INDEX
「ギャル」という言葉が国内に浸透し始めたのは1990年代。
その頃、歌手の安室奈美恵がブレイクし、若者の間でカリスマ的存在に。彼女のファッションを真似する「アムラー」と呼ばれる若者が続出した。
これを受けて、女子高生を中心に、黒肌に濃いメイク、ミニスカート、茶髪、ルーズソックス、厚底ブーツなど、派手な見た目の若者女性が一世を風靡し、「コギャル」という言葉がマスメディアでも頻繁に用いられるようになった。
その後、1999年頃には、色黒の肌や奇抜な髪型やメイクが特徴の「ヤマンバギャル」、進化系である「マンバギャル」が渋谷を席巻。
2000年頃には歌手の浜崎あゆみがブレイク、「第2のギャルのカリスマ」として支持され、「白ギャル」と言われる色白のギャルが誕生。彼女らは綺麗めのファッションを好み、これまで「汚ギャル」と称されることもあったギャルのイメージを覆した。
その後も「お姉ギャル」「小悪魔系ギャル」「姫ギャル」など、多様な形態のギャルが誕生。当初のスタイルとは若干のファッションの流行り廃りはあるものの、令和を迎えた現在でも「ギャル」という言葉は深く浸透し、頻繁に使用されている。
また、ギャルの影響力は海外にも及び、日本のギャルのメイクやファッションを模倣した「gyaru」と呼ばれる外国人まで出現。日本の「Kawaii」は年々海外でも逆輸入されている。
1990年代から長い歴史を持つギャルカルチャー。「ギャル」はもはや日本を代表する文化の1つといっても過言ではないのではないだろうか。
そのような背景の中、平成のギャルカルチャーを牽引し、最盛期には50万部の発行部数を誇ったギャル系ファッション雑誌「egg」が、昨年2018年3月に「Web版egg」として復活。
また、今年1月に同誌の公式Twitterアカウントが「eggが遂に雑誌で復活!?このツイートが1万RT達成すれば、5月にeggが雑誌で復活します!」とツイートしたところ、約2時間で2万リツイートを達成。
その後、クラウドファンディングも無事成功を収め、年号が令和へと変わった今年5月1日に、念願の紙での復活を果たすこととなった。
今回は、令和においてのギャルたちの風潮やマインド、今後のギャルカルチャーのあり方などについて、22歳にして同誌の編集長を務め、また、株式会社エムアールエーの代表を務める赤荻瞳(あかおぎ ひとみ)氏にお話を伺った。
- 赤荻瞳
- 平成8年9月6日生まれの22歳。高校2年生の頃にギャルサー(ギャルサークル)での活動を開始。18歳で同サークルを卒業後、平成27年に広告代理店事業、メディア事業、店舗事業、イベント事業を展開する株式会社エイチジェイに入社。平成30年3月にWeb版「egg」を復活させ、編集長に就任。現在、同誌を運営する株式会社エムアールエーの代表も務め、今年5月には5年ぶりに紙版「egg」を復刊させる。
パソコンに触れたこともなかったギャルが、弱冠21歳にして編集長に就任
——「Web版egg」の編集長になられた経緯について教えてください。
赤荻:元々、ファッションに興味があって、周りと同じということがあまり好きではありませんでした。
当時、埼玉の伊奈町という所に住んでいて、現地の高校で1年間遊びまくってました。それで高校生活に満足し、高2の頃から渋谷のギャルサー(ギャルサークル)に所属しました。
ギャルサーでは、パラパラを踊ったり、毎週金曜日に約100人で集まってミーティングを開いたり、年に2回大きなイベントを開催するなどの活動をしていましたね。
ギャルサーは18歳で卒業なので、卒業後は別の仕事をしていたのですが、ずっと渋谷で仕事をしたいと思っていました。
19歳の時にギャルサーの時のつながりから、「株式会社エイチジェイ」という全国の女子高生ミスコンや男子高生のミスターコンなどを展開している会社に誘われ、入社しました。
入社後はオーディションを開催したり、クライアントのとモデル間の仲介に入ったりと、当初は主に広告代理店業に携わっていました。
そこからちょうど1年半前、私が20歳の時に社内で「Webで『egg』を復活できるかも」という話が出たのです。
「egg」は小学校の頃から読んでいたのですが、私が高校2年生の頃に休刊してしまったため、ずっと復活を願っていました。
なので大人の男性が作るよりも、ギャルの私が作る方がギャルたちの気持ちが分かると思い、「私にやらせてください」と自ら立候補し、編集長にならせていただきました。
——それまであまり実務経験がなかったとのことですが、ビジネスマナーや編集などで苦労した点はありますか?
