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米ワシントン州のシアトル公立学校区(Seattle Public Schools)が1月6日、「若者の精神衛生に害を及ぼしている」として、5つの有力ソーシャルメディアプラットフォーム、TikTok、YouTube、Facebook、Instagram、Snapchatを提訴した。
過激なダイエットや自傷行為の奨励につながる危険なコンテンツが若年層の不安心理やうつ症状、自傷行為、自殺願望を招いているとし、「心理学的、神経学的な手段を駆使し、脳が未成熟な青少年を過度の依存へと駆り立てるソーシャルメディア企業の責任」を問う訴訟だ。
「公的不法妨害(公的な迷惑行為)」としての認定を米連邦地裁に要請するとともに、当該行為の停止を被告らに要求。さらに、予防教育や依存症治療など、生徒のメンタルヘルスケアにかかる費用の賠償を求めた。
こうした動きが他地域にどの程度波及するかは未知数だが、近隣のケント学区が数日遅れでシアトルに追随。さらに1月下旬には、アリゾナ州の最大の学区の一つであるメサが、これに続いた。
なぜこのような訴訟が起きたのか。この裁判の判決はどちらに転ぶのか。ソーシャルメディア業界の基盤を揺るがすほどのインパクトを持つのか。訴訟の背景と行方を探ってみたい。
「死体の花嫁ダイエット」で摂食障害広がる、WSJ紙がTikTok批判
91ページに及ぶシアトル学区の訴状によれば、ワシントン州ではティーンエージャーの約5割が1日当たり1〜3時間、約3割が平均3時間以上(2021年)をソーシャルメディア上で費やしている。
過度の依存から、若者のメンタルヘルスは危機的状況にあり、調査では「2週間以上続けてほぼ毎日とても悲しい気持ち、あるいは絶望的な気持ちになり、いつもの活動をやめてしまった」とする生徒が、2009年〜2019年の間に30%増加。また、生徒たちが精神的な問題に苦しむ割合は2010年から着実に増え、「2018年には自殺が若者の死因の第2位になった」という。
同学区はさらに、「現在13歳から17歳の子供の5人に1人が精神衛生上の障害に苦しんでいる」との米公衆衛生局長官のコメントを引用している。
具体的に、特に女子生徒のメンタルに大きく影響したとされる事例は、「コープスブライド(死体の花嫁)ダイエット」。ファンタジーアニメ映画『ティム・バートンのコープスブライド』(2005年公開)に出てくるヒロイン、エミリー(死人キャラ)のような、肋骨が浮き出るほどのスリムな体形を推奨するTikTok発のコンテンツであり、これを機に、全米に若年層の摂食障害が広がったという。
『The Wall Street Journal(WSJ)』は1年余り前の2021年12月、「コープスブライド・ダイエット:TikTok はいかにしてティーンエージャーを“摂食障害動画”漬けにしたか」(The Corpse Bride Diet’: How TikTok Inundates Teens With Eating-Disorder Videos)と題した記事を掲載。
13歳との年齢設定で複数の自動アカウントを作成したところ、TikTokのアルゴリズムにより、数週間以内に数万本のダイエット動画が送られてきたと報道した。1日のカロリー摂取量を300キロカロリー未満に抑えたり、数日間水だけで過ごすなどのダイエット法の紹介や、減量をやめたことを責める動画などが含まれていたという。
TikTokは2021年12月にアルゴリズムを調整すると発表したが、これはWSJが調査結果に対するコメントを求めた数日後のこと。WSJはそれでも監視対象漏れが起きる可能性を指摘する。
TikTokタイプの縦型のショート動画には、ほかにInstagramリールやYouTubeショートなどがあるが、Instagramはもともとフォロワーとのコミュニケーションツールとしての色合いが濃く、YouTubeは情報収集目的で使われることも多い能動的なツール。
この分野の元祖と言えるレコメンド特化型のTikTokはオススメ動画が次から次に現れる非常に受動的なプラットフォームであり、中毒性の高さを指摘する声が目立つ。
WSJによれば、最先端のアルゴリズムでユーザーの興味対象をいち早く察知し、高度にパーソナライズされた動画のストリームを提供し、結果的にユーザーを長時間とどまらせる点で、「TikTokのアルゴリズムはソーシャルメディアの中でも際立っている」という。
訴訟の相手はコンテンツではなくアルゴリズムというマーケティング手法
一方、米国の「通信品位法」230条には、「プラットフォーム事業者はユーザーが投稿したコンテンツに対して、原則、法的責任を負わない」との規定がある。これはネット社会の発展に貢献したとされる、プラットフォーマーにかなり有利な法律だ。
