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近年、「EdTech(エドテック)」と呼ばれるテクノロジーによって、教育にイノベーションを起こすための取り組みが注目されている。
世界各国で開催されるテクノロジーの展示会においても教育分野が設置されるなど、グローバルなトレンドとなっている。
また日本においても、オンライン上で教育を受けられる学習系ITサービスが続々と登場しており、今後もその流れはしばらく止まることはないだろう。
そんなEdTech(エドテック)全盛期の中で「人工知能(AI)」技術を活用し、教育業界初の試みに挑戦する企業がある。アルプスの少女ハイジのCMでお馴染みの、株式会社トライグループ(以下、家庭教師のトライ)だ。
2019年8月6日、同社は、AI事業を展開するギリア株式会社(以下、ギリア社)と資本業務提携を行い、全5教科に対応した「診断型」AI教育サービスを開発・展開するとプレスリリースを発表した。
同日、トライ本社にて報道関係者向けに記者発表会が開かれた。発表会の前半では、ギリア社との資本業務提携の背景や教育業界がいま抱える課題について、後半では、AI教育サービスにおける今後の展開などが言及された。
今回の記事では、その模様をお届けする。
ICT教育と講師数確保に苦戦する日本の教育(塾)業界
なぜ今回、個別指導を生業とする家庭教師のトライはAI事業会社と手を組む必要があったのだろうか。
その前段として、株式会社トライグループ 常務取締役の物部 晃之氏から、現在の教育業界を取り巻く状況について説明が行われた。
2000年代以降、日本の教育機関ではICT教育に関する取り組みが盛んになった。
特に、先進的な取り組みをしている学校では、生徒一人ひとりにタブレット端末が配布されたり、学習ソフトを活用した授業などが既に実施されている。
一方で、想定通りにいっていない部分も多い。
「AIが授業に導入されている学校もありますが、それは一部の進学校のみで、多くの学校ではICTを活用しきれていない現状があります。また、学力が高い生徒だけでなく、受動的な生徒にも対応可能なICTツールは未だ実現に至っていません」と物部氏。
時代の変化に伴い、学校外教育(塾)市場にも大きな波が来ているという。
これまで集団塾・予備校を売りにしてきた企業が、軒並み個別指導の方向へとシフトしてきているというのだ。
その理由として、少子化の影響により「子ども一人ひとりに柔軟な対応をして欲しい」といった保護者のニーズが高まってきたことが主に挙げられる。
また、2020年の入試制度改革によって、これまで大学入試の象徴的な存在であった「センター試験」が廃止され、「大学入学共通テスト」が新しく導入されることが決定している。受験を取り巻く環境の変化や、個別カリキュラムに合わせた指導方針がいま、教育業界では求められている。
だがその一方、講師の数を確保することが難しい、という事情もあるのが現状だ。人材不足は国内のどの業界でも叫ばれている課題だが、教育業界においても例外ではなく、各社は苦戦を強いられている。
こういった背景から、一人の生産性を高めることが出来るAIの分野が注目されているのだ。
生徒一人ひとりに合わせたカリキュラムを実現したい
上述の点で、家庭教師のトライには22万人の講師を確保しているという優位性がある。また同社には、豊富な生徒指導データが蓄積されている。
そのデータの根幹をなすのが、「教育プランナー」という制度。教育プランナーとは、通常指導する講師とは別に生徒の受験プランを立てたり、学習のトータルサポートを行い、目標達成に導く役割を持つ社員のこと。全国で1,000名ほど存在している。
彼らは生徒指導を行う初回時、学力診断テストを行う。生徒の現状の課題や目標をヒアリングし、オーダーメイドでそのギャップを埋めていくためだ。だがその学力診断で、「生徒の本質的な課題を1度で見つけるのは難しい」と物部氏は言う。
「5教科分の診断を行おうとすれば、回答する問題数は全部で200問以上になります。そのため、どの塾でも診断テストを行う際は通常1教科に限定します。また子どもたちは感覚で答えてしまうことがあるため、正確な課題把握がしづらいという問題があります。それをより高い精度で、かつ生徒に負担が少ない形で実現できないか。そうすれば、その子に合わせた、より効果的なカリキュラムを組み立てることが出来るのではないかと考えているのです」
そうした現状が、今回のプロジェクトを始める動機にもなっているとのことだ。
家庭教師のトライと、ギリア社が持つ強みを、掛け合わせる
トライがプロジェクト発足時に掲げたミッションは、「『全5教科』に対応した、全学力層向けの高精度、学力診断AIを開発する」というもの。
だが、AI領域に関する知見を有しないトライには、協力企業が必要だった。
そこで、業界のリーディングカンパニー1業種1社で連携し、「みんなのAI」を標榜するギリア社の理念に共感し、提携を決めたと言う。
ここで簡単に、ギリア社について紹介しよう。
同社は、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)等が出資して2017年6月に設立された合弁会社。