赤荻:上の人が「聞く前にまずやってみろ」という考え方だったので、メールの打ち方やパソコンの使い方など、調べながら実践していました。
実は入社前は、パソコンも触ったことがなかったのです。「PowerPointやExcelって何?」という状態でした。
しかしそのお陰で、効率の良いやり方を自分で見つけられたり、自分で考える力が身につきましたね。
当時全てが新鮮だったので、楽しみながら知識を得ることができました。
——Web版「egg」はどのくらいの年齢層に支持されているのでしょうか。
赤荻:一番多い年齢層は15歳から23歳くらいです。
あとは、元々休刊前の「egg」を読んでいた30代の方、中学生くらいのお子さんと親子で見てくださっているギャルママの方、純粋にギャルへの好奇心から見ていただいている方までいます。
——Web版を立ち上げから1年経ってみての率直なご感想を教えていただけますか。
赤荻:この1年でギャルが増えてきたのではないかと思っています。
以前はギャルっぽい派手な格好をすることに抵抗がある子や、ギャルに対してあまり良い印象を持っていない子もいたと思います。
しかしSNSのコメントなどを見ていると「egg見てギャルが好きになりました」というコメントをいただけたりする機会も多く、以前よりも「ギャル」というワードが国内に復活したように感じます。
「ギャル」とは自由と個性の象徴。そして、見た目ではなく、心の中にあるもの
——赤荻さんが考えるギャルの定義を教えてください。
赤荻:近年「時代のアイコン」的な存在もなくなりつつあります。
昔は新しい情報を入手できる手段が雑誌しかなかったと思うのですが、現在はSNSで色々な人の情報が無料で得られる時代になったことにより、「見た目だけでギャルかどうかを判断する」ということが難しくなってきているように感じます。
当時販売されていたegg
個人的には、昔から変わらない「ギャルマインド」とは、自分がイケてると思うものや可愛いと思うもの、やりたいことなどに対し、周りの意見などに左右されずに自分に正直かつ素直に表現することだと思っています。
簡潔に言葉にするのは難しいのですが、「自分のオリジナル」を持っている人が「ギャル」であると認識しています。
——「ギャルは心の中にある」ということですね。見た目においてギャルっぽい格好をすることは「オリジナリティ」であるということでしょうか。
赤荻:そうですね。自分の可愛いと思ったものが「焼けた肌」や「露出が多い服装」であった場合、世間にどう見られてもそれを貫き通すことが「ギャル」だと思います。
一言で言うと「自由と個性の象徴」だと思っています。
——赤荻自身、どういうギャルであると思いますか?
赤荻:見た目よりもマインドがギャルだと思っていて、個人的には渋谷の中でもダントツでギャルのつもりでいます。
ポジティブで、自分のやりたいことは常にやりたいと思う性格です。
勿論周りの意見なども取り入れますが、自分の欲望に正直に、何でも楽しみながら取り組んでいます。
——ギャルになったきっかけを教えてください。
赤荻:気づいた時にはなっていたのですが、元々目立ちたがり屋でした。
なので小学生の頃からミニスカートに柄のTシャツに厚底など、そういった派手なファッションが好きだったのです。
小学校高学年になって、私も周りも雑誌を買うようになった時、友達と回し読みをしていたのですが、私が「egg」担当で。
その時に自分のスタイルがギャルなのだということに気づいたのです。
「egg」に出会って、「egg」って渋谷のカルチャー誌のような部分もあったので、「渋谷楽しそう」「サークル楽しそう」と思って渋谷にくりだすようになりました。
なので「egg」が私の原点でもあります。
——ギャルとは生まれつきのもの、それとも後からなれるものだと思いますか?
