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2013年、素粒子物理学者のElina Berglundさんと彼女の夫であるRaoul Schertwitzlさんにより、スウェーデンで誕生した「Natural Cycles」。唯一FDA(アメリカ食品医薬品局)が認証した避妊アプリで、ピル(経口避妊薬)やコンドームといった避妊を防ぐ医薬品やアイテムを使わずに、93%の精度で避妊ができるという。同時に、妊娠可能性の高い日も判別可能だ。
2021年現在、世界162カ国に180万人を超えるユーザーがおり、特にイギリス内で高い人気を誇る。日本では未認証であることから使用はできないが、「アフターピルが薬局で買えない」など、望まない妊娠にまつわる課題が注目される中、女性が自然な方法で避妊できれば、一定のメリットはありそうだ。
そこで、Natural Cyclesのサービス内容と日本展開の可能性を同社のPR担当者に取材。さらに、国内でよく知られるヘルスケアアプリ「ルナルナ」との違いを知るために、株式会社エムティーアイ ルナルナ事業部 副事業部長 那須理紗さんにもお話を聞いた。
基礎体温から妊娠可能・非妊娠可能日を表示
Natural Cyclesは、年間64.99ユーロ(約8,300円)、月額8.99ユーロ(約1,150円)を支払って利用する有料の会員制アプリ。年間利用の場合、婦人体温計が付属される。月額利用では体温計代は含まれないが、11.50ユーロ(約1,470円)を追加して購入することが可能だ。ヨーロッパやアメリカなど、対象国に居住する18歳以上の女性が利用できる。
利用方法はシンプルで、毎朝、基礎体温(睡眠後、起き上がる前に婦人体温計で測った口腔内の体温)を測り、アプリに数値を記入すると、妊娠可能日(赤色)、非妊娠可能日(緑色)が表示される。
アルゴリズムは、女性の月経周期により身体に起こる変化を基準に排卵日を予測するカレンダーメソッドをベースにしたもので、Natural Cycles独自で算出している。Berglundさんが専門とする素粒子物理学で得た統計的知識をもとに、精子の生存、体温変化、生理周期の変動などの要因を考慮に入れて、ユーザーごとにパーソナライズされたアルゴリズムにより、妊娠可能日と非妊娠可能日を特定しているそうだ。
同社によれば、Natural Cyclesの一般的な使用による不妊の可能性は93%で、ピルや避妊リングと同等の数値となる。しかし同社は、「妊娠可能日(赤色)に無防備な性交渉を完全に避ければ、98%の確率で避妊できる」と話す。
「赤色が出た日に性交渉をしてしまう、時に体温を入力し忘れるといったことも起こり得る一般的な利用方法を加味した確率です。確率の精度は利用初日から発揮されますが、記録された情報(特に体温データ)が増えるほど利用者の身体の状態を把握し、非妊娠可能日(緑色)の表示が増える仕様です」(Natural Cycles PR担当者)
避妊具として日本で広く認知されているコンドームは87%と、やや数値が低いが、この数値の中には「コンドームを正しく使用できていない人」も含まれていると予想される。
ピルの使用でその後の妊娠率が下がる可能性も
自然な避妊法を大々的にPRしているNatural Cyclesでは、約70%のユーザーが避妊を目的に、残り約30%は妊活目的でサービスを利用している。妊活で利用する場合、妊娠計画モードを選び起床後の基礎体温を入力すると、個々の周期を学習して排卵を予測し、もっとも妊娠しやすい時期を示す仕組みだ。
さらに基礎体温を活用して、妊娠を検出することもできる。これにより適切なタイミングで妊娠を確かめることができ、妊娠した場合はその旨を記録して妊娠追跡モードに切り替えられる。
ひとつ、同社が実施した研究に興味深い結果がある。過去に経験した避妊法による短期的、または長期的な妊娠能力への影響を調べたもので、経口避妊薬の経験者に比べてNaturalCyclesの経験者のほうが優位な結果が出ていたのだ。
