「子どもが最も幸福な国」の教育

経済やサステイナビリティの分野で常に「小さな巨人」であり続けてきたオランダに、「子どもが最も幸せな国(UNICEF・2013)」という新たなタイトルがついて数年が経つ。

日本の教育現場で7年働いたのち6年前にオランダに子どもとともに移住した筆者は、日本のそれとは根本的に違うオランダの教育、子どもも大人も楽しくてハッピーに重きを置く学校生活に日々「これでいいの?!」と驚きの連続だ。

しかし最終的にはGDPも高く、幸福感の高い大人を輩出しているのだから、少なくともこの国では「これでいい」のだろう。

そんなオランダの教育の基礎にある基本的な価値観に迫りたく、オランダのとある小学校の校長先生にお話をきいてきたのでまとめたい。質問は大きく分けて3つ、「オランダ教育の現状」「ルールの意味」「初等教育で最も重要なこと」だ。

楽観はできないオランダ教育の現状

今回お話を伺ったのは、オランダ南部にある小学校の校長プージー・ティネマンス氏。

彼女の学校は急成長中の中規模都市のセンターにあり、特別な教育方針や宗教教育を打ち出していない「ごくふつう」の公立小学校で、保護者の国籍も職業もさまざま。

自らが中国系移民の両親を持ち、「古き良き教育」志向を自認する彼女は、オランダを含め先進国の教育の現状を非常に憂いていた。


ティネマンス校長(右下)と職員チーム(公式HPより)

―まず、オランダの教育の現状をどう見ているか教えてください。総合的には高い評価を受けながら、近年教員不足、基礎学力スコアの低下などの問題も抱えています。

実際、オランダの教育がここ数年「ジリ貧」であることは間違いありません。それはさまざまな要因が絡んでると思いますが、ひとことで言って、近年学校は「箱はどんどん貧相になっているのに、その中にどんどんモノが投げ込まれ続けている」ような状態なのです。

まず、政府による教育予算カット。世界的な経済危機により財政が苦しいのは分かりますが、教育にかける予算も「改革」の名のもとにどんどんカットしています。これは学校という箱をどんどん貧相にしているようなものです。

そしてその壊れつつある箱に、色々なモノが投げこまれ続けている。今まで学校という箱が守るべきものは、言語と算数の教育という主に2つだけでした。

昨今はそこに食育、睡眠に関する教育、善き市民としての規範とモラル、メディアリテラシー、自然との共生などが加わり、学校で教えなければならない領域は常に増加しています。

もちろん健康やモラルは大切なことですが、これは本来親の仕事ではありませんか?しかし、ほとんどの家族は両親が共働きなので、家で子どもにそんなことをゆっくり教える時間はありません。

物質的に豊かな生活を送るためには、どうしても時間が犠牲になる。結果、学校に期待されることが増えるのです。

―「学校の仕事がどんどん増えている」というのは、日本の学校で仕事していた時にも実感がありました。日本の先生たちはそれに加え、報告書などの事務仕事もどんどん増えていますが、オランダでは事務仕事をしてくれるスタッフがいるというのは本当ですか?

残念ながらうちにはいません(笑)。でも私たちの仕事は教育であって事務ではないので、そういう仕事は取捨選択し、最も効率的なやり方で済ませるようにしています。

事務仕事も必要かもしれませんが、意味とモチベーションを伴わないものはやる意味がありませんので、報告書などは目的と最低限のレベルを明らかにして省エネします。高学年の子にお手伝いしてもらうこともありますよ。

―近年、日本の先生たちの負担になっているもう一つの仕事として、保護者対応があります。「モンスターペアレント」とまではいかないまでも、苦情や要求の多すぎる親御さんは増えていると思いますが、どのように対応していますか?

