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イノベーションや刺激的な議論は、会議室ではなく、社内でのちょっとした雑談や非公式な交流の中で自然発生的に生じる。そんな「ひらめきにつながる幸運な偶然のできごと」は「セレンディピティ」と呼ばれている。
これまでセレンディピティを生み出すために、テック業界を中心にオフィスに社員同士のカジュアルな交流の場を自然な形で設ける工夫がこらされてきた。
しかし、パンデミックによりリモートワークが急速に拡大し、社内でも人との接触をできるだけ減らすことが求められている今、セレンディピティの実現にはこれまでとは異なる視点が求められている。
もはや私たちの働き方とは切り離せない要素となったリモートワーク。そんな状況における、新しいセレンディピティのあり方とはーー。
「幸運な発見」セレンディピティ
「セレンディピティ」とは、もともと「偶然の思いがけない発見や、そこからなにかを産み出すこと、あるいはその能力」と定義され、発明家や科学者が失敗や日常生活の些細な現象から世紀の発見を生み出す際によく使われてきた言葉だ。
たまたま落下したりんごから科学の法則を発見した、ニュートンの万有引力のストーリーはその典型だろう。
科学の領域にとどまらず、最近はビジネスの領域でもセレンディピティの重要性は広く知られるようになっている。
特に有名なセレンディピティの産物は「ポストイット」だ。
もともと、強力な接着剤の開発に苦戦していたスリーエム社。そこで数年前に作られた失敗作の「はがれやすい」接着剤を眺めていたある社員が、「これをなにかに使えないか?」とひらめいたことから、くっつきやすく剥がれやすい「ポストイット」という大ヒット商品を生み出した。
会議でいくら論理的な分析と議論を重ねても得られなかった発想が、ちょっとした偶然とそれを生かす柔軟な発想力によってイノベーションへとつながる。このことは、今では広く認識されるようになっている。
セレンディピティを生み出すために大切なこと
イノベーションのキーとまで評されるようになったセレンディピティに大切なのが、偶然をそのままで終わらせない発想力と柔軟な思考とされている。
前述のポストイットの例をみても、接着剤を作る会社=はがれてしまうものは失敗作という思考に固執すれば、「はがれやすさを生かして新しい商品を作ろう」という発想は生まれないだろう。
もちろん個々の社員にそうした発想力や柔軟性が備わっていればよいのだが、同時に、テック界では、部署やバックグラウンドの異なる社員同士が、ランダムに、カジュアルに関わりあう場を創出することで、予期しない新たな視点が提供され、セレンディピティが生まれやすい環境を整えるというアプローチもなされるようになっている。
たとえば、ランチに並ぶ行列やエレベーター内のちょっとした偶然の会話がきっかけとなって、インスピレーションが生まれることを期待し、オフィスの人の流れを考える、といった工夫だ。
セレンディピティを生み出すオフィスの工夫
有名なところでは、スティーブ・ジョブズはオフィスに自然な交流の場を作るために、吹き抜け空間を中心としたオープン構造のオフィスデザインを取り入れ、エンジニアとデザイナーが日常的に関わる環境を整えることでセレンディピティの可能性を追求した。
また、ヤフーのCEOであったマリッサ・メイヤーが在任中、ヤフーの在宅勤務を廃止したのも物理的に同じ空間で働くことで生まれる偶然の交流を再評価したことが一因とも言われている。
オープンオフィスや気軽に話せるカフェスペース、料理、卓球、ビデオゲームといった仕事から離れた雰囲気で社員が交流できるスペースを設けるといった工夫は、その後、多くのスタートアップが取り入れられるようになった。
日本でも、伝統的に喫煙室がその健康面の課題はさておき、一種の雑談促進スペースとして機能してきたといえる。
パンデミックにより激変する社内のカジュアルな交流
しかし、社内で社員同士の自然な交流を刺激するためのこれまでのアイデアは、基本的にはオフィスに物理的に出社することを前提している。
言うまでもなくこの前提は、新型コロナによってリモートワークが急速に拡大し、働き方が大きく変わりつつある今、崩れようとしている。
リモートワークは感染症対策上のメリットだけでなく、通勤時間が必要ない、柔軟な働き方ができる、企業側も設備コストをカットできるなど、数多くの利点がある。
しかし、このところ懸念されるようになったデメリットの一つが、「社員同士の偶然の会話の機会が奪われること。ひいては、イノベーションのきっかけが失われる可能性」という点だ。
リモートワークでも社員同士の交流を促進する工夫
いつまで続くか分からないパンデミックの中、各国の企業は指をくわえて収束を待つのではなく、バーチャルな環境下でも社員の横断的で自然な交流を促す手段を模索し始めている。
「SPATIAL」バーチャルオフィスはその一つだ。VR/ARヘッドセット、デスクトップ、携帯電話などを使って、オンライン上に設けられたバーチャルなオフィスにアクセス。そこで、リモートワークを行いながらもアバター同士が実際に「歩きまわり」、会話をすることができる。
日立ソリューションズも、アメリカのテック企業が開発した社員同士のカジュアルな打ち合わせや雑談をするためのバーチャルオフィスサービス「Walkabout Workplace」を日本国内でリリースした。
NTTコミュニケーションズも、オンラインワークスペース型会議サービス「NeWork」をリリース。
日本国内でも多くの企業が、リモートワークの問題点として「新しい気づきや雑談の減少」を挙げていたことを受け、気軽に話しかけられるよう、チームメンバーの忙しさをアイコンの色の変化で表示し、会話しているグループに近づくことで、会話が聞こえてくるといった細やかな工夫がなされたバーチャルな仕事の空間を提供している。
リモートワーク時代のセレンディピティ
次々とリリースされるバーチャルオフィスだが、コストがかかることもあり、気軽には取り入れられない企業も多いだろう。
しかし、リモートワーク時代のセレンディピティを実現するために、通常業務の中では関わり合うことが少ない社員間のランダムなコーヒーミーティングを促進する、社員同士の雑談タイムを意識的に設けるといった、小さな取り組みから始めている企業もいる。
近しい同僚とのちょっとした打ち合わせでもスケジュールをセッティングしなければならない、他の人の忙しさや表情を話しかける前に視覚的に把握できないなど、リモートワークでは「会話を始めること」へのハードルが高い。
それでも、多くの企業がそれぞれのやり方で、リモートワークとセレンディピティの追求を両立するという困難な課題に挑んでいる。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)