25%増――コロナがまん延した最初の年の、不安症やうつ病患者の増加率だ。不安症やうつ病は、以前から典型的なメンタルヘルスの不調といわれている。しかし、ここに来て、コロナ対策として行われた隔離が大きく影響し、割合が増えた。世界保健機関(WHO)は、世界で精神障害を持つ人は約10億人に上ると伝えている。

有名スポーツ選手が精神的な不調を訴え、試合を見送るケースも大々的にメディアで報じられるようになった。今までタブー視されてきた精神疾患はここに来て、特異な病気ではなく、誰がかかっても不思議はない比較的身近な病気と捉えられ始めている。

このように社会でのメンタルヘルスへの見方が徐々に変化しつつあり、同時に世界的なインフレや気候変動による異常気象、ロシア・ウクライナ戦争といった不安要因が多い中、人々は身体に加え、意識的に自ら精神面の健康も維持・向上させようと努めるようになってきた。

セラピスト側も、個人をサポートすることで社会全体のメンタルヘルスの向上が図れると、カウンセリングだけでなく、ストレス予防・解消策などやレジリエンスを身につけるノウハウを教えるクラスを世界各所で開講している。

定期的に通って体を鍛えるジムのメンタル版「メンタルヘルス・ジム」

心の健康のためのセルフケアを実践するのが、「エモーショナル・フィットネス」。中でも、定期的に通って体を鍛えるジムのメンタル版といえるのが、「メンタルヘルス・ジム」だ。一般人の心の健康をサポートすることを目的に、内容・構成されたクラスが行われている。

自身が臨床ソーシャルワーカーで、ニューヨークで小規模の心理療法を行うマンハッタン・ウェルネス社を創始し、臨床ディレクターを務めるジェニファー・シルバーシャイン・テプリン氏は、メンタルヘルス・ジムは通常のカウンセリングに代わるものではないという。

同氏によれば、メンタルヘルス・ジムは、専門医やカウンセリングよりも2点で間口が広いといえるそうだ。

まず1点目は、社会的にメンタルヘルスの問題へのタブー視が和らぎつつあるとはいえ、まだ日が浅い。人によっては以前と変わらぬ偏見を抱く人もいる。そんな人からの批判やカウンセリングを受けることへの無理解を恐れている人にとっては、健康維持のためのクラスを受講していると周囲の人たちに言うことができるメンタルヘルス・ジムは行きやすい。

もう1点は、カウンセリングを受けながらも、さらに求めるものがある人に適しているという。カウンセリング中に得た情報に、簡単に追加情報を得たり、自分と同じ症状に悩まされている人と話し、心を和ませたりできるからだ。

メンタルヘルス問題は1人でなく、グループで解決するもの

メンタルヘルス・ジムの多くがわずか過去5年ほどの間に設立されているが、そのスタイルはすでに多様化しており、選択肢はさまざまある。バーチャルでグループサポートを行うクラスや、身体的なエクササイズとモチベーションを高めるための指導を組み合わせた対面式のセッションを行っているところもある。また、事前に録画されたビデオ・音声を公開しているクラスもある。

米国を拠点とする「コア」は、セラピスト主導のもと、グループレッスンとマンツーマンのクラスを行うメンタルヘルス・ジムだ。コアの特徴は、クラスの基盤を周辺社会、コミュニティに置いていること。

(コアのFacebookページより)

メンタルヘルスの問題は、従来人に知られないよう、自分1人で解決しようとする傾向があった。それをあえてコミュニティベースとするのには、理由がある。リアルタイムでほかの人たちと共に取り込めば、自分だけが苦しんでいるわけではないことが分かる上、その人たちからのサポートを受けることもできるからだ。コアにおけるエモーショナル・フィットネスとは、本質的にいえば、「自分と他者との関係を強めること」なのだという。

エモーショナル・フィットネスがどんなものなのかを確認するための1回のみのイントロクラスが3種類あるほか、8クラスから構成されたコースではストレスに対処し、回復力を高め、なりたい自分に近づくための基礎的な方法を学ぶ。メンタル面を安定させ、他者を牽引する指導者向けのコースもある。女性リーダーや、黒人・先住民・有色人種のリーダーに特化したコースも用意されている。

コアのコースやクラスは、共同創設者でありチーフ・クリニカル・オフィサーを務める精神分析学者、エミリー・アンハルト博士が、約8年前に心理学者と起業家各々100人ずつに「感情面で健康な人とはどんな人か」と質問した際の回答に基づき、作成されている。

感情面で健康な人は、「自己認識、共感、マインドフルネス、好奇心、遊び心、レジリエンス、コミュニケーションの7つのものを持っている人」との回答を得た。この7つ各々において取るべきアクションとはどんなアクションで、どう行動化するかが重要。クラスでは、多少複雑な心理学的概念を取り上げるが、同時に、関連する実践可能なアクションも教えるという。

身体的な健康を称賛するのと同じように、メンタルヘルスを称賛する文化を、社会に根付かせるというのが、コアの使命だ。他者であるコミュニティと持ちつ持たれつの関係で、ポジティブにメンタルヘルス問題に取り組むことができる。

