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人生100年時代と呼ばれるようになった昨今。生涯を通じて自分らしく生きるために欠かせないワードとなりつつあるのが、人が肉体的・精神的・社会的に満たされた状態を指す(※1)といわれる「ウェルビーイング」だ。社会全体のウェルビーイングを実現させていくためには、個である一人一人、それぞれのライフステージに寄り添ったアプローチが必要になる。
このウェルビーイングを長年にわたり追求している企業がある。1990年に企業哲学として「Benesse(よく生きる)」を導入し、1995年にはそれを社名に掲げたベネッセグループだ(「よく生きる」は英語でいえばWell-beingである)。「Benesse」導入以来、従来の教育事業のみならず、介護や生活など、“人”を軸にしたライフステージごとの課題を解決すべく、さまざまな事業・サービスを展開している。教育に関しては通信教育サービスの「こどもちゃれんじ」や「進研ゼミ」に加え、テクノロジーを活用した先進的な取り組みも多い。
AMPでは同社の取り組みや思いを通じて、誰もが自分らしく「ウェルビーイング」に生きるためのヒントを探っていく。第2回のテーマは「子どもたちのウェルビーイング」。新しい学びの形、未来に向けた教育のありようについて、ベネッセコーポレーションが提供する探究型 オンラインライブレッスン「みらいキャンパス 」の担当者・城座多紀子氏、発達特性に応じたICT学習アプリ「まるぐランド」の担当者・阿部健二氏の両者に語っていただく。
※1「世界保健機関憲章」より
- 【前回の記事はこちら】
- 第1回:「よく生きる」とは何か? ベネッセが追求し続ける、ウェルビーイングへの道
精神的な幸福度が低い、日本の子どもたち
ユニセフの研究機関であるイノチェンティ研究所の報告書には、先進国における「子どもの幸福度」が記載されている(※2)。「精神的幸福度」「身体的健康」「スキル」からなる同指標で、日本の総合順位は38カ国中20位。特に気になるのはそのアンバランスな内訳だ。
死亡率や過体重・肥満の割合から成る「身体的幸福度」は1位と高い一方で、生活満足度が高い子どもの割合や自殺率などを基にした「精神的幸福度」は37番目とワースト2位。特に子どもたちの心の幸福度の低さが浮き彫りとなっている。
不登校児童の増加など、他のデータと照らし合わせても、日本の子どもにおけるウェルビーイングが十分に実現されているとは言い難い。こうした状況は、なぜ起こるのだろうか?
※2ユニセフ・イノチェンティ研究所が2020年9月に発表した報告書「レポートカード16-子どもたちに影響する世界:先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か(原題:Worlds of Influence: Understanding what shapes child well-being in rich countries)」より
多様な子どもたちの個性を引き出す、新しい学びを
長年ベネッセで教育事業に従事してきた城座氏は、従来型の学びや価値観がもたらす影響が無縁ではないと捉えている。
城座氏「日本では明治時代に近代的な学校教育が始まり、戦後の経済成長とともに、教育の画一化、効率化が進みました。皆が一斉に同じスタートラインに立って、基礎知識を詰め込む。その中で、よい成績をとり、偏差値の高い進学先へと進み、就職ランキング上位の会社に入ることがゴールであるかのような一つの“物差し”が、これまではずっと重要視されてきました。そうした画一的な教育の価値観に対し、子どもたちはどこかで“苦しい”と感じているのだと思います」
これまでは、一つの物差しで“人”を測ろうとしてきた社会。しかし「子どもたちは本当に多様な個性を持っていて、一つ一つ花が咲くように、それぞれの在り方でその個性が輝いていくことが、ウェルビーイングをもたらす鍵となるのかもしれません」と城座氏は語る。
城座氏「これまでの日本の教育・社会は、どちらかといえば個性を伸ばす、違いを出すことを重視する方向性ではありませんでした。でも、これからは、一人一人違う子どもたちが、個性を出すことが当たり前、という社会にしていくことが大切だと考えています。そのために重要なのは、画一的な型にはめるのではなく、それぞれの興味や好奇心を引き出しながら自分の中に“軸”を持つことです。
就職活動の自己分析で、いきなり自分はどんな人間なのか、何をやりたいのかを考えるのではなく、子どもの頃から親子の日常、他の大人との対話の中で『どんなことが好き?』『何をしたい?』『キミは・自分はどんな人?』と問われながら自分のカラーを出して成長していけば、大人になってからの生き方も変わるはず。そして、決まった大人から決められた内容を学ぶのではなく、社会で活躍する多彩なロールモデルから学べるよう、個々の子どもに寄り添った視点で、家庭、学校、地域、国、そして私たち民間事業者がさまざまな選択肢を増やしていくことが必要だと思います」
