ナジブ・ブケレ大統領(当時39歳)が昨年6月、ビットコインを法定通貨にすると大々的に宣言し、世界を驚かせた中米のエルサルバドル。9月7日にこれを実行に移してから半年以上過ぎたが、街中では政府が狙ったほど、ビットコインの利用は浸透していないようだ。

ビットコインを法定通貨にしたことで一躍注目の的となった中米エルサルバドル(出典:shutterstock)

大統領は「エルサルバドルは未来に向けた国のデザインを始めようとしている」との壮大なメッセージを発したが、足元はトラブル続き。デジタルウォレットの不具合に懲りた一部の市民は現金取引に戻ってしまったし、ビットコイン価格の昨年11月以降の急落で、企業による利用状況も鈍い。

政府の思惑とは裏腹に、経済団体幹部は「人々は不信感や反感を募らせている」と指摘しており、これまで半年の運用状況に関する国内外の評価はかなり厳しい。

財政赤字がもはや危険水域にあるとされるエルサルバドルにとっては、国際通貨基金(IMF)が「金融安定化を図る上での多大なリスク」などを理由に、ビットコインを法定通貨から外すよう求めていることも痛手だ。13億ドルの融資を取り付けるためのIMFとの交渉が、これで暗礁に乗り上げた。

ブロックチェーンビジネスのスタートアップの流入や話題性によるインバウンドの増加といったプラスの面も実際にはあるが、システムの不備や法定通貨であることのリスクに注目が集まってしまった印象だ。

ビットコインが法定通貨となった2021年9月7日の首都サンサルバドル。ビットコイン導入と現政権の独裁にノーを叫ぶ数千人規模の抗議デモも起きた(出典:shutterstock)

ただ、ブケレ大統領は「ビットコイン立国」の実現に向けた強気の姿勢を崩していない。

大統領が焦点を当てているのは市中でのビットコイン取引の普及というより、国家レベルでの投資や戦略的プロジェクト。国の財産を使ったギャンブルと言われようが、政府資金でビットコインの購入を続けていることを自らのツイッターアカウントでたびたび報告しているし、昨年11月のイベントでは、戦略都市「ビットコイン・シティー」の建設計画とビットコイン債の発行計画を発表。またもや世界的に賛否両論を巻き起こした。

その後のビットコインの下落もあって、こうした計画には遅れも出ているが、この先、果たして思惑通りに実現するのか。また、約7割が銀行口座を持たないと言われるエルサルバドルの社会がビットコインの導入によってどう変わるのか。同国の経済・社会は良くも悪くも「実験場」として、注目を集めている。

ナジブ・ブケレ大統領。2019年に弱冠37歳で大統領に就任した(出典:Twitter公式アカウント

企業の86%が「ビットコインでの取引実績ゼロ」

エルサルバドル社会では当初、ビットコインを法定通貨とすることに歓迎と批判が混在していたが、実際に9月に導入されると、専用取引アプリ「チボ(Chivo)ウォレット」へのユーザー登録数が急拡大した。普及を目指す政府の「30ドル分のビットコイン還元」キャンペーンが効を奏したもよう。

利用状況の全体像はつかみにくいものの、少なくとも1月時点で、登録ユーザー数が約400万人に達したとのデータが公表されている。この数字は総人口の6割強。利用資格は18歳以上であり、スマートフォンを持たない層が一定数いることを考慮すれば、ほぼ全員に近い数字と言える。

ちなみに、「チボ」とは、スペイン語で「ヤギ」。スラングでは「クール(かっこいい)」の意味だ。

ところが、「チボ」とビットコインATMは、狙った“クール”を演出できず、出足から技術的につまずく。取引時のエラーでカネが消えた、口座残高の数字が違う、個人情報を盗まれたといった不具合やトラブルが続出し、利便性の向上に期待していた一部の人達をがっかりさせてしまった。政府のサポートセンターも思うように機能せず、落胆して離れていったユーザーは少なくない。

エルサルバドルがビットコインを法定通貨とした狙いの一つは、海外在住者が支払っている年間約4億ドルの送金手数料を節約し、その分、国内へのさらなる資金の流入を促すというものだったが、ブルームバーグが伝えた中央銀行の情報では、デジタルウォレットを利用した送金の割合は2%未満。システムへの不信感に加え、システム外での両替手数料やネットワーク手数料の負担で、実際には高くつくとの疑念がその背景にあるという。

サンサルバドル大聖堂と都市パノラマ(出典:shutterstock)

一方で企業は、ビットコイン価格の乱高下や、本来のブロックチェーンの持ち味とは異なる中央集権型システムの不透明性などを理由に、二の足を踏んでいるもようだ。

法定通貨である以上、企業や店舗はビットコイン払いへの対応を義務付けられるが、これがどの程度進んでいるかもよく分からない。3月にエルサルバドル商工会議所が行った調査では、対象企業の86%が、「ビットコインを使った取引をしたことがない」と答えた。ビットコインが売り上げに貢献したと答えた経営者はわずか3.6%にとどまっている。

GDPの24%が海外からの仕送り、「手数料4億ドル節約」が狙い

エルサルバドルはメキシコの南にあるグアテマラ、ホンジュラスと国境を接し、南西側は太平洋に面している中米の小国だ。国土面積は四国よりやや大きい程度。人口は約650万人(2020年)と、中米で最も人口密度が高い。

