新型コロナウイルス流行の影響により、多くの企業がリモートワークへの切り替えを行っている。

リモートワークはPCとネット環境さえあれば、国内や海外など場所を問わず、どこでも仕事ができる。満員電車に乗って出社する必要もないので、時間を有効活用できるのが特徴だ。「この先もリモートワークで仕事は回るのでは?」と思っている企業や個人もいるかもしれない。

しかし、ポジティブな面が注目されているリモートワークには、把握しておくべきネガティブな面もある。その両面を理解し、これからの働き方を見つめなおす機会にする必要があるのではないだろうか。

筆者はHRテックを開発・運営する企業を2017年に創業し、創業当初からリモートワークを導入している。3年間リモートワークで経営を行ってきた筆者がこれまで体感してきた実態をお伝えしたいと思う。

リモートワークで組織は過度に“工場化”する

まず、リモートワークにすると企業の仕事はどうなるのか。前述の通り、リモートワークの導入は、場所を選ばずに仕事をしたり、時間を有効活用する、などといったことを可能にする。

その半面で、組織はより高度な分業体制になっていくのだ。リモートワークを導入することで、仕事は指示する人間と作業する人間の二手にはっきりと分離化する。これ自体悪いことではないが、分業が高度化すればするほど依頼と請負の関係が強化されるのだ。

仮にマネジメントする側が放置しこの状態が進んでいった場合、業務ごとにレーンが強化され、その上で仕事が運んでいく“工場”のような状態が過度に進行していくのである。

たしかに工場化されることで、業務作業者は正しいマニュアルに沿って仕事をこなしていくことができ、一定のクオリティが保たれるだろう。分業が進めば進むほど、レーンごとに作業効率を最大限に上げることもできる。

しかし、過度に工場化されてしまうことである問題が発生する。それは、レーンをまたいで別の業務に顔を出すハードルが一気に上がることだ。各チームが一か所に集まっているオフィスにいれば、物理的な距離が近いため別のチームにすぐ声をかけられるが、オンライン上では必ずタイムラグが生まれてしまう。他のチームのやっていることが見えづらくなるので、業務内容の共有に工夫が必要となるのだ。

マネジメントする側も、このような分業体制になると、ただでさえ多忙なうえに、全てのレーンを一つひとつ見に行かねばならない。そのため、思った以上に時間がかかり、目が行き届かない事態がおきる。ある過程に問題が潜んでいても見逃してしまう可能性が高く、気づいたときには手遅れという状況にもなりかねない。この点はリモートワークの副作用と言えるだろう。

また、「過程」に重きを置いた評価基準の再検討も必要になる。リモートワークでは業務の成果が“見える化”されやすく、「結果」重視となりがちである。そのため、過程をいかに評価するかは、リモートワークならではの課題といえるだろう。

マネジメントする側の苦悩

リモートワークでは、働き方が多様になり、個人に寄り添った働き方ができるというメリットがある反面、マネジメントという観点からは、非常に困難が多い。ただでさえ、オフィスで顔を合わせて働いていても、マネジメント側が社員の機微や微妙なニュアンスを把握できずに失敗することが多々ある。

そんな中でリモートワークをするには、いくら同じ会社の社員であるとはいえ、「いつもと同じコミュニケーションが通用するとは限らない」としっかり認識しておかなければならない。そのためにも、リモートワークに合わせたコミュニケーションの工夫が必要になる。

例えば、筆者は自社のサービスである「HRアナリスト」を活用している。本来は採用において候補者がどのようなニーズ、好み、価値観を持っているのかを事前に把握することができるサービスだが、社員に回答してもらうことによって、何を考えているのかをある程度把握してコミュニケーションができるように工夫している。

もちろんコミュニケーションにおける感情やニュアンスが完全に把握できるというわけではないが、

「この人の傾向としてはこういうことが言いたかったのだろうな」
「この人のタイプで考えると言葉足らずなだけだろうな」

というように、一定の情報をもとに相手を理解できるので、トラブルが発生しにくい。マネジメントする側としては、このようなコミュニケーションの問題は社員を見るうえで度外視できない重要なポイントだ。

評価の面でも同様で、オンラインだけの関係性で社員を正しく評価することは難しい。結果のみで評価するならシステム上さほど難しくはないが、様々な課題が浮き上がる。

例えば、結果を出した社員をマネジメント側に引き上げる場合だ。過程やコミュニケーションが見えにくいため、その社員に本当にマネジメントの適性があるのかはわからない。そうなれば、そもそもそのやり方は組織として正しいのか、という議論がおこる。

物理的な距離を介することで、あらゆる過程が見えなくなってしまうという事実は、マネジメント側だけでなく、個人も知った上で働くと組織として少しは機能しやすくなるのではないだろうか。

組織も個人も、リモートワークをアイデンティティにしない

筆者はこのことから、出社とリモートのどちらも選べる環境が必要だと考え、サテライトオフィスを用意し、メンバーがいつでも集まれる場所を作った。基本のリモートワークは変わらないが、顔を突き合わせて話したいときはこのオフィスに集まることで解消できるようにした。

実際にやってみると、オフィスに来て会話しながら仕事をしたほうがパフォーマンスがあがるメンバーもいれば、やっぱりリモートの方がパフォーマンスが上がるというメンバーどちらもいた。各々が自分に合った環境を知る機会となったのだ。

今はフルリモートの企業も数多くある。しかし、働く人々はリモートワークという環境を呆然と享受するのではなく、どちらも経験し、向き不向きを知ることが重要だ。

これはリモートワークに限られたことではない。勤務時間の短縮や異なる雇用形態なども、やってみることで良い面と悪い面が見える。だから、その両方を知ったうえで、自分に合った働き方を知ることが大切だ。

組織も、リモートワークをアイデンティティにするのではなく、このように多様化していく個々人が気持ちよく働けるような環境を作るにはどうすべきか、ということを軸にして考えていかねばならない。

そして最大の課題は、組織が個人の自由に合わせたときに、マネジメントをどのようにアップデートするのかということ。また個人は自由を主張するだけでなく、マネジメントの苦悩を理解したうえでどのように働くべきなのかを考えなければならないということである。

今回新型コロナウイルスによる社会問題で、意外にも多くの企業でリモートワークを導入できることがわかり、今まで形骸化していた風習や慣習が革命のように変化しようとしている。そしてこの変化により、組織と個人の信頼関係が試されていると感じる。まずは、組織も個人も、これからの働き方を抜本的に見つめなおすことが大切ではないだろうか。

文:熊谷 豪