今のところ世界的に私たちは、「もしあなたが私の面倒を見てくれるなら、私もあなたの面倒を見る」というのが、人々の立ち位置だ。しかし今後は、「もしあなたが、私のためにあなた自身の面倒を見てくれたら、私もあなたのために自分の面倒を見る」と、お互いに声をかけあってのメンタルヘルスに移行するだろうと、アンハールト博士は考える。

世界に広まる、メンタルヘルス版「ファーストエイド」

アンハールト博士による、人々が他者との関係において、自らのメンタルヘルスを大切にするようになるという指摘そのままに、2000年オーストラリアで始まったのが、「メンタルヘルス・ファーストエイド(MHFA)」だ。

Michelle Obama talks about the importance of Mental Health First Aid from Mental Health First Aid on Vimeo.

© Mental Health First Aid

これは、薬物やアルコール依存・中毒なども含め、精神的な問題を抱える人に施す応急処置のこと。処置をするのは、医療関係者ではなく一般人で、そのためのトレーニング・プログラムが組まれている。

心理学・精神医学・老年学が専門のメルボルン大学名誉教授、トニー・ジョーム氏と、もと赤十字で応急処置を教えていたパートナーのベティー・キッチナー氏がプログラムを開発した。現在では24カ国に広まり、500万人以上がトレーニングを修了している。

従来の応急処置同様、MHFAを行う人は、治療や診断を行うのではなく、適切な専門家に診察してもらうまで、あるいは当事者が危機を乗り越えるまでの初期支援を行う。MHFAの知識があれば、友人や家族、職場の同僚などがメンタルヘルスの問題を抱えている時などに、役立つ。

早期介入に最も必要な、MHFAを身につけた家族・友人

MHFAのプログラムは、家族や友人が、メンタルヘルスの問題を抱える当事者の感情や言動の変化に気づき、症状の悪化を防ぐために、重要な役割を担うという研究をベースに開発された。

このプログラムでは、メンタルヘルスの不調は珍しくないとはいえ、人々の健康や福利に悪影響を及ぼすという事実、メンタルヘルス問題についての知識を得ること、メンタルヘルスに伴うスティグマや差別をなくすこと、自助できない、多くのメンタルヘルス不調者への適切なサポート方法などを学ぶことができる。

MHFAの活動には、レディ・ガガも一役買っている© Born This Way Foundation

予防、早期介入、治療と各々の段階で、MHFAは役立つとされるが、最も有効性を発揮できるのは、重要だといわれる早期介入の段階だ。

通例では、病院に行くなどの適切な支援・治療を受けるまで、発症してから長い時間がかかる。専門医に診てもらうのが遅れれば、遅れるほど、回復は難しくなる。この間、家族、友人、同僚などの支えが必要となる。もし、身近な人々がMHFAのスキルを身につけていれば、的確に当事者を助けることができる。

気分を高めるための動きを取り上げた「ジョイ・ワークアウト」

たとえわずかな時間だけでも、運動すると気分が良くなることはよく知られている。

1990年から2020年の間に発表された、1000を超える研究報告書における運動とメンタルヘルスの相関性を明らかにした報告書がある。2021年にジョン・W・ブリック財団が発表した「ムーブ・ヨア・メンタルヘルス・レポート」がそれだ。

同財団は、病因ではなく、健康を支える要因に焦点を当てたアプローチで、メンタルヘルスの向上を推進する組織。運動とメンタルヘルスが、正の相関関係にあるとした報告書が全体の89%を占めたと、同財団は報告している。

スタンフォード大学で教鞭を執る、健康心理学者のケリー・マクゴニガル博士は、8分半ほどの「ジョイ・ワークアウト」というエクササイズを創り出し、『ニューヨーク・タイムズ』紙の特集記事で、披露している。

「ジョイ・ワークアウト」は、跳ねたり、伸びたり、左右に揺れたりといった、実践者にポジティブな感情をもたらすと研究上確認されている動きを意図的に取り入れている。加えて、長調でアップビートのサウンドトラックもエクササイズ時にかけるよう、用意されている。

マクゴニガル博士は、「ジョイ・ワークアウト」は、動くことで気分を高揚させる方法の1つに過ぎず、自分で動く喜びを見つけるための「招待状」と考えるべきと、『ニューヨーク・タイムズ』紙に話している。自身が幸せを感じる動きを、好きな曲に合わせて、好きなテンポで行えばいいと博士は考えているそうだ。

さて、アントニオ・グテーレス国連事務総長は6月、メンタルヘルスに関する報告書を発表すると共に、世界全体が「メンタルヘルス危機」に陥っていると警告。子どもや若者数百万人を含む、精神障害者数10億人のうちのほとんどが治療を受けることができずにいるというショッキングな事実も明らかにした。

私たちは、ジム通いなどで、身体的な健康を維持・向上するよう努めてきた。メンタルヘルス危機の時代に突入した今、同じように、メンタルヘルスも自己管理が重要になってきているようだ。

文:クローディアー真理
編集:岡徳之(Livit