人生100年時代やVUCA時代と言われる現代において、一人の社会人がさまざまな経験を通じ、長いキャリアを歩んでいかなければならない今日。個々のキャリアの多様化・長期化とともに、人材流動化は加速し続けている。私たちは柔軟に新たな能力やスキルを身につけていかなければ、スキルの陳腐化がおき、自身が望むようなキャリアを築いていくことが難しくなるだろう。企業も同様、人材を資本と捉えて人材戦略を進め、人材の育成を最適化しなければ、持続的な成長、価値創造を実現することは難しいと考えられる。

そこで今回、AMPでは人財躍動化の実現に向けて「リスキリングプロジェクト」を推進するAdecco Groupの取り組みを中心に、連載を通じて「リスキリング」の可能性を探っていく。第3弾のテーマは企業とリスキリング。すべての企業が課題とする人材開発、組織力強化において、リスキリングはどのように貢献するのだろうか。Adecco Groupの事業ブランドである「LHH」において人材育成・組織変革事業を展開するリー・ヘクト・ハリソン事業本部長の馬場一士氏、株式会社LayerX 執行役員 (人事広報担当)の石黒卓弥氏とともに考えていこう。

人材流動化における生存戦略と、リスキリングの関係性

DXをはじめ、ビジネスを取り巻く環境が激しく変化する今日。新たなニーズに対応する人材を確保することは、多くの企業にとって急務となっている。2回にわたる連載では、ビジネスパーソンにおけるリスキリングの必要性を探ってきたが、それは企業サイドにとっても他人事ではない。人材育成や組織マネジメントの領域で、さまざまな企業の課題解決に従事する馬場氏は、昨今の日本の状況を次のように語る。

Adecco Group Lee Hecht Harrison 事業本部長 馬場 一士氏

馬場氏「労働人口不足による売り手市場を背景に、人材が流動しやすい時代になってしばらく経ちます。デジタル化などのニーズに対応する人材は流出しやすくなる一方で、外部からの人材獲得に悩む企業は少なくありません。ここで有効になるのは、社内の人材の価値を引き出し、最大限に生かす道です。リスキリングはその手段として、大きな力を発揮するでしょう」

リスキリングを通じ、学びつづける組織を形成することで、次なる環境変化に対応する。このサイクルにより企業が持続的に成長することは、明白な事実だろう。加えて、「もう一点注意すべきことがある」と、馬場氏は続ける。

馬場氏「リスキリングを実践する企業が懸念するのは、『育成した人材が結局、外部に引き抜かれるのではないか?』という点です。もちろんその可能性はあります。ですがそれを懸念する以上に大切なのは、他の企業で成長した人材が、自社に入ってくるような魅力ある組織になっていくことです。“学び続けること”と“選ばれること”の両輪が、ビジネスを大きく加速させるのです」

馬場氏の見解に深く頷くのは、LayerXの石黒氏だ。NTTドコモを経て、当時60人だったメルカリに入社。人事部門を立上げ、わずか5年間で1,800名規模への組織拡大を牽引した同氏は、組織の新陳代謝を阻む要因も知り尽くしている。

株式会社LayerX 執行役員 (人事広報担当) 石黒 卓弥氏

石黒氏「メルカリやLayerXのようなスタートアップは、ゼロから組織をつくるわけですから、変化への対応は比較的簡単なんです。しかし歴史や規模が肥大化した大企業ほど、“スクラップアンドビルド”は困難になる。それでも時代は待ってくれませんから、経営陣は骨組みから議論する覚悟を持たなければなりません。リスキリングも同様に、“なんとなく塗装を変えてみる”だけでは不十分で、組織変革の視点から腰を据えて取り組むべきだと思います」

大きな企業になるほど、トップの大胆な決断が必要になる。石黒氏はその背景に、“人生100年時代”を見る。

石黒氏「私が社会に出た頃と比べ、働かなければならない期間は大幅に伸びています。70歳まで働くとなると、25年も働いて『まだ半分』なんですね。Z世代が経済を回すようになった頃にも、上の世代の多くは働いているわけですから、新しい前提を受け入れていくことは極めて重要です。そうした意味でも、リスキリングで個人と組織を変えていくことは、不可欠なのではないでしょうか」

馬場氏「海外に目を向けてみると、キャリアに対する考え方が日本と大きく異なります。アメリカなどは、一見すると雇用に対して厳しいように思えたりしますが、トレーニングやスキリングに対しては非常に手厚い。働き手も、雇用の保障ではなく、充実したトレーニングを求めます。キャリアとスキルが連動するため、何年か働き、勤務先を変えたり、産業構造が一転しても、成長を持続できるわけです。しかし日本では、研修も学習も、どちらかというと、『勤務時間外のプライベートを削って行う自己研鑽』というような考え方の企業が多い傾向ですよね」

