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ワーケーションの話をしたい
筆者は横須賀市に住んでいる。2020年6月9日に自由民主党から広報物が届いた。「小泉環境大臣に聞く新型コロナ対策」と題された記事を読む。下記に一部抜粋する。
コロナの収束を見据えて取り組んでいる政策もあります。「ワーケーション」(働くという意味の「ワーク」と休暇の「バケーション」を合わせた造語)の環境整備による地方のさらなる魅力化と新しいライフスタイルの実現です。全国の国立公園には300カ所のキャンプ場があります。デジタル化が進み都心のオフィスに限らず、テレワークやリモートワークが可能になった今、「国立公園内で働く」という新しい働き方の選択肢をつくっていきます。地方で働くメリットがより実感できることで、横須賀や三浦など自然豊かな地域の活性化につなげていきます。
観光地で仕事をする「ワーケーション」という新様式を推進するという。観光地に仕事を持ち込み、バケーションとワークを両立させようというものだ。日本人による国内宿泊数を伸ばそうという施策とも取れる。
観光庁の「旅行・観光消費動向調査」によれば、2018年度の日本人国内宿泊観光旅行の宿泊数は2.14泊。多くの人が2泊3日の旅行をし、一部の方々は3泊4日の旅行をしているイメージだ。ショートステイが中心であることがよくわかる。
一方、海外からの国内宿泊観光旅行に目を向ける。日本政府観光局が出している訪日外国人観光客の「平均滞在日数の推移」を見れば、2017年度は5.2泊。5泊6日ないしは6泊7日の日本国内旅行をしている。ただし、これは平均値である。諸外国それぞれに目をむければ、フランスからの旅行者は10.6泊、ドイツ、イタリアは9.6泊、英国は8.2泊と欧州からの旅行者は長期滞在の傾向にある。
ご存知のようにコロナ禍のいま、外国人観光客の需要は消え失せた。4月の訪日外国人客は2,900人。前年同月比で99.9%減である。
2020年6月18日に日本政府は入国制限の緩和方針を決定した。感染状況が落ち着いている国や地域のビジネス関係者に限り、条件を設け、入国を許可するというものだ。条件は「公共交通機関を使用しないこと」「日本訪問前にPCR検査を受け、入国時にも検査を受けること」と厳しい。観光客が戻るのはいつになるのか。見通しは明るいとはいえない。
そこで「ワーケーション」だ。外国人旅行者の需要を、日本人旅行者で補えないか。仕事を優先しがちな日本人なら、その仕事を旅行先に持ち込めば仕事をしつつ長期旅行もするという新様式が成立するのではないか。2泊3日を10泊11日に延長だ。
なんとも虫のいい話のようには思える。楽しい旅行に仕事を持ち込みたくない、という声もあるだろう。ワーケーションというスタイルを成立させるには仕事そのものを見つめ直すことが必要だ。楽しい旅行にわざわざ同行させたい仕事とはなにか。
そう考えて、ピンときた。アニメ聖地巡礼ならば成立するのではないか。
SNS発信をするファンのためのインフラ整備+α
アニメ聖地巡礼には、従来の観光と明確に違う点がある。地域が来訪者の「創造の舞台」になる、ということだ。ある者は、聖地の探訪記をブログに綴り、ある者は、聖地の写真を撮り、同人誌を作る。また、ある者はコスプレ撮影を行い、その写真でフォトブックを作る。
アニメ聖地巡礼に訪れる者にとって大事なことは、情報発信だ。アニメ聖地巡礼は趣味の一環のように思えるが、工程だけを取り出せば仕事とさほどの違いはない。
京都大学による作品の舞台を旅する経験を持つ16〜79歳の男女市民800人に行ったインターネット調査「“聖地巡礼”行動と作品への没入感:アニメ、ドラマ、映画、小説の比較調査」(楠見 孝、米田 英嗣/2018)によれば、聖地巡礼の行動において「旅行中にネットで発信する」のは、アニメが31%と最も高く、続いてテレビドラマが10%、小説は6%、映画が1%と続く。また 「旅行後にネットで発信する」のも、アニメは33%とダントツで高く、他コンテンツ(11〜15%)の2倍以上だとしている。アニメファンのあふれる発信力がわかる。
こうした活動を支えるため、アニメの聖地となった地域には、はやくから高性能なネット環境が求められてきた。充電ができる電源の有無、Wi-Fiの有無、パソコンやスマホを長時間使用できる施設などなど。
そのひとつが長野県小諸市の旅館「菱野温泉 薬師館」だ。400年続く、名湯である。小諸市は2012年、アニメ『あの夏で待ってる』の舞台となった。
2020年のいま、ネット環境はどの観光地でも整っているが、早くから整備を進めてきた菱野温泉はさらに「その先」へ向かった。館内にある石造りの洞窟を、コスプレ撮影のロケーションとして用意したのだ。「大阪城地下風の洞窟」と題し、歴史ファンにも響く打ち出し方をしている。