子どもたちに多様な学びや多彩なロールモデルに出会える機会をつくるために、私たち大人はどのようなアプローチが可能なのだろうか。
2023年3月、ベネッセは小中学生向けオンライン講座「みらいキャンパス」の提供を開始する。8人程度の少人数形式のライブ講座で、受講者は約70講座の中(スタート時予定)から、興味のある学びを自由に選ぶことができる。起業家やアーティスト、研究者など、多彩な講師陣に、さまざまな世界や職業のことを、対話を通じて学べることが特徴だ。
城座氏「講座ではまず、各領域で活躍するプロフェッショナルな大人の方々が、『なぜその世界に夢中なのか』『何が面白いのか』『仕事を通じて何を成し遂げたいのか』『生きがいは何か』と、仕事の魅力や自身の価値観を、丁寧に子どもたちに手渡していきます。そして、対話の中で小さな子でも楽しんで取り組めるクイズやグループワークなどのアクティビティを通して一緒に考え、学びを深めていきます。こうした“対話”によって、子どもたちは主体的に考えていくことができます」
それぞれの講座は、子どもの探究心をかき立てるように設計されている。国語や算数といった従来の教科の枠組みにとどまらない、「テクノロジー」「アート・表現」「グローバル」「生きる力」「サイエンス」など、個々の興味を起点にテーマ・領域を選択でき、組み合わせることで横断的な学びの体験も可能だ。
城座氏「プログラムは人を軸に、“あらゆるロールモデルに出会えるヒューマンライブラリー(人間図書館)”をイメージしています。図書館で好きな本に自然と手が伸びるように気になることや人から、探究の入り口へと入っていく。すると、『こんな実験を自分でもやってみよう』→『元素のことをもっと知りたい』→『宇宙に興味が湧いた』というような、学びのジャーニーが生まれ、100人子どもがいたら、100通りの学び方、人生の輝きへとつながっていく。コロナ禍でスマートデバイスの普及が進み、こうした探究的な学びのコンテンツが広がっていくことは、個性を生かす教育を広げるための大きな力になると考えています」
城座氏によると、「子どもは基本的に学びたい欲求を持っている」そうだ。
城座氏「子どもたち誰もが潜在的に持っている『知ること、学ぶことへの欲求』を伸ばすために、私たち大人は『Teach(教える)』のではなく、『Facilitate(促進する)』するような存在として接することが大切です。一緒に面白がり、一歩後ろから見守り、必要に応じてサポートしたりと、彼らが“自分で自分をデザインしていくこと”に寄り添い、伴走をしていくことで子どもたちのウェルビーイングが実現していくのだと思います」
「さまざまなロールモデルに出会い、自分なりの学びのジャーニーができる」。こうした新しい学びが、画一的な社会からの脱却と、子どもたちの個性が輝く未来へとつながる可能性を秘めている。
一人一人の特性に合わせた学びがもたらす、成功体験と意欲
同社新規事業開発部の阿部氏もまた、子どもたちの多様性がカバーされていない現状を、それを取り巻く環境から見つめている。
阿部氏「少子化により児童・生徒数が減少しているにもかかわらず、学校の先生の人員は不足していて、先生方の負担はどんどん膨らんでいます。そのような中で、一人一人違う特性を持つ子どもたちに十分に向き合うことはなかなか難しいのが現状です。教育現場でのテクノロジー活用がその解決策として期待されていますが、“先生たちの多忙さ”の軽減と、“個々に合う学び”、両方の視点から進めることが大切だと考えています」
では、子どもたちのウェルビーイングを実現するために、教育の世界には何が必要なのだろうか。
阿部氏「子どもたちが本来持っている知的好奇心を学びの過程で失わず、伸ばしてあげることが重要だと思います。知識を一方的に詰め込み、読み書きそろばんのようなスキルを押し付けるのではなく、まずは何か一つに興味を持ってもらうことからスタートする。さらに、一人一人興味や得意なことも違うので、大人たちがそこにアクセスしやすい環境を整えていくことが大切だと思います」
子どもの多様性にアプローチする具体的な取り組みにも注目したい。2022年度の「日本e-Learning大賞」で最優秀賞を受賞した「まるぐランド for School」(以下「まるぐランド」)は、一人一人の発達特性に合わせたICT学習アプリだ。阿部氏は、同アプリ開発チームの責任者に当たる。
阿部氏「ICT学習ツールというと、従来は理解や習熟度を上げるためのサービスが主流でした。その中で、子どもたち一人一人の特性に応じた学びはこれまでなかったと思います。そこで私たちは、読み書きを構成する細かいスキルや、視覚・聴覚といった認知特性を見ながら、子どもたち一人一人に応じた最適な学びを提供するアプリを開発しました」