石黒氏「本来、仕事に必要なスキルは、企業の側がゼロからしっかりとサポートしなければならないはずです。DXのためにデジタルスキルを学ばせることは、明らかに企業の価値に直結するのですから、育成に投資をするのは当然だといえます。しかし、日本では新卒人材に研修を施す程度で、それ以降のスキリングは個人に委ねられてしまう。考え方を見直さなければ、結局は“選ばれる企業”になれません」

では具体的に、企業はどのようにリスキリングと向き合うべきなのだろうか。次に、Adecco Groupの人材育成・組織変革プログラムを例に、実践的なアプローチ方法を見ていく。

リスキリングの第一歩は、キャリアビジョンの明確化

Adecco Groupのブランドの一つであり人材育成・組織変革を担うLHHでは、人材育成やキャリア支援をサポートする「キャリアトランジション」、組織の行動、マインドセット、カルチャー変革をサポートする「リーダーシップデベロップメント」の二軸で、企業を幅広く支援している。リスキリングにおいては、リーダーシップ開発やコーチングにおけるプログラムを充実させており、長年培われた科学的知見、世界的にスタンダードな手法が基盤になっている点が特長だ。

馬場氏「大切なのは、リスキリングの方向を明確にすることです。無数にあるスキルの中から最適なものを選ぶのは、個人にとっても企業にとっても容易なことではありません。そこで重要になるのは、『そもそも自分はキャリアに何を求めているのか?』『それを実現するためには何を身につけるべきか?』『向いていること、情熱を傾けられることは何か?』という自己理解です。指針が定まることで、はじめて意欲が湧き、その上でリスキリングがスムーズに進み、仕事へと生かされていきます。私たちはそのモチベーションを引き出すことを、最も重視しているのです」

石黒氏「それは重要なことですね。長年開発で成果をあげていた人が、管理職になった途端に『将来の幹部候補なので、会計を学びましょう』といわれても、なかなかモチベーションは上がりません。本来は個々のキャリアとビジョンによって、英語なのか、プロジェクトマネジメントなのか、コーチングなのか、習得すべきスキルは大きく変わるはずです。それを『偉くなる可能性がある』という理由だけで、一律的な研修を施してしまう。結果として発生するのは、配置転換によるミスマッチ、リソースの無駄遣い、そして離職なのだと思います」

馬場氏「しかし、会計や英語と比べると、動機づけやチームビルディング、コーチングといったスキルは、どこか“抽象的”で、後回しにされがちです。マインドを変えることは何よりも重要なのですが、資格や昇格のように目に見えやすいデザインになっていないため、そういったスキルへの投資に対する経営判断が躊躇されてしまうのでしょう」

特にコーチングは、『リスキリングの方向を明確にする』ためのベースにもなるので、“学び続ける”組織において重要なファクターとなる。

馬場氏「当社のコーチングは、国際コーチ連盟(ICF)より認定を受けた独自のモデルにより、リーダーが能力を存分に発揮できるよう支援するものです。リーダーの行動変容により、チームのエンゲージメントが大幅に向上した事例は数えきれません。コーチングが組織をボトムアップすることを、私たちは確信しています」

石黒氏「メルカリでは、コーチングは外部リソースを活用して導入していました。当然私もコーチングを受けるわけですが、担当の方に『今日のお話を石黒さん以外の方に口外することは、絶対にありません』と言われた時は、『この人はプロだ』と改めて実感しましたね」

馬場氏「守秘義務はコーチングにおける大原則なのですが、実際のところ、その基本を理解されていない方は多いです。人事の方に『効果測定をしたいので、話した内容を報告してください』と言われることも多く、それだけ日本にはコーチングが浸透していないという表れでもあります」

石黒氏「コーチングのような抽象的なメソッドは、歴史の長い企業ほど、『自分の時代にそんなものはなかった』と、軽視されてしまいます。たしかに抽象的なスキルに大きな投資をすることは、経営の意思決定としては勇気を要します。しかし外部リソースは非常に有効なので、まずは特定の部門で試すなど、少しずつトライするのが良いのではないでしょうか」

退職をも視野に入れ、個々の人生に寄り添う重要性

リスキリングで最も重要となる、“個々のビジョンの明確化”。一人ひとりのキャリアに向き合うために、企業はどのようなマネジメントを施すべきなのだろうか。石黒氏は「見直すべきは“総合職”」と、私見を述べる。

