時代遅れの精神科医療を変える。エストニア発、医師が設立したメンタルヘルス・スタートアップ「DocuMental」

TAG:

自殺や依存症のニュースが連日報道される昨今、ビジネス界ではGoogleやFacebookのマインドフルネスの導入、ストレスマネジメントの取り組みが話題になるなど、国内外問わず、メンタルヘルスに対する関心は高まり続けている。

その一方で、日本では精神科での長期にわたる入院、そして抗精神病薬の多剤、大量、長期の処方、世界各国でも処方薬の濫用や副作用による事故など、さまざまな課題が山積みとなっているのが、精神科医療だ。

そんな精神科医療で、にわかに注目されているのがテクノロジーの活用だ。

デジタル化が進んだと思われていた医療業界だが、欧州の医師を対象にした電子カルテに関する調査では、多くの臨床医が、現在使用されているテクノロジーは時代遅れであり、使いこなすのに時間がかかってしまう、ユーザーフレンドリーではないなどと感じていることが判明。

最先端の技術を活用した治療法や診断法が次々とあらわれるなかで、意思決定や記録といった部分に時代遅れな部分も多々ある医療の現場に、新しいソリューションを提案しているのが、電子国家エストニアのスタートアップ「DocuMental」だ。

エストニア、タルトゥ大学の精神薬理学教授を務めるエドワルド・マロン氏により設立された同社が目指すのは、医療従事者の意思決定をテクノロジーでサポートすることで、精神科医療を、より正確で、より個別の症例に沿った、患者中心のものとすることだ。

膨大な情報の処理により、テクノロジーが専門的な意思決定をサポート

 

(精神科医療におけるDSSの役割を説明するエドワルド・マロン氏 公式ウェブサイトより)

DocuMentalが提供するのは、一言でいうと精神科医療に特化したDSS(Decision support system)、すなわちデジタル意思決定サポートプラットフォームだ。

大量の情報をもれなく正確に処理することで、人の意思決定を助けるDSSは、すでにビジネスや、農業など幅広い分野で活用されてきた。医療現場でもその活用が進められているが、これまで精神科では取り入れられることはなかったという。

その意味で画期的な取り組みとも言えるDocuMentalは、3つのモジュールから構築されており、精神科医療を包括的にサポートすることを目指す。

科学的根拠に基づいた意思決定を支援するのが、すべての精神障がいを対象とし、国際的な診断基準に基づいた診断を助ける「診断モジュール」と、EUに登録された向精神薬の全リストと治療ガイドラインに基づいたアルゴリズムにより治療計画立案をサポートする「治療モジュール」の2つのモジュール。

そして、「履歴および定期評価モジュール」が、患者の病歴や既往歴、精神状態、定期的に行われるさまざまな検査やリスクの評価を、自動的に記録していく。

診断モジュールの実際はこんな流れだ。

医師は患者を診察をしながら、DocuMentalに表示されるチェックボックスをクリックし、必要であればコメントを追記する。それに基づいて、DocuMentalが最終的な診断と、複数の代替案を提示し、医師は自身の裁量に基づいて最終的な意思決定をくだす。

主な使用者は精神科の医師を想定しているが、投薬の追跡やケアプランの提案など、精神医療に関係する多様な意思決定や記録をサポートすることができるため、臨床心理士や薬剤師、看護師といった、あらゆる精神医療に関わる専門職が活用可能だ。

記録された情報には、患者からのアクセスもできるようにし、医療従事者と患者の双方向のコミュニケーションもサポートする。


治療薬の候補を示すDocuMentalの治療モジュール 公式ウェブサイトより

6人の精神科医療の専門家と、ITの専門家からなるDocuMentalのチームが強調するのは、このシステムが目指すのは、人間の判断を機械がとってかわるのではなく、テクノロジーが、人間が「大量の情報処理をすること」をサポートするということだ。

設立者、そしてCEOであるマロン氏は、人間の記憶能力には限界があり、どうしても意思決定の際、特定の結論に傾きがちであると語る。テクノロジーがその部分をサポートすることで、より正確な判断ができるようになるのだ。

DocuMentalが挑むメンタルヘルス医療に山積する課題とは

2016年に設立され、エストニアの首都タリンに拠点を置くDocuMentalは、現在、ノースエストニア・メディカルセンターでパイロットスタディを行なっている段階だ。

CEOのマロン氏が、このアイデアを生み出したのは、タルトゥ大学病院の精神医学のレジデントであった時だ。13年前には開発が開始され、パイロットプロジェクトの実施には至ったものの、その後、資金難よりプロジェクトが停滞するという困難もあったという。

そんな中で、2015年、EUコンソーシアムであるEIT Healthから資金提供を受けての再始動まで、このプロジェクトを推進させたのは、マロン氏のメンタルヘルス分野の医療に対する強い問題意識だ。

精神医療は、他の医学の専門領域よりも誤診や治療上の誤りを起こしやすいのにもかかわらず、近年多く開発されているAIによる医療補助ツールが、精神医学分野では不足しているというのだ。

欧州におけるメンタルヘルス医療の抱える問題には、それを示す数多くのデータがある。

精神科領域では、患者が診断を受けるまで平均7〜30日かかり、69%の患者が初診で間違った診断を下され、5.0〜7.5年間、誤診されたままとなる。精神障がいのある人の半数以上が必要とされる治療を受けられていない。

また、精神障害の患者の最大70%が適切な薬を服用していない。誤診によるものだけでなく、副作用や薬同士の相互作用により、持病を悪化させる、生活を困難にするような薬が漫然と処方され続けていることがある。

このように診断と治療計画の正確性の向上は、欧州でもまったなしの課題なのだ。

加えてDocuMentalが追求するのは、なにより「患者中心の個別性の高い医療」だ。

マロン氏は、現状の精神科医療が、往々にして個々の患者のニーズや個別の状態に基づいたものでなく、医師からの一方的な発信だった点にたいしても問題提起している。

精神医療分野におけるデジタルソリューションに対する抵抗感は、電子国家として知られるエストニアにあっても根強い。その抵抗勢力の中心は、残念なことに精神科の医師だという。
しかし、政府、そして患者やその家族からの強い要望が状況を打破する助けとなっているそうだ。

現在、意思決定サポートシステムとしてのDocuMentalの評価は、14か国の臨床医の国際的なネットワークの中で行われ、臨床ワークフローの大幅な改善をもたらしているというポジティブな評価を受けている。


多剤大量処方など精神科医療が抱える課題にテクノロジーはソリューションとなるのか

世界トップレベルの自殺率。そして、睡眠薬や抗不安薬といった精神科処方薬の乱用と依存。世界一の高齢化による認知症疾患の増加…医療レベルが高いとされる日本でも、精神医療関連の問題は山積している。

世界最長の精神病院入院期間や多剤処方に伴う医療費の増大も、国家財政を圧迫しており、患者、その家族、そして国全体にとって深刻な課題多き日本の精神医療に、これからテクノロジーはどう立ち向かえるのか。

このエストニア発のスタートアップが、今後、エストニア、欧州、また世界の医療の現場で、どこまで医師、そして患者を納得させる存在になるのか、注目されるところだ。

文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit

モバイルバージョンを終了