ヴェルディ川崎で約10年プレーした石塚啓次さん。開幕直後のJリーグを盛り上げ、物怖じしない発言にも注目が集まった。ピッチを去ってから約20年経つ今、石塚さんはスペインでうどん店を経営している。現在の生活、そこに至るまでの軌跡を追った。

Photo : Daisuke Nakashima
石塚啓次(いしづか けいじ)
1974年8月生まれ、京都府出身。元プロサッカー選手。ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)などで活躍。2003年の引退後には、アパレル業代表を務めた。現在はスペイン・バルセロでうどん店「宵宵祇園」を経営。

家族6人スペインへ。「どう食べていくか」模索の日々。

「いらっしゃい」

バルセロナの中心地にあるうどん店「宵宵祇園」。近くには高級衣料品店などが立ち並ぶエリアにその店はある。

うどんはスペイン産の小麦粉を使用した自家製麺。メニューは釜玉うどんに天ぷら、唐揚げやカツカレーも楽しめる。中でもカレーうどんが人気だ。

石塚さんは8年前に店を開いた。朝8時、食材の買い出しや仕込みから1日がスタートし、23時ごろまで店の片付けをして1日が終わる。定休日の日曜日を除き、毎日厨房に立ち続けている。

「うどんや、とんかつの仕込みだの、買い出しだの、野菜切ったり。俺しかいないから全部やってる」

現在約50席の店内はお客さんで賑わっているが、コロナが今以上に猛威を振るっていた数ヶ月間は休業を余儀なくされた。それから1ヶ月半後、デリバリーのみの営業が許可されたが、休業以来初めての注文が入った際はなぜか体がうまく動かない。まるで10年前、初めて注文を受けたときのように。

それでも、石塚さんは1人、地道にうどんを作り続け、お客さんが戻るのを待った。だからこそ、街に人が戻り始め、久しぶりに見慣れた顔が来店した時は、格別の喜びだったという。

「こんな店でも常連いるからな。コロナで外出禁止でお客さん来れへん、店も開けられへんかったのが3ヶ月ぐらいあったから。その後に常連が戻って来てくれたのが嬉しいね」

そんな石塚さんがスペインへ渡ってきたのは、サッカー選手を引退し、アパレル会社を去ったあと。当時から兄が暮らしていた上、知り合いに相談したところ就労ビザが降りたため、妻と子ども4人と共に日本を離れた。

「別に選んできた訳じゃない。日本にいた時から外国行きたいな、海外を見てみたいなというのはあったよ。でも誰が子ども4人抱えてスペインに行くねん。よう言うのは、俺が東京からスペイン来たのは移住っていうより移民って表現の方があってるかな」

仕事のあてはなかったが、サッカー選手時代などに蓄えた資金を元手に、渡航から1年間、どうやって食べていくか模索し続けた。そしてたどり着いたのが「うどん」だった。理由は、シンプル。誰もやっていなかったから。

当時、子どもたちはまだ2歳から小学校6年生。渡航に不安はなかったのだろうか?

「行くしか選択肢なかったから進むしかなかったよ。一休さんが『進めばわかるさ』という通りや」

突き進まないと何も始まらない。自分を鼓舞し、うどん道を邁進した。

どの仕事をやるにも、賭け。それならやりたいことをやる。

独自のスタイルを貫いてきたのは、現役時代から変わらない。

1993年、スター選手が顔を並べる川崎ヴェルディと契約。高校卒業後、ユニフォームに腕を通した。J1リーグでの通算成績は106試合に出場し15ゴール。その中で最も印象に残っていることを尋ねた。

「なんやろうね。一番良かったのなんやろう、プロ初ゴールとか一番印象残ってんちゃう?でも毎日が楽しかったよ、なんやかんや。サッカーが好きだから。いいチームにいたから練習もうまいやつらとできたからすごく面白かったよ」

充実した毎日だったが、ジレンマを抱える。そしてそれが、引退を考えるきっかけの1つになった。

「いつ引退考えたかな。わからん。まあでもサッカー自体は好きだけどプロサッカー選手は好きを仕事にするのが難しかった、俺にとってはね。元々サッカーは好きやねん。けど仕事になると、イヤな事もしなきゃいけないし、しょうもない監督にこびを売らなあかんし、こんなことしなあかんの?と絶望だった。面白くないことも多いし、ゆううつだったね。サッカーしたいだけなのに。まあ金もらっているから仕方ないけど、そういうのが嫌になってきて辞めた」

そして引退の日を迎えた。

「そんなたいそうには考えへんかったわ。次のことの方で頭いっぱいだった」

サッカー選手は引退後、サッカーの解説者、指導者だけでなく、新しいビジネスに挑戦する人や、全く新しい業界の企業に就職する人もいる。石塚さんも引退前から少しずつ考え始めると、現役時代からファッション関係の人と食事に行くことも多かったため自然とアパレル業界に目が向いた。そしてブランドを立ち上げ、代表を7年ほど務めた。

「自分で会社を起こすことにしたのも、誰かのところで働きたくないというのがあったんちゃう?どの会社に就職するのも、サッカー選手になるのも賭け。プロサッカー選手も何年もできないのにそこでやった時点で賭け」

どの道に進んでも賭け。ならば、好きなことを、心ゆくまま出来る仕事を選んだ。

誰も未来なんてわからない。だから自分で歩いて、確かめる

石塚さんはサッカー選手引退の時も、スペインに来る時も、次の仕事を決めていない。子育てをしながらだと、なおさら躊躇しそうだが、決断できたのはなぜなのだろうか。

「あほやから出来ることやねん。歩かな分からない。誰が未来わかんねん。おれ予想して話すの大っ嫌い。『こう行ったらこうなるで』というのは嘘だから。経験もしてないのに言うのは信用できないから」

昨今、インターネットやSNSのおかげで、海外の情報収集が容易になった。ただ、ネットで得た建物の写真が、実際に見ると、より大きく見えたり、小さく見えたり。また、ネット情報の通りに物事が進むとは限らない場合もある。

「自分で歩く」。石塚さんは取材の中で繰り返しこの言葉を放った。

進んだ道で良かったのだろうか。人々は道中、自問自答する。ただ答えは誰にも分からない。

「スペイン来たのは正解?不正解?わからんよ。神様に聞いてくれ。全然、失敗したと思っている時もあるし。でも『良かった』と言うしかないよね、今スペインにいるからね。家族も連れてきているから良かったですというしかない。うん、まあ、まあ、良かったんちゃうかな」

 Photo : Daisuke Nakashima

歩く道を決めるのは、自分。だから、明日うどん店を閉めて、アメリカに行ってもいいし、パリに行ってもいい。「いい場所で幸せに暮らせたらそれが良い」と、石塚さんは微笑む。

「頭で考えたらできないこともいっぱいあるから。誰が未来を予想しているの?ということよ」

石塚さんはそう言って、水割りグラスに焼酎を注ぎ、仕事で疲れた体を冷やした。時計は午前1時を過ぎていた。石塚さんの夜はもう少し続きそうだ。

取材・文:星谷なな
編集:岡徳之(Livit