教育のプロとしての信念を強く持つことですね。相手が外科医だろうが政治家だろうが、教育の知識と経験があるのは私の方だという。

そのために常にこちらも教育に関する知識をアップデートしていますし、先生がそういったケースに独りっきりで対応しているような心細い状況に陥らないように、職員全員のチームビルディングにも力を入れています。

でもまあ、親御さんたちの求めはどんどん高くなっていますし、先生にも上から目線で物を言う保護者も増えています。でもそういう態度を子どもに見せてしまうと子どもも先生を軽視して好き勝手するようになるし、結局は自分の子どものためにもならないのですが。

―先生のストも増えていますね(筆者注:近年オランダは深刻な教員不足にあえいでおり、職員増員のための永続的な予算強化を求めて教員のストが頻発している)。

ほらね、予算カットはこういう形で現場に響いてくるのです。教員不足を解消するために、政府は教職に就く人の必要条件をどんどん下げています。こんな状態では学校もチームとしてのプロフェッショナリティも、保護者の信頼も維持できません。

だから私たちはストに参加しているのです。私は現実主義者ですから、政府が無限の予算を持っていないことなど百も承知です。北欧の教育は理想的ですが、社会システムが違うのだから同じものを要求しても無理なのもわかります。

でも私たちが具体的に何を必要としているのか、それが足りない結果どんな影響が出るのか、少なくとも政府は知らなければなりません。

幸福な大人としてのロールモデルを見せないといけない先生たちが不幸な労働環境に甘んじている姿を見せるのは、子どもたちにとってもよくありませんし。

「校則」とその意味

―この学校には、「いじめがなく、みんながハッピーでいること」「お互いの話を聴くこと」など10か条の校則が至る所に貼ってありますね。

明確な行動規則をみんなが知っていることはとても重要です。この学校のスローガンは「平和な学校」です。子どもたちに快適な学習環境を提供するためには安全性が必要ですが、そのためにはどうすればお互いを尊重できるのか、行動レベルでルールを決めなければ子どもは動けません。

現代の教育は子どもにより多くの自由を与え続けていますが、私はマリア・モンテッソーリ(モンテッソーリ教育の創始者)の重要な理念である「枠組みの中での自由」を与えるためには、まず明確な行動規範を示し、その上である程度自由にさせることが重要だと思っています。


校長室の外に掲示してある「校則」(筆者撮影)

―私から見るとこの学校はほぼ校則がないように見えるのですが。ぬいぐるみを持ってきてもいいし、幼い私の娘がアクセサリーやマニキュアをつけてくると先生は怒るどころか絶対に「きれいね!」とほめてくれます。

日本の学校は「学びの場」であり、ファッションやおもちゃといったお楽しみ要素を持ち込むことは歓迎されません。

その子が着てうれしい、着心地のいい服が一番です。制服には貧困家庭の子もきちんとした服を着られるという意義があるとは思いますが。

―なるほど、居心地の問題なんですね。もしも、「私はファッショナブルでいないと居心地が悪いんだ!」と言って、勉強そっちのけでおしゃればかり気にしている子がいたらどうします?

そんな風に自分をよく見せないと居心地が悪い子には指導ではなくサポートが必要なので、私でなく担任とお話をさせます。

まあでも、ファッションは時代とともにどんどん変わっていくものですから、基本口出ししません。先生たちだって昔はタトゥもダメ、短パンは男性教員のみNGでしたが、いまは何でもOKです。

小学校で子どもが身に着けるべき「たったひとつのこと」

―最後に、小学校の教育における最も重要なことは何ですか。

子どもが「自分はこれでいいんだ」と思える自己肯定感を育てることですね(即答)。

―そこですか?!基礎学力とか社会性じゃないんですか。

初等教育は一生続く学びの入り口ですが、健康な自己肯定感は全ての基礎です。

ここでの先生の仕事は、色々な活動をさせる中で、それぞれの子の得意なことや好きなことを見つけて自信を持たせるとともに、「先生や親が言うから」ではなく、内的なモチベーションによってその先の教育で学び続けたいと思えることを一緒に探すことです。

