「コロナはもう終わり」なオランダ

世界がパンデミック一色に包まれてから2年以上が経ったが、みなさんはこの2年をいかがお過ごしだっただろうか。もうコロナには疲れたという方、なんかもう慣れちゃったという方、いろいろだろう。

私が暮らしているオランダは、基本的に「集団免疫の獲得」を目指しつつ、時折ゆるい規制を短期間で導入したりしながらパンデミックを乗り切ってきた。そして今年の2月25日をもってほぼ全てのコロナ関連の規制が撤廃。

今年3月1日、オランダ南部のスーパーでフロアの「距離を取りましょう」という表示をはがす店員(筆者撮影)

政府から推奨されていた他の人との1.5mの距離も、店の営業時間や大規模イベントの制約も、国外から入国した人の隔離期間も、全てなくなった。ニュースでコロナの話題もここしばらく見ていない。規制撤廃とほぼ同時に起きたロシアのウクライナ侵攻にそのまま時間枠を持って行かれた感じだ。

国民の雰囲気はもう完全に「コロナは終わり」。去年まで2年間見送られてきた例年行事はどれもギュウギュウの人だかり、職場は夏のバカンスの話題で持ちきり。そしてここが今日お話ししたいところなのだが、どんなに3密になる屋内イベントだろうが「だれもマスクをしていない」。そもそもマスク着用義務があった時期も、対象となるのは一部の3密な場所限定だったから、日本の友人に「日本ではまだ屋外でもみんなマスクしているよ」などと聞くと、にわかには信じがたい。

今年4月のビジネスイベント。マスクは一枚も見なかった(筆者撮影)

オランダは日本と真逆で、「おそらくこのパンデミック中、世界で最もマスクをしなかった国(少なくとも先進国中で)」と言われてきた。結局、オフィスや教室でのマスク着用が義務になったことは一度もなかった。

近所のポテト屋の店主など、国民が買い物時には店内でマスクをしないといけなかった時でさえ、「俺にとってはここは店じゃなくて職場だ」とマスクをせずに店に立ち、注文すれば大声で世間話をしながら素手でポテトを掴んで袋に入れてくれていた。

お隣の国ドイツでは、ほぼパンデミック当初から今年の3月まで学校やオフィスを含む公共の場ではマスク着用が義務だったし、同じくお隣のベルギーから取引先の人が来ると「あれ?マスクしなくていいの?」と戸惑っていた。やはりオランダは同じヨーロッパの周辺諸国からも相当「マスクしない国」という印象を持たれていたのだ。

いったいこれは、なぜだろう?

オランダ人がマスクをしない理由その1:個人主義で公衆衛生よりも個人の快適さを優先するから(同調圧力の不在)

今回この原稿を書くにあたり、筆者もよく出入りするオランダの「ごく普通のオフィス」で、あらためてなぜマスクをしないのか訊き回ってみた。一斉に「だってワクチン打ったからもうマスクは必要ないでしょ」と答える社員たち。

「ワクチン打つ前もしてなかったよね?」と突っ込むと、バラバラと「息苦しいし耳が痛くなる」「マスクもタダじゃない」「表情や発話が見えづらくなる」「そこまで効果があるのか疑問」「酸欠で頭が痛くなる」と個人的な意見を聞かせてくれた。

どの言い分を見ても、彼らがマスクをしない、もしくはできないこの国独自の特別な理由があるわけではない。誰もが同じようなデメリットは感じつつも、日本人はマスクをしていて、彼らはしなかったのだ。

この背景には、まず大きく国民性の違いがある。

公共心が高くマナーを大切にし、自分よりも社会の利益を優先するための「ガマン」を鍛えられて育つ私たち日本人と違って、オランダ人は徹底した個人主義で合理主義。幼いころから徹底して自分の快適さを大切にし、自由と独立を尊重し、自分の頭で考え、自分は自分、人は人という教育を受けて育つ。

その結果、一人ひとりが幸福で快適で、伸び伸びと持てる能力を発揮できる社会を「いい社会」と呼ぶのであって、社会のために個々人がガマンや背伸びを強いられるのは本末転倒。そんな価値観が、公教育の方針にも職場のチームビルディングにも見え隠れする。

