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これからの企業成長にはDX(デジタルトランスフォーメーション)が欠かせないと言われ、その必要性は最高潮に達しつつある。しかし、そのDXを行うための人材不足は解消されていないというのが日本の現状だ。
そういった現状を背景に、滋賀大学が体系的ビジネスサイエンス入門講座として「社会人のための滋賀大学ビジネスサイエンスMOOC講座パッケージ」を本年12月21日にリリースした。本講座はDX人材に求められる、データ分析および各業務での活用方法を実践的に学べる内容となっている。
今回の取組みを実施する背景や意義、本講座の特徴や将来展望、そして開講に対する想いなどを滋賀大学 経済学部の中野 桂 経済学部長に聞いた。
滋賀大学のデータに基づく産学連携
滋賀大学経済学部は、滋賀県彦根市にキャンパスを構えており、前身の彦根高等商業学校から数え、来年4月で創立100周年を迎える。また、滋賀大学は2017年に国内で初めてデータサイエンス学部を設立した大学として全国に知られている。
中野氏「来年4月で創立100周年を迎える滋賀大学経済学部は、前身の彦根高等商業学校の時代から、実学重視の歴史があります。そして1972年、経済学部に経営を科学する管理科学科が設立されました。この管理科学科が後に情報管理学科となりました。つまり、本学ではデータの観点で経営を学ぶことができる先進的で実践的な取り組みを実は50年前から行っています。
そして次に、情報管理学科を発展させる形で、データサイエンス学部を2017年に設立しました。データサイエンスの専門学部は国内初であり、アメリカと比べても早い取り組みだったようです。」
実学重視の歴史を持つ滋賀大学だが、産学連携といった観点ではどのような状態なのだろうか。特に文系学部の産学連携はイメージが難しい。しかし、大手から中小企業まで数多くの相談が寄せられているという。
中野氏「本学の産学連携の代表事例としては、帝国データバンクとのビッグデータの活用や人材育成があります。また産学連携の相談件数は年々増加中で、毎週何かしらの相談が持ち込まれている状態ですね。
大企業からするとデータサイエンス学部があるため、ビッグデータの活用などの連携先としてイメージしやすいと思います。一方で中小企業の場合は、DXとは何か教えて欲しいといったものや生産ラインの効率化相談など、ベーシックな知識を求めるものから実際の事業に関わるものまで、様々な相談をいただいています。本学のように、産業界から様々な相談が寄せられる大学は珍しいのではないでしょうか。」
滋賀大学によるオンライン講座と国内のリスキリング状況
「社会人のための滋賀大学ビジネスサイエンスMOOC講座パッケージ」(以下、「ビジネスサイエンス講座パッケージ」)は株式会社ドコモgaccoが運営するオンライン動画学習サービスgacco(ガッコ)で提供される。滋賀大学が提供するgaccoの教育コンテンツは実は今回が初めてではない。
中野氏「滋賀大学ではすでにgaccoで『大学生のためのデータサイエンス』などを提供しています。今回の『ビジネスサイエンス講座パッケージ』は、gaccoでのコンテンツ制作実績のある先生からスタートしました。大学の教員は教室で90分の講義を行うことに慣れているため、15分程度の動画のコンテンツ制作には何かと苦労がありましたが、経験が蓄積されてきているので、今後はスムーズにコンテンツの発信を行なっていけると考えています。」
「ビジネスサイエンス講座パッケージ」はビジネスパーソン向けの学習コンテンツだ。近年は社会人向けの教育として、リスキリングなどが話題になることが多いが、同講座もその一つだ。DXとともに重要性の叫ばれるリスキリングだが、国内で広まるにはまだ課題も多いようだ。
中野氏「国内ではリカレント・リスキリング・アップスキリングと、3つの言葉が微妙に異なる意味で使われています。しかしいずれも、社会人になった後も学び続けることが重要である、と理解すればよいのではないでしょうか。
リスキリングが広まるには、オンラインでの学習環境の普及が大きく影響します。オンラインの学習環境がなければ、ビジネスパーソンは大学で学ぶためには、基本的に仕事を辞めるか休職するかして、大学に通わなければなりません。しかしオンラインで学べる環境ができ、またコンテンツが豊富になった結果、仕事を続けながら大学や大学院レベルの学習が可能になりました。
ただし国内には、これまでは長期雇用慣行のある企業が多かったため、リスキリングの必要に迫られてこなかった側面があるのも事実です。しかし終身雇用も徐々に廃れてきている現状では、キャリアアップのためにリスキリングが広がることは時間の問題だと思っています。
