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デンマークの首都コペンハーゲンといえば、カラフルな建物が立ち並ぶ港町「ニューハウン」や世界最古の遊園地である「チボリ公園」など、絵になるスポットが多い美しい街として知られる。
しかし、よくよく調べてみると、デンマークらしからぬ“裏の顔”が浮上する。コペンハーゲンのど真ん中に位置する自治区「クリスチャニア」だ。
“裏名所”や“楽園”などと呼ばれるその場所は、約850人のヒッピーが住んでおり、デンマーク政府から独立したルールで政治が行われている。
一例として、デンマークでは違法とされている大麻(マリファナ)がクリスチャニア内では合法とされている(政府は黙認している)。
なぜ、このような“非常識”が、50年近くも都会の中心に残り続けているのか。クリスチャニアの住民はどんな人々で、どのように暮らしているのか。そんな問いの答えを探すため、実際にクリスチャニアを訪ねてみた。さらに、リサーチによって判明したこの場所の成り立ちについても触れてみたい。
ボスが存在しないクリスチャニアの独自ルール
クリスチャニアがあるのはコペンハーゲンの中心地で、地下鉄で簡単にアクセスできる。最寄り駅の「Christianshavn」から5分ほど歩くと、派手なストリートアートが描かれた建物が見えてくる。
ここがクリスチャニアのメインエントランス。今やデンマークの哲学を体現するような“ブランド”となったこの場所には、世界各国から年間50万人ほどの観光客が訪れるという。この日は平日の朝ということもあり、数人の住民とまばらな観光客がいるぐらいで、静かな雰囲気だった。
この地でまず目に付くのが、至るところに描かれたストリートアートの数々。クリスチャニアと言えば、このカラフルな光景を思い浮かべる人も少なくないだろう。
クリスチャニアの地図。周囲は運河と湖に囲まれている
クリスチャニアでは、盗み、暴力、銃やナイフの持ち込み、ハードドラッグ、車の乗り入れ、動物を鎖につなぐこと等が禁止とされており、これらのルールがあることで治安が保たれているようだ。
とはいえ、街の様子はコペンハーゲンの美しく歴史的な風景とは一線を画している。独自の国旗に国歌まで持つというから驚きだ。
クリスチャニアにはボスが存在せず、問題が起こったときは住民の話し合いによって解決する。
誰もが発言権を持ち、納得するまでとことん対話を重ねるスタンスは、デンマークの教育方針と重なる。
住民はクリスチャニアに対して、月2,000クローネ(約24,000円)前後の「ソサエティーマネー(クリスチャニア税)」を払っており、この金額には家賃も含まれているそうだ。
一般的なデンマーク国民が払う税率は約50%だが、クリスチャニアの住民はソサエティーマネーしか支払っていない。にもかかわらず、教育や医療等のサービスを国民同様に受けられる。
日本であれば国民の不満が爆発しそうな気がするが、この多様性を受け入れる寛大さがデンマークらしいと言えるのかもしれない。
大麻が売買される「プッシャーストリート」の様子
クリスチャニアの住民が住む家
クリスチャニアには住民が住む家々の他、地域の子供たちが通う幼稚園、土産物店、工具店、レストラン、カフェなど、さまざまな施設が軒を連ねる。
ここに建てられた家の多くは、住人たちによってオリジナルの装飾が加えられており、独特な雰囲気を醸し出している。奥に進んでいくと森林や湖といった自然も多く見られ、のんびりと暮らす住民たちの様子が垣間見える。
アニメの世界で見られるような巨大オブジェも
ところが、「プッシャーストリート(カナビスストリート)」と呼ばれるエリアは、まったく異なる雰囲気を持つ。ここには日夜多くのプッシャー(販売人)が集まり、住民や現地の人々、観光客に向けて堂々と大麻を販売している。
大麻特有のにおいが立ち込めるプッシャーエリアは全面的に撮影禁止で、入り口には見張り番のプッシャーがいる。付近にカメラを向けようものなら、即座に「No Photo」と注意される。
ここでは数種類の大麻が販売されており、グラム単位で購入できるものとタバコタイプのものがある。数人のプッシャーに「How much?」と聞いてみると、手を出せないような価格帯ではなく、地元の中高生と見られる若者が大麻を購入しているのも頷けた。
売店では大麻を吸う男性がモチーフになったTシャツが売られていた
