政府出資・運営のソブリン・ウェルス・ファンドの動きに異変
テクノロジースタートアップの投資動向に関して、よく話題となるのはベンチャーキャピタルの動き。投資に見合う、もしくはそれをはるかに上回るリターンを見据えて投資する彼らがどこに「種を蒔く」のか、これは投資を受けるスタートアップの関係者自身でなくても興味のあるところだろう。
一方で、日本国内では比較的なじみの浅い存在ながらも、世界的な市場に大きな影響力を持つのが「政府系ファンド」ともよばれる「ソブリン・ウェルス・ファンド(以後SWF)」。詳しくは後述するが、運営母体が国であるため資金の規模が大きく、無視できない存在となっている。
そのSWF、テクノロジー分野においては「聖地」シリコンバレーのスタートアップに競って多大な投資を注ぎ込むのが常だったが、2021年はその傾向に大きな変化が見られたという。
ざっくり言うと、投資の「シリコンバレー離れ」が起こり、代わりにヨーロッパのスタートアップへの投資が急増したらしいのだ。
ロンドンのFinancial Times系列でスタートアップに特化しているメディアSiftedは、「SWFはヨーロッパテックに賭ける」というレポートに自社分析をまとめ、その動向を報告している。
同メディアによると、2021年にヨーロッパのテクノロジースタートアップに最も活発な投資をしたSWFの1つが、シンガポールのGIC。同ファンドの2020年の欧州における投資額は15億ドルにとどまったが、2021年には56億ドルと4倍近く増加。アラブ首長国連邦のMubadalaも2020年の10億ドルから2021年には49億ドルと5倍近くに伸びている。
欧州への投資が2021年に最も大きな飛躍を遂げたのはアブダビ投資庁。2020年の2200万ドルから2021年は12億ドルへと、5倍をゆうに超える前年比をたたき出している。
さらに諸外国のSWFだけではなく、シリコンバレーの「お膝元」であるアメリカのTiger Global Management、General Catalystといったベンチャーキャピタルも、ヨーロッパへの投資の増強や欧州支社の設立といった動きを見せている。投資家の「シリコンバレー離れ・ヨーロッパ流入」の流れはグローバルに共通しているという。
そもそもソブリン・ウェルス・ファンドとは?
そもそもソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)とは、「政府系ファンド」ともよばれるように、国の政府が直接運用するファンドのこと。その国の石油や天然ガスによる収入、外貨準備高を原資とすることが多く、世界のSWFの資産総額は2.5兆ドルとも言われている。先述のように、その投資額の規模から世界の市場への影響力が大きい。
有名なものでは、運用資産が6,270億ドルと世界一位のアラブ首長国連邦のアブダビ投資庁(ADIA)、ほかにシンガポールのテマセクやシンガポール政府投資公社(GIC)、マレーシアのカザナ・ナショナル、サウジアラビアのサウジアラビア通貨庁、中国の中国投資有限責任公司(CIC)など。
運用資金の規模で世界2位はノルウェー政府年金基金(GPFG)。こちらはタイトルに「年金」を冠してはいるが、実際には欧米の防衛関係の企業への投資がメインの石油基金。ここ数年の間に「原資が石油なのに投資の方針を『脱炭素』に切り替え」などのニュースで名前を目にしたこともあるのではないだろうか。
日本にSWFはある?
ちなみに先ほども言及したように、わが国で比較的馴染みが薄いのは、単純に日本政府が導入していないから。
実態は石油基金である「ノルウェー政府年金基金」からの連想で、「あれ?日本にも年金基金があるし運用してるよね?」とも一瞬思ったが、日本の年金積立金の運用は民間組織に任されており、日本版SWFは現時点で存在していない。
130兆円に上る年金積立金の一部をSWFとして運用すべきという声は常にあるものの、「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は人件費削減対象であり、高給のファンドマネージャーの採用は困難」という理由により実現には至っていない。
また、石油基金とは違い、原資がいわば国民からの借金なので、リスクを国民が追うという構図から日本の財務省が消極的であるともいう。
資源を持たない国のSWFの原資は年金の他に外貨準備といったケースもあり、現在日本が保有する100兆円の外貨準備の運用も検討されてはいる。が、その大半が米国債であることから、SWFに切り替えた場合の債券市場に与える影響の大きさを考慮すると現実的ではないといった事情も。
こういった諸々の理由から、SWFは日本のみならず資源国でない先進国では少数派なようだ。
流れの異変の背景は「欧州テック市場の成熟」「分散」「ネットワーキング」
話を元に戻して、世界のSWFはなぜシリコンバレーを離れ、ヨーロッパへの投資を倍増・倍倍増させているのだろうか。
先述のSiftedは、その背景にあるのは「欧州テクノロジー市場の成熟」「投資先の分散」「ネットワーキング」といった要因であると見ている。
まず、欧州テクノロジー市場の成熟に関して、SWF国際会議のVictoria Barbaryは、「世界のSWFは、ソフトウェアとサービス領域で特にこの5年成長著しい欧州への投資を強化している」「特にパンデミック下において、欧州市場はその有能な人材と優れた開発環境で投資家にとっての魅力を増している」とコメント。
投資先の分散に関しては、投資動向をトラッキングするデータベース「Global SWF」CEOのDiego Lopezの、「VCもSWFもシリコンバレーから徐々に撤退して欧州への投資を増やしているが、これは投資先の分散(多様化)という意味合いとともに、アメリカ企業への投資のインフレの結果でもある」という分析を引用している。
また先述のBarbary氏による、「SWFの中には戦略的に、国内で発展させたい特定の領域のビジネスへの一定の投資をノルマとして設定するものもある。そういった場合、近年経済全体の触媒となり、発展を促進する役割を果たしているテクノロジー領域への投資を強化しようという意図があるのかもしれない」という補足も。
最後に視点を移して、投資を受けるテクノロジースタートアップ企業にとってのSWFの意義は、「付き合いの長い、忍耐強い資本」であるのみでなく、「投資会社を介さずに直接国とのつながりができることで、領域的・地理的な専門知見や広いネットワークが得られること」だと指摘している。
ヨーロッパの多くのテック系スタートアップが軌道に乗り、利益を投資元に還元するステージに入っている現代、投資先のダイバーシティのために、今年以降も続くと見られているSWFの欧州流入。テクノロジー系への投資はシリコンバレーではなくヨーロッパ、が主流になる時代もあり得るのかもしれない。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)