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人が聴覚や視覚への刺激によって感じる心地良さや、脳がゾワゾワするような反応・感覚を指す「ASMR(代表的な読み方は「エー・エス・エム・アール」や「アスマー」でAutonomous Sensory Meridian Responseの頭文字)」は、YouTube動画のジャンルの一つとして人気に火が付き、近年大きなブームとなっている「音フェチ動画」とも言われるコンテンツ。
例えばYouTubeのASMR動画チャンネル「Life with MaK」は161万人のチャンネル登録者を擁する人気チャンネルで、その内容は、例えばマイク越しのささやき声や食べ物の咀嚼音、さらには髪を梳かす時の音などのASMRをひたすら流すといったものだ。
耳から得た刺激が脳を刺激し快感を呼び起こす様子から「ブレイン・オーガズム」とも呼ばれるこの音声ジャンルは今、アメリカのセレブリティ・カイリージェンナーや人気音楽グループのジョナス・ブラザーズなどがYouTube上で自身のASMR動画を公開したり、IKEAやルノーも新商品を紹介するASMR動画を作ったりするなど、アーティストや企業がマーケティングとして活用する事例も多く、近年大きな盛り上がりを見せている。
「脳がとろける」「何だか心地よい」としてインターネット上でミレニアル世代、Z世代を中心にブームに火が付いたASMRだが、市場が大きくなるに伴いASMRが心身にもたらす科学的な効果についても世間の注目が集まっている。
イギリスのシェフィールド大学とマンチェスター・メトロポリタン大学では、ASMRを聞いた被験者の心拍数に「明らかな落ち着き」と「リラックス状態や社交性などポジティブな感情の高まり」が見られたという実験結果が出ており、今このASMRを本格的にウェルネスに活用する例が見られる。
目隠しで体験ーー没入型のASMRコンテンツ
「Whisperlodge」が2016年からニューヨーク、サンフランシスコやロサンゼルスのスタジオで提供し人気を呼んでいるのは、90分間の「没入型ASMR体験」。
10人ほどの少人数で行うセッションもあるというが、ほとんどのシーンがガイドと来場者による一対一によるものだといい、来場者は白い衣装に身を包んだガイドに目隠しをされ、「診察室」や「夫人の私室」などのテーマごとに分かれた部屋へ手を引かれていざなわれる。
視覚をブロックされたゲストを待ち受けるのは心地よい耳と肌への刺激。
ある部屋ではスタッフが綿棒でゲストの耳を優しく撫でたり、スタッフが自身の子ども時代の話をしながら化粧用のブラシでゲストの頬や背中を撫でたりする。寝転んだ状態で箒が床をこする音を聞いたり、ガラス製のビーズが織りなす音に意識を集中させたりも。
MarketWatchはWhisperlodgeでの体験を「リラックスでき、いい意味で落ち着かない体験」と、Buzzfeedは「(あまりの非日常間に体験後しばらく呆然とし)何が何だかわからなかったという感じ。でもまた行きたい」と評している。
テニスのガットが耳元で弾かれるのに耳を傾けるシーンも(Whisperlodgeの公式Facebookページより)
Whisperlodgeの共同創始者であるメリンダ・ラウ氏は、「近年人々は過剰な刺激を受けすぎているように感じる。スマホのプッシュ通知や着信など刺激はありとあらゆるところにある。ASMRが今これほど人気なのは、ある種そういった刺激からのエスケープなのでは」とWunderman Thompsonに対して語る。
90分のセッションは70USドル(約7,500円)。Whisperlodgeは個人向けや企業向けのプライベートセッション(45分で100ドル)も用意している。
VRとASMRを活用した最新スパも人気
同じくニューヨークで2019年にオープンしたスパも、テクノロジーを活用した斬新なコンセプトで大きな話題となっている。