赤荻:私は完全に生まれつきタイプです。
しかし途中からギャルの姿を見て、「こういう生き方があるんだ」「こんな格好してもいいんだ」「自由な格好してもいいんだ」という風にインスパイアされて、そういう生き方や格好をするようになった方もいます。
「手の届かない存在」から変化しつつあるギャル形態
——世代によって「ギャル」という言葉の意味が違うと思うのですが、現在のギャルは昔と比べてどういったイメージに変化していますか?
赤荻:「egg」が復活する前は、素行が悪くてヤンキーっぽいイメージだったり、気が強くて不真面目のようなイメージが強かったと思います。
現在のギャルは、例えばeggモデルの伊藤桃々を例に挙げると、見た目はどちらかといえば清楚なイメージに入ると思うのです。
桃々は「egg」の撮影に初めて参加したのが去年1月頃なのですが、当初は静岡在住のフォロワー300人ほどの普通の女の子だったのです。
egg 公式サイトより
たまたまSNSで声をかけてみたところ、撮影に来てくれたのですが、キャラがものすごく面白かったのと、「この子どんどん可愛くなりそう」と思い、編集部でもプッシュさせていただくようになりました。
それからAmebaTVなどの出演を機に人気が爆発したのですが、桃々の場合、「手が届きそうな可愛さ」というところがキーだと思うのです。
以前はギャルって別の人種のように思われていたと思うのですが、現在のギャルは「頑張ったらなれそう」とか「自分でもなれるかも」などと思える親近感のある存在に変わりつつあるのではないかと考えています。
「ギャルかギャルじゃないか」というよりは、誰でもギャルになれる要素があるという風潮が浸透していっているのではないかと思います。
——eggモデルに申し込んでくる方は元々ギャルの方が多いのでしょうか。
赤荻:意外と強めギャルは申し込んで来ない傾向があります。
見た目の派手さでいうと、強めギャルというよりは、桃々のような「少し濃いめのメイクをしている普通っぽい子」が申し込んでくることが多いです。
逆に読者はものすごく清楚っぽい子から強めのギャルまでいます。
——現在でもドギャルは存在するのでしょうか。
赤荻:私たちがあまり見かけないだけで、現在でもたくさん存在しています。
例を挙げると、eggモデルのきぃりぷ(鈴木綺麗)の地元には強めギャルたちがたくさんいるのですが、そのように茨城や福岡や名古屋などには戦闘力の高そうな強めのギャルがたくさんいます。
egg 公式サイトより
ヤンキーとギャルの紙一重というか、ヤンキーが落ち着いてギャルになった感じの強めギャルが各地にいます。
——昔と違って現在はYouTubeやInstagramなどで自ら発信できる時代ですが、「egg」モデル志望の方はどうして「egg」を選ぶのだと思いますか?
赤荻:「楽しそう」「キラキラしてる」という志望動機が多いです。
eggモデルのイメージって、人生を楽しんでそうな印象が強いと思うのです。
性格も明るくてサバサバしている、ネチネチしていないモデルたちが多いのですが、そういうのが世間に伝わっているのではないかと考えています。
「ギャル」を世界共通の言葉にすることが目標
——「egg」を運営していく上で、大切にしていることや意識していることはありますか?