マスクに関して言えば「他の人がしているから」という同調圧力も感じないし、公衆衛生のために自分の快適さを犠牲にするという美徳に人気もなかったことは容易に想像がつく。

こう書くと、まるでオランダ人が身勝手で冷たいような印象を与えるかもしれないが、彼らはお気楽でハッピーな国民性の副産物か、世界で最も寄付やボランティアに熱心な国民だ。ただこの個人主義と、マスク着用率との相性がよろしくなかったというだけの話だ。

オランダ人がマスクをしない理由その2:「バイ菌」や「疫病」、さらには「失敗」に寛容

理由は解明されていないが、オランダ人はバイ菌に非常に寛容だ。

スタイリッシュな街並みやどの家も常にモデルルームのように片付いている様子からは想像もつかないが、2019年のとある調査で、オランダは「トイレのあとに手を洗う率ヨーロッパ最下位(50%)」の不名誉もいただいている。

パンデミック初期に政府が「手を洗いましょう」と呼びかけた時も、「ウイルスが手についているかどうかなんて見えないのだから、いつ洗えばいいのか分からない」と結局徹底されなかった(いや『いつ洗えば』じゃなくていつも洗えよと思ったのは私が日本人だからだろう)。

また、彼らは「バイ菌もウイルスも感染することで免疫をつけていく」という信念が強い。子どもにしょっちゅう手を洗わせる私のような母親は「無菌状態で弱い子ども育てている」と白い目で見られる。

職場でも、病気になればまず休み(労働法や労働文化の問題で、病休は有給で、基本的に取得し放題)、気分がよくなれば出勤してきて、感染対策など一切しない。当然そこから感染して職場全員が次々に倒れていくなどということもあるが、彼らにとっては「気を付けたってうつる時はうつる。目に見えないウイルスに怯えて窮屈な思いをするよりも、伝染病などお互いさまと割り切ってみんなで免疫をつけて行ったほうが合理的」なのだ。

元心理士の筆者としては、この寛容さは「失敗」に対する考え方とも関連があるかもしれないと疑っている。職場においても「完全な人間などいないのだから、失敗しないようにと窮屈な思いをするよりもお互い許しあった方が合理的」という風潮が強い。

結果として、ミスをしても涼しい顔をしている人に腹が立つこともあるが、自分がミスをしても「誰にでもあるわよ」と大して気にも留められない文化は、仕事の緊張感を大幅に減らしてくれる。

ちなみに、この国の首相もこのコロナ禍において「ミスを犯した」人の一人だ。2021年の夏にコロナ関連の制約をすべて解除したところ感染率が爆発し、国民に「見積もりを誤りました」と謝罪した。

謝罪するルッテ首相(Image: NOS

オランダ人がマスクをしない理由その3:政府の方針

またオランダ人が「マスクって、そんなに必要じゃない」という印象を持ったきっかけの一つに、政府の初動の影響がある。

この国ではもともとマスクをする習慣がなかったため、オランダ政府はパンデミック初期に国民が日常的に利用できるほどのマスクの在庫を用意できなかった。

そこで手に入る在庫は医療従事者に回し、一般市民には他の人と1,5mの距離を取ること、換気をよくすることなど、「これらの注意事項を守ってさえいれば、マスクをしなくてもほぼ大丈夫」という飛沫対策を啓蒙した。だが、人間の脳は都合のいいことだけ覚えているもので、多くの人にとって「マスクをしなくてもほぼ大丈夫」の部分がより強く記憶に残った。

また、先述の理由でとにかく「右向け右」ができない国民なので、政府はまず、マスクの有効性に関して専門機関による科学的な根拠を示す必要があった。

パンデミックが始まって以来、世界のさまざまな機関がコロナウイルスに対するマスクの有効性の検証を行ってきたが、その結果は出るまでに時間がかかり、結論もケースバイケースだった。

そうこうしている間に国民の多数派を占める「マスクしたくない派」の人たちは、マスクの有効性を否定する結果ばかりが印象に残り、「ほらやっぱりね」という自分なりの確証を得てしまったのだ。

しかしこれに政府が落胆しているかといえばそうでもない。政府自身マスクの効果をクリティカルに検討し、専門家によるさまざまなデータや意見を取り入れつつつ、「一定の効果はあるようだ」という程度のコンセンサスを得るのにやたらと時間がかかった。

