スキルの再習得(Re-skilling)を表し、人生100年時代を自分らしく生きるための手段として浸透し始めたキーワード、「リスキリング」。学校を卒業し、社会人になってからも学びを継続することは、一人一人の可能性を広げ、長い人生における選択肢を増やしてくれるだろう。
一方でリスキリングは、日本経済や企業の成長に影響するとされる「人的資本経営」の一環として語られることも多く、その本質を自分ごととして捉えている人は、まだ少ないのかもしれない。そもそも、大人が学ぶことの意義はどこにあるのだろうか。学びと、人が肉体的・精神的・社会的に満たされた状態を指す(※1) “ウェルビーイング”には、どのような関係があるのだろうか。
このウェルビーイングを長年にわたり追求している企業がある。1990年に企業哲学として「Benesse(よく生きる)」を導入し、1995年にはそれを社名に掲げたベネッセグループだ(「よく生きる」は英語でいえばWell-beingである)。「Benesse」の導入以来、人の一生におけるライフステージごとの課題を解決するため、さまざまな事業を展開してきた。その一環として現在、大学生や社会人に対する学びの支援を強化しながら、自社の中においても従業員が学び続けるための取り組みを実施している。
第3回のテーマは「社会人のウェルビーイング」。学びの先にあるウェルビーイングや、リスキリングの背景や個人にとっての意義について、ベネッセコーポレーション 社会人教育事業部 部長の飯田智紀氏、人財副本部長としてDX人財開発にも従事する後藤礼子氏の両者の対談をお届けする。
※1 「世界保健機関憲章」より
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- 第2回:“子どもたちの多様性”に応えよ。ベネッセが挑む新しい学びのカタチ
リスキリングを必要とする社会で、個人が学びに向かう意義
メディアでも頻繁に取り上げられるようになった言葉「リスキリング」。2020年に開催された「世界経済フォーラム(ダボス会議)」では、AIをはじめとするデジタル化やオートメーションが加速し、数年で今は存在する8,000万件もの仕事がなくなる一方、9,700万件の新たな仕事が生まれる。今後は「働く人の2人に1人はリスキリングが必要」(※2)と報告された。日本でも国、企業が積極的な姿勢を見せており、社会全体でその機運が高まっている。こうした流れを、飯田氏は次のように分析する。
飯田氏「リスキリング以前にも、『リカレント』など学びにまつわる言葉は幾つもありました。個人主体で、生涯を通じた学びの獲得を指す『リカレント』に対し、『リスキリング』は、組織が個人に対して働きかけを行うことが前提です。デジタル技術なども活用し、これまでの産業構造とは異なる手法で一人当たりの生産性をもっと高めていかねばならない。そのために、日本全体、政府も含めた“株式会社日本”として、労働力をより付加価値・生産性の高い領域へとシフトする方向性へ一丸となって取り組んでいく。こうした動きがリスキリングを取り巻く大きな潮流としてあります」
産業構造の転換とともに、重要になるのが「人生100年時代」への対応だ。個人においては、これまで定年とされてきた60歳が65歳へと延び、それ以降も働き続ける時代となったことも、リスキリングの必要性を高めていると、後藤氏は話す。
後藤氏「一つの仕事で長年勤め上げ引退する、といった昭和型のキャリア設計は時代によって崩れ、新しいシナリオが必要となりました。昔であれば『営業』という言葉で一くくりにできた職務も、世の中の変化によってその中身や求められる要素は大きく変わっています。これまでにはない、名前が付けられないような仕事もどんどん増え、変化に対応する力やスキルが個人において必要となったことも、リスキリングの機運の高まりに影響しているのだと思います」
このようにして現代のキーワードにあがったリスキリングだが、社会的な必要性が先行するあまり、個人にとっての本質が見えにくくなっている側面もある。果たして、自発的にリスキリングに取り組む意義は存在するのだろうか。
飯田氏「単なる言葉としてのブームではなく、学びを通したキャリアオーナーシップ―自ら自分のキャリアをデザインし、自分らしく生きていくことが学びに向かう本質だと思います。そのために、個人も “株式会社自分”をイメージしながら人生を捉え、目標設定を行い、計画を立ててセルフブランディングの一環として学びに向かっていくことができればいいのだと思います」
他方、実際にそれができるのは一部の自律的な人に限られる。社会や組織から「リスキリング」が必要だ、「学び直そう」と言われても、多くの人にはつらく、抵抗感を抱いてしまうことも多いだろう。
飯田氏「学びに向かうモチベーションとして、もっと素直な、自分の中にあるニーズや、“なんとかしたい”という思いから出発してもいいのではないでしょうか。そして、今のスキルを否定して学び“直す”のではなく、今あるスキルのプラスアルファとして必要な学びや興味がある学びを足していく考えが有効でしょう。
