INDEX
窓がなく薄暗く、不快な匂いが充満し、騒音が鳴り響く狭い部屋。自分がこの空間で仕事と生活をしている姿を想像してみてほしい。生産性を高く保って仕事ができそうか、ストレス負荷が低い生活が送れそうか。おそらくそれは難しいのではないだろうか。
騒音が鳴り響いているため不快度は高く、リフレッシュするための窓もない状況、ストレスレベルは高く、仕事の生産性は下がり、生活における幸福度も低くなることが考えられる。
この状況は極端なものだが、現代人の多くはこれに似た空間で仕事・生活を余儀なくされている。現代人は人生の大半を屋内で過ごすようになったが、屋内空間のほとんどではそのデザインにおいて、光・匂い・音など人間の心身に影響を与える要素は考慮されていないのが現状だ。
このことを問題視し、科学的アプローチによって、人間にとって最適な屋内空間をつくりだそうという試みが米国で始まっている。米No.1病院メイヨー・クリニックとヘルステック企業Delosによる「Well Living Lab」だ。
以前紹介した「ウェルネス不動産」に関する記事の中で簡単に紹介した取り組み。今回は、Well Living Labの研究内容にフォーカスをあて、これまでの屋内空間最適化研究において、どのようなことが明らかになったのか、その詳細に迫ってみたい。
囚人より外に出ない子供2人に1人、増える屋内で過ごす時間
なぜ屋内空間最適化研究が必要なのか。Well Living Labのサイトでは、現代人の屋内生活時間が過去に比べ大幅に伸びている事実に触れ、屋内空間の見直しや最適化の必要性を説いている。
Well Living Labウェブサイト
Well Living Labが挙げている2001年の研究によると、米国労働者が屋外で過ごす時間は人生のなかで10%しかなく、残りの90%は屋内で時間を過ごすようになった。これは特に労働形態の変化に影響を受けており、デスクワークが増えたことで、屋内で過ごす時間が増加してきたという。
1日24時間、その10%は2時間。1日のなかで外で過ごす時間が2時間ほどというのは、日本でも多くの人にあてはまるのではないだろうか。
また最近のNetflixやYouTube、eスポーツなどの普及を考慮すると、屋内で過ごす時間はさらに増えている可能性が考えられる。
米国で実施されたいくつかの調査では、同国の15歳は1日平均2.4時間テレビを視聴し、1時間パソコンを利用している一方、スポーツなど屋外での活動に費やす時間は1時間未満であることが判明。テレビの視聴時間は、75歳層ではさらに増える。
外に出る理由の1つとなる買い物でも、Eコマースが普及したことによって、人々はますます外に出なくなっている。さらに、オフィスに通勤する必要がないリモートワークやフリーランスが普及していることも屋内時間の増加につながっていると考えられる。
Well Living Labが指摘するところでは、子供の2人に1人は、米国のセキュリティレベルが最高の刑務所に服役する囚人より外で過ごす時間が少なくなっているという。
もっとも心地よいオフィスのつくりかた
これだけ多くの時間を過ごす屋内であるが、オフィス、家、学校など屋内環境の多くは過ごす人にとって心地良い環境にデザインされていない場合がほとんどだ。
Well Living Labが実施した、オフィスの光・温度・音の従業員への影響に関する研究で興味深い結果が明らかになった。
まず光について。蛍光灯やLED、自然光などいくつかの選択肢がある屋内の光。その選択において、考慮される要素はコストのみで、光の種類や色(温め色や青白い色など)などに注意を向けることはあまりないかもしれない。
しかし同研究は、主に光の種類が従業員の心地よさに影響を与えている可能性を示しており、無駄なストレスを発生させず、生産性を高めたい企業にとって重要な示唆になる。
従業員がもっとも圧迫感を感じたのがシェードが窓に固定され外が見えない場合だ。この場合、LEDの色に関係なく、圧迫度が高まったと報告されている。
一方、窓にスモークが貼られていても、シェードの開け締めができる場合は、従業員の満足度は維持されることが判明。また、青みがかった色のライトの場合、その夜ぐっすり眠れたと被験者らから報告があったという。
窓がない空間
オフィスの温度についても適切な管理が必要だ。暑すぎたり、寒すぎたりすると、従業員の生産性が下がってしまう可能性があるからだ。
同研究では、暑すぎより寒すぎる方が従業員のやる気や生産性の低下につながることが分かった。同研究で示された最適温度は21.7度。少しひんやりする程度が最適という。
音にも注意が必要だ。仕事中にはホワイトノイズが好ましいといわれることがあるが、同研究ではホワイトノイズは低音量でも高音量でも被験者からは不快との報告がなされている。
ホワイトノイズよりも集中力を削ぐのが、他人の話し声と電話の鳴る音のコンビネーション。被験者らからは、集中力を維持するのが難しく、仕事がはかどらないとの声があがった。
この研究結果をまとめると、温度21.7度で雑音・騒音がなく、自然光が入り、窓から外の景色を見えるようにすることで、最適なオフィス環境を実現できることになる。
香りや室内空気の質にも気配りを
屋内の匂いや空気の質も軽視されがちだが、心身の状態に大きな影響を与えることが判明しており、モニタリングや管理が必要だ。
世界保健機関(WHO)によると、屋内(家庭)の空気汚染によって、世界では毎年800万人が命を失っているという。かまどでの調理によって起こる空気汚染が多く、途上国のみの問題だと思われているが、欧米でも建材による屋内空気汚染が発生しており、世界共通の問題になっている。
屋内で汚染された空気を吸うと、心臓疾患や肺炎、さらには肺がんなど心肺系の病気になるリスクが高まるといわれており、WHOなどが各国に対策を呼びかけている状況だ。
Well Living Labは屋内の空気の質に関しても調査を実施。これまでの調査では、多くの家庭で使用されているディフューザーの影響測定などが行われている。
ディフューザーの影響については「particulate pollution(微粒子汚染)」と「VOCs(揮発性有機化合物)」のレベルが測定され、数種類の吸入器(nebulizer)との比較分析が実施された。
この分析結果では、ディフューザーの微粒子汚染と揮発性有機化合物の水準は低いとの評価が下された一方、一部の吸入器ではこれらの水準が高く、健康に悪影響を与える可能性があると結論づけられている。
ディフューザーでよく使用されるレモンの香りを持つVOC「リモネン」やマツの木の香りを持つ「ピネン」は無害であるといわれており、これらをうまく活用すると、心地良い空間を健康リスクを損なわずつくりだすことが可能になる。
世界450兆円ともいわれるウェルネス産業。人々のウェルネスやウェルビーイングに対する意識が高まるなか、この先さらに伸びることが見込まれている。
この強い意識はいま屋内環境に向き始めており「ウェルネス不動産」の台頭といった形で顕在化している最中だ。Well Living Labの果たす役割は今後一層大きなものになっていくことになるだろう。
文:細谷元(Livit)