今回の訴訟では、この一文が原告側のハードルとなりかねないが、シアトル学区は「230条の適用範囲には含まれない」との見解を示している。なぜなら、ユーザーが投稿したコンテンツに関する責任を訴えたのではなく、コンテンツをレコメンドし、視聴者を誘導するという、ソーシャルメディア自身のマーケティング手法に対する責任を問う訴訟だからだ。
原告側の主張に対し、被告側は若年層を保護するために、自分たちが大きな努力を払ってきたと強調している。
YouTubeを傘下に置くGoogleは、「子どもたちに安全な体験を提供するために当社は多額の投資を行っており、子どもたちの幸福を優先するために強力な保護機能と専用機能を導入してきた」と反応。Snapchatも同様に、「多くのメンタルヘルス関連団体と密接に連携し、アプリ内のツールやリソースをユーザーに提供しており、コミュニティーの幸福を最優先している」と釈明している。
FacebookとInstagramを運営するMetaも「10代の若者とその家族をサポートするため、保護者が制限できる監視ツールや年齢確認技術など、30以上のツールを開発した」などとして理解を求めている。
ただ、シアトル学区によれば、こうした保護システムはほとんど機能していない。ソーシャルメディア企業が「ユーザーに年齢を自己申告させ、監視をすり抜けている現状に見て見ぬふりをしている」ためだ。
13歳未満の子どもの情報を収集・使用する前に、「確認可能な親の同意を得る」との児童オンラインプライバシー保護法の要件にも明らかに違反しているというのが原告側の主張だ。
原告勝訴の可能性はあるか、専門家らの見方分かれる
それではこの訴訟はどちらに有利なのか。非営利のニュース配信機関Chalkbeatによれば、専門家らの見方は分かれている。
サウスカロライナ大学のデレク・W・ブラック教育法教授は、原告側が提出した証拠と主張が正当であれば、全米に同様の訴訟が広がると予想。個々の家庭による訴訟より、学区単位のほうが勝訴の確率が高いとみる。
また今回の場合、コンテンツではなく、プラットフォームが組んだアルゴリズム、すなわちプロダクトデザインを標的とすることで、この訴訟に説得力を持たせることができるとし、「国全体にとっても重要な、大きな転換点になる可能性がある」としている。
一方、フォーダム大学のアーロン・サイガー教育法教授は全く逆の意見であり、「これは勝てる訴訟ではない。勝てる訴訟であってはならない」との見解だ。「学区が砂糖入り食品メーカーを訴え、子どもたちを病気にさせた」と主張するケースに近いとして、そもそも学区が原告として適格であるか疑問視。裁判所が訴えを認めるとは思えないとした。
また、ソーシャルメディアのアルゴリズムは一般的なマーケティング戦略と変わらないとし、法的責任を問うだけの説得力に欠けるとの見立てもある。サンタクララ大学のテクノロジー・マーケティング法のエリック・ゴールドマン教授は、「多くの製品のマーケティング担当者は顧客を中毒にしたいと考えて、あらゆる手段を講じるが、責任は問われない」と指摘する。
ただ、ゴールドマン教授は何十もの家族がソーシャルメディアに対して起こしている同種の訴訟や、連邦最高裁で係争中の「Gonzalez対Google」のケースが、シアトル学区などの訴訟に多大な影響を及ぼす可能性があるとの見方だ。
「Gonzalez対Google」とは、イスラム国(IS)によるパリ連続襲撃事件(2015年)の被害者遺族がGoogleを訴えている訴訟であり、原告側は「YouTubeのアルゴリズムがテロリストを支援した」と主張している。2月には最高裁で審理が始まり、230条の適用範囲がアルゴリズムに及ぶかどうかを争う。Google側は仮に最高裁で敗訴すれば、インターネットを根本的に覆すことになりかねないとの危機感を表明している。
プラットフォーム免責条項の改正でネットビジネス激変も
常に議論の的となってきた通信品位法230条は、単にネット企業に有利だったというだけでなく、オンライン上の言論や表現の自由を守る役割を果たしてきたことも事実。ただ、「適用範囲」がどこまでかを争う裁判にとどまらず、本格的な改正に向けた動きもある。
最近では、バイデン米大統領が1月11日、WSJ紙への寄稿文の中で、大手テクノロジー企業に責任を負わせるための法案を超党派で可決する必要があると主張。子どもの保護や個人のプライバシー保護の観点から、230条の改正が必要との意見を表明した。
現段階では、一部の州議会が未成年者の保護に向けた独自の法案を可決しており、カリフォルニア州議会が22年8月に全会一致で可決した「年齢相応のデザインコード法」もその一つ。ところが同法は、Google、TikTok、Metaなどが加盟するテック業界団体NetChoiceにより、導入阻止に向けた訴えを起こされているのだ。
シアトル学区が真っ先に動いた今回の訴訟の行方は見通せないが、勝訴する、あるいはこの先さらに賛同を得る形となれば、230条改正に向けた動きを加速させる可能性もある。一つの学区が踏み出した一歩が、世界を先導してきた米国のネットビジネス環境を激変させてしまう要素の一つとなる可能性もありそうだ。
文:奥瀬なおみ
編集:岡徳之(Livit)