「ヒトとAIの共生環境の実現」をミッションとして掲げ、単なるAI開発にとどまらず、AIソリューションの社会実装までを手掛けることを目指している。
家庭教師のトライは、自社が持つ豊富な生徒指導データと、ギリア社が持つ豊富なAIに関する知見を掛け合わせることで、これまでのAI教育サービスとは異なるものが出来ると考え、開発を行った。
それが、理解度を網羅的に測定する「共進化的アダプティブラーニング方式」を採用した新方式の「診断型AI」システムだ。
次項から、本システムのコンセプトについて紹介する。
コンセプトは“勉強”の健康診断
本システムのコンセプトは、「“勉強”の健康診断」。
つまり健康診断のように、どこが出来て、どこが出来なかったのかを、最低限の診断を通して弱点を見つけられるというものだ。従来のAI教育サービスの問題点について、物部氏はこのように指摘する。
「これまでの学力診断は、アダプティブラーニング方式(さかのぼり学習)と呼ばれる、その生徒が苦手とする原因をさかのぼって探る、というものでした。しかし、この方法は学力の高い生徒にしか対応出来ません。何故なら、苦手な単元が多すぎる場合は、膨大な時間と労力が掛かってしまうからです」
今回、2社が新しく共同開発した解析手法を使えば、従来の約1/10の時間で学力把握が可能になると言う。
この解析手法を個別の生徒に最適化するだけでなく、全生徒のつまづき傾向を全体的に把握し、AI自身も共進化していくことから、「共進化的アダプティブラーティング方式」と名付けた。
また今回開発したサービスは、教わる生徒側はもちろん、指導する講師側にとっても業務が効率化し、本質的な教育サポートへ集中出来るようになるというメリットがある。
「将来的には、学校や教育委員会への導入も目指し、教育現場全体への貢献も視野に入れて取り組んでいく」と、物部氏は前半の発表を締めた。
トライとの取り組みはチャンスだと思った
発表会後半では、ギリア株式会社代表取締役の清水 亮氏から、トライとの資本業務提携に対する想いが語られた。
ギリア社は先ほども述べたとおり、「ヒトとAIの共生環境の実現(みんなのAI)」を目指すAI事業会社。
今回の提携を決めた理由について、清水氏は次のように述べた。
「私たちはこれまで、企業様に対してAIに関する知見を提供してきました。クライアント様には喜んでいただいておりますが、一般の方にはメリットが感じられていない、という自分たちの中での課題感がありました。そこで、皆さんに広く知られている家庭教師のトライと組むことで、すべての子ども達にAIの恩恵を受けてもらいたい、という想いがありました。また、私たちの技術で、人の思考能力を拡張できるチャンスであるとも思いました」
診断に必要な200問2時間が、20問10分に短縮へ
ここからは具体的に、「診断型」AI教育サービスの仕組みについて解説する。
AIが収集し、活用するのは、家庭教師のトライが担当する全中学生22,000件の学習診断の回答データ。マルバツ形式で200問から出題される。
このデータを基に、入塾テストの際に200問必要だった問題を、トライでは網羅的かつ、生徒にとって負担が少ない単元別の一括学力診断が出来ないかと、検討した。
その結果、200問解くと1科目約2時間かかるテストが、厳選した20問のみの回答となり、回答時間約10分で全単元の学力を診断できるシステム開発を実現した。
それが、今回の「診断型」AI教育サービスの強みだ。
サービスの裏側の仕組みはこうだ。
まず、生徒の大まかな理解度を判定するために、はじめの1問を答えさせる。すると、AIがその他全ての問題の正答率を過去データから瞬時に参照し、予測する。
この問題は正答出来ない可能性が高い、などのサジェストが黄色などの色別で可視化される、という具合だ。
これらの仕組みを応用することで、全ての問題を解かなくても核となる問題さえ答えられれば、その生徒の理解度を指導側は把握出来るようになる。
だが、注意点もある。
そのシステム上で回答する際、答えが分からないにも関わらず、適当に答えて正解してしまう等のケースがあると、正確なデータが取れなくなり診断結果に誤差が生じてしまう。生徒がサービスを使う際には、サポート役となる人間が必要になりそうだ。
教育業界の時代は変化するタイミング
これまでの公教育を中心とした教育体制は、教師が示すたった一つの答えを教室という箱の中で一方的に暗記させる、というものだった。ところが、昨今の教育トレンドは個別指導”にシフトしつつある。一人ひとりに合ったカリキュラムや指導方法などが必要となり、受験方法自体が多様化する現代においては、結果を出すための戦略も当然異なってくる。
だが、従来の受験対策業務に加えて、中長期的な生徒のライフプランに対しても思案をしてほしいというのは、人員不足が叫ばれる中、現場教員や塾講師には過度な期待だろう。
家庭教師のトライが採用している「教育プランナー」制度は、その点では、意味のある取り組みではないだろうか。今回の「診断型」AI教育サービスは、「教育プランナー」にとって、本来の業務により集中出来るようになるきっかけとなり、本当の受験パートナーとしての時間が割けるようになるかもしれない。
家庭教師のトライとギリア社のタッグが、今後、教育産業にどのようなインパクトを与えるのか注目していきたい。
取材・文:花岡郁