また、日本のビジネスパーソンは多忙なため、勉強したくても時間がない、という問題もあります。日本企業は労働生産性の低さが指摘されますが、定時退社が可能になれば、ビジネスパーソンの時間確保が可能になり、それがさらに労働生産性を向上させるという好循環も期待できます」
「ビジネスサイエンス講座パッケージ」はデータサイエンスの切り口で、ビジネスの様々な領域を学ぶことを目的としている。データサイエンスという言葉自体は国内でも広く知られるようになったが、日本のデータの活用は諸外国と比べて大きく遅れていると中野氏はいう。日本が出遅れてしまったのはなぜだろうか。
中野氏「データの社会的活用という観点では、日本は世界標準に比べ約20年遅れていると感じます。ただし学問としてのデータサイエンスは、日本の学会レベルは世界と比較してもほとんど遅れはありません。日本は“データの社会的活用”に大きな課題を抱えている状態なんです。
日本でデータ活用が進まない理由としては、前例主義と完璧主義が大きな壁となっています。日本の組織では、過去のやり方を変えるのに時間がかかるのはご存じの通りです。一方で海外では、1990年代から失敗も許容される社会実験が頻繁に行われていました。その結果、リスクとリターンを数字で把握して、データに基づいた様々な取り組みが行われるようになりました。日本は数字によるリスクとリターンの把握ができていない、という点も大きく影響していると思います。
ただし、昨今のデータサイエンスやDXへの関心の高まりを見ていると、国内のデータ活用にまつわる状況も徐々に変わっていくのではないかと期待は持てるようになってきたと思います」
ビジネスパーソンがデータサイエンスを学ぶメリット
リスキリングが注目される中で、ビジネスパーソンがデータサイエンスを学ぶメリットはどこにあるのだろうか。データサイエンスは数式の羅列のイメージもあり、アレルギー反応がある人も少なくないだろう。しかし現在は、データサイエンスの民主化がされつつある時代だ。
中野氏「一般的に、データサイエンス=難しい、というイメージが存在する面は否定できません。しかし現在はデータ分析ツールが発達し、マウス操作でデータ分析が簡単にできる環境にあります。難しい数式を使わずにデータサイエンスの実践が可能なんです。よって、データサイエンスという言葉に身構えることなく、データを触る・データを見るという感覚で、データ自体を身近に感じて欲しいですね。
例えば散布図を見るだけでも、想定していたものと異なる気づきが得られることもあります。データサイエンスを学び、数字に基づいた新しい視野を獲得することで、様々なビジネスシーンでこれまで見えていなかった景色が見えるようになる可能性は多いはずです」
「ビジネスサイエンス講座パッケージ」は、ビジネスをデータサイエンスで分析するという文字通りの内容を学ぶことができるのはもちろん、ビジネスに付加価値を与える所までを視野に入れる、極めて実践的な内容となっているという。では、「ビジネスサイエンス」とはどういったものなのだろうか。
中野氏「データサイエンスというのはデータ分析の手法を指します。一方でビジネサイエンスは、データサイエンスという手法を駆使して『経営=ビジネスを科学する』ものです。
では単純に『データサイエンス』と『経営学』を合体させればビジネスサイエンスになるかといえば、そうではありません。学問としてはそれでよいでしょうが、それだけでは、実社会に役立つ社会実装には至りません。例えば同じ政策を実行する場合でも、国や企業が異なれば進め方は違いますよね。ビジネスサイエンスを社会実装させるには『経営学』と『データサイエンス』に加えて『人類学的視点』などから社会を理解する必要があります。これらの三者がそろってはじめて、ビジネスサイエンスが付加価値を生む、すなわち価値創造をもたらす、と考えています。価値創造をもたらす、高度で実践的なビジネスサイエンスを学べる、というのが本講座の目指す所です」
リスキリングやデータサイエンスには、若手が対象、というイメージもある。しかし本講座は若手のみならず、マネジメント層なども対象としている。ビジネスサイエンスという共通の物差しで様々な議論ができるようになれば、データに基づいた合理性と納得性のあるビジネス判断ができるだろう。
中野氏「『ビジネスサイエンス講座パッケージ』は現在、個人の方はgaccoにて無料受講できますし、企業研修にも安価でご利用いただけるなど、幅広い方に受講いただける仕組みを作っています。
また対象年齢については、データサイエンスに興味のある若手のみならず、30~40代以上の企業のマネジメント及び準マネジメント層の方にも受講いただきたいです。年齢を重ねるとデータ分析にアレルギーを持つ方もいますが、本講座でビジネスサイエンスの楽しさも伝えたいですね。幅広い層の方が本講座を学ぶことで、共通の物差しを持って様々な議論が可能になります。そうすることで、これまでより一段上の経営判断をすることも可能になるでしょう」