―「苦手科目や弱点を克服する」ことはしなくていいんですか。

それ、やって楽しいですか?すべてを完璧にできる人なんていません。もちろん最低限の基本はありますが、それ以上はできないことに時間を使うよりも、できることを伸ばした方が学習効果も高いし本人の自尊心にもいい影響を与えます。

弱点はあっても得意なこともあって、これが私でOK、と思えることの方が、幸せな大人に育つためには大切です。

フラストレーションが少なく幸福感の高い大人が多い社会の方が、平和で寛容な社会になると思いませんか?寛容さは相互的なものです。ありのままの自分を受け入れられない人が、他者を尊重できるとは思いません。

―確かに修了時点である程度将来進むコースを決めないといけないオランダの小学校では、一律に学力を伸ばそうとすることよりも、自分にフィットすることを早く見つける方が大事なのかもしれませんね。オランダの親御さんは、みんな我が子のありのままの学力を認めてあげるんですね。

そんなわけないじゃないですか(笑)。我が子にはより高い学力を、よりアカデミックな進路を、よりステイタスの高い職業をと望むのは、世界共通の親のサガです。親というのは、子どもの学力が低いと「子育てに失敗した」と思いがちなものです。

うちの学校でも8年生(オランダの小学校の最終学年)の進路を決める面談で、VMBO(職業訓練校に進み、早期に就職するコース)を勧められていい顔をしない親御さんはいます。

その結果が今の深刻な職人不足です(筆者注:現在オランダでは、職業訓練校レベルの肉体・技能労働者が不足して問題になっている)。

でもみんなが医者や弁護士で、社会が成り立ちますか?私たちの住む街には、自転車修理工も大工さんも必要なんですよ。事実今オランダでは、そういう職業の人たちは人手不足だからすごく儲けているじゃないですか。

―おっしゃるとおりです。社会にはあらゆる職業の人が必要です。でも親心としては、自分の子にだけはステータスの高い仕事について欲しいと思うものかもしれません。

もちろんです。「配管工が不足してるらしいから、あなたの娘なったらどう?私の子はそんなんじゃダメだけど」というのが、正直な親心でしょう。でも親はそういう理想はわきに置いて、「その子に何が向いているか」「その子が何をしたいか」という視点に立たなければ。

「よりレベルの高い将来」に就けるようサポートしたい気持ちは分かりますが、ムリに引き伸ばすと後で本来のレベルに落とさなければならなくなったり、大人になってからも一生背伸びして生きないといけなくなります。それは幸福なことでしょうか?

私も両親が中国人ですから、アジアで言う「幸福」にはもう少しお金やステータス、世間からの尊敬が絡むのは分かります。私の両親も、私には飲食店経営で儲けるか、医者や弁護士になって欲しかった。しがない教員になると決めた時はいい顔をしませんでした。

でも好きな仕事に就いたからこそ、毎日仕事が楽しくてストレスも低い。私にはその方が大事です。そして好きな仕事をしていたからこそ校長になれましたが、そのとたんに両親の態度も変わりましたよ(笑)。

子どもの長期的な幸福とパフォーマンスに寄与するのは、その子が心からやりたいと思えることを見つけることです。

私の兄はどういうわけか、もっと「中国人らしく」育ちました。いい仕事をして高級車を乗り回し、私の愛車のボロボロのトヨタをバカにします。でもそれが彼の幸福なのです。

テスラを買って幸せな人は買えばいい。私はちょっと「バナナ(アジア系の親を持ちながら欧米で育ち、西洋的な価値観を持つ移民の子孫のこと。外側は黄色でも中身は白いことから)」に育ちすぎたのかもしれません。

最後は幸福論になってしまった今回のインタビュー。

教育というのは初等教育であっても結局、その子をどんな大人にしたいか、どんな大人を社会が求めているかという問いに根差していることを強く感じた。

「幸福な大人」を作るための、「子どもの幸福」中心のオランダの小学校。あなたはお子さんをここに行かせたいだろうか。

取材・文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit