観光地を破壊する「観光客数至上主義」

「観光立国」を目指す日本政府。2020年には訪日外国人の数を年間4,000万人に増やしたい考えだ。

政府の目論見どおり、訪日外国人数はこのところ急激な勢いで伸びている。日本政府観光局のデータによると、2011年の訪日外国人数は620万人だったが、それ以来年間20〜30%の成長率で増加し、2018年には3,120万人に到達した。

訪日外国人の国別内訳は中国がトップ。その数は838万人と国単体で初めて800万人を突破。前年比では13%も増えている。次いで多かったのが韓国で753万人。伸び率は5.6%。このほか台湾(475万人)や香港(220万人)が多く、これら東アジア4市場で訪日客全体の約70%を占める状況となっている。

このペースで伸びていけば、2020年には日本政府が目標とする4,000万人に近い数字に達する可能性がある。

しかし、すでにさまざまなメディアで報じられているように一部の観光地では観光客の過剰流入によって「観光公害」が発生。京都などでは地価の高騰、排水・ゴミの増加、渋滞、迷惑行為などによって地元住民の生活・文化や自然が危機にさらされる事態となっている。


観光公害が深刻化する京都

この問題は日本だけでなく世界中で深刻化しており、各国・都市による対策が急務だ。

こうしたなか海外では「responsible tourism(責任ある観光)」や「sustainable tourism(持続可能な観光)」といったコンセプトが広がりを見せており、観光客を受け入れる側だけでなく、観光する側の意識の変化が顕著になっている。

また先進的な国・都市では次世代の観光産業をつくりあげようという取り組みが活発化しており、観光産業の様相は大きく変わりつつある。

次世代観光に関していま世界的に注目を集めているのが太平洋の小さな島国パラオだ。人口は約1万8,000人と世界191番目。国土面積は459平方キロメートルで、グアム(549平方キロ)と同等、シンガポール(710平方キロ)の3分の2ほどの大きさだ。

これまで国際社会の注目を浴びることがなかった小国パラオだが、いまその先進的な観光政策によって世界中から注目が集まりつつある。

2019年世界最大の観光見本市で「持続可能な観光地」トップに選ばれたパラオ

観光分野で世界最大といわれる見本市「ITB ベルリン」では、毎年各国・都市の観光における持続可能な取り組みを評価し「持続可能な観光地ランキング」としてトップ10を発表している。

この2019年版ランキングで1位に選出されたのがパラオだ。持続可能な観光地・世界1位に選ばれた理由はどこにあるのだろうか。

評価ポイントの1つとして挙げられているのが2009年に世界で初めて導入したサメの保護区。また2015年に発表した海洋保護区構想などが評価された。

国土はシンガポールの3分の2ほどしかないパラオだが広大な領海を有している。同国の排他的経済水域の広さは60万平方キロ以上。

その80%に相当する50万平方キロの領海を保護区とし、漁業を禁止する方針を明らかにしたのだ。50万平方キロというと、スペインの国土に匹敵する広さ。この構想は2020年から施行される予定だ。

ただ2019年6月、パラオ議会は、同海洋保護区において日本の沖縄県など一部の外国漁船による漁業を容認する法案を可決。親日国として知られるパラオが日本に配慮した格好となった。


パラオ最大の都市コロール

ITBベルリンにおけるもう1つの評価ポイントには、パラオが2017年に導入した「パラオ誓約(Palau pledge)」と呼ばれるものだ。これは観光客がパラオに入国する際、同国の自然・文化を守ることを誓う署名。

ポイ捨てはもちろん、サンゴ礁を傷つけたり、地元文化を遵守するなどが求められる。パラオ誓約に署名しなければ、ビザは発行されない。

パラオの地元民もパラオ誓約に署名しており、住民らも自然・文化を守ることに責任を追っている。

また同国が世界に先駆け導入する「日焼け止め・禁止法」にも期待が寄せられる。2020年1月に施行される法律。近年の研究によって、多くの日焼け止めに含まれるオキシベンゼンなどの有害化学物質がサンゴ礁に悪影響を与えることが判明。

それを受けて、パラオ国内における日焼け止めの販売や使用を禁止する決定が下された。また観光客による持ち込みも禁止され、違反した場合は1000ドルの罰金が科されることになる。


