人生100年時代と呼ばれるようになった昨今。私たちはより長期的な視点で、それぞれのライフステージにおける生き方を考え、模索するようになった。そんな時代の中で、生涯を通じて自分らしく生きるために欠かせないワードとなりつつあるのが「ウェルビーイング」だ。身近なシーンでも耳にするようになったウェルビーイングの概念は、私たち一人一人や社会をどのように変えていくのだろうか。
このウェルビーイングを企業として長年にわたり追求しているのが、ベネッセグループだ。1990年にフィロソフィブランドとして「Benesse(よく生きる)」を導入。以来、従来の教育事業のみならず、介護や生活など、“人”を軸にしたライフステージごとの課題を解決すべく、さまざまな事業・サービスを展開している。
今回AMPでは、同社の取り組みや思いを通じて、誰もが自分らしく「ウェルビーイング」に生きるためのヒントを探っていく。第1回は、「ベネッセ ウェルビーイングLab」を設立した、ベネッセホールディングス 常務執行役員、ESG・サステナビリティ推進本部長岡田晴奈氏に話を伺い、これからの社会の中でなぜウェルビーイングが重要になるのかをひも解いていく。
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成熟社会にこそ求められる「心の豊かさ」
近年、さまざまなシーンで耳にするようになった「ウェルビーイング」とは何か。とても広く抽象的な概念だが、まずはその言葉の意味から確認したい。
1948年に発効した「世界保健機関(WHO)憲章」では、「ウェルビーイング(well-being)」をこう表現している。「健康とは単に病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的、精神的、そして社会的に、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.)※日本WHO協会訳」。いわゆる狭義の「健康」にとどまらず、心身・社会的に良好な状態を指す概念といえそうだ。
さらに、SDGsの宣言文(Our vision)には、どんな社会にしたいかを述べる段落の中で、「身体的・精神的・社会的にウェルビーイングな世界」と目指す方向性が示されている。
今や世界的な潮流となりつつあるウェルビーイングについて「その機運は未来に向けてさらに高まっていくのではないか」と岡田晴奈氏は語る。
「SDGsは2030年に向けた開発目標ですが、長い時間軸で見るならば、2030年はもうすぐそこにあります。では、その先には何があるのだろうか? そのように皆が考え始めているのではないでしょうか。世界規模ではこれからも人口が増え続けていくと思いますが、日本に目を向ければ、右肩上がりの高度成長期にあった高揚感は過去のものとなりました。成熟した社会の中で生きる人たちは、『大事なのは物質的な豊かさではなく、心の豊かさにある』ということになんとなく気付いている。だからこそ、こうしてウェルビーイングが注目されるようになったのではないでしょうか」
さらに、「人を中心にした価値観へと、社会がシフトしている」と、岡田氏はつづける。
「『人的資本経営』への注目に象徴されるように、企業側もこれまで以上に人材を重視しています。イノベーションを起こすにしても、最先端のテクノロジーを生み出して活用をするにしても、結局のところそれを担うのは『人』です。その『人』がどういう状態であれば、社会は全体としてもっと良い方向に進むのでしょうか。やはり個である一人一人が健康で、何より“心が満たされている”ことが重要になるでしょう。こうした考え方が日本を含む、世界的なウェルビーイングを追求する大きな渦となっていると捉えています」
「人の生涯に寄り添う」ためにウェルビーイングを追求
ベネッセグループの前身である株式会社福武書店は1955年の創立以来、通信教育講座「進研ゼミ」を中心に事業を成長させてきた。そして、創立35周年の節目に当たる1990年に、来る21世紀に向けた価値創造への改革として、フィロソフィーブランド「Benesse(よく生きる)」(ラテン語の「bene」と「esse」を一語にした造語で、英語では「well-being」)を掲げている。
「2代目の社長である福武總一郎が、経営の方向性を模索するために赴いた世界視察で南欧の地を訪れた際に、経済的には必ずしも豊かではなくとも、人生を謳歌 (おうか)しながら生き生きと暮らす人々に出会い、大きな衝撃を受けたそうです。『なぜ、この人たちはこんなに幸せそうに暮らしているのだろう』『人が生きるとは、人生の目的は何なのだろう』。そう考え抜いた先に、『人が一生をその人らしく生きることを追求することではないか』という答えにたどり着いたといいます。そうして、人々の向上意欲と課題解決を生涯にわたって支援する企業として『Benesse』を企業哲学とする発表を1990年に行い、1995年にはベネッセコーポレーションへと社名も変えました」
その後、同社は出産・育児、生活、介護領域へと、サービスを多角化してきた。生涯を通じて“人”に寄り添うことが、ベネッセグループの各事業の根底にはあるという。
「人が軸。赤ちゃんからお年寄りまでの人の一生にわたって、その時々の困りごとや課題に対し、事業を通じてそれを解決するお手伝いをしていくことが、私たちの基本スタンスです。例えば、妊娠・出産期にお届けしている『たまごクラブ・ひよこクラブ』では、お母さんたちと一緒に、横のつながりを広げながら、リアルな目線でその時々の課題を解決することにこだわってきました」
ベネッセが手掛ける、未就学の子ども向けに展開している教育サービス『こどもちゃれんじ』では、子どもの視点に立って学びの在り方を提案している。
「子どもたちが学びそのものに興味を持てるように、壁にぶつかった時にも自分で解決する力を育むように、『こどもちゃれんじ』を提供しています。『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える。釣れなかったとしても、頑張ってやり切ることに達成感を感じる』。そんな経験を積むことを重視した教材をお届けしています。結果はどうあれ、学ぶことで成長できた、そう実感できた経験はその先の人生において、大切な資質となるはずです」