赤荻:「ギャルが流行の最先端でありたい」と強く思っています。
現に、私は現在のeggモデルたちが、日本のティーンの中心であり、日本のティーンの中で1番だと思っているのです。
なので、もちろん私たちから企画を持ちかけることもあるのですが、モデルたちと細かいコミュニケーションを重ねた中で、流行りそうなものをピックアップしています。
それを「egg」という媒体を通して「流行の最先端」として世の中に発信し、流行りのカルチャーを作っていけたらと思っています。
——普段「egg」を運営するにあたって、どういった業務をされているのでしょうか。
赤荻:最近まで私は営業を担当していました。チェックや企画の考案は編集部員の2人と一緒に行っていたのですが、編集作業は2人に任せていました。
今は営業半分、あとは撮影や編集半分という感じで担当しています。
企画に関しては、週に1度編集会議をしています。
それぞれ考えてきた企画をその場でそれぞれ発表して、「この企画はこうした方が良いね」とか「この企画はこっちのモデルを起用した方が面白いね」など、そういった意見を出し合っています。
モデルたちは会議には参加しないのですが、モデルにどういう企画がやりたいか訊ねることも多々あります。
なぜかというと、読者はモデルたちと同年代の層が多いからです。
モデルたち自身が見たいと思うような、モデルたちにとっても面白いと思える企画をそのまま反映しています。
——現代のギャルがやりたいことや将来なりたいと思っていることは?
赤荻:人それぞれで、「egg」モデルに関していえば、芸能の道に進みたい子と、「egg」を卒業したら普通の女の子になりたいと考えている子がいます。中には商品プロデュースをしてみたい子なんかもいます。
——赤荻さん自身は今後どうして行きたいとお考えでしょうか。
赤荻:すごい大きなことを言ってしまうと、今後は日本でもっと「egg」を浸透させて、ギャルの文化を盛り上げていきたいと考えています。
そしたら日本中がハッピーになり、日本がもっともっと明るくなると思うのです。
当初からアジアでギャルを展開したいということは強く願っていたのですが、来年オリンピックが開催されるので、アジアだけではなく世界にギャルを知らしめたいなと思っています。
そして、「ギャル」を共通の言葉にしたいです。
——「ギャルを通して今の日本を明るくしたい」とのことでしたが、逆に今の日本に感じている課題は?
赤荻:今の日本は暗くてネガティブな印象があります。
もう少しポジティブで好奇心旺盛になっても良いのではないかと思います。
安全パイで生きるということも良いことだとは思うのですが、やりたいことがあればもう少し飛び込んでチャレンジしてみても良いのではないかと思います。
ギャルの活動の場はストリートからオンラインへと変化
——どうすれば日本にギャルを広めることができると思いますか?
赤荻:ギャルは日本の文化だと思います。
しかし最近は街ではギャルの姿は見かけにくくなっていて、みんなSNSの中で生きているのです。
以前は渋谷の街に行ったりギャルサーなどに行けば、ギャル仲間と会えたと思うのですが、現在ではアプリで待ち合わせをしたりします。
例えば仕事が早く終わって時間がある時に「位置情報共有アプリ」上で連絡をして、待ち合わせをしたりするのです。
現代のギャルの世界は携帯の中にあるのです。
——ポジティブな赤荻さんですが、大変だと思うことはありますか?
大変だと思うことはあまりないです。
しいて言えば、「egg」を継続するためには、現実的にはマネタイズなども考えていかなくてはいけません。
しかし「資金を作るためにはこれをしないといけない」ということがあっても、モデルの気持ちを考えると気が進まず、板挟みのような状態になってしまうことも少なくありません。
そういう時はお互いが納得する方法を模索したり、言い方を変えたりするようにしています。
そういったことは大変ですが、基本的にはものすごく楽しいです。
撮影の時が1番楽しいのですが、同世代のモデルたちといると、友達といるみたいな感覚で楽しめるのです。
「egg」がなかったら今頃働いていないと思います(笑)。形は何にせよ「egg」にはこれからも携わっていきたいと思っています。
——今後の抱負や目標について教えてください。
これからもずっと、ギャルカルチャーを発信し続けていきたいですね。
平成・令和と続いてきたギャルカルチャーを、次の元号の時代にも残していく、というのが「egg」の使命だと思っています。
そのためには、時代の変化に合わせてコンテンツも進化させていかなければならないですし、ビジネスとしても成り立たせていかなければいけません。
でもそのように変化していく中でも、ギャルカルチャーが大好き、という自分の想いはずっと持ち続けながら頑張っていきたいです。
取材・文:花岡郁