、ウェルビーイングの探求を進める新たな活動を始動した。これまでもZ世代を対象に、ウェルビーイングとは何かを考えるワークショップを実施してきたが、ラボ設立後の第一歩の活動として、2月に開催された「第7回サステナブル・ブランド国際会議2023東京・丸の内」では、働く人のウェルビーイングについて対話の中で理解を深めるワークショップを実施した。
第5回となる本記事では、同セッションにおける慶應義塾大学大学院の前野隆司教授の講演、対話を通じて共有された参加者の声を通じ、さまざまな人が「これからをウェルビーイングに生きるためのヒント」について考える。
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パフォーマンスに影響する幸福感、働く人が幸せに近づくために
多様な人が参加し、交流の中でサステナビリティの潮流や活動を知り、未来を考えるコミュニティ・カンファレンスとして、2023年2月に開催された「第7回サステナブル・ブランド国際会議2023東京・丸の内」。今回、会場となった丸の内エリアの複数の施設で、特別企画として丸の内エリアのビジネスパーソンや一般向けのオープンセミナーが開催された。その一つとして実施されたのが、対話の中で“働く人”のウェルビーイングを考える「ベネッセ ウェルビーイングLab(以下、ラボ)」のセッションだ。
「ラボ」のフェローとして参画している慶應義塾大学大学院の前野隆司教授を迎え、「サステナビリティ×ウェルビーイング」をテーマに開催した参加型の同セッションには、丸の内エリアやその他から集まった多数の人が参加した。
前半では、幸福学研究の第一人者である前野教授がオンラインで登壇。私たちはどうしたらウェルビーイングな状態に近づくことができるのか、具体的な事例も交えながら、さまざまな行動や考え方のヒントを示した。
前野氏「幸せに働き、幸せに生きるとは、どのようなことでしょう。ウェルビーイングとは、『体と心と社会の良い状態』のことです。つまり、健康で、幸せで、福祉が行き届いている状態。最近では、『幸せ』と同じ意味で使われることが多いため、今日はウェルビーイングな状態、幸せな状態ということについてお話しします」
まずスライドを用いて「幸福感とパフォーマンスの関係」が示された。それによれば、“幸福感の高い社員”は創造性が3倍高く、さらに生産性や売り上げもプラスとなっている他、欠勤率や離職率も低いなど、人の幸福感とパフォーマンスには相関があるという。幸せであるということは、さまざまなプラスをもたらすパワフルな要素であることが分かる。
では、どのようにすれば働きながら「幸せ」を得ることができるのだろうか。前野教授の研究室では、パーソル総合研究所と共同で、「はたらく人の幸せと不幸せの因子」を研究している。その結果、幸せになる条件と、不幸せの条件(因子)は必ずしも反対関係にあるわけではないということが判明したという。
前野氏「例えば、オーバーワークは人を不幸せにしますが、反対に仕事時間が短すぎても人は幸せにはなりません。『自分が認められていると感じない』『認められていないから、こんな簡単な仕事をさせられている』と考えてしまうのです」
職場には、『不幸せにならないよう気を付けることと』『幸せになるよう気を付けること』の両方が必要だ、ということなのだろう。そして、幸せに近づくためには、自分だけではない他者との関係性も重要なのだという。
前野氏「1日に何時間も費やす仕事は、前向きに取り組みたいもの。幸せに働くためには、必要な要素があります。自分に裁量権があり、成長を実感していて、時にはリフレッシュできること。人間関係による因子では、特に他者への貢献、利他の心や思いやりがとても大切です。ただし、それが自己犠牲ではなく、自分ゴト化できていて、無理やりではなく心からそう思えることが大切です。これらは幸せな組織やコミュニティーの条件で、家庭にも当てはまるものです。ご自身の職場やコミュニティーにおいて、どこが強く、弱いのかを見直してみてはいかがでしょうか」
幸福学が明かす。長続きする幸せと、しない幸せ
次に前野教授は、より全体的な「幸福学(well-being study)」の基礎として、前提となる「地位財」と「非地位財」という概念に触れた。
前野氏「『地位財』は、他人と比べられる財です。お金やモノ、社会的な地位などが該当しますが、これらは基本的に“長続きしない幸せ”です。例えば、『課長になった!』と喜んでもジェットコースターのようにすぐに下がり、次は『早く部長になりたい』と思うのです。お金も、やっと給料が入ったとローンを返したら、次の給料日が待ち遠しくなる。モノも、時計を買ってうれしいなと思った先には『もっといい時計が欲しい』。こうした欲望の充足による幸せは長続きしないので、あまりお薦めしません」
一方の「非地位財」は、他人と比べられない財だ。その代表例として前野教授は「体験」を挙げる。