これらの企業哲学は、高齢者に向けたサービスにも共通している。
「介護事業では、病気など身体の状態によらず、一人一人の意思や尊厳を大切にしています。スタッフは真剣に議論し、これまでその方は何を大切に生きてこられたのか、これからどう過ごしていきたいのかをお聞きして、ケアプランではなく個別に『生活プラン』を設計します。根底に、その方のありたい『Benesse(よく生きる)』、ウェルビーイングを追求する、という共通の考え方があってこその、それぞれの事業だと思っています」
サービスの開発や提供における心構えを、岡田氏は「不易流行」という言葉で説明する。
「人が生きるという営みは、太古の昔から続く不変であり普遍的なもの。一方で、一人一人が抱える課題は、社会の環境やテクノロジー、時代の価値観とともに刻々と変化します。私たちは変化の時代の中でも、人を軸にするという揺るぎない “不易”と、もう一方で時代に合わせてアップデートしていく“流行”を、両立していかなければなりません」
こうしてベネッセは約30年にわたり、人の生涯に寄り添う形で事業を展開し、アップデートしてきた。そして現在、同社が進めようとしているのが、さまざまな人と共にウェルビーイングを考え、アップデートするための新たな試みだ。
対話を通じてウェルビーイングを探る、「ベネッセ ウェルビーイングLab」の設立
2022年12月、ベネッセは「ベネッセ ウェルビーイングLab(以下:ラボ)」を設立。掲げるコンセプトは「知ろう、話そう、考えよう これからのウェルビーイングを」だ。ウェルビーイングの在り方を、多くに人たちが対話を通じて模索していく場であり、岡田氏は同所で所長を務めている。
「ウェルビーイングと一口に言っても、そのカタチはさまざま。性別や年齢、バックグラウンドなど人によって、あるいはその時々によって異なるのがウェルビーイング。そして、自分にとってのウェルビーイングを、自分だけでは気付かないこともあります。だからこそ、多様な人が交流し、対話を通じてそれぞれのウェルビーイングを探っていく。いろいろな人と話す中で『私はこんな時間が好き』『こうした状態がウェルビーイングに近いのか』と、他者の意見からも気付きを得る。そんな機会が必要だと考え、ラボを設立しました」
活動の一環として、Z世代と考えるウェルビーイングワークショップも実施した。
「ワークショップでは対話から自分たちなりのウェルビーイングを言語化することを重視しました。参加者だけでなく、私たち自身も気付きやヒントを得ました。今後は幅広くさまざまな世代の方と共に、活動を進めていきたいと考えています」
また、専門家の観点でウェルビーイングを深めるために、ラボでは有識者をフェローとして迎えている。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司氏、公益財団法人Well-being for Planet Earth代表理事の石川善樹氏は、幸福学やウェルビーイングを専門とする研究者だ。
「専門家の方の知見・アドバイスも頂きながら、ウェルビーイングの在り方を多様な価値観の方と考え、ウェルビーイングが広がる、深まる一歩となるような場所にしていきたいと思います」
人との関係性とともに、自分も大切にすることがウェルビーイングの第一歩
ラボの活動など、これからもウェルビーイングへの注目の高さとともに、私たちがウェルビーイングを知り、考える機会は増えていくだろう。その中で私たち一人一人は、どのようにウェルビーイングと向き合うべきなのだろうか。最後に岡田氏にこれまでにウェルビーイングを感じたことや個人としての思いを語ってもらった。それは自身の高校時代にさかのぼる。
「私は高校生の時、交通事故で母を亡くしました。朝『行ってきます』と出掛けた人が、夜には帰ってこなかった。その時に、人の存在のはかなさ、あっけなさを強く感じました。それからしばらくの間は“生きる”ことに対してあまり前向きではなかったと思います。でも、転機が訪れたのは、子どもが生まれた時。“この子が幸せになるまで、絶対に死ねない”と思いました」
岡田氏の場合は子どもが起点だったが、「人には誰しも、考えや価値観が大きく変わる転機やきっかけがある」という。
「仕事を通してということでは、『こどもちゃれんじ』を担当する中で子どもたちが教材を楽しんでいる様子、コンサートで『しまじろう』が登場すると子どもたちが目を輝かせて喜んでいる様子、それをいとおしげに見つめるご両親の姿を目の当たりにした瞬間などが、私を動かしました。こうした“シーン”を生み出すことがお客さまのウェルビーイングにつながり、それが自分にとってのウェルビーイングでもあったのだと思ったんです」
岡田氏にとってのウェルビーイングは、自分一人ではない家族や身近な人、あるいは顧客など、『人』との関係性が重要になるそうだ。
「世界に自分一人しか存在せず、なんでも好き放題できるとしても、果たしてそれは幸せな状態でしょうか。やはり自分にとって身近な人を笑顔にする、そのために頑張って支援をすることで、自分自身のウェルビーイングを実現できるのだと思います。一方で、誰かを幸せにするためには、自分がいい状態でいることも大切です。日本人はとかく利他的であることが称賛され、利己的な人は“自己中”などと批判されがちですが、自分を大切にしなければ、他の人も大切にはできないでしょう。だからこそ、もう少し、自分自身を今より少し大切にしてみる、ということを心掛けることも、ウェルビーイングへの第一歩となるかもしれません」
他者の幸せが、自分の幸せにもつながる。その逆も含めた循環的な関係性にこそ、ウェルビーイングのヒントが隠されているのかもしれない。そして長い人生の中でその時々のライフステージによっても異なるウェルビーイングを一人一人が実感し、広げていくためには、対話や共有による相互理解も必要になるのだ。
連載では次回以降、ライフステージごとのウェルビーイングに焦点を当てていく。第2回では、「子どもたちのウェルビーイング」を掘り下げていきたい。
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