今年の春、地図会社のゼンリンがネット上で話題になったのを覚えている方は多いのではないだろうか。

2005年のサービス開始時よりゼンリンから地図データの提供を受けてきた日本版のGoogleマップが、「表示がおかしくなった」「変なところに道がある」という声がネット上で聞かれるようになったのだ。

そのうち「Googleマップからゼンリンのクレジットが消えている」という指摘があり、両者間の契約が解除されたのではないかと一時騒然となった。“消えた”ことで、逆に存在感を際立たせた「ゼンリン」とはどんな会社なのか。ゼンリンがつくる地図はどのようにつくられているのか。

今回は、同社の事業統括本部 IoT事業本部 本部長の竹川道郎氏に話を伺った。


竹川道郎氏。後ろの棚には全国の住宅地図がぎっしり収蔵されている

「Googleマップが変わった」とネットを中心に騒ぎになり始めたのが日本時間の3月21日夜。しかしその一方で、米国の地図APIベンダーであるMapbox社は、ゼンリンと提携し、日本の地図に関する提供データとしてゼンリンの地図データを採用したことを発表していた。

7月に東京で開催された「SoftBank World 2019」において、Mapbox.jpとして日本で事業を開始することを発表した。10月には、ヤフーがYahoo!地図ブログにおいて、「Yahoo! MAPの地図表示システムをMapbox社製に変更しました」と発表したが、その中でわざわざ「地図はゼンリン社製を引き続き使用します」という見出しを立てて、ユーザーを安心させた。

また9月には、中国発のタクシー配車サービス会社である滴滴出行(Didi Chuxing)とソフトバンクの合弁会社であるDiDiモビリティジャパンが、ゼンリンと業務提携し、DiDiのドライバーが使うナビゲーションアプリで、ゼンリン製の地図を使えるようにしたと発表している。

この背景として、乗客が乗り降りしやすい位置に車を付ける、あるいは事故抑止のために細い道路よりも幹線道路の走行を優先するといったルート案内が可能になるとしている。

Googleマップからゼンリンの地図が消えた背景の詳細は、契約上公開できないとのことだが、その後もこうして海外企業との提携を進めていることからも、地図データの信頼性に揺るぎがあったわけではないことは確かだろう。

なぜ世界の企業が、日本地図データに関してゼンリンと手を組むのか。これまでのゼンリンの歩みと、地図データの収集・管理の手法を紐解いていく。

テクノロジーの進化に追随し、新たな挑戦を続けてきたゼンリンの地図

「ゼンリンの創業は戦後すぐの1948年。翌1949年に、大分県・別府温泉の名所旧跡を紹介する観光雑誌『年刊別府』を出版したのが始まりでした。

ただ、観光客からの人気を博したのは雑誌本編以上に、付録として巻末に収録した地図でした。この地図には温泉宿や店舗など一軒一軒の情報が記されていて、ここに『詳細な地図』のニーズを見いだしたのです」と、竹川氏は地図事業の始まりについて語った。


ゼンリンで大切に保管されている『年刊別府』の巻末付録「別府市街全図」

その後、1952年に『別府市住宅案内図』を発刊したのを皮切りに、一軒一軒の建物の情報を記載した地図『住宅地図』をシリーズ化し、対象エリアを九州、そして全国へと拡大していった。

ゼンリンの『住宅地図』は、物流や不動産管理、ガス・電気などの生活インフラなどの事業者、自治体、警察、消防などで使われ、“社会基盤”として機能するようになっていった。

ゼンリンで第二の創業と位置づけられているのが、1980年代半ば頃、「地図のデジタル化」に舵を切った時だ。当時、地図を手描きしていた職人が高齢化していたこと、また紙での保存による火災などでの焼失リスクなどを考慮し、日立製作所と協力して世界で初となる「デジタル地図」の作成に踏み切ったのだった。

