気候変動による地球温暖化が原因で、私たちの健康にも害が及んでいることが世界的に明らかになってきている。近年米国では、米国地球変動研究プログラムが2016年、2018年に発表した報告書で、気候変動が国民の健康と生活の質の低下に影響を及ぼしていると警告している。
これらを受け、米国医科大学協会(AAMC)をはじめとする国内の医療グループの大多数が気候変動を、人間の健康に対する「非常事態」と捉えており、大学の医学部などでは気候変動教育に続々と着手している。
© University of Michigan Medical School Information Services (CC BY 2.0)
米国医師会が気候変動教育の取り込みを支持
地球温暖化はすでに私たちの体を蝕み始めている。人体への悪影響を数えれば切りがない。皮膚や粘膜、呼吸器、循環器、消化器、泌尿器からメンタルと、一般人の想像もつかないところにも害が及んでいる。
2015年にはオバマ前政権が、「保健教育機関の気候変動への取り組み」を作成・発表。これは、気候変動により引き起こされる疾病に効果的に対処するための教育を、次世代を担う医療専門家に提供し、世界的なネットワークを構築することが目的だ。
大学医学部や看護学校を中心に15カ国にわたる118校が、同取り組みへの賛同を表明している。
2017年には、メディカル・ソサエティ・コンソーシアム・オン・クライメート・アンド・ヘルス(MSCCH)が創設された。気候変動への意識向上努力を医学界に促すことを狙いに活動しており、国内の医師の半分以上が所属する。
コロンビア大学内には、MSCCH の世界版ともいえるグローバル・コンソーシアム(GCCHE)が設けられている。現在、世界各地の190を超える大学医学部や看護学校などが登録している。
今年の6月には、社会的責任を果たすための医師団(PSR)の協力の下、米国医師会(AMA)が、「医学教育における、一連の気候変動教育について」という指針を打ち出した。
気候変動が人間の健康にとってリスクであることを踏まえ、医学生のみならず、医師にも、気候変動の基礎知識のほか、人体への影響、対処法を教えることをAMAは支援している。
地球温暖化や洪水の頻発のため、マラリアは今後熱帯地方に限らず、ほかのエリアでも感染が拡大する可能性が高くなるという © tpsdave/Pixabay (CC BY-SA 2.0)
既存コースに気候変動を織り込む
医学教育に気候変動と人体への影響についての学習を加えることは、現在、そして将来の地球環境を考えると必須といえる。しかし、医学課程は学ぶことが非常に多いことで知られている。
学生に負担を極力かけることなく、気候変動を教える必要がある。そこで大学側は、医学生からの提案やアイデアを募り、工夫を凝らし、気候変動教育を行っている。
気候変動問題と医療の関わり合いを既存のコースに組み込んでいるのが、ニューヨークにある、マウント・シナイ・アイカ―ン医科大学だ。「クライメート・チェンジ・カリキュラム・インフュージョン・プロジェクト(CCCIP)」と呼ばれる。
気候変動の健康への影響と、医学部で実際に行われている学習との関連性が、1つの独立したモジュールとして学ぶより明瞭になり、これをさらに発展・継続しやすい点で、メリットがあると考えられている。
大学の講義によく用いられるスライドを利用。1コースにつき、気候変動関連のスライドを2~3枚追加し、学習が行われている。
例えば、1年生の医学微生物学の講義。
マラリアやデング熱、ジカ熱などのような昆虫媒介性疾病についての授業では、気候変動教育として、ダニを介して人が感染するライム病を取り上げ、「気候条件が変化することで、どのようにライム病の原因となるダニの生息地が拡大しているか」を解説したスライドが加わった。
神経学・精神医学では、化石燃料の燃焼により発生する大気汚染と、人の神経系を侵し、神経細胞の退行性変化を示す病状との関連性も学ぶ。つまり大気汚染とアルツハイマー病の症状との関係を探る学習が付け加えられたというわけだ。
臨床診療を行うにあたって、知っているべき基礎知識や技術、医師としての心構えなどを学ぶ、「アート・アンド・サイエンス・オブ・メディシン」のコースでも、気候変動関連の内容に触れる。