例えば、『今、この瞬間が大変』という人は、『この状況を早く抜け出し、もっと楽になって、自由に考えることができる余白の時間が欲しい』と思うのが普通です。そういう場合は、『もっと楽になりたい』という思いを糧にすればいい。そして例えば、これまではエクセルでコツコツと長い時間をかけてやっていたことを、自動化できるスキルやツールをプラスで習得し、作業を効率化する。すると、時間にゆとりが生まれ、自分にとってのウェルビーイングを見つめ直すこともできます。このように、もっと自分のために、目指したい姿に近づき、選択肢を増やすための手段として、学びに向かうことも大切だと思います」
後藤氏「若手社会人を対象にした調査では、前向きに学習に取り組んでいる人が、そうでないグループと比べて『幸せな活躍をしている』という結果が出ていました。ここでポイントとなるのは、幸せだから人は学ぶのではなく、学ぶという行為の先に、幸せが形づくられるという点だと思います。人間誰しもが持つ『成長したい』『変わりたい』、できることなら『周囲の期待に応えたい』といった内から発せられる思いに自分で応えることがベースとなって、その後の活躍へとつながっていくのではないでしょうか」
飯田氏「学びを“will・ can・ must”で例えるなら、“will(やりたいこと)”にとらわれるあまり『まず目標を決めなければならないのか?』と始める前から焦ってしまい、必要な学びにたどり着かない方が多いように思います。必ずしもwill起点でなければならないわけではなく、『こういうことであれば自分にもできる(can)』や、時には『やらざるを得ない(must)』という必然による気持ちが起点でもいいはずです」
目標やゴールにとらわれ過ぎず、それぞれの思いを起点に学ぶという行為に主体的かつ自由に取り組んでいく。その先に幸せが形づくられ、人はウェルビーイングへと近づくのかもしれない。では、具体的にどのような形で、社会人が学びに取り組めばいいのか。その一つの手段としてベネッセの具体的な事例を見ていこう。
※2 ダボス会議、「The Future of Jobs Report 2020」より
なりたい自分に近づくために、実践的な学びに出会う
ベネッセコーポレーションは米国Udemy社と提携し、5,900万人以上が学ぶ世界最大規模のオンライン学習プラットフォーム「Udemy」の日本における事業展開を手掛けている。好きな講座を一つずつ受講する個人向けコース(「Udemy」)のほか、実務に役立つ厳選された講座が定額で受け放題となる「Udemy Business」も提供し、多くの企業のリスキリングを支援している。
飯田氏「コンテンツは動画が主体なので、YouTubeで配信されている学習系動画と何が違うの?と思う方も多いかもしれません。隙間時間で学べることは変わりませんが、「Udemy」ではより体系的に一つずつのスキルを習得できることがその違いです。それぞれのコースは実務家の講師が体系的にカリキュラム化しているので、より実践的で実用的な学びにいち早く到達し、習得することができます」
「Udemy Business」では、実用的なデジタル関連スキルはもちろん、マーケティングやマネジメント、コミュニケーション、起業、自己啓発など、幅広い領域のコンテンツが用意されている。その中からビジネスの現場で役立つ、自分にとって最適なテーマを選ぶことが可能だ。
実際に「Udemy」や「Udemy Business」を通じ、自身の主体的なキャリア形成を実現した事例が数多く生まれているという。
飯田氏「北海道のコールセンターで勤務していた方が『エンジニアになりたい』とUdemyで学ばれて、企業でアプリ開発を手掛けるエンジニアへと転身。その後も学び続けて、現在ではブロックチェーンのエンジニアとして活躍されているという事例もあります。テクノロジー領域のスキルはどんどん新しくなるため、Udemyを使って学びをアップデートされている方も多いですね。
また、当社の中でも、紙媒体の編集に従事してきた人材が、デジタル化に対応しようと、動画編集のスキルを学んで職務を変えたケースがありました。このようなキャリアチェンジはもちろん、育児や介護などでキャリアにブランクが生じた方、副業を始めたい方など、幅広い方々の学びのニーズに応えています」
さらに、Udemyではそれぞれにとって「幸せな状態」を探すサポートも行っているという。
飯田氏「ユーザーの皆さまにはまず、『自分がどういった状態だと幸せなのか』『何にワクワクするのか』など簡単なチェックで回答いただき、そこから目指したい姿と、そのために必要なスキルは何かを、ガイドするコンテンツも用意しています。今後はレコメンデーションエンジンも活用しながら、より一人一人にフィットする学びを提案していきたいと考えています」
社内リスキリングに必要なのは、社員のポテンシャルと可能性を信じ抜くこと
社会に向けて幅広く学びを支援するベネッセだが、社内のリスキリングにも積極的だ。人財開発を担当する後藤氏は、なぜ自社のリスキリングに目を向けたのだろうか。