その後、「地図のデジタル化」が世の中のテクノロジーの進化と絶妙にフィットし、ゼンリンの事業展開を広げていくことになる。

1990年代にはGPS(全地球測位システム)衛星を用いたカーナビ、カーナビゲーション・システムが一般に普及し始めた。

また、GIS(地理情報システム)という、地理情報とそれに紐付く情報をコンピュータで作成し、都市計画や出店計画などに利用されるシステムが開発され、そのベースとなる地図情報としてゼンリンのデジタル地図が導入されていった。

2000年代に入ると、インターネットが普及し、それまでCD-ROMなどの媒体で販売・配布していた情報がインターネットで配信できるようになり、人々はPCやフィーチャーフォンで地図をオンデマンドで入手できるようになる。

そして、2010年代はスマートフォン全盛の時代。スマホ1台1台にGPS機能が付き、誰もが地図アプリで自分の居場所が見られるようになり、各種アプリでもAPIで地図データを参照しサービスに役立てられるようになった。

Yahoo!地図やNAVITIMEなどの地図アプリでもゼンリンの地図が使われており、普段私たちがPCやスマホで見る日本地図の多くはゼンリン製という状況だ。

ゼンリンの地図が世界から信頼を得ている理由

この時代の流れの中でのポイントは、「地図」というものが、人が目で見て空間を把握する「絵」というアナログ情報から、システムやアプリケーションが参照する「データベース」へと変遷してきたということだ。

「当社は『現実世界をライブラリー化する』をミッションとして掲げています。私たちは現実世界のモノを『地物(ちぶつ)』、つまり空間を構成する要素として捉えており、ゼンリンの地図情報は、『地物データベース』という概念で成り立っています。ガードレール、アスファルト、建物、区画線、すべて地物です。これらIDを振り、データベース化しています」(竹川氏)

ゼンリンの強みは、その「地物」の情報収集体制にある。

基本は、人による情報収集。全国に調査員を配し、建物の住所や表札・テナント、入り口の向きなどの情報を徒歩で一軒一軒回って調査・収集する。調査拠点は全国に70あり、毎日各地で調査員が情報収集に当たる。

しかも、一度調査して終わりではなく、何度も同じ場所に赴いて情報を更新していく。現実世界の地物の情報は時間と共に変化するからだ。調査対象エリアは全国1,741市区町村を網羅し、都市部は毎年、その他の地区も2〜5年のサイクルで更新されているという。

こうして現地に足を運び、実際に人が目で見て情報収集する方法を、ゼンリンは創業当初から続けている。“人海戦術”というと地味で非効率に聞こえるかもしれないが、最も確実な方法で取得したデータベースを基盤としているからこそ、ゼンリンの地図の信頼性が担保されているのだ。

現在はこれに加えて、自動車を使った調査・情報収集も行っている。

レーザーを使って画像を取得し距離を測る「LiDAR」などのセンサーを搭載した自動車が、Googleマップのストリートビューを撮影することで知られるグーグルカーのような形で道路を走り回り、道路のレーンや信号・標識などの空間情報と、一方通行などの交通規制などの情報をデジタルで集めている。

こうして集めた情報から住宅地図、道路地図、高精度地図などを揃え1つのデータベースの中で多層的に管理していることが、ゼンリンの強みである。

そして、例えば人が見る地図の場合は、必要な情報だけを抽出し、デフォルメした地図として表現したり、システムが参照する場合はより精度の高いデータをAPIで提供したりと、用途に応じて自在な形で取り出せるようにしているのだ。

「今後はIoT化・5Gの時代になり、人流、つまり人々の移動履歴や車の移動履歴、渋滞情報、道路工事などに伴うテンポラリーな車線規制情報など、位置情報と紐付くダイナミックなデータベースがどんどん生成されてくると思います。

それらのデータは緯度・経度で表される『点』の位置データですが、そこが現実世界のどこなのか、例えばどの道路のどの車線上なのか、建物の中なのか、森の中なのか、といったことは、スタティックなデータベースと紐付けなければ分かりません。私たちは、その際に安心して紐付けられる『品質保証された地図データベース』を提供していきたいと考えています」と竹川氏は話す。