ここでは診察だけでなく、すでに体に不調を抱える患者への「声かけ」の重要性を強調。例えば熱波が続く場合には、患者に病状を悪化させずに過ごすための環境が自宅に整っているかなどの確認を行うようアドバイスする。
ミネソタ大学でも同様のスタイルの授業が行われている。1テーマにつき、4~5枚のスライドを追加。「心臓血管系の疾患を持つ患者の病状が、気温上昇によりどのような影響が出るか」などが加わった。また、気候変動の精神健康への影響についてのスライドも準備中だという。
カリフォルニア州の山火事から避難したカップル。呼吸器を守るにはマスクは欠かせない Image by Michael Raphael/FEMA Photo Library
多様に展開される、医学における気候変動教育
既存のコースに織り込まれた授業が行われる大学がある一方で、1つのコースとして教える大学もある。コロラド大学医学部の4年生向けの選択科目には、気候変動と医学の関係を解説する、「クライメート・メディスン」が登場した。
同大学では、並行して意見記事の書き方を学生に個別指導している。学生は、出版物や新聞に掲載されることを念頭に、気候変動と医療に関する論文や論説記事を書く。
執筆するには、問題点を詳細に至るまで把握していなければならない。大学側は学生がこの過程を経ることで、きちんとした知識を身につけることを狙いとしている。同時に学生に記事を通して、市民を啓発する役割を担うよう奨励する。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部では、今世紀の医学教育のカリキュラムには地球温暖化は欠かせないと、1年生の必須コースとして「クライメート・アンド・ヘルス」を設定。
気候変動の基礎的な情報を踏まえ、環境正義(環境における万民の公正・公平のこと)のコンセプトや、医療システムの持続可能性の知識などを教える。
また、気候変動による健康リスクのシミュレーションシナリオを用意・提供するところもある。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校医学部だ。標準模擬患者(実際の患者を模倣し、患者役を務める健康人)も用い、患者とのコミュニケーションも学んでもらう。
「カリフォルニア州在住の喘息患者が、山火事が発端で症状が悪化する」というシナリオはその一例だ。
同シナリオ上では、従来であれば、患者に話すのはどのように治療を行うかに限定されていた。しかし、それだけでなく、患者に付加情報も与える。
山火事で汚染物質が交じる空気を除去し、室内の空気の質を改善できるフィルターの取り付けや、マスクの使用を勧めたり、当面避難できる場所を確保できるか確認したりといったことも行う。
大学側はシナリオ作りの際、極力学生の興味をそそるような内容にするよう心がけている。シナリオと模擬患者を取り入れた理由は、患者に対し身体検査を行ったり、病歴を聴取したりする時間が節約でき、学生にとり比較的重荷にならずに、気候変動が学べるだろうと判断したためだ。
米国内では、ほかにルイジアナ州のテュレーン大学が2020年春から正式科目として、スタンフォード大学が2020年冬から選択科目として、気候変動教育を取り入れることになっている。どちらも在学生の先導による動きだ。
ミネソタ大学で気候変動教育の開発を進めるテディ・M・ポッター博士はAAMCに、「気候変動は私たちの健康にあらゆる部分に影響している」ともらす。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校のアリアン・テへラニ博士は、教えるべき点ははっきりしているが、医学生に理解させるのに十分な、気候変動と医学を関連づける基本的な情報が足りないと、専門知識不足を指摘する。それでも医学生への気候変動教育は進めていかざるを得ないのが現状だ。
医学生の多くは、次々と難題を投げかける気候変動という脅威から人々の健康を守る決意を示している。しかし、医学にも限界はある。解決できないような事態になる前に、病んだ地球の手当ても迅速に行わなくてはならない。
文:クローディアー真理
編集:岡徳之(Livit)