文字を読む、書くという行為には実はさまざまなスキルが必要となる。語彙や単語のまとまり読み、特殊音節(※3)といった読み書きスキルの高さや低さ、そして視覚記憶の力は高くても書くことが難しいという子もいれば、聴覚記憶の力は高くとも読めない子もいたりと、つまずきの背景はさまざまだという。さらに問題なのは、こうした個人の特性に伴う“つまずき”によって生じる影響だ。「一つのつまずきが積み重なることで、小学生でも高学年になる頃には差が生じ、それが自己肯定感や学習意欲の低下につながることもあります」と阿部氏は語る。
※3 特殊音節:「きゃ、きゅ、きょ」などに含まれる小さい「や・ゆ・よ」(拗音=ようおん)、「きって(切手)」など小さい「つ」の詰まる音(促音)、「おとうさん」の「う」など音節の母音を長くのばして発する音(長音)、「ん」をさす撥音(=はつおん)があり、特殊音節の読み書きでつまずく子どもが多いとされる。
阿部氏「開発したアプリを実際の小学校で利用いただきその学習データを分析してみると、ある程度読み書きができる子どもであっても、読み書きスキル別に見ると小さな苦手を抱えていて、読み書きが完璧な子においても、その視覚や聴覚には偏りがあることが見えてきました。『まるぐランド』では読み書き支援の研究や心理職の先生方にも監修協力をいただきながら、通常級の集団指導の中でも個の読み書きスキルや認知特性に応じた学びが提供できるように設計しています」
初めにチェックテストで個々の特性を把握し、例えば視覚記憶の力が高い子どもにはイラストとセットで学べるレッスンを、集中を維持することが困難な子どもには1回のレッスン数を少なくするなど、子どもが学習に向き合うために最適な学習環境を用意する。さらに、こうした学びを提供する上で、重要なポイントがあるという。
阿部氏「私たちが大切にしているのは、 “バツ”を出さない、失敗という体験をさせないことです。頑張って取り組んだ先に『残念』や『×』が表示されると、たちまち子どもたちのやる気が失われてしまうからです。そのために、最初は多めの選択肢を出し、解けなかったら次は半分に減らすなどで、問いをちゃんと解けるようにして成功体験へと導きます」
『まるぐランド』は今後多くの自治体や小学校への導入が予定されている。
阿部氏「今後は、より多くの学習データが集まり、さらにAIなどを活用することで、より個の特性に合わせた学習が提供できると思います。目指すのは、こうしたツールを通じて、全ての子どもたちが学ぶ意欲を持ち、未来を力強く切り開いていくことです」
個が輝く先にある、ウェルビーイングな未来へ
子どもたちが、それぞれの個性を発揮しながら、自分らしく生きる未来は、少しずつ近づいているのかもしれない。最後に、子どもたちが「よく生きる」ことが、私たちの世界をどのように変えていくか、2人に思いを聞いた。
阿部氏「子どもたちは教科書やICT教材だけではなく、見聞きしたり触ったりと、さまざまなものから自分の興味関心を持って学びます。その選択肢の一つとして、われわれの提供するサービスがあればいいと願いながら取り組みを続けています。そして、子どもたちのウェルビーイングが大きく社会全体に広がるためには、世の中の教育などに対する既存の価値観の転換が必要になるのではないでしょうか。そのためには10年、20年と長い時間がかかるかもしれません。しかし一つ一つの小さな、人が『よく生きる』ための活動がそれを前進させると信じています」
城座氏「ウェルビーイングな社会となるために、まずは個が輝く。その延長線上に社会全体があるのだと思います。子どもたちが自分の軸を持ち、自分をデザインしながら生きることで、一人一人異なる多様な木々が伸び、色とりどりの花が咲き、全体として森としての調和がとれることが、私のウェルビーイングのイメージです。ウェルビーイングという言葉が頻繁に使われるようになったのはここ最近のことですが、これからはウェルビーイングを当たり前だと思う感覚の子どもたちが生きていく時代。
そんな子どもたちが、小さな時からそれぞれに『個性を開花させて生きることは、気持ちの良いことだ』と感じながら成長していくことで開ける未来は、きっと明るい。未来志向で子どもたちを社会全体で見守り育てていくことが大切だと考えています」
変化が激しい現代だからこそ、子どもたちの多様性を未来につなぐことができる。そして、子どもたちのウェルビーイングの先には、一人一人にとどまらない、よりインクルーシブで真のウェルビーイングな社会が待っているのだろう。
ライフステージごとのウェルビーイングに焦点を当てていく当連載。第3回では、「社会人のウェルビーイング」をテーマに、大人の学びを取り上げる。
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