日本初の経営分析学(MBAN)修士も視野に
「ビジネスサイエンス講座パッケージ」は12月21日に統計学・マーケティング・ファイナンスの3講座が開講。ビジネスサイエンスの対象領域は非常に広いため、今後も様々なコンテンツ展開が予定されている。さらにMaster of Business Administration(以下、MBA)より、よりデータ分析に特化したMaster of Business Analytics(以下、MBAN)も、滋賀大学では2年後のスタートを目標に準備が進んでいる。
中野氏「本講座は統計学、マーケティング、ファイナンスの3講座からスタートしました。今後も充実を予定しており、第2弾は来年度にマネジメント(組織編・戦略編・管理編)をリリース予定です。ビジネスサイエンスは人事や労務管理、在庫管理にも活用できるなど対象領域が広いため、可能な限り様々な展開を考えています。
また海外では、経営分析学(ビジネスアナリティクス)の修士号であるMBANが人気を博しています。すでに海外ではMIT(マサチューセッツ工科大学)など、MBANの学位を出す大学もありますが、国内でMBANの学位を出している大学はまだありません。滋賀大学ではMBANの大学院を2年後の令和6年スタート目標で準備を進めています。ビジネスサイエンスの基礎的なことは「ビジネスサイエンス講座パッケージ」で学んで、さらに深い内容を探求したい方はMBANコースでも学んでいただける、という環境を提供していきたいと思っています」
滋賀大学ならではの三方よし
最後に「ビジネスサイエンス講座パッケージ」に対する想いを聞いた。実践的な社会実装も踏まえた講座は、実学重視の滋賀大学ならではの内容だ。加えて、江戸時代に滋賀県から全国で活躍した近江商人の「買い手よし、売り手よし、世間よし」の三方よしの考えも本講座に通じるものがあるという。
中野氏「滋賀大学経済学部では3つのAの融合を将来構想としています。1つ目は実学重視の彦根高等商業学校のDNAのA。2つ目はAI・データ サイエンスのA。3つ目はリベラル・アーツ(Liberal Arts)やアート(Art)のA。最後の3つ目のAが、ビジネスサイエンスを社会に役立たせる=価値創造を生む部分であり、ビジネスサイエンスのエッセンス部分と考えています。そしてその3つ目のA部分も含んだビジネスサイエンスを学べるというのが、本学が提供する『ビジネスサイエンス講座パッケージ』の最大の特徴だと思っています。
「経済」の語源は経世済民(世の中をマネジメントして、人々を救う)です。これは、滋賀県発祥の近江商人にあったとされる『買い手よし、売り手よし、世間よし』の三方よしの考えにも通じると思います。本講座を通じて人々が幸せになる社会づくりについて学んでいただけたらと思います。
また、本講座の根本には、ビジネスサイエンスを学ぶ楽しさを伝えたい、という想いがあります。本講座を通じて、ビジネスサイエンスの楽しさを一人でも多くの方に知っていただきたいですね」
「ビジネスサイエンス講座パッケージ」の受講者は、データサイエンスをビジネスの現場で実践的に活用するための知見を得ることができる。本講座を学んだビジネスパーソンは、これまで曖昧に行われていたビジネス判断を、データに基づいた合理的で明確な根拠をもとに下すことができるようになるだろう。
中野氏のいう、世界標準に比べデータ活用が約20年遅れている日本において、本講座が今後の国内のデータ活用やDXに重要な役割を果たしていくことを期待したい。
【社会人のための滋賀大学ビジネスサイエンスMOOC講座パッケージ】
■マーケティング(全15回)
平均値、標準偏差などの基本統計量から、相関係数、回帰分析、平均値の差の検定など、マーケティングだけでなく、様々なビジネスの場面で応用が可能な汎用性の高い様々な統計的手法を、実際のビジネス上のデータを分析しながら学ぶ実践的な講座。
[URL] https://lms.gacco.org/courses/course-v1:gacco+pt150+2022_12/about
■企業リスク管理のためのリスク計量化入門(全12回)
企業を取り巻く環境は複雑化しており、リスク管理の重要性は従来以上に増している。企業が適切にリスクを取り、企業価値向上につなげていくためのリスク計量化の基礎理論を学習できる講座。
[URL] https://lms.gacco.org/courses/course-v1:gacco+pt149+2022_12/about
■ビジネスのための統計学入門(全6回)
算術平均、中央値、四分位数、最頻値など、ビジネスで必要となる統計学や機械学習/AIの基礎知識についてまとめて学べる入門講座。
[URL] https://lms.gacco.org/courses/course-v1:gacco+pt148+2022_12/about
取材・執筆:石井僚一
写真:示野友樹