前野氏「ある研究で、購買型の消費より体験型の消費の方が、幸せが長続きするという結果が出ています。10万円があり、『服を買うか』『旅行に行くか』を悩んだとしましょう。一見すると服の方が長持ちするように思えますが、地位財であるモノによって得られる幸せは短い。一方で、旅行は体験としての思い出が長く残り続けます。ウェルビーイングであるためには、こうした非地位財を追求することです。それによって、長続きするサステナブルな幸せが得られるのです」
「非地位財」は「安全など、環境に基づくもの(社会的に良好な状態)」「健康など、身体に基づくもの(身体的に良好な状態)」「心的要因(精神的に良好な状態)」の三つに分けられ、これは身体的・精神的・社会的に良い状態であるウェルビーイングとも一致する。日本は安全面や健康など社会的・身体的な良好さの状態は高いレベルにあるが、「精神的」な良好さの状態は、海外と比べ低い水準にあるという。
前野氏「日本は成長が停滞し、心の幸せでは世界幸福度ランキングなどで他の先進国と比べかなり低い位置にあるとされています。しかし、見方を変えればこれは“伸びしろがある”状態ともいえます。では、どのようにすれば心が幸せな状態になるのでしょうか」
前野氏はここで、これまでの分析に基づいた“幸せの四つの因子”を提示する。
前野氏「まずは『やってみよう』の因子。『やってみよう』と思える人は成長し、そこから自分の強みを見いだして自信を持ち、幸せになります。そのためには主体性を持って生き・働くこと、やる気になれることが大切です。その反対は“やらされ感”で、会社で働く人はこちらになりやすい。子どもの時に『勉強をやりなさい』と言われてやる気になった方は少ないと思いますが、職場も同じです。難しいことを『早くやれ』と強要したら幸福感が下がり、生産性などマイナスが連鎖していきます。そうではなく、『難しいけど君にしかできないよ』『任せるよ』といった方が、やる気を出すことができるのです。
二つ目は、『ありがとう』。人と人との心の通うつながり、感謝です。部下が失敗をして、上司が怒ったとします。怒るとアドレナリンが分泌され、さらなる怒りにつながります。こういう場合は、アンガーマネジメントの一環で、6秒ぐらいぐっとこらえ、『大変だけど頑張ってくれてありがとう』と言ってみると、言われた方は『もっと成長して頑張りたい』と前向きになります。
『ありがとう』という言葉は、セロトニンやオキシトシンといった幸福感を生むホルモンを分泌するため、感謝と思いやりがある人は幸せになります。また、人との関わりでは、同じような人とばかり付き合うのではなく、多様な人と関わる方が、幸福度が高まることも分かっています。多様な人との触れ合いによってレジリエンス、心が折れそうになった時にグイッと立ち直るしなやかさが身に付くからです。最近ではD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)などと言われますが、多様性ある職場は幸せをもたらします」
三つ目の「なんとかなる」因子は、自己肯定感が低く謙遜しがちな日本人が、意識すべきポイントだ。
前野氏「前向きな人は幸せです。自分に対して後ろ向きな人もいますが、幸福学から見るとあまり良い状態ではありません。多くの人が自分にも、他人にも、悪いところより良いところを見るようにすれば、みんなが幸せになり、世の中はもっとよくなります。こういうと、楽観は職場には向かない、という意見もあるかもしれませんが、楽観には『良い楽観』と『悪い楽観』があります。良い楽観はやるべきことはきちんとやり、その上で自ら楽しむこと。良い楽観で、もっと楽しみながら働くことができれば、休み明けの月曜日に会社に行くことが憂鬱だ、という人が減るのではないでしょうか」
四つ目の「ありのままに」因子は、自分らしい生き方、自分軸のことを指す。
「職場だけではなく私生活も含めて、人の目を気にせず独立して、自分の良さも欠点も隠さずに生きている人は、幸せであることが多い。それは個性を発揮して生きている人ともいえます。『人と変わったことはしない』という考え方が日本には根強くあり、時代とともに少しずつ変わってきてはいますが、より多くの人が個性を発揮しながら生きていく世の中になってほしいと思います」
これら四つの因子について重要なのは、「全てを満たしている」ことだと、前野氏は考えている。
前野氏「極端に自分軸だけ考えるのではなく、他者への利他の心も大事です。チャレンジ精神や主体性を持つことはさまざまなシーンで重要になります。全部は難しいという人は、仕事でも私生活でも、ちょっとだけ伝え方を変えたり、前向きに考えたり、ありがとうと言ってみるとよいでしょう。目標が高過ぎるのもよくありません。やるかやらないか迷ったら、自分の心が幸せな範囲でチャレンジしてみる。そんな小さな一歩の積み重ねが、きっと皆さんに幸せを与えてくれるはずです」
ウェルビーイングを実践するために向き合うべきこと
講演終了後、参加者はグループに分かれて感想や気付き、心に響いた言葉を共有し、参加者同士で多様な意見が交わされた。