ドラッグの歴史を調べてみると、1976年〜1979年の間、クリスチャニアではハードドラッグの問題が深刻化し、数人の住人がヘロインで命を落としたという。この問題を受けて開かれた意見交換会により、クリスチャニアでは「ハードドラッグを禁止」するルールが生まれた。
一方、ソフトドラッグに分類される大麻は制限されていないものの、ここでの大麻の販売は外部のプッシャーが管轄しており、クリスチャニアも住民も一切利益を得ていないとのこと。また、プッシャーがこのエリアに住むことは許可されていない。
プッシャーストリートの存在は住民の中でも賛否両論があるが、それでも容認しているのは、大麻の中毒性が低いこと、そしてこの場所がクリスチャニアにあることで、コペンハーゲン全体の秩序を保つことにつながるから。
もし、クリスチャニアで大麻を禁止したとしても、それを販売するマフィアがコペンハーゲンから消えることはなく、どこかでハードドラックと一緒に売られることになる。
それならばクリスチャニアで合法化しようと判断したようだ。結果的にプッシャーストリートの存在が、クリスチャニアを支えているのも事実らしい。
クリスチャニア住民の一番の願いは、デンマークでの大麻の合法化だ。法的に認められた場所で大麻が販売されるようになれば、これまでマフィアに流れていたお金の流れがクリーンになるうえに、税収も生まれる。それをハードドラッグ撲滅に使えばいいと住民たちは考えている。
プッシャーストリートは辺りが暗くなる夕方以降から盛り上がりを見せるが、多くのプッシャーは黒尽くめの洋服を身にまとい、少々近づきがたい印象がある。また、エリア内のベンチでは目つきがうつろな人々を多く見かけるため、夜間に一人で訪問するのは避けたほうが無難だろう。
誕生から約50年。クリスチャニアの歴史と成り立ち
赤地に3つの黄色い円が並んだクリスチャニアの国旗
クリスチャニアの歴史は、1971年まで遡る。廃墟になっていた元軍隊兵舎に周辺住民がフェンスを壊して侵入し、子供たちの遊び場にしたり、ヒッピーたちがアート活動を始めたりして、徐々に人が集まるようになった。
そして、1976年にはクリスチャニアの国歌となる「I kan ikkeslåos ihjel」(翻訳:あなたは私たちを殺すことはできない)が生まれた。
80年代になると政府と住民とのバトルが本格化、警察隊と住民との銃撃戦や住居の取り壊しなど、クリスチャニア存続の危機に陥る。
しかし、住民やクリスチャニアの存続を願う活動家たち、加えて一般市民までもが団結して抵抗し、体を張ってこの地を守ってきた。90年には、「これ以上、建物を建てないこと」「人口を増やさないこと」を条件に、政府と合意にいたったという。
週末になると大勢の地元民と観光客が訪れる
とはいえ、政府がクリスチャニアを完全に野放しにしたわけではなく、それからも警察官と住民との間で、絶えず揉め事が起きた。一時的に地域が閉鎖されるほどの厳しい交渉の末に、2011年6月、クリスチャニアが政府からこの土地を買い取ると決めたことで、ようやく平和協定が結ばれた。
おそらく、この時期からは治安が安定したため、現在では子供を連れた家族連れがピクニックに訪れたり、世界中から観光客が押し寄せたりするまでになったのだろう。
クリスチャニアの存在にデンマークの「哲学」を見た
出口に書かれた「You are now entering the EU」の言葉から「ここはEUではない」という意思が伝わる
これ以上家を建てないと政府と約束していることから、デンマーク国民であってもクリスチャニアに住むのは簡単ではない。けれども、この土地の門は24時間開いており、どんな人でも受け入れる。
ヒッピーに移民、アルコール中毒者や貧乏人もウェルカム。ここでは誰もが自由で平等であり、どんな格好をしてもいい。いくつかの禁止事項さえ守れば、どんな人でも居場所があるという。
正直、訪問する前は“単なる謎の多い場所”という印象だったが、実際に目の当たりにし、成り立ちを調べていくうちに、「クリスチャニアほどデンマークらしい場所はないのかもしれない」という気持ちに変わった。
一般社会になじめず法を守れない者さえも多様性として受け入れ、心が安らぐ居場所を与える。クリスチャニアの存在こそ、デンマークの哲学を表していると言えないだろうか。
デンマークを訪れた際は、ぜひクリスチャニアを訪問してみてほしい。そして、この場所の歴史を心に留めながら、「幸せの定義」や「正しい生き方」を考えてみるのも有意義かもしれない。
※参照:書籍「クリスチャニア 自由の国に生きるデンマークの奇跡」(WAVE出版)
※取材協力:在日デンマーク王国大使館
取材・文・写真:小林香織
編集:岡徳之(Livit)