パラオの海

パラオの取り組みがきっかけとなり、海洋環境を守るため有害物質を含む日焼け止めを禁止するという動きが今後世界中に広がる可能性がある。実際、ハワイでも新法が可決・署名され2021年1月から日焼け止めが禁止になる予定だ。

パラオが観光に本気で取り組む理由、「パラオらしい観光」の実現に向けた取り組み

パラオが観光にここまで本気で取り組む理由。その1つは、観光産業が同国GDPの大半を占め、経済成長のライフラインであるからにほかならない。

文字通りの観光立国であるパラオであるが、この数年同国観光市場の激変によって、政府・住民ともに「同国にとっての観光とはなにか」を深く考えざるを得ない状況となり、その結果として次世代の観光を進めようという機運が高まっているのである。

近年同国の観光市場を大きく変えた要因が「中国人観光客の大量流入」だ。

この問題については英語メディアQuartzが2019年5月24日に公開したYouTube動画「Palau is an island paradise standing up to the world」(英語)にて詳しく報じている。

2010年以前は年間1,000人にも満たなかった中国人観光客だが、2010年以降急激に増加し、2015年には9万を超えた。

これまでにもパラオ観光に関しては日本ブームや台湾ブームがあり、中国ブームはこれらに続くものであるが、圧倒的な数という点では、これまでのブームとは一線を画すものだと、地元住民が述べている。

人口2万人のパラオ。その数倍の観光客が押し寄せたことで、まさにいま京都で起こっているような観光公害問題が顕在化したのだ。

Quartzのレポーターがパラオを訪問した際、中国人団体旅行客がパラオに似つかわしくないリムジンで観光していたという。こうした状況に対し、地元住民らはパラオ観光のあるべき姿ではないと不満をもらしていたという。

小国の優位性の1つは意思決定の速さ。パラオのトミー・レメンゲサウ大統領は、中国人観光客の過剰流入問題に対し、中国からのチャーター便を半減させることを決定。その結果、2015年の9万人から2018年には5万人に減少した。


日系4世のトミー・レメンゲサウ大統領(パラオ政府ウェブサイトより)

この決定は、パラオがこの数年推し進める「ハイエンド観光戦略」の一環と見て取れる。

「the environment is the economy, and the economy is the environment」、レメンゲサウ大統領がQuartzの取材で述べた「自然と経済は一体だ」という考え。

この考えは、数年前からパラオの政治・ビジネスリーダーの間で共有されているもので、経済と自然は不可分であり、短期的な利益のために自然を犠牲にしないという決意を表すスローガンになっている。

ちなみにレメンゲサウ大統領は、祖母の父が日本人の日系4世。また第6代大統領を務めたクニオ・ナカムラ氏もその名前から分かる通り三重県出身の父を持つ日系人である。

パラオが有する広大で人の手が入っていない森や海。世界中の観光客を魅了するのはまさにこのありままの自然。

多少高いお金を払ってもパラオに来たいというハイエンドな観光客を呼び込むことで、自然の保護と経済成長を同時に達成しようという考えだ。「観光客数」ではなく「1人あたり消費」を高める戦略でもある。

また同国の観光戦略において強調されているのは「同じ価値観を共有する観光客」の呼び込みだ。これはパラオ誓約が導入された事実からも明らかだろう。ポイ捨てしたり、自然は二の次と考える観光客は「not welcome」ということだ。

現在、パラオは台湾との外交関係により、中国政府から睨まれている。中国の英語メディアGlobal Timesによると、中国大手旅行サイトMafengwoではパラオに関する情報がすべて削除され、検索できない状態となっている。

パラオのほかにも、パラグアイ、グアテマラ、ハイチ、バチカンなども台湾との関係から情報が消されているという。また、中国ではこれらの国々への団体旅行は違法となり、違反した場合は罰金が科せられる。

この影響もあり、パラオへの観光客は一時的に激減し地元旅行産業は痛手を被っているといわれている。しかしいま世界的に「responsible tourism」や「sustainable tourism」への関心が高まっており、パラオの価値を見出すハイエンド観光客が増えてくるのは時間の問題といえるだろう。

また中国に依存しない観光をどう実現するのかという点でも、パラオの取り組みは一見の価値があるはずだ。

文:細谷元(Livit