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SDGsや働き方改革、ウェルビーイングの実現に取り組む企業が増える一方で、その活動やパーパスを従業員や外部関係者と共有することは容易ではない。成熟社会を迎える日本では、数値的な成長や事業規模の拡大にとどまらない、非財務指標が企業価値として再構築されていくべきだが、実際にはどのようなコミュニケーションが必要となるのだろうか。
2022年3月25日、日本経済新聞社による「第3回 日経Well-beingシンポジウム」がオンラインにて開催。対談セッション「変わる企業価値と、再構築の方法論」では、株式会社電通Future Creative Center センター長の小布施典孝氏、EYストラテジー・アンド・コンサルティング シニア マネージャーの松尾竜聖氏が、新しい時代に求められる企業価値について語り合った。
本記事ではセッションの内容を通じて、ステークホルダーとの共有という視点から企業のあるべき姿を掘り下げていく。
時代と共に変化した、企業の“成長”に対する価値観
本セッションのテーマである「企業価値」は、改めて見つめ直すと抽象的な概念だ。事業領域や規模はもちろん、パーパスや注力する社会課題、その姿勢は企業ごとに異なり、価値を十把一絡げに捉えることは困難だからだろう。
「Building a better working world(より良い社会の構築を目指して)」をパーパスとして掲げるEY Japanにとって、ウェルビーイングな社会の実現は「親和性が高い取り組み」だと松尾氏はいう。
松尾氏「“モノ”を売る会社ではない私たちにとっては、“ヒト”が全てになるんですね。人間のコンディションや質を高めることそのものが、クライアントへのサービス、世の中へのインパクトをより良くするというマインドがあります。私自身はコンサルティングをメインの活動とするEYストラテジー・アンド・コンサルティングに所属していますが、まずEY全体をウェルビーイングにすることで先行事例をつくり、社会全体をリードしていきたいと考えています」
一方、小布施氏がセンター長を務める電通の「Future Creative Center」は、未来価値の創造に向けてクリエイティビティを発揮することを目指している。広告会社からの脱皮を図る同社では、クリエイティブ部門における“表現”を超えた価値提供を模索しているのだ。
小布施氏「当社もEYさんも、膨大な数のクライアントと仕事をさせていただいている。『どうすれば顧客企業の成長支援を実現できるか』を常に考えているわけです。そうした中、ふと『企業というものは、成長した先に何があるのだろうか』と思うことがあります。例えば、M&Aをしながら従業員を増やし、売上を伸ばしたとしても、やりがいや職場環境、待遇が変わらなければ、それは何の成長なのか? 一社員の視点に立ち返ると、そのように感じるんです」
松尾氏「私も個人的には同じ疑問を感じます。経営戦略は数字で語られることが多いですが、『なぜその数字を達成しなければならないのか』という理由は、なかなか明確に話されることがない。成長したにもかかわらずリストラが発生したり、給与やポストが改善されなかったりするケースも多く、従来型の成長や拡大が、自分たちの幸せに直結しないというイメージは、若い人ほど抱きやすいのではないでしょうか」
小布施氏「日本は成長の時代から成熟の時代にシフトしました。成長の原体験を持たない20〜30代は、『成長=いいこと』という前提自体がないのかもしれません」
松尾氏「価値観の変化を紐解いていくと、その原因はシンプルです。成長の“負”の部分を多く見てきたからでしょう。これを課題として捉え、皆が解決策を模索した結果、新しい価値へのシフトが始まったのだと思います」
価値観の浸透が、新しい経営のキーポイントに
成長から成熟へ。変化する価値観に対し、経営サイドはどのように向き合うべきか。二人は議論を深めていく。
小布施氏「一方、視点を変えて見てみると、ソーシャルグッドやSDGsの盛り上がり、働き方改革の流れを汲んだ人的資本への注目、非財務指標の重視など、新しい経営のキーワードはたくさん生まれおり、実行されている企業も多い。社員としては勉強しないでいると、このうごめきが意識に入ってこないこともありますね」
松尾氏「経営者が抱いている課題意識や会社全体としての取り組みを、従業員や取引先、生活者に対してうまくストーリーとして説明できていないことが一つの原因でしょう。ステークホルダーが多いほど、伝えることが難しくなるといえます。もう一つの原因は、伝えるだけでは届かないということ。従業員でいえば、『自分の会社ではどのようなことに取り組んでいるのか』と、全体像を見てみなければ、当事者意識も芽生えないのではないでしょうか」
小布施氏「経営の素晴らしい概念が、現場に届いておらず、従業員が腑に落ちていないケースは多い。ここが解決できれば、日本全体も変わるのかもしれませんね」
企業価値を可視化するフレームワーク『統合諸表』
では、そもそも企業価値とは何なのだろうか。その概念も見直されるべきだと、小布施氏は考えているようだ。
小布施氏「業績を伸ばすことだけが企業価値とされる時代は終わりつつあります。そこからさまざまなパラダイムシフトが起きていることに、私も含め多くの人は気づいていないのかもしれません」
