ギャラップ・インターナショナルが主催する世界幸福度調査で、ほぼ毎年といっていいほど1位になる国がある。

それは、南の島、フィジー。

一時期、日本では、ブータンが幸福の国として話題になったりしたが、実はフィジーも幸福度の高い国として世界から注目されている。

この調査はアーユーハッピー?という質問を5段階で計測し、数値の高かった国から順位をつけていく。そんなフィジーの人々の働き方に、息苦しい日本の労働環境を改善するヒントが隠されているかもしれない。

今回は、フィジーに英語学校「カラーズ」の校長として在住し、『世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論』(いろは出版)の著者である永崎裕麻さんに話を訊いた。

日本人はお金のために疲れる。フィジーとの価値観の差とは

フィジーといってもいまいちピンと来ない読者もいるかもしれないが、オーストラリアの東、ニュージーランドの真北に位置する小さな島国。

主な産業は観光業で、先のふたつの国のハワイと言われている。なぜ彼らフィジー人は幸福度が高いのだろうか。それは働き方にも影響していた。

永崎氏いわく、フィジーの労働は日本とは違い働く量に際限があるのだという。

「衣・食・住ではなく、食・住・祭という考えが基本にあって、そのためにお金を貯めるんです。必要な分だけ働くので、働くことに上限があるんですね。目的が明確なんです。それが達成されるのであれば、それ以上は働かないんです。貯金という概念もあまりありません。」

日本でも上限を作るという働き方が今になってやっと注目されている。しかしフィジーと違って日本は、上昇志向が強く、お金を求めるが故に、際限のない働き方をしてしまうのだ。 また、個人だけではく企業もそれを強制する風土がある。それが日本人を疲れさせてしまう原因でもあるのだという。


カメラを向けると陽気なポーズでリアクションしてくれるのは余裕のある証拠?

「確かに、日本人は世界一貯金が好きな人種と呼ばれたりもします。それは日本の社会構造が原因で、いざというときに誰かが助けてくれる社会であれば、本来、貯金など少なくていいし、政府のセーフティネットが充実していれば、体調を崩したときに、無理して働く必要もないし、企業から残業を強制されたら、転職すればよいのですが、日本では、まだその土壌が成熟していないなど、様々な要因で、そうならざるを得ない状況です。」


自由にのびのびと働いている様子が目に浮かぶ

仕事=人生ではない。フィジーから学ぶ仕事への向き合い方

日本独自の労働に対する風潮があったとしても、制度として労働環境を整えてくれるものはないし、もしかしたら当人たちが知らないだけかもしれない。

しかし、前述したようにフィジーに住む人たちはそもそも価値観が違うため、時間や気持ちにも余裕が生まれる。永崎氏はこのことを「もしも貯金」と呼んでいるそうだ。

「もしも介護が必要になったら、もしも、病気になったらとか、と考えて貯金したり、何かあったときのためにと考えたらもはや上限など設定できなくて、これってもう無限に働かないといけない。フィジー人の場合はそういう発想がありません。長時間労働がない。そうすると労働に希少性ができ、逆に労働にメリハリができる。

もちろんそれができるには、日本との社会構造の違いがあります。フィジー社会はつながりを非常に大事にしている文化だから、誰かが助けてくれるんです。あとは、宗教で、クリスチャンが多いのもひとつの要因です。何かあったときは、時が来たと覚悟を決める。腹のくくり方が違うのです」

たしかに日本人は「もしも貯金」をしている人の方が多数だ。

そのため、多くの労働者は“仕事”がアイデンティティになってしまうし、社会的にも「仕事がない=人生の落伍者」のような扱いをうけてしまいがちになる。しかし、フィジーではそういったことは全くないと言うのだ。


著者の永崎氏

「仕事の上に宗教があるので、仕事というのは、手段のひとつです。仕事のウエイトが高くなることはないですね。仕事=人生のようにはなっていないです。労働時間は基本的に8時間労働です。

でも、労働時間のなかで休憩時間が多いんです。休憩時間は聖域みたいなもので、呼んでもこなかったりするんです。会社でも楽しくないとすぐ辞めちゃうんですよ。離職率は高いです。会社を辞めることを恐れていないので。

もちろん、僕もマネージャー職をやってきて、フィジー人はなかなか思うように動いてくれないですし、インフラなども西洋的な価値観からすれば未熟なところもあります。

でも、世界が、全員フィジー人だったらどうなのかと考えたりするんですけど、iPhoneも生まれてないかもしれない、でも温暖化は進んでないかもしれない。地球を主語とした場合、フィジー人のほうがいいとは思いますね」

しかし、西洋的な合理主義で資本主義社会を邁進してきた日本のそもそもの目的は、便利で幸福な世の中を実現するためだったはず。

それが、その価値観から外れたフィジー人のほうが、たくさん僕(私)は幸せだ!と答えるという皮肉にどう答えを出せばいいのか、これからの私たちの課題だ。

取材・文:神田桂一