ブルックリンで「Oddly Satisfying Spa」をコンセプトとするその話題のスパ「Luxury Escapism」は、VRの世界にどっぷり浸りながらASMR音声などを楽しみ、脳と身体のあらゆる感覚に訴えかける内容のプログラムを提供している。
VRヘッドセットを着用しベッドに横たわる来場者(Luxury Escapismの公式Facebookページより)
場内は4つのテーマに分かれており、最初に待ち受ける「レインボー・ウォーターベッド」はベッドに横たわる来場者を、ストロボライトと臨場感溢れる音響によってリラックスした状態へ導くというもの。
続いて「ソニック・サウナ」では来場者はASMR音声を文字通りサウナのように浴び、サウンドデザイナーのマットミクコークル氏が手掛けた、火・水・土・空気・空間をそれぞれイメージした音声が楽しめる。
さらにその後のVRヘッドセットを使って行うメディテーションの「SENSCAPE」では落ち着きと集中力を取り戻し、最後のVR技術を取り入れた砂場遊び「CELESTIAL FLOW」では、来場者が自分の手と想像力を働かせ、粒子の細かい砂と触れ合う内容になっている。
120分間で価格は大人45USドル(約4,800円)であるという本セッションは、本記事を執筆する3月時点で4月の予約は満席という賑わいぶりだ。カップルや友人同士はもちろん、親子連れの利用も少なくないという。
Luxury Escapism
ホテルやエアライン業界もASMRを活用
ASMRによるリラックス効果を利用したサービスを提供する企業も出てきている。
例えばホテル事業大手のマリオットグループが運営するミレ二アル世代向けのコンセプトホテル「Moxy Hotel」は2019年4月に前出のWhisperlodgeと手を組み、ローカルアーティストとコラボしてASMRビデオを制作した。
ニューヨークのホテルでそのビデオを楽しめるイベントを開催したところ、観光や遊びで一日疲れた身体をリラックスできるとあって、多くのゲストから好評を得たという。
ニューヨークのアーティストCaroline Vreelandとコラボして作られたASMR動画(Moxy hotelの公式YouTubeチャンネルより)
また、近年エアライン業界でもフライト中の乗客のウェルネスを向上させるための取り組みは各社注力しているところだが、アメリカに本拠を置くヴァージンアトランティックは「the ASMR Sleep Sound Project」によるASMR音楽を機内の音楽番組の一つとして提供している。
この取り組みに関して「機内エンターテイメントを人気でかつ効果的なものにアップデートすることで、乗客のウェルビーイングを向上させたい」と同社のスパ&スタイリングマネージャーを務めるレベッカ・クリアー氏はWunderman Thompsonに語った。
またジェットブルーも2019年のホリデーシーズンに「AirSMR」とネーミングした9分間のビデオをYouTube上で公開した。
このビデオはヴァージニア州のシェナンドー大学でASMRに関する研究を行うクレイグ・リチャード教授監修の元作られ、ニューヨーク・JFK空港内のアナウンスという設定。
通常の溌剌とした館内アナウンスとは異なり女性のマイク越しのささやき越えが心地よく、またスナック菓子の袋を開ける音なども聞こえてくる内容で、「音フェチ」にはたまらない内容だ。
同社は2018年にもウェルネスに関する情報を発信する「Well+Good」が手掛けた機内で行うことができるストレッチ動画などを導入し、機内エンターテイメントの充実を図っている。このASMR動画も機内でのウェルビーイングを向上させる目的の一環として、機内でも視聴することができるという。
ジェットブルーの「AirSMR」
これまでも泣き止まない赤ちゃんがドライヤーや換気扇の音など母親の胎内音に似た音を聴くと泣き止むというエピソードが有名であったが、音が人間の潜在意識や精神状態にもたらす影響の大きさに対する注目はASMRブームに伴い大きくなっている。
ウェルネスが重視される今、このように聴覚を利用したウェルネスコンテンツは今後より一般化するだろうか。
文:橋本沙織
編集:岡徳之(Livit)