そもそも、エルサルバドルがビットコインを米ドルと並ぶ法定通貨とした狙いは何か。

ブケレ大統領によれば、米ドルへの依存度を下げ、海外(主に米国)からの送金手数料約4億ドルを節約すること、経済のデジタル化により、全ての人が金融サービスにアクセスできる“金融包摂”を実現すること。ほかに投資の促進、経済成長の加速などだ。うち一つ目の点は、地場産業に乏しい中米の国、エルサルバドルならではの事情を反映している。

IMFによれば、エルサルバドルの1人当たりGDPは世界216カ国中135位と、アジアではインドネシアと近い順位だが、「海外で働く親族からの仕送り」への依存度が非常に高いという特徴がある。世界銀行の資料では、海外からの送金がGDP総額に占める割合は、19年に21%、20年に24%。全世帯の3分の1が親族からの仕送りを受け取っているとのデータもあるという。こうした状況から、送金手数料の節約は市民にとってもわかりやすいメリットだった。

首都サンサルバドルの街中の光景(出典:shutterstock)

ただ、エルサルバドルはもともと、約7割が銀行口座を持たないという現金社会。高齢者を中心にインターネットにアクセスできない人も少なくない。多くの人はビットコインについてまるで知識がなく、世界に先駆けた流通「実験」を行うには、かなりのハンデがあったのだ。

それでも、貧困層を含め、「チボ」のユーザーとなった多くの市民が30ドル分の還元を得て、ビットコインをまずは手にした。これが何らかの希望を秘めている可能性はゼロではないだろう。システムのレベルもこれ以上悪くなることはないはずだし、メリットデメリットを含めた人々の理解も、段階的に進む可能性がある。

天然資源に恵まれず、自然災害リスクに常にさらされ、これといった地場産業が育たず、治安が悪いために投資を呼び込みにくく、結果的に送金頼み。ほかに起爆剤が見当たらないエルサルバドルにとっては、次のステップに向けた攻めの一手とも言えるのだ。

「ビットコイン・シティー」に「火山債」 ビッグプロジェクトはこれから

エルサルバドルには、以前からビットコインのメッカがある。エルゾンテという街にあるサーファーに人気のビーチ、通称「ビットコインビーチ」だ。2019年に匿名の投資家から寄贈されたビットコインを元手に、米国人サーファーと地元住民が手を組み、小さな海岸の町をビットコイン循環型経済に変貌させた。大統領はこのビーチにインスパイアされ、全国規模での応用を決めたとされている。

エルゾンテ「ビットコインビーチ」の通り(出典:shutterstock)

このビーチで、昨年11月に「ビットコインウィーク」が開かれた。世界中からリッチな“ビットコイナー”(ビットコイン信奉者)を集めた派手なイベントだが、この会場に現れたブケレ大統領は、コンチャグア火山のあるラ・ウニオン県南部に、新都市「ビットコイン・シティー」を建設すると宣言し、大歓声を浴びたという。

住宅地や商業地、公共施設、空港などを備え、市長もいる合法的な自治体「シティー」では、火山帯のメリットを活かした地熱発電でマイニングを行う。所得税、キャピタルゲイン税、固定資産税などは非課税にするとの構想だ。

イベントの場ではまた、大統領の招きを受けた暗号通貨企業ブロックストリームの元最高戦略責任者、サムソン・モウ氏が、ビットコインを裏付けとする10億ドルのビットコイン債を発行すると発表。うち半分をシティーの建設に、残りをビットコインの購入に当てるとし、これも大きな話題となった。

この計画に関しては懐疑的な見方やハイリスクを指摘する声が目立つが、エルサルバドルを応援するビットコイナーによる投資は、そこそこ期待できるというのが大方の見方だ。最初の起債が成功すれば、「ビットコイン外し」を求めるIMFに頼らない資金調達への道が開く可能性だってないわけではない。

「火山債」と呼ばれるこの債券は年率6.5%の10年債。ジャンク級格付けのエルサルバドル国債の金利を下回るものの、6年目以降は保有ビットコインが値上がりした場合の利益の50%を還元するという追加配当付きであり、かなりのハイリスクハイリターン商品だ。ただ、3月半ばに予定された起債は、ウクライナ情勢やビットコイン相場のボラティリティーを受けて延期の運びとなった。アレハンドロ・ゼラヤ財務相は「9月まで延期する可能性がある」としている。

コンチャグア火山の日の出と海の景色。ビットコインシティーはこの付近に建設され、地熱発電を利用した都市の運営とマイニングを行う(出典:shutterstock)

こうした一連の計画は、今や中米で最も有名な指導者となり、「世界一クールな独裁者」を自称するブケレ大統領が、自身への評価をすべて賭けた一大プロジェクトでもある。同国の経済学者、Rommel Rodríguez氏は、もはや引くに引けない“男の勝負”のようなものだと指摘する。

また、国民にとっても、よくわからないうちに巻き込まれた賭けのようなもの。暗号資産が持つ変革への力を国家規模で証明する最初の国となるのか、それともIMFなどが警戒するリスクが現実のものとなるのか。エルサルバドルの「社会実験」から目が離せない。

文:奥瀬なおみ
編集:岡徳之(Livit