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アメリカのバイデン大統領は、2022年9月18日に放映されたテレビ番組のインタビューで「パンデミックは終わった」と見解を発表。事実上の「パンデミック終息宣言」だ。2年半余りにわたって世界を翻弄した新型コロナウイルスによる騒動はひと段落し、ようやく「元の日常」に戻ろうとしている。
しかし、長きにわたった「新しい日常」に慣れてしまい、「元の日常」に戻りたくないという現象も起きている。その最たるものが「出社」である。テックスタートアップが集中する米サンフランシスコ市では、今も市内オフィスの約4分の1が空室であるという。
人が戻らない?サンフランシスコのオフィス事情
現地の不動産仲介会社CBREのコリン・ヤスコチ氏によると、サンフランシスコは現在、米国内のオフィス出社率が最も低いという。シリコンバレーの北に位置するサンフランシスコには、過去10年でテクノロジー系のスタートアップが集まるようになり、国内随一のテックハブとして機能している。
パンデミック前、街の通りでは若い技術者たちが出歩く姿が頻繁に見られたが、彼らは今もリモートワークを続けており、街は静かなままだという。出社要請を出している会社もあるようだが、多くは在宅勤務を希望する従業員側の要望に理解を示し、柔軟に対応しているようだ。
一方、大手テック企業が集まるシリコンバレーでは徐々に人が戻ってきている。ヤスコチ氏によると、現在シリコンバレーの空きオフィス率は12.5%。パンデミック前は6%であったのに対し、完全回復とはいかずとも取り戻し傾向にある。
出社してほしい経営者 vs リモートワークがいい従業員
同じテック企業であっても、企業フェーズが成熟するほど出社要請が高くなる傾向があるようだ。
A.TeamとMassChallengeがプレシードからIPO企業の創業者と経営幹部581名を対象に2022年7月行った意識調査によると、約37%が今後12カ月でオフィスワークを再開する予定があると回答。うちシリーズB〜EとIPO企業では55%と高い数字を記録した。
一方で、ギャラップ社による世論調査によると、従業員の90%以上がフルタイムのオフィスワークを望んでいないという。在宅勤務のみを希望する人の割合は、2021年10月以降倍増している。
出社をめぐる騒動といえば、記憶に新しいところではアップルの一件だ。
アップルは従業員に9月から週3回の出社を要請したが、一部の社員たちはこれに反発。「アップルトゥギャザー」というグループを作り、よりフレキシブルな労働環境を求める嘆願書を提出した。嘆願書では「過去2年間、働く場所に関わらず優れた成果を上げてきた」ことを主張。そして、家族のケアや健康、生産性、個人の幸せなどの理由から、柔軟な働き方を求めるとしている。
テック大手では、アップルのように出社を基本とする企業(テスラ、グーグルなど)と、今後もリモートワークを容認する企業(メタ、ツイッターなど)に二分している。とはいえ、いずれにしても完全に出社のみという旧来型の勤務体系に戻すのではなく、両方を取り混ぜたハイブリッドワークが主流になることは確実だろう。
出社を強要できない2つの理由
サンフランシスコのテックスタートアップ界隈も、経営者側としては「出社してほしい」というのが本音のようだ。しかし、経営者が出社を強く言うことは稀であり、本音を飲み込んで従業員の希望を聞きながら、落とし所を探っているようである。
“ボス”たちはなぜ、そのような及び腰なのだろうか? それには、次の2つの理由が考えられる。
- スタッフの離職を恐れている
先の意識調査では、昨年起こった「大退職」で多くのテック企業のトップパフォーマーたちが職場を去ったと結果が出ている。シリーズBからIPO企業の53%の経営者がそう答えており、59%が過去6カ月の間に採用枠を増やしたという。
最近はレイオフが話題のテック業界だが、それでも良い技術者は引く手数多であることには変わりない。2022年5月以降、毎月約15,000人の技術労働者が解雇されるにも関わらず、彼らの多くはすぐに次の職を得ているという。
新進気鋭のスタートアップやテック大手が集まるサンフランシスコやシリコンバレーでは、人材の引き抜きも日常茶飯事だ。テック企業のボスたちは、不用意に出社義務を課すことで優秀なスタッフの離職を防ぎたい思念があるのだろう。
- ハイブリッドワークのガイドラインがない
ハイブリッドワークは、私たちがこれまで経験したことのない新しい課題だ。オフィシャルなガイドラインもなく、企業それぞれが独自の判断をしなければならない。
クラウドサービスAlight Solutionsのステファン・ショルCEOは「週3日の出社を要求するのに、その理由を言わなければならないなんて。一体何のために? 経営者たちはイラついているよ」と述べている。
現在、ハイブリッドワークのロールモデルはなく、アップルのような大企業ですら手探りで最適解を探している。今後しばらくは、企業トップの好みや価値観が選択に反映されることが予測される。
今後は昇進・昇給格差の懸念も
企業側も、従業員になるべく気分良く出社してもらえるよう様々な工夫を講じている。
Financial Timesによると、受付システムのスタートアップEnvoyはシャトルサービス、相乗りプログラム、月額200ドルの通勤手当を提供しながら、週3日の出社を促している。オフィスでは無料のベーグルとフルーツの朝食や月1回のハッピーアワーなどがあり、犬の散歩にも補助金が出るという。
同社のアネット・リービスCPOは、「出社の際に生じる経済的負担を減らしたい」と述べている。その一方で、「管理職は“自分に近い人”に昇進や昇給チャンスを与える可能性が高い。リモートワーカーはそのリスクについて考えるべき」と注意を促す。
リービス氏は、物理的な距離が近い人に好感を抱き優遇してしまう「近接性バイアス」は、今後6〜12カ月でさらに悪化するだろうと見解を示している。
スタートアップも出社復活の動き
テックスタートアップ界隈でも、オフィスワーク復活の動きは出始めている。
テック系メディアThe Informationは、人事・会計プラットフォームのMergeが「対面での仕事に全面的に取り組むことを選択した」と報じている。同社では全ての従業員が週5日オフィスで働くことを義務付けている。
また、カスタマーサクセスのFrontは、全スタッフ450名の75%に火曜日と木曜日は必ず出社することを義務付けた。残りの25%については、完全オフィスワーク、完全リモート、もしくはほとんどリモートの3つに分かれるという。
Frontはパンデミック収束前の2021年3月、早々にサンフランシスコのオフィスを開けた。同社のアシュリー・アレクサンダーCPOは「毎日でなくとも、同じ日にスタッフがオフィスに来ることが最も理にかなっている」と判断したという。「閑散としたオフィスにまばらに人がいるのでは意味がありません。チームが集うことで巻き起こる熱気やエネルギー、暖かさこそが重要なのです」(同氏)。
文:矢羽野晶子
編集:岡徳之(Livit)