石黒氏「よく総合職は日本特有の概念だといわれますが、やはりそう感じます。総合職は、『バランスの良い人材が、全員で社長を目指す』という仕組みがあってこそ成り立ちます。しかし、終身雇用が崩壊しつつある今、そうした時代は終わりを迎えるのではないでしょうか。個々の人材にとっては、会社での昇進よりも個人の人生の方が、はるかに大切です。リモートワークやフレックスタイム、副業や育休の推進など、個を尊重する企業は、結局は人材から選ばれるようになり、組織として成長します。キャリアも同じで、有能なエンジニアがわざわざ現場を離れて管理職になる必要など、どこにもないわけです」

馬場氏「従来は、一度会社に入ると、外に出るデメリットの方が大きかった。だから、望まない異動、長く在籍しなければ上がらない給与、マイホームを買った途端に言い渡される転勤など、“囲い込み”の圧力に耐えられたのでしょう。そんな状況を変えたのは、人材そのものの変化です。かつては工場を稼働させる労働力とみなされていた人材は、現在においては、その才能や能力によって無形資産を生み出し、人材こそがいわば企業価値を生み出す源泉となっています。にもかかわらず、囲い込みの中で嫌々仕事をしている人が、その価値を生み出せるのか。答えはNOです。だからこそ、囲い込むフェンス自体を取り払い、人材を惹きつけられる企業へと変わることが求められるのではないでしょうか」

今後企業は人材に対して、採用から退職までのライフサイクルを通じて活躍することを主眼として考える必要がある。転職を視野に入れた社員のキャリア支援を行うことに、企業のメリットはあるのだろうか。

馬場氏「囲い込みのフェンスを無くすということは、広範な視野が必要になるということです。ただし人材にとって転職は選択肢の一つ。自分自身のキャリアデザインが明確になった際、『実は社内でも実現できるのかも』と、気づくケースも多いと考えています。一度会社の外に出て、再び戻ってもいいでしょう。本来は自社で自己実現をできるのがベストなわけですから、企業側がそうした広い視点を持ち、環境を整えることは、社内外の多様な人材を惹きつけ、結果として企業の競争力を高めることにもつながります。」

育成したスター人材の輩出は、必ず自社の資産になる

個を重視したリスキリングを展開するLHHの根底には、「『人財躍動化』を通じて、社会を変える。」という、Adecco Group Japanのビジョンがある。世界60の国と地域でサービスを提供するAdecco Groupのなかで、日本におけるより良い未来を考え抜いた、同社の結論といえるだろう。

馬場氏「日本全体の視点で見るならば、限りある労働力は、社会インフラにより育成された“大切な資源”。それをさまざまな企業が分け合っているのです。『仕方なく与えられた仕事をする』『転職に不安を感じて社内にとどまる』といった価値を生み出せない状態は、社会的な機会損失にあたるといえます。私たちAdecco Groupは、昇進=成功という単一な考え方ではなく、さまざまなキャリアの選択肢のなかから、自分の意志で最適なものを選んでいくような社会を実現させたい。そんな思いを共有しています。Adecco Groupは、Talent Solutions領域のサービスブランドをLHHへ統合することで、すべての働く人々のキャリアの岐路や転機において、その将来にポジティブな影響をもたらすことができる存在となっていくことを目指しています」

石黒氏「人材を“大切な資源”と捉えるならば、日本では絶対量が減っていくことは間違いありません。しかし社会に対して与えるインパクトの量は、増やしていける可能性はあります。その動力となるのがリスキリングであるならば、個人がスキルを選べる環境を、私たち企業側が整備していくことが必要ですね」

個々の人生に寄り添うリスキリングを提供する。それは企業の社会的責務であるとともに、長期的な資産にもなり得ると、石黒氏は考えている。

石黒氏「マッキンゼーやグーグルが、なぜ常に素晴らしい組織といわれるのか。それは、次のステージ、別の企業で活躍するスター人材を輩出しているからです。そうした評判はスピーディーに広がりますから、日本企業はもっと“人材輩出企業”を目指すべきなのかもしれません。1人のスター人材を輩出すると、それを見た10人のスター人材が入ってくる。入と出を換算すれば、企業側も得をするわけです。結果が出るまでには時間差が生じるので、勇気が必要ですが、その好循環を回し始めるために最初の一歩を踏み出すことは、個人、企業、そして社会全体にとって、価値のあることだと思います」

長期的な未来を見据え、変化に対応する人材を育成することは、事業成長だけでなく、根本的な企業ブランディングにもつながる。過渡期を迎える日本において、企業と人材の関係性は、今後大きくシフトしていくだろう。次なる変化に備え、リスキリングによってはじめの一歩を踏み出すべき時は、目の前に来ているのかもしれない。

取材・文:相澤優太
撮影:示野友樹