そういえば同首相は、パンデミック初期に国民に向けて「握手をしないようにしましょう」という内容のシリアスなスピーチをした直後に同伴していた免疫学者といつもの癖で固い握手を交わしたことも(画像: euronews)

諮問機関であるRIVM(公衆衛生環境研究所)のボードメンバーであるBas van den Putte氏など、「まあ、結論が出るのに少しだけ余計に時間はかかったけど、オランダのやり方のいいところは『みんながやってるから私たちも』とせずに、最新の科学的根拠に基づいて判断することだよね」とコメントしている。それだけ盲目的に何かに追従せず、専門家由来の科学的根拠に基づいて判断をすることへの信頼が強いのだ。

それからこれは些末だが、法的な問題もあった。アムステルダムなど、自治体レベルでマスク着用の義務化を検討した市もあったが、オランダは日本と同じく国の憲法で身体的な自由を含む基本的人権が保障されているため実現できなかったのだ(マスク一枚で基本的人権ってあんたら…と思うのは、私が日本人だからであろう)。

オランダ人がマスクをしない理由その4:国民の「支配アレルギー」と反骨精神

さて、こんなオランダ政府も、さすがに一度だけ強い姿勢に出たことがあった。いつまでも下がらない感染率に業を煮やして、2021年1月に夜間外出禁止令を出したのだ。

「21:00~4:30までの間に不要に外にいた人は95ユーロの罰金」という内容だったが、それに対して各地で抗議活動が盛り上がり、いくつかの都市では1980年以来最悪と言われる暴動に発展した。

1980年以来最悪といわれた暴動(Wikipediaより)

この背景にはオランダ人の「支配アレルギー」がある。先述のように、オランダ政府が強い制約を国民に課すことに慎重な大きな理由の一つに、「国民に第二次世界大戦時を想起させるから」というものがある。

現に夜間外出禁止令は2020年9月にも内閣で検討されたが、これが理由で却下されているし、結局決行された際には「戦時中に逆行」というフレーズがメディアにあふれ、この決定を、大戦後どんな時も徹底されてきた民主主義の揺るぎと捉えた一部の国民は怒りを爆発させた。

個人的には先の大戦のせいばかりではなく、オランダが歴史的にスペインだ、フランスだ、ドイツだと様々な国に侵略・支配されてきた経緯から、いわば「国民的支配トラウマ」でもあるのではと疑っているが、とにかくこの国の人々は上から支配や統制をしてくる力にとても敏感に反応する。政治家は国民の幸福な生活を維持するのが仕事であって、自分たちが指図される筋合いはないという信念があるのだ。

当然マスクに関しても、政府が強く呼びかけるほどに国民の心に複雑な感情を起こした。

ちなみに結局夜間外出禁止令は同年4月に解除となり、その後一度も検討されていない。

では、私たち日本人はなぜマスクをするのか?

職場でのマスク着用とは関係ない話もしてしまったが、では逆に私たち日本人がなぜまだ職場でマスクをしているのか?と考える際に、彼らとの違いを考えるとつじつまが合う部分が大きいのではないだろうか。

私たちは公共心に溢れていて、少々の不便は我慢してでも他人に迷惑をかけないようにしたい。大事な職場の人ならなおさらだ。「みんなしているから」という同調圧力もそれなりに感じる。

マスクはパンデミック以前から自分を守るためだけではなく、人にうつさないためにもよく利用していたため馴染みがあり、有効性に関しては一定の信頼がある。潔癖できれい好きな国民であり、バイ菌をもらうのもうつすのも好きではないし、間違いはおかさないように細心の注意を払う。反骨心よりも調和が大事だ。

どちらがいいという話ではないし、祖国の日本も現在お世話になっているオランダも、とにかくそれぞれの国に合った最善策でパンデミックの完全な収束を一日も早く迎えてほしいと切に思う。

ただ、日本も夏の本格的な暑さを前に、マスク着用のフレキシビリティを検討する声も挙がっていると聞く。もしも、「マスクを外す必要があるがどうにも抵抗がある」という時が来たら、「オランダ人はもうマスクの存在を忘れかけている」という事実を思い出してほしい。

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit