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米中貿易戦争回避の動き加速、恩恵受けるインド
収束の兆しを見せない米中貿易戦争。この状況下、小売や製造業など多くの企業が中国からの脱出を図ろうととしている。
中国を脱した企業が向かう先はどこなのか。ベトナムやバングラデシュなどの名前があがることが多いが、最近話題になることが増えているのがインドだ。
これまで主にソフトウェア・オフショア拠点として欧米企業に重宝されてきた国だが、いまではAIなど先端テクノロジーの研究開発拠点として、またハイテク製造業の拠点として注目されはじめている。
たとえば、アップルが中国でのiPhone生産規模を縮小し、インドでの生産を増やすとの報道がさまざまなメディアで取り沙汰されている。また米印戦略パートナーシップ・フォーラム(USISPF)によると、現在200社に上る米製造企業が中国からインドに生産拠点を移すことを検討しているという。
インド政府はこの流れをさらに強くしたい考えだ。ブルームバーグが2019年6月に報じたところでは、インド政府は脱中国を検討する企業をインドに受け入れるために、新たな優遇税制の導入を検討しているというのだ。
世界で10億人以上の人口を有する超大国は中国とインドのみ。何かと比較されることが多い2国。これまで経済分野ではさまざまな側面で中国が優勢との評価が多かった印象だが、米中貿易戦争や中国経済の失速はインドにとって経済成長やイノベーションを加速させる好機となっている。
経済成長やイノベーションを実現する上で、スタートアップは欠かせない存在。インドでもこの事実は広く認識されており、スタートアップ育成の取り組みは積極的に実施されている。
さまざまな取り組みが実施されているが、その中でも代表的な存在として注目を集めるのが「NASSCOM 10K」と呼ばれるプロジェクトだ。
NASSCOMとは「National Association of Software and Services Companies(全国ソフトウェア・サービス企業協会)」のことで、インドの主要IT企業の大多数が加盟する業界団体。NASSCOM 10Kは、この組織が主導する2023年までにテックスタートアップを1万社育成しようという大掛かりなプロジェクトだ。グーグルなど米テクノロジー大手も支援しており、これまで同プロジェクトを通じてさまざまなスタートアップが誕生している。
NASSCOMウェブサイト
これまでにどのようなインパクトを生み出し、どう評価されているのか、NASSCOM 10Kの実態と可能性をお伝えしたい。
スタートアップ1万社育成目指すインド「NASSCOM 10K」
NASSCOM 10Kが開始されたのは2013年。アイデアから事業化、さらには事業のスケールを支援するインキュベータ/アクセラレータとしての役割を持つ取り組みだ。グーグルの元CEOエリック・シュミット氏が同プロジェクトの発端に深く関わっている。
NASSCOM 10Kが当初目標としていたのは、スタートアップエコシステムの構築だった。そのために「warehouse(ウェアハウス)」と呼ぶインキュベーション/コワーキングスペースの開設に注力してきた。米シリコンバレーでは、インキュベーションスペースのことを「garage(ガレージ)」と呼ぶことがあるが、NASSCOM 10Kはウェアハウスという名称を好んで使用している。
ウェアハウス第1号は、2013年インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールに登場。その後2015年にコルカタ、コチ、ハイデラバード、2016年にムンバイ、プネ、チェンナイなど主要都市に開設されていった。
この間、米テクノロジー大手の支援も並行して実施されている。NASSCOM 10Kのスポンサーにはグーグルのほか、マイクロソフト、アマゾン、IBM、インテルなどが名を連ねている。インド地元紙によると、米テクノロジー大手による支援には、毎年10万ドルの資金援助やIoTなど先端技術を扱える研究施設開設などが含まれている。
NASSCOM10Kウェブサイト
2013年に開始されたNASSCOM 10Kでは2016年までに、およそ1万4000件の応募があり、そのうち1255社がショートリストに残り、そこから246社が資金援助を受けることに成功。またこの時点までで16社が買収された。
地元メディアThe Economic Timesが2016年10月に報じた記事の中では関係者らの声をまとめ、起業家を後押しし着実なスタートアップの育成つながっているとして、エコシステム醸成という観点ではNASSCOM 10Kは高く評価できるとの論調を展開。一方、質的な課題があり、改善の余地があることも指摘している。
その課題の1つが、米国やインドで成功したビジネスを真似るコピーキャット企業が増加したことだ。特にNASSCOM 10Kが開始された初期にかなり多かったという。ただし、時間の経過とともに、単なるコピーではなく、インド特有の課題を解決することを目指すアイデアが増えてきているとも述べている。
「NASSCOM 10K」、インドらしさを兼ね備えたスタートアップ育成に注力
NASSCOMで当時会長を務めていたR・チャンドラカセール氏は、NASSCOM 10Kで目指すスタートアップエコシステムのあり方について以下のように説明している。
NASSCOM 10Kは米シリコンバレーのようなエコシステムの醸成を目指すものの、それはインドのテイストを含んだものであるべきだと強調。つまり、UberやAirbnbのようなグローバル展開する「メガサクセス」する企業ではなく、ヘルスケアや教育、Eコマース、電力などインド特有の問題を解決するスタートアップを育成するエコシステムの構築を目指すというのだ。
AIを活用したブルーカラー労働者向けの就職・転職プラットフォームDhiyoは、チャンドラカセール氏が強調するインド特有の問題にフォーカスしたソリューションといえるだろう。
NASSCOM 10Kでインキュベートされたスタートアップで、AIによって会話だけで履歴書を作成できるプラットフォームを開発している。その特徴はマルチリンガル対応であることだ。
インドは英語を話す国という印象があるが、実際のところは英語人口の割合は国全体の中ではそれほど大きくない。第一言語として英語を使う割合は0.02%(約26万人)、第二言語として英語を使う割合は10.6%ほど。インドは大多数の人々が英語以外の言語を話す多言語国家でもあるのだ。第一言語として話者が多いのは、ヒンディー語、ベンガル語、マラーティー語、テルグ語、タミル語など。
Dhiyoアンドロイドアプリ
多言語対応している点やインフラ需要の高まりを考慮している点など、インド特有の問題にフォーカスしており、数多くいるNASSCOM 10K発のスタートアップのなかでも同社は特に注目される存在となっている。
NASSCOMは現在、米国だけでなく、英国、日本、オーストラリア、中国などさまざまな国とのネットワークを強化。またフィンテックや不動産テックなど新興分野における起業イベントを多数開催し、起業家が大手企業や投資家とのネットワークを構築する支援を実施している。さらには「バーチャルインキュベーション」という形で起業支援を効率化する取り組みも開始しており、世界各国からの注目度はますます高まっていくことになるはずだ。
文:細谷元(Livit)