世界的な物価高が止まらない。日本ではガソリンに続き、食材や日用品などが次々に値上げされて家計を圧迫している。米国でも消費者物価指数は上昇し続けており、2022年5月のインフレ率は前年同月比で8.6%と、40年ぶりの最高水準を記録した。

急激なインフレに伴って、米国のテック大手各社は人件費増額を決定。アップルは2月の昇給からわずか3カ月後の5月、さらなる給与額増を発表した。

アップル、マイクロソフトが給与増額を発表

アップルは2022年5月25日、コーポレート部門とリテール部門の給与を増額することを発表。リテール部門では時給が20ドルから22ドルに引き上げられ、一部店舗ではそれ以上になることも示唆した。

同社の担当者は、「チームメンバーへのサポートが、革新的なサービス提供につながる」とし、「今年度は人件費予算の拡大を予定している」と声明を述べた。

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リテール部門の時給は、2018年と比較すると45%上昇しており、過去最高額となる。また、例年なら昇給のタイミングは10月であるが、3カ月早い7月に実施することを約束した。同社は全米に270店舗ある小売店スタッフ(パートタイム含む)に対して、有給休暇や育児手当など福利厚生の拡充も行なっている。

一方、マイクロソフトは5月16日、サティア・ナデラCEOが「労働市場の逼迫やインフレの上昇により、報酬を引き上げる」と社員に向けて語った。また同社は「世界中の優秀な人材への人件費を倍増」させており、特に初期〜中期キャリアのスタッフを対象に多くの予算を割り当てているという。

マイクロソフトは人件費を含む研究開発費を第1四半期に21%増額し、クラウドコンピューティングの競合・アマゾンウェブサービスと歩調を合わせた。ちなみに、アマゾンは従業員の基本給を最大2倍に引き上げている。

インフレ率8.6%、止まらない物価高

世界中で加速するインフレだが、米国の上昇率には目を見張るものがある。

先にも述べたように、2022年5月にはインフレ率が8.6%と最高水準をマーク。米国労働統計局によると、同年3月(8.5%)時点において、1981年以来最大の12カ月連続上昇となった。米国の長期平均インフレ率は3.2%であるが、2010年から2019年にかけては平均1.75%と、比較的緩やかなものであった。

Bankrate.comのチーフファイナンシャルアナリストGreg McBridは、「3月はガソリン価格が18.3%上昇し、過去1年間で48%も上昇した」と語っている。さらに「食品と光熱費以外も1年で6.5%値上がっている。これは82年8月以来最速だ」とツイートしている。

米国人材マネジメント協会によると、米国の多くの企業で4〜5%の給与予算の増額を計画しているという。また、大手会計事務所のGrant Thornton LLPが5,000人の労働者を対象にした調査によると、40%が6%以上の昇給を見込んでおり、31%が8%以上、そして21%は10%以上の増額を予測しているという。

背景には「大退職時代」「テック株の下落」

多くの企業が従業員の昇給に踏み切る理由は、急激なインフレのほかに、コロナ禍で“ブーム”となった大規模な自主退職(The Great Resignation)も影響している。

コロナ禍の厳しいロックダウン下では、多くの従業員がリモートワークを余儀なくされた。仕事時間とプライベート時間が曖昧になることから「燃え尽き症候群」が多発し、同時に、働き方や時間の使い方に対する価値観のシフトも起こった。

ここに急激なインフレも相まって、月間平均400万人が離職するという、かつてない「大退職」という事態が発生。人材の流出防止は各社の喫緊の課題となった。

今年3月、ピューリサーチセンターが2021年に離職した米国人6,672人に行った調査では、「低賃金」「昇進機会の欠如」が離職理由のトップ(63%)であり、次いで「職場での蔑視」「育児のため」が続いた。同センターの社会動向調査ディレクターKim Parkerは「多くの場合、新しい職場では以前の職場と比べて状況が改善している」と述べている。彼らの少なくとも半数はより多くの賃金をもらい、昇進の機会を得て、仕事とプライベートのバランスが取りやすくなったと回答しているという。

大手テック企業の昇給については、テック株の値下がりも影響している。テック各社はそれぞれ独自の「報酬パッケージ」を用意しているが、給与とボーナスに加え、一定数の自社株を与えるストックオプションを含んでいるものも多い。アップルもその一社だが、今年に入り株価は約20%下落。回復の兆しはまだ見えず、スタッフの不安も広がっている。

人材の引き抜きが日常的なテック業界において、少しでも良い条件で自社につなぎとめておくことは、命綱とも言える。

アマゾン、スターバックスなど大手企業で労働組合結成の動き

テック大手で労働組合の結成が相次いでいることの影響も大きい。これまで労働組合を持たなかったアマゾンやスターバックスなどグローバル大手では、今年に入り労働組合の結成が次々と報告されている。

CNBCによると、アップルにも同様の動きが見られる。2022年4月18日、ニューヨークのグランドセントラルにあるアップルストアの従業員たちが、労働組合結成のための署名活動を開始。時給を少なくとも30ドルに上げることを要求しているという。ブルームバーグは、アップルによる今回の昇給は組合を意識したものであると説明している。

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また、アフターコロナの勤務形態についても各所で軋轢が生じている。アップルはコーポレートスタッフに対して週3日のオフィス勤務を通達したが、一部の社員はこれに反発。同社はこれを見送る事態となった。給与に加えて働き方の柔軟性も問われる中、各社は生産性の向上と人材確保という難しい対応に迫られている。

一方で雇用抑制や大規模なレイオフも

かつてない売り手市場と言われる米国の人材市場だが、一方で大手企業の雇用抑制やレイオフ(解雇)も散見する。

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景気先行きの悲観から株安が続くテック大手だが、賃金引き上げの一方で、メタ、ツイッター、スナップなどは新規雇用の抑制や停止を発表。業績が大きく傾いたネットフリックスは従業員150名を解雇した。オンライン中古車プラットフォームのCarvanaやトレーディングアプリのRobinhoodなどでも大規模な解雇が行われ、コロナで急成長した中堅テック企業でのレイオフが相次いでいる。

テック大手の動向は世界情勢すら左右する。インフレの高止まりが懸念される中、各社の対応を今後も注視していきたい。

文:矢羽野晶子
編集:岡徳之(Livit

大退職時代
月間の退職者数が過去最高を更新し続ける大規模な退職トレンドのこと。米国で2021年4月頃に始まったとされ、同月の退職者数は400万人と過去最高を記録、求人数も930万件と過去最多を記録している。ワクチン接種の増加や景況感の改善によって、転職活動が活発化したことがその背景にある。