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警察や救急にすぐにつながる緊急電話は、もしもの時の心強い味方だ。米国では911にコールすると「警察ですか?救急ですか?」と質問され、状況を聞いたうえで「警察」か「医療」のうち、オペレーターがよりふさわしいと判断したほうが派遣される。
しかし、精神疾患によりパニック状態になった人、自殺企図のある人への対応といった、「警察」か「医療」のどちらとも言えない通報も存在する。
日本と同じく米国でも、これまでそうした通報には、主に警察が対応してきたが、このところ「第三の選択肢」として、精神医療・福祉の専門家によるチームを、警察の代わりに現場に派遣する取り組みが始まっている。
犯罪上、医療上の緊急事態ではない精神医療に関連した通報に、「警察ではなく精神医療・福祉の専門家」によるサポートをーー。米国のみならず他国にも広がりを見せているこの取り組みが目指すものとは。
精神疾患患者への警察官の過剰対応が問題に
米国では精神疾患に関連した通報のうち、警察を介さずに医療従事者が対応するのは5%以下とごく一部だ。
こうした状況を変えようと、今回ご紹介する取り組みが始まったのは近年、事件性、暴力性のない精神疾患関連の通報に対し、武装した警察官が対応したことで、患者に不必要な刺激を与え、悲惨な結果を招いていることが一因となっている。
例えば、ソルトレイクシティで昨年、アスペルガー症候群の少年が自宅でパニック状態となったケースがある。
母親が911に助けを求めたところ警官が派遣されたのだが、母親が少年は非武装で、単に精神的なコントロールを失っていることを説明したにもかかわらず、少年は発砲をうけ重傷を負った。
ニューヨークでも、精神疾患のある男性が裸で外に出たところ、通報を受けた警官に押さえつけられて窒息死したケースが報告されている。
米デンバー、医療・福祉の専門家からなる通報対応チーム「STAR」
こうした悲惨な事件が報道される中で、事件性の低い通報に「武装した警察ではなく医療・福祉の専門家の派遣を」という声が上がった。
その世論の高まりを受けて誕生したのが、米コロラド州デンバーの「Support Team Assisted Response Program (STAR)」という医療スタッフ、ソーシャルワーカーのチームが乗ったワゴン車だ。
STARは最初の6カ月間で、市民やホームレスシェルター、病院などからの通報を受け、統合失調感情障害や自閉症など748件のケースに対応した。
中には不法侵入などの要件にあてはまるケースもあったが、そのいずれも警察との連携のうえ、逮捕ではなく、シェルターや食事援助、カウンセリング、医療機関の受診といったサービスに直接つなぐことができたという。
チームは地元警察とも良好な協力関係を築いており、警官から要請を受けて対応に向かうこともある。
例えば、コンビニで精神疾患が疑われるホームレスの女性が店員とトラブルを起こして警察が呼ばれたケースでは、現場の警察からの要請を受け、STARが出動し、福祉・医療へと円滑につないだ。
アメリカ全土に拡大する医療・福祉の専門家の緊急出動
STARのような取り組みは、社会資源の有効活用という観点からみてもメリットが多い。武器使用の犯罪といった警察の能力がより発揮できるケースに、警察のリソースを集中させることもできる。
今では、数百にのぼる米国の都市が導入に関心を寄せており、情報収集を開始している。実際にプロジェクトを開始しているのも、デンバーだけではない。
オレゴン州ユージーン市では、911オペレーターの判断により、医療従事者とメンタルヘルスサポートの経験者で構成されるチーム「CAHOOTS」の派遣が行われている。
ワシントン州オリンピア市でも、専門家が警察無線をリアルタイムでチェックすることで、必要に応じて現場の警官と協力し、医療・福祉の専門家を現場に派遣している。
有色人種への警察の暴力の社会問題化も拡大の背景に
アメリカで急速にこのような取り組みが広がる背景には、有色人種に対する警官の過剰な暴力の行使が問題視されていることもある。
有色人種のコミュニティでは警察への不信感が根強く、武装した制服警官と警察車両が姿を見せること自体が恐怖感や緊張感を高め、本来は暴力的でない状況を、武器使用が必要な状況にまで悪化させる可能性が指摘されていた。
STARのような取り組みは、制服を着た警官と一般市民との関わりを可能な範囲で減らすことで、コミュニティに不必要な緊張感を生じさせないことも目指している。
カナダ・オンタリオ州も同様のプロジェクトに投資
通報対応の一部を、医療・福祉の専門家にシフトするプロジェクトの実施は米国だけにとどまらない。
カナダのオンタリオ州政府は、警察官が対応している年間何万件もの精神医療に関連した通報のうち、事件性のないものを警察から医療と福祉の専門家へとシフトするため、STARのような専門家チームと車両を用意するとを決定した。
650万カナダドル以上の資金が専門家チームの準備に充てられ、チームを支援するための「セーフベッドプログラム」にも500万カナダドルが投じられる。
このプログラムは、チームが対応した精神疾患を抱える人びとに、24時間365日、地域密着型の短期滞在サービスを提供するものだ。
オンタリオ州の州都トロントも独自の取り組み
州政府だけでなく、各自治体も個別のプロジェクトに取り組んでいる。
オンタリオ州トロントでは、非暴力的で緊急性のない精神疾患に関連した通報に対して、興奮を鎮める「デエスカレーション」と呼ばれるアプローチの訓練を受けた専門家が対応するプロジェクトが始まった。
トロント警察は年間約3万件のメンタルヘルス関連の通報に対応しているが、この取り組みを通じて、メンタルヘルスの専門家が非暴力的なサポートを中心とした対応を行うこと、また、警察が暴力犯罪により集中できるようになることが期待されている。
世界に広がる警察の業務再分配を求める声
この流れは、「警察の業務の一部を再分配することを求める世界的な声を受けたもの」と、一連のプロジェクトをトロント市が表明しているように、今後も世界的に広がっていくものと思われる。
資金の確保や対応するケースの明確化、人材の育成、明確なガイドラインの作成、法律関連の整備など、多くのステップを乗り越え、パイロットプロジェクトに着手する都市も増えている。
日本でも、自殺企図者への対応や認知症患者の私有地への立ち入りといった事件性の低い通報に対し、警察官ではなく、医療や福祉の専門家が直接支援に入ることのメリットが、今後議論されていくかもしれない。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)