松尾氏「企業にとってポイントは、“気づく”ための機会や時間を捻出できているか。この点においては、各社の姿勢が大きく現れると思います。従業員一人ひとりが統合的に物事を見て、会社の全体像を把握することを重視する企業は、そこに多くの時間を割いています。浸透こそが重要であることを理解しているわけです」
一人ひとりの課題意識が、企業及び社会全体の価値創造につながっていく。その実践において不可欠になる浸透や共有は、なぜスムーズに進まないのだろうか。
小布施氏「経営層と現場のコミュニケーションを円滑にし、部署間のサイロ化を防ぎ、さまざまなステークホルダーに理念や取り組みを伝えていくためには、“コンセンサスを取るためのツール”が必要です。電通では新しいフレームワーク『統合諸表 ver.1.0』を作成しましたが、今回のテーマである“変わる企業価値と、再構築の方法論”にも、お役立ちできると考えています」
中長期的な発展が企業価値として重視される時代において、企業は「社会を良好にしているか」「地球環境を改善しているか」「従業員を元気にしているか」など、さまざまな視点から評価を得ていくことが求められる。このように「良い会社の定義」が変わる中で、新しい企業価値の設計図を目指して電通が開発したのが「統合諸表 ver.1.0」だ。これまで別々の尺度で計られていた「事業」「環境」「社会」「社員」の4象限での取り組みが、同じフォーマットの中で可視化されるのが特徴となる。
小布施氏「『会社が何のために存在しているのか』『パーパスを起点としてどんな戦略を策定しているのか』『具体的にどんな活動を行い、何をKPIにしているのか』『どのようなガバナンスを構築しているのか』などが、一目でわかるフォーマットになっています。この『統合諸表 ver.1.0』があれば、さまざまな経営アジェンダを一枚で整理し、各象限での取り組みをストーリーとして設計できるので、投資家や取引先、社員、生活者との共有もしやすくなるでしょう。結果として、これまで財務諸表に反映されなかった豊かな未来をつくる取り組みや成果を、企業の価値として可視化できるのです」
課題発見から始まる、企業価値の再構築
財務諸表だけではわからない企業価値を、ステークホルダーと共有する上で役立つ「統合諸表 ver.1.0」。その効力は、自社の価値を再発見する際にも発揮されるようだ。
小布施氏「情報発信という視点で『統合諸表 ver.1.0』を活用すれば、『社会をウェルビーイングにするシンボリックなアクションをしているか』『非財務指標をどれだけ開示できているのか』も把握できます。さらには、『社会を良好にする活動が、社員のロイヤリティにどれほど関係するか』『それが結果として財務指標にどう関連するか』といった関係値まで解き明かせるかもしれません。また、『4つの象限についてどのようにバランスを取るべきか』『どうプライオリティをつけていくか』といった課題発見にも役立つでしょう。このように自社を客観的に見つめ直すことで、企業価値の再構築における道筋を立てられるのだと考えています」
松尾氏「自社のパーパスをどのようにステークホルダーに伝えていくかは、多くの経営者が試行錯誤している課題。『統合諸表 ver.1.0』は、そのコミュニケーションを補完するフレームワークだと思います。同じテーブルにさまざまなレイヤーの人々が集まり、『このようにパーパスにつながっている活動なのか』『実はつながっていないのかも……』と、気づきを得ることもできます。非常に面白い試みですね」
小布施氏「こだわったのはシンプルなフォーマットであることです。そうでなければ伝わらないと考えました。パーパスや経営戦略、事業活動が、自分の家族や知り合いに伝えられて初めて意味を持つものだとすると、自分の会社を語れることこそが、従業員のロイヤリティ向上にもつながるのではないかと思っています」
松尾氏「フレームワーク全般に言えることですが、単純な穴埋めやチェックリストに陥らないことが大切ですね。『統合諸表 ver.1.0』のポイントは、“独自性”をいかに示せるか。記入した各施策について、『実は対応しているだけの施策か』『社会をより良い活動に対して、何かを創造をしている施策か』と強弱をつけるだけでも、それぞれの意義が鮮明になってくるでしょう。そこまで使いこなせれば素晴らしいツールになると思います」
小布施氏「シンボリックアクションのような概念は重要だと考えています。日本企業には『三方よし』の考えが昔から根付いていますが、今後はそうした視点を具体的に示していくことで、長期投資を獲得したり、若手世代の人材を確保したりすることができるのではないでしょうか」
松尾氏「何かを決定する際に、経営陣だけが判断することが現在では主流です。しかし今後は、皆で土台を作り、議論をしていくべき時代。それができれば、次世代のリーダーの視座も高まり、新しい日本を良くできるのだと思います」
『統合諸表 ver.1.0』のような一つの羅針盤があれば、多くの人が進むべき方向を見定めながら、企業や社会をウェルビーイングにしていくことができる。物事を考える上では、誰もが一目で把握できるフォーマットを活用し、意見を交わしていくことこそが、これからの時代は有効なのかもしれない。
取材・文:相澤優太