調査対象はNatural Cyclesを使用して妊娠を試みた2,874人の女性だが、過去に選択した避妊法には違いがあり、Natural Cyclesを使用して自然に避妊した人と経口避妊薬を使用した人(妊娠を望むタイミングで使用を中止した人)に分けられる。
2014年8月から2016年6月までの研究期間中に妊娠したすべての女性のデータを用いて、妊娠するまでの平均的な期間を算出したほか、医学分野で用いられる生存時間分析手法である「カプラン・マイヤー法」を用いて、すべての女性の累積妊娠確率を調査した。
その結果、過去に経口避妊薬を使用した人の平均妊娠期間が3.7サイクルに対して、Natural Cyclesで避妊した人は2.3サイクルと、妊娠までのサイクルが早かった。また、妊娠確率が30%に達するまでの時間は、経口避妊薬を使用した女性のほうが長く、Natural Cyclesを使用した人の1.6倍に。 全13サイクルの累積妊娠確率には、2グループ間に有意差は見られなかった。
この結果から、ホルモンを用いる経口避妊薬は、長期的には大きな影響がないものの短期的には妊娠率が低下する可能性があることが示唆される。
ルナルナは独自アルゴリズムで妊娠成功率1.36倍
日本の女性向けヘルスケアサービス「ルナルナ」とNatural Cyclesの違いを知るために、ルナルナにも取材を試みた。
避妊と妊娠、両方の可能日を提供するNatural Cyclesに対し、ルナルナは妊娠可能性の提示のみに特化しており、独自の予測アルゴリズムを活用して「高い」「やや高い」「中」の3つの基準を表示する。
「弊社のアルゴリズムを活用すれば、従来の方法(オギノ式)と比較して、妊娠成功率が1.36倍上がるという検証結果が出ています。この検証は、自社調べとなります」(エムティーアイ ルナルナ事業部 副事業部長 那須さん)
オギノ式とは生理日情報のみを使って、過去の平均生理日から予測される次の生理開始日より、一律12〜16日前を排卵予定日と予測する方法。しかし、女性の平均生理周期は人によって異なり、24日や32日の人もいる。この周期の個人差に配慮し妊娠成功確率を上げるため、同社では独自のデータ分析を実施したそうだ。
「弊社では、平均月経周期が一般的な28日に当てはまらないデータも膨大に保有しており、平均月経周期が同じ人のデータをグルーピングし、そのグループごとに排卵日(※)の記録を掛け合わせることで独自のアルゴリズムを構築。これにより、さまざまな月経周期のユーザーも特別な計算をする必要なくアプリでの生理管理を通じて、自分のリズムに合った高精度な排卵日予測が可能となりました」(那須さん)
※排卵日:病院での検査や、市販の排卵日検査薬で排卵日と特定された日
さらに、上記の独自アルゴリズムの改善版として、基礎体温のデータを活用したアルゴリズムも提供している。ただ、毎日の基礎体温の測定は負担が大きいせいか、生理日ほど多くのユーザーが記録していないのが実情だという。
「基礎体温のデータがより簡便に取得できるような製品が登場すれば、より多くのデータが集まり精度の向上が期待できるかもしれません。また、家庭内妊活だけでなく不妊治療領域でも妊娠率について成育医療研究センターとの共同研究を進めています。検査値や治療成績から、妊娠率の高い治療方法を個々に提案するようなアルゴリズムができないかと考えています」(那須さん)
2000年からサービスを開始し、日本人女性の生理や妊娠の課題に寄り添ってきたルナルナは、2020年11月時点で1,600万ダウンロードを突破。国内では圧倒的な知名度を誇る。生理日や基礎体温の管理が無料、直感的に使えるUIなど幅広い年代がアクセスしやすい仕様で大きなシェアを占める。
避妊における身体への負担や経済的な課題も
Natural Cyclesは、創業者夫妻の個人的なニーズから生まれたサービスだという。 妻のBerglundさんは、ピルが体質に合わなかったため、20代の大半、皮下インプラントによる避妊方法を選択してきた。これは、マッチ棒サイズのインプラントを腕に埋め込み、黄体ホルモンを血中に放出して排卵を抑える避妊法で、3年間にわたり99%の確率で避妊できる。