また、コスプレ撮影用ルームも用意しており、照明、レフ板、暗幕といった撮影に必要なアイテムも完備。小諸市の聖地をめぐりつつ、宿泊先でコスプレ撮影に勤しみ、完成した写真や撮影風景をSNSにアップする。一連の作業が館内で完結する。
アウトプットの場をつくる
薬師館オーナーの花岡隆太さんはワーケーションについて次のようにいう。
「『あの夏で待ってる』の聖地巡礼で小諸市に訪れたファンが感じていた快適さを、仕事で来訪された人にも感じてほしい」
じつは薬師館ではコロナ禍以前の2019年より、旅館の大広間を活用したコワーキングスペースの準備を進めていた。旅行客はもちろん、地域の人々の利用も視野に入れてのことだ。
「旅館の一部がコワーキングスペースになることで、旅館がプラットフォームとなると考えています。つまり、地元の働く人と都会で働く人の出会いの場となる。そして、異質な文化の掛け合わせによる新しい価値が創出される。そうしたプラットフォームの場が今後、観光業には必須だと思います」(同)
ワーケーションでは観光地にネット環境とパソコンが必要とされる。ただ、それ以上に重要なことは、我々はどんなことをしたいのか、という点だ。すばらしい観光地で、つまらない仕事をしたくない。趣味とも仕事ともつかない、楽しい活動を自発的にしたい。そのために、観光地は来訪者の創造力を刺激するような場所になる。それをコロナ禍以前より目指してきたのが、アニメ聖地巡礼の巡礼者を受け入れてきた地域であり、そうした地域では小諸市のようにワーケーションよりもさらに先へと向かっている。
聖地移住で試されるファンとしての熱量
ここまでは、ワーク(仕事)とバケーション(観光)を混ぜ合わせた造語「ワーケーション」はアニメ聖地巡礼を受け入れてきた地域ほど適応しやすいのではないか、と述べた。
ワーケーションのあとに待っているのは、「移住」である。聖地となった地域へ遊びに行くだけではなく、そこに住む。
静岡朝日テレビは記事「ラブライブ&ららぽーと効果か!静岡・沼津市への転入者が37年ぶりに転出者を上回った理由」と題し、2019年の静岡県沼津市からの転出者7,680人に対し、同県への転入者が7,988人となり、転入者が308人多くなった、とした。転入超過の要因を2016年に放送されたアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』と2019年10月にオープンした大型商業施設「ららぽーと沼津」に求めている。
一方、聖地への移住の流れに警鐘を鳴らすのは、千葉県鴨川市の岡野大和さんだ。岡野さんはアニメ『輪廻のラグランジェ』の「輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会」委員長を務め、アニメと地域の活性化を推進している。また本職は地元の天津神明宮の禰宜である。
「首都圏から近い千葉県鴨川市はワーケーションに適していると思います。アニメファンの皆さんにとっては聖地巡礼をしながら、鴨川市で仕事を行うというスタイルができるなら、それは夢のような環境でしょう。
ただ、あくまでそこは観光地であり、一時的に滞在する特別な場所だと思うんです。それが崩れると『聖地』の意味が薄くなるのではないでしょうか。私は代々神職を務めた家に生まれ、世襲で神職になりました。それとは別に一般の方が神社に興味を持ち、神職になるケースがあります。そうした場合、高い理想を抱いていらっしゃることがよくあります。
ただ、どんな仕事も同じですが、現実的な部分はたくさんありますから、そうした部分を見て嫌になってやめてしまう。大好きだった神社からも離れてしまいます。聖地に長期的に滞在する、移住するというのは、そうしたリスクも覚悟した上で行うべき、と思っています」
アニメファンは訪れた地域を評するときに頻出するワードがある。「地域の方々のあたたかさ」という言葉だ。一方、地域がアニメファンを評するときに頻出するのは次のような言葉だ。「思ったよりマナーがいい」。
アニメファンがあくまでお客さんであり、地域がひと時を迎える側だからこそ生まれた、刹那のあたたかい関係性だと言えなくもない。
コロナ禍が収まりはじめ、経済活動が本格的に再開すると「ワーケーション」という言葉が世を席巻するだろう。その先には観光地への移住促進キャンペーンが待っているし、アニメ聖地巡礼も重要なキーワードになるに違いない。
聖地へ移住した先には、数日の探訪では見えなかったハードルが姿を表すだろう。しかし、アニメファンにはそれを乗り越え、地域を元気にする力があることも筆者はよく知っている。
ワーケーションと移住。アニメ聖地巡礼の地域がさらに活性化することを望んでいる。
文:柿崎俊道