後藤氏「もともとは、今後の事業戦略を描き、DX強化などを実現しようとする上で、現状の自社のポートフォリオにおいて必要なスキルを持つ人材が圧倒的に足りなかったという切実な事情がありました。このような場合、外から人を“採用”し入れ替えるのか、あるいは今いる社員を“育成”し自ら変わるのか、どちらの選択をするかによってその先の人事戦略が大きく変わります。会社によって方針は異なりますが、ベネッセは、お客さま一人一人の成長のポテンシャルを信じる会社です。そういう会社であるからこそ、私たちは『今いる社員も変わることができる、個人の可能性に懸ける』方向性にドライブをかけました」
社内へのリスキリング強化に当たり、最初に行ったのは、社内人材の保有スキルの可視化だ。DX人材育成に向けて、社員の持つスキルやリテラシーを把握するチェックテストを一人一人に対し実施する一方で、会社全体としてはゴールに向けて組織を分析し、足りないスキルと必要な人員を見える化した。その上で、大きな組織単位でリスキリング計画を策定し、必要な研修プログラムやアセスメントなどを組み合わせている。ポイントとなるのは、個人のチャレンジ精神を尊重している点だ。
後藤氏「現状のスキルを把握するアセスメントは全従業員を対象に実施していますが、その結果、DX人材ではない人がいるとして、それでダメだとは全く思っていません。その後リスキリングによって仕事を変えていくかも、個人の判断や意思が大事だと思います。私たち人事の担当者は、『〇〇事業には、〇〇のような人材が必要で、チャンスがあるので挑戦してほしい』と発信し、挑戦をしたい社員の学び・育成をサポートします。根底に、主体性のある学びのサイクルを念頭に置くべきだと考えているからです」
これまで身に付けたスキルの上に、新たな学びを取り入れ挑戦することに、躊躇する社員もいるだろう。だからこそ、個々の意欲に合わせた育成体系が求められるのだ。
後藤氏「『今はできていないけれど、いずれ目指したい領域がある』『今の仕事は面白いが、他に興味のある仕事もある』といった、それぞれのニーズに対し、仕事の機会点を用意することが大切だと思っています。例えば、他の新たな領域に挑戦したいと転職しようとしても、中途採用ではこれまでの実績が求められ、『実績がない人は、いつまでもその仕事に就くことができない』という現象が生じます。しかし、社内であれば、実績はなくてもさまざまな仕事の機会、チャンスがある。それをきちんと伝えながらリスキリングができる環境を整えていくことは、社員個々の自己実現にも有効だと考えています」
生涯を通じて前向きに学ぶ人が称賛され、輝ける社会を
学びを通じて未来に向かい、幸せを獲得する個人が増えることは、社会全体のウェルビーイングにも通じるのかもしれない。二人はどのようなモチベーションで、学びや育成を支援する仕事に従事しているのだろうか。その思いを聞いた。
後藤氏「自分自身の経験を振り返っても、学ぶことで仕事の幅が広がり、新しいことにチャレンジできてきたと思います。さらに、人事とは直結しない、必要性に迫られない学びも、今の自分を支え、可能性を開いている感覚があります。むしろ、そういった純粋な好奇心を起点にした学びを大切にしており、本を読んだり、知識が増えたりしていくこと自体が楽しかったりします。
長いライフステージの中で、学ぶタイミングは人によって違うと思います。仕事やプライベートが非常に忙しく、学ぶ時間が確保できない人もいますし、逆に、育児など休職中の間こそ学びたいという人もいます。捉え方は人それぞれなので、強制をするのでもなく、機会を与えないのでもなく、『選択肢を用意する』ことが私たちの役割。ベネッセは子どもたちに学ぶ楽しさを伝え、学びを通して自分らしく生きることのメッセージを届けている会社なので、社員自らが生涯を通じて前向きに学ぶ『Lifelong Learning』というカルチャーをこれからも大切にしていきたいと考えています」
飯田氏「リスキリングは組織から個人へ『学ぼう』と働きかけるものですが、組織には学ぶことで、以前はできなかったことができるようになり、輝いていくような“ラーニングヒーロー”が必ずどこかにいると思います。組織でも、あるいはメディアでも、そうした生き方の人がさらに称賛されるようになれば、多くのヒーローが生まれて、社会へと影響を及ぼしていくでしょう。変わり続ける社会の中で必要なのは、前向きに、誰のためでもなく自分のために学び続けること。事業を通じて“学ぶ価値を見いだせる社会”をデザインし、最終学歴ではなく、最新の学習歴を誇れる社会へと一歩ずつ近づけたいと思います」
個人として学びそのものを楽しみながら、成長を通じて組織や社会にも良い影響が波及していく。大人のウェルビーイングのために、リスキリングはそのような広い意味での自己実現に有効な手段なのかもしれない。そして、まずは内発的な思いや意欲に耳を傾け、自由な発想で学びを重ねることが、ウェルビーイングへの近道になるのだろう。
ライフステージごとのウェルビーイングに焦点を当てていく当連載。連載では次回、介護の在り方を通じて「高齢者のウェルビーイング」を考えたい。
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