その後、グループごとの気付きを、参加者全員で共有する時間が設けられた。ウェルビーイングという大きな方向性に向かう目線としては、個人も企業もそろっているものの、具体的に実践する際に障壁を感じる人が多いようだ。
参加者「幸せの7因子の自己成長や自己裁量、リフレッシュなど、日本企業が取り組もうとしている方向性と、大きな相違がないことを感じました。一方で、グループで皆さんがおっしゃっていたのは、実際にそれを社内で運用していくこと、やり続けることが難しいという意見でした」
参加者「会社に所属していると、個人もそうですが、組織全体としてどのようにウェルビーイングを実現させるかを考えなければなりません。マネージャーという立場の人もグループにいて、部下の幸福度を上げるためにもっと自発的な行動をサポートして、結果的に組織全体の力や生産性を上げていきたいという話をしました」
また、人生全体の幸せを考える際、自分のみならず他者や社会全体のウェルビーイングにもアプローチすることが、重要な視点であることも共有された。
参加者「個人の幸せという観点で、『非地位財』の重要性の話が印象的でした。一方で、それ自体を支えている『地位財』もあるのではないか、その両方を満たすことも大事だと思います。自身が病気を患った経験もあり、病気の人や障がいを持つ人など、健康という『非地位財』、それと連動して『地位財』も満たしにくい人に対し、どうアプローチすべきか。SDGsに掲げられるような、誰一人取り残さない社会に向かって考える必要性を感じました」
参加者「多様性がレジリエンスや幸せにつながるというお話が心に残りました。特に、それが他者だけでなく、自分の幸せの因子となることがポイントだと思います。幸せや不幸せの因子は人によって濃淡があり、世代によっても違うのかもしれません。今のSDGsネイティブ、それが当たり前と思い育っている若い世代は、社会の課題に向き合おうとしている人が多く、それは他者承認や他者貢献といった因子が強く働いているのではないか、など会話の中で気付いたことがありました」
対話の中でウェルビーイングのコツを学び合う
こうした専門家の知見の共有や幅広い一般参加者との対話は、ベネッセが2022年12月に設立した「ベネッセ ウェルビーイングLab 」の活動の一環として行われた。「ラボ」では、“これからのウェルビーイングを、知ろう、話そう、考えよう。”をコンセプトに、イベントやワークショップを通じてさまざまな人がウェルビーイングを考える機会を提供していく。
所長であるベネッセホールディングス常務執行役員の岡田晴奈氏は、イベントの最後に「ラボ」の活動について参加者たちに語った。
岡田氏「ベネッセ(Benesse)は、ラテン語の『bene(よく)』と『esse(生きる)』の造語で英語ではウェルビーイングです。私たちは、これまで事業を通じて人の一生に寄り添いながら、さまざまな方のウェルビーイング実現に向けた取り組みを行ってきました。
そして、未来に向けてウェルビーイングを追求するためにスタートした『ベネッセ ウェルビーイングLab』では、それぞれの方にとって『“よく生きる”とはどのような状態か』『その状態に近づくためには、どのようなことをすべきか』について、さまざまな世代の方々と対話し、専門家の知見もいただきながら、実践に向けたヒントを発信し、共創をしていきたいと考えています。今日のセッションのような機会の中でさまざまなアイデアを交わしながら、ウェルビーイングに向かうコツを学び合い、より良い世界のために前進をしていきたいと考えています」
自分一人でウェルビーイングを追求することには限界もある。多様な人との関わりがレジリエンスや幸せをもたらすように、多くの人々との対話の中で気付きを得る個人が増えることが、社会全体のウェルビーイングには必要なことなのかもしれない。そして、こうした機会も学びと位置付けるならば、「学びも幸せの因子になる」と、前野教授は語った。
前野氏「ベネッセ教育総合研究所の調査では、学びや学習に取り組んでいる人は『幸せな活躍』をしているという結果が出ています。皆さんもぜひ、幸せについての学びをしてみるのはいかがでしょうか。ちょっとしたことでは、あいさつをする、姿勢の良い人、笑顔の人は幸せなど、興味深い研究結果も豊富にあります。いろんな幸せの条件を知り、幸せな世界を皆で築いていきましょう」
幸せのコツを学び、そこで出会った知見を他の人に共有する。こうしたプロセスの連鎖で、幸せが広がっていくのであろう。「ベネッセ ウェルビーイングLab」の活動は今後、私たちにさらなるウェルビーイングのヒントを与えてくれるかもしれない。
さまざまな観点からウェルビーイングを探る当連載。第6回では、「北欧をヒントに読み解く、日本らしいウェルビーイングとは」を取り上げたい。
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