避妊効果は高いが、妊娠を考えるタイミングで皮膚を切開してインプラントを取り出す必要がある。黄体ホルモンにより、使用中に月経不順や頭痛といった副作用が起こる可能性も。
「Berglundは、今後1〜2年で妊娠したいと考えたタイミングで皮下インプラントの使用を中止しました。妊娠するまでに、身体を自然な状態に戻すための休息期間を設けたいと思ったからです。それから彼女は自然な避妊方法を求めて自身の体温分析をスタート、研究に没頭するなかで妊娠可能日とそうでない日を判別する体温測定のアルゴリズムを発見したのです」(Natural Cycles PR担当者)
ヨーロッパでは国によって状況は異なるが、ピル、IUD(子宮内避妊器具)、皮下インプラント、皮膚に貼るパッチなど、コンドームに頼らない女性主体の避妊方法がいくつも存在する。ピルは日本に比べて安価で若年層でもアクセスしやすく、比較的一般的な避妊法として認知されている。
一方、日本では女性主体の避妊法が主にピルとIUDのみ。日本家族計画協会が約1,000人の男女に避妊法を調査した結果では、コンドームが85.5%、次いで膣外射精法が16.0%、ピルが4.6%、IUDはわずか0.4%だった(回答は2つまでの選択可、2014年度)。
近年は、1度オンライン診療を受ければ定期便でピルを郵送してくれるクリニックもあるが、安いものでも毎月2,000円前後の出費となり、可能性は低いが血栓症などの深刻な副作用を引き起こすこともある。身体的・経済的な負担に加え、性教育の遅れも重なり、日本ではピルの服用が浸透していないと予想される。
コンドームが破れた、避妊せずに性交してしまったなど避妊に失敗した際の避妊法としては緊急避妊薬(アフターピル)が知られているが、海外約90カ国で医師の処方箋なしで購入できるのに対し、日本では処方箋がないと購入できない。
日本では「望まない妊娠増加」の理由から、緊急避妊薬の薬局での発売を求める署名運動が行われ、約11万人の署名が集まった事例もある。2018年の人工中絶件数は約162,000件、そのうち20代以下が半数を占めており、多くの若い女性が適切な避妊法にアクセスできていない現状が伺える。
だが、こういった活動が後押しとなり、緊急避妊薬の薬局での発売が検討事項として第5次男女共同参画基本計画に盛り込まれたのは大きな前進といえそうだ。
専門医の指示を仰ぎ、ニーズに合った判断を
身体に変化を加えないNatural Cyclesの避妊法は、ヨーロッパを中心に多くの女性に受け入れられている。ただし、性行為において妊娠しなければそれでいいのかといえば、そうではない。性病予防の観点では、やはりコンドームは欠かせないアイテムといえる。
「Natural Cyclesの使用を希望する場合、事前に婦人科医に相談し、ご自身のニーズに基づいて決定を下すことをおすすめします。 たとえば性感染症が懸念されるのであれば、Natural Cyclesで非妊娠可能日であっても性交時はコンドームを使用して、身を守る必要があるでしょう」(Natural Cycles PR担当者)
Natural Cyclesの日本進出においては、何よりも適切な認証を取得するのが先決とのこと。日本の場合、独立行政法人 医薬品医療機器総合機構(PMDA)と協力し、求められるプロセスに従い認証を得ることができれば、晴れて事業が開始可能となるそうだ。
とはいえ、規制のハードルがクリアできても、日本市場には2020年にサービス開始20周年を迎えた業界の先駆者であるルナルナをはじめ、類似の妊活サービスが存在する。同社が日本市場に注力するかは未知だが、ピルもコンドームも使わずに高確率で避妊できるのは確かなメリットであり、日本でも一定数の女性から支持を得るのではないかと予想される。今後の同社の展開を見守りたい。
<取材協力>
Natural Cycles
https://www.naturalcycles.com/
株式会社エムティーアイ
https://www.mti.co.jp/
文:小林香織
編集:岡徳之(Livit)