ロックダウン解除が広がる欧州では、「ニューノーマル」の元、日常が戻りつつある。産業界ではコロナ前の姿を取り戻しつつある業界がある一方で、“仕切り直し”を迫られている業界もある。その筆頭に挙げられるのが観光業だろう。

コロナ以前、ヨーロッパの観光地はオーバーツーリズムに悩まされていた。観光客の爆発的増加に加え、自然環境への負荷も懸念されていた。例えば航空。2000年代から格安航空会社(LCC)の成長は著しく、最大市場の欧州では2019年、LCCが総座席数の約33%を占有、欧州最大のグループであるライアンエアーはその年の利用客が約1億5,000万人にのぼった(「Statista」より)。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、2050年には航空の二酸化炭素排出量は2016年比較で2~5倍に達すると予測。すべての二酸化炭素排出量の2~3%を占めるといわれる航空機利用は「飛び恥(Flying shame)」という不名誉な呼び名で飛行禁止運動さえ起こっていた。決定的な打開策も見つからないまま、航空機がせっせと各地に観光客を運び、観光地の住人は騒音やゴミに悩まされ、便数は増え続け……。そして、突然はじけた。

フライトトラッカーの「Flightradar24」は2019年、約6,800万便、一日平均18万便という最大記録を出した。2018年より10%の増加だったという。いちばん便数が多かったのが7月25日の23万409便。

パンデミックは観光業の景色を一変させた。その景色は、損失300~500億USドル(世界観光機関調べ)の大打撃を食らいながらも、街に静けさを、青空に澄んだ空気を取り戻した。外出もままならない日々は、人々の価値観にさえ影響を与えた。効率、短縮、便利から少し距離を置いて、ゆっくり過ごすのも案外悪くない――。

スイスの金融機関UBSが中国とヨーロッパ4カ国の成人1,000人にアンケートをしたところ、大半の人が飛行機から鉄道にスイッチする主な理由に運賃を挙げ、運賃が下がるなら列車で6時間くらい過ごすのは構わないと答えた。ビジネストラベラーに至っては列車なら2~3時間「ワークトリップ」ができてよいと回答した。

航空から鉄道へ

現在、EUではコロナ後の経済立て直しとして7,500億ユーロ(約91兆円)規模の復興基金が協議されている。7月にはEU内で合意の見通しとされているなか、欧州のシンクタンクであるウィーン国際経済研究所が、基金の使い道について3つの提案を発表。そのうちのひとつが、欧州における観光業の在り方を変えるかもしれないと、注目を浴びている。その画期的な提案とは、EU内の「超高速鉄道ネットワーク」である。

航空業界が過熱しながらも、航空機から鉄道へのシフトはパンデミック前からすでに起こっていた。今年はスペイン、フランス間のネットワークの自由化が予定されており、ドイツでは昨年、今後10年間で937億USドルにのぼる鉄道インフラへの投資が発表されていた。UBSは鉄道産業の成長を予測、この10年でスペイン、フランス、ドイツ、イタリアで800本の高速鉄道が増え、それは約434~652億ドルの収益機会になると見立てた。

鉄道の二酸化炭素排出量は輸送業界全体で0.5%。航空は14%、海上は13.5%、道路輸送が73%であること、国連が提唱するSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)が企業の評価指標として欠かせないという傾向のなか、鉄道へのシフトはある意味、自然な流れだろう。

スペイン鉄道(Renfe)の高速鉄道AVE。マドリードを中心に各主要都市を放射線状につないでいる。

超高速鉄道ネットワークとは

ウィーン国際経済研究所が構想した「超高速鉄道ネットワーク」はどの国とどの国を結ぶのか。その前に、高速鉄道と超高速鉄道の違いを述べる。

高速鉄道とは線路上の大部分を時速200km超えで運行する列車をいい、EU内で国境をまたぐ高速鉄道ではタリス、ユーロスターなどがある。いずれも最高速度は時速300km、平均速度は時速240km(区間によって変化する)。ちなみに新幹線の最高速度は東北新幹線「はやぶさ」「スーパーこまち」の時速320km。同研究所が定義する超高速鉄道のスピードは平均時速250~350kmで、250~350kmが最高ではなく平均速度としていることから、超高速鉄道がいかに超高速かを想像していただけると思う。

さて、ネットワークをみてみよう。ウィーン国際経済研究所は、4つのネットワークを提案している。

・ダブリン(アイルランド)―パリ(フランス)
コーク~ブレスト間はフェリー

・リスボン(ポルトガル)―ヘルシンキ(フィンランド)
スペイン、フランス、ベルギー、オランダを経てドイツのルール地方からバルト海を周回

・ブリュッセル(ベルギー)―バレッタ(マルタ共和国)
ドイツ、スイス、イタリアを経てフェリーでマルタへ

・ベルリン(ドイツ)―ニコシア(キプロス共和国)
ギリシャのピレウス~パフォス間はフェリー、ウィーン(オーストリア)―ソフィア(ブルガリア)間で循環

超高速鉄道のネットワーク図。ダブリン―パリが緑、リスボン―ヘルシンキが赤、ブリュッセル―バレッタが青、ベルリン―ニコシアが茶色で示されている。(出典:wiiw Policy Notes and Reports 「How to Spend it: A Proposal for a European Covid-19 Recovery Programme」https://wiiw.ac.at/)

この4つのネットワークはEU加盟国全27カ国、西バルカン諸国6カ国を網羅する。同研究所は、この超高速ネットワークを実現することにより、「航空輸送からのシフト」「EU市民へのメリット、およびEU連合の結束」「2050年にEU域内の温室効果ガス排出ゼロを掲げる欧州グリーンディールの灯台的役割」などを効果に挙げている。

今のところEU内の鉄道はもっぱら国内での開発に目が向けられており、国によって線路幅、電気系統、セキュリティー技術、プラットフォームの高さもまちまちだ。超高速鉄道ネットワークは既存路線を使うとするが、専用のインフラ整備は欠かせないとしている。また標準規格の構築には、技術だけではなく、各国間の利益や権利の調整が一筋縄ではいかなさそうで、提案から実現への壁は高いことが予想される。

筆者は若い頃、トーマス・クックのヨーロッパ鉄道時刻表(残念ながら廃刊)を片手に、フランス経由でイタリアからスペインへ入る2日間の列車の旅をした。ミラノで陽気なイタリア人でいっぱいだった車両にぼつぼつとフランス語が混じり始め、ひと眠りしたら母音の強いスペイン語のおしゃべりに囲まれていた。ヨーロッパには島国日本とはまったく違う列車旅の醍醐味があることを実感した2日間だった。

時間が有り余っている学生の頃だからこそできる贅沢な鉄道旅だと思ったが、超高速鉄道が実現したら、現在8~9時間かかるベルリン―パリ間が4時間で行けることになる。ベルリンからパリまでは東京と下関と同じくらいの距離だが、その1,000km強の間にドイツ、オランダ、ベルギー、フランスの4カ国がある。雲の上から異国に降り立つのではなく、車窓から異国を眺めるスタイルが、ヨーロッパ大陸を旅するニューノーマルになればいいなと思う。

文:水迫尚子
企画・編集:岡徳之(Livit