「ナイト2000」のような自動運転走行を支える地図情報を生み出す

竹川氏は、ゼンリン社内のあるエピソードを教えてくれた。

「2000年代始め頃だったと思いますが、テレビドラマの『ナイトライダー』に出てくる『ナイト2000』を支える地図情報をゼンリンが担いたいということで、当時の副社長が『ナイトライダープロジェクト』をやろうと言い出したんです」

ミレニアル世代には馴染みが薄いかもしれないが、『ナイトライダー』とは1980年代のアメリカのテレビドラマで、日本のテレビでも放映され人気を博した。その中に「ナイト2000」と呼ばれる人工知能を搭載した自動運転車が出てくるのだ。

「当時はまだ自動運転車はSFの世界、夢のような話でしたが、そこから社内で、ナイト2000を実現する地図とはどのようなものなのか、何の情報が必要かという議論され始めました」と竹川氏は話す。

当時、道路は1本の線として扱われていたが、レーン(車線)の情報が必要になるのではないか、「このレーンは左折のみ」といった規制情報もデータとして持っておかないといけないのではないか、と議論が進む中で、レーンネットワークのデータベース化が進んだ。

今年9月に発売された日産自動車の新型スカイラインには、先進運転支援技術「プロパイロット2.0」が搭載された。これは、高精度地図を使った世界初の自動運転車となる。

この技術を支える地図データとして、ゼンリンの3D高精度地図データが採用されており、高速道路の細かな道路形状の把握や、車両速度の制御、レーンごとの走行ルートの計画などを可能にしている。これも、元をたどれば「ナイトライダープロジェクト」の一つの成果だといえるのかもしれない。

MaaSのプラットフォームとして事業者間連携の促進を目指す

ゼンリンは、10月にシンガポールで開催された「第26回ITS世界会議」で、ゼンリンはMaaS向けソリューションとして地図データベース「Mobility based Network」を公開した。

「今、自動車メーカーや鉄道、バス、タクシーなどの交通事業者さんがいろいろ連携してMaaSを構築しようとしていますよね。さまざまな交通手段が融合するMaaS時代には、地図情報も道路、鉄道、歩行者ネットワークがつながっていなければなりません。これらネットワークと、それらが相互につながる駅などの“交通結節点”を統合し、1つのレイヤーで表現したデータベースをMobility based Networkとして公開しました」(竹川氏)

このMobility based Networkをベースに、さまざまなサービスが実現可能になる。例えばバリアフリーの情報を付加することで交通弱者の移動をサポートできる。あるいは、交通結節点である駅で待ち時間が30分ある場合に、駅ビルの店舗の割引クーポンをスマートフォンを通じて提供可能になる。

「MaaSを構築する上では事業者間連携が大きな課題となりますが、そこで例えば『A社系のMaaSネットワーク』『B社系のMaaSネットワーク』というふうに系列が分かれてしまうと、ユーザーにとっては不便になってしまうでしょう。

そこに私たちのような地図データベース企業がプラットフォームとして介在する価値があるのではないかと考えています。地図というものは基本的に事実を記録したものですから、ニュートラルな立場、インフラです。誰もが位置情報を使いやすい環境と新鮮なデータを整備し、さまざまな交通事業者がその上でスムーズに連携できるプラットフォームを目指します」

現在の社名「ゼンリン」は、「善隣」という言葉に由来する。

この言葉には「隣国または隣家と仲よくすること」の意味があり、戦後間もなく起業した創業者の「平和でなければ地図づくりはできない」という思いが込められているのだという。

これからは、それに加えて、「さまざまな事業者同士をつなぐ媒介者」という意味が加わっていくのかもしれない。

竹川道郎
株式会社ゼンリン 事業統括本部 IoT事業本部 本部長
1996年入社。2012年にITS営業二部部長、2016年にADAS(先進運転システム)事業推進室室長を歴任。自動運転における地図の必要性が疑われていた中、自動車ジャーナリスト(AJAJ協会)向けのメディアセミナーを主催し、自動運転支援への地図の必要性を業界内に訴求するなど、パイオニア的存在。2018年には、新設されたIoT事業本部本部長に就任し現在に至る。

取材・文:畑邊康浩