元F1ドライバーらによる電動スクーターレース開催計画

日本でも次世代モビリティの1つとして話題になることが増えている立ち乗り電動スクーター。海外では、その電動スクーターによる本格的な国際レース大会の計画が浮上し、モータースポーツファンらの関心を集めている。

また同レース大会を主導する組織/人物の中に、フォーミュラワン(F1)に関連する著名人らが名を連ねているのも関心を集める理由になっている。

その1人がアレクサンダー・ブルツ氏だ。元F1ドライバーであり「ル・マン24時間レース」では1996年と2009年に優勝したトップドライバー。現在、トヨタレースチームのドライバー顧問も務めている。またF1の選手会組織「グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)」の現会長でもある。

ブルツ氏のほか、電気自動車のF1と呼ばれるフォーミュラEの現役ドライバー、ルーカス・ディ・グラッシ氏、A1グランプリの元ドライバー、ハリル・ベシル氏なども名を連ねている。

電動スクーターのレース構想が発表されたのは2020年7月初旬。2021年の第1回大会を目指し、準備が進められていることが発表された。レースの公式名称は「the eSkootr Championship」。使用されるのは最高時速100キロに達する特注のレース用スクーター。世界各都市での開催を計画している。

電動スクーターレース「the eSkootr Championship」のイメージ映像

モータースポーツメディアThe Raceによると、電動スクーターレース大会運営組織はすでに、製造メーカーと技術専門家らと提携し、レース用電動スクーターの仕様について話し合いを行っているという。今年中にプロトタイプがお披露目される予定とのこと。

運営組織によると、大会開催目的の1つは電動スクーターという身近な存在を通じて、モータースポーツも身近に感じてもらうこと。このため、カーレースだけでなく、多様な分野からドライバーを募る予定だという。自転車、スケート、スノーボード、バイクレース、さらにはレース系ゲームのeスポーツプレイヤーが想定されている。

転換期の電動スクーター市場と今後の予想

2021年開催予定の「the eSkootr Championship」。電動スクーター市場もちょうど転換期にあり、ルールに則った走行と電動モビリティの可能性を示すには時宜を得たイベントといえるかもしれない。

電動スクーターは2018〜2019年に、個人所有/シェア利用が急増、関連スタートアップも増え、盛り上がりの様相を見せていた。しかし、法規制やルール制定が追いつかず、事故が多発。電動スクーターの安全基準も明確になっておらず、充電中に発火するという事故も多数報告された。

歩道に散乱する電動スクーター(ポーランド・ワルシャワ、2019年7月)

こうした事態を受け、海外では電動スクーター禁止に踏み切る都市が出てくるなど、規制強化の流れが強まっていたところだ。

ブルームバーグの2020年1月28日の記事「4 Predictions for the Electric Scooter Industry」では、今後の電動スクーター市場のシナリオを4つの側面から予測。その1つとして、各都市の法規制の施行によって、数多い電動スクータープレイヤーの明暗が分かれるとの予測を展開している。電動スクーターJumpなどでビジネス開発チームに所属していたアレックス・ビッカー氏はブルームバーグの取材で、米国では現在規制当局が電動スクータープレイヤーの勝者と敗者を分ける力を持ちつつあると指摘している。

当局と足並みを揃えられるプレイヤーが今後生き残っていくだろうとの見立てだ。

自動車と交通ルールの歴史に見る、電動スクーターの可能性

電動スクーターが次世代モビリティのニューノーマルになるのかどうかは分からないところではあるが、少なくとも交通ルールの整備が電動スクーター普及の必要条件であることは間違いないだろう。

自動車と交通ルールの歴史を紐解いていくと、電動スクーターも普及の余地が十分にあることが見えてくる。

右側通行、左側通行、赤信号では止まる、など現代人にとっては「当たり前」の交通ルールだが、自動車が登場したばかりのころは、この当たり前のルールは存在していなかったのだ。時間とともにルールが整備され、人々の中で当たり前となり、日常の一部に溶け込んでいった。

自動車大国の米国。自動車が登場した1900年頃は、ルールがまったくなく、自動車どうしの衝突や馬車との衝突など事故が多発していた。現在、米国は右側通行であるが、当時はそのようなルールもなく道路はごった返しの状態だった。

1920年代のニューヨークの様子

自動車の登録は1901年にニューヨーク市で初めて義務付けられ、同市がロールモデルになったといわれている。ナンバープレートが米国全土で義務付けられたのは1920年のことだが、この時点では、教習場で免許証を得るという仕組みはなかったようだ。免許証制度が一般化したのは1930年代以降。それまでは、自動車のセールスマンから運転を教わったり、YMCAなどの非営利組織、家族・友人から教わるのが一般的であったといわれている。

現在当たり前になっている交通ルールの基礎が整備されるまで30〜40年かかったことを鑑みると、長期で見ると電動スクーターの一般化もあり得るのかもしれない。

文: 細谷元(Livit