米ワシントン州レドモンドにあるマクロソフト本社キャンパスの一角に、その名も「The Garage」と呼ばれる施設がある。
広々としたミーティングスペース、本格的な工作機械や工具が揃うワークルーム、最新のXRをテストできるラボなども備えたこの施設は、マイクロソフトの社員で、アイデアを自分の手で形にしたいという志があれば、誰でも利用できるという。
「The Garage」は単なる施設名ではなく、この施設に象徴されるマイクロソフトの社内インキュベータープログラムの名称だ。社内の有志による草の根レベルの活動からスタートし、2014年にサティア・ナデラCEOが就任したのを機に、一気に全社的な取り組みへと発展した。
今ではWebサイトも公開され、対外的にもその活動内容の一部が紹介されているほか、一般のユーザーがテストに参加できるしくみなども設けられている。ワークルームなどの施設も本社だけでなく、バンクーバー、シリコンバレー、イスラエル、インド、中国など世界7拠点へ展開。地域によっては社員だけでなく、他企業や地元大学とのコラボレーションの場としても積極的に活用されているという。
ありとあらゆる工具、3Dプリンターなどの機械が揃う「The Garage」。実際に社員が試作した製品なども置かれていて、まるでスタートアップが集うシェアオフィスのような雰囲気が漂う。
「The Garage」の活動と並行して、やはりナデラCEO就任後に毎年グローバル規模で実施されているイベントに、ハッカソンがある。一般的なハッカソンはエンジニア向けの開発イベントを指すことが多いが、マイクロソフトのハッカソンでは「エンジニアだけでなく、いろいろな分野に携わる人達が、それぞれの立場を超えてコラボレーションしています」と、The Garageでチーフコミュニケーターを務めるアン・レガード氏は説明する。それは、ナデラCEOが目指す「One Microsoft」の姿そのものだという。
「One Microsoft」はナデラCEO就任以前から進められてきた、マイクロソフトの組織改編を表すキーワードだ。以前は製品ごとの縦割りだった組織の壁を取り払う意味で使われてきたが、ナデラCEO就任後は「お客様中心主義」(Customer Obsessed)、「ダイバシティー&インクルージョン」(Diversity and Inclusion)とともに、同社の新たな企業文化を示すキーワードのひとつになっている。
ハッカソンはまさに、組織を超えた様々なコラボレーションによってイノベーションを生み出すという「新マイクロソフトイズム」を象徴するようなイベントというわけだ。その規模は年々拡大していて、レガード氏によれば昨年は企業が実施するプライベートなハッカソンとしては最大規模となる、2万3500人以上が参加したという。
「The Garage」の壁には、ハッカソンで受賞したプロジェクトやチームの名前が刻まれた一角も。The Garage チーフコミュニケーターのアン・レガード氏が案内してくれた。
ハッカソンや「The Garage」の活動を経て、「すでに多くのアイデアが製品やサービスとして具現化されています」とレガード氏。たとえば日本でも今年発売予定となっている「Xbox Adaptive Controller」も、その成果のひとつだという。これは障がいを持つ人たちも健常者と一緒にゲームをプレイできるように考えられたXbox用のゲームコントローラーで、2015年のハッカソンからプロジェクトがスタートした。
またAIによる画像認識および音声による読み上げ技術を用いて、視覚障害者をサポートするiOS向けのアプリ「Seeing AI」も、同じく2015年のハッカソンで受賞したプロジェクト「Deep Vision」から生まれたもの。「Seeing AI」は日本語には未対応だが、App Storeから入手可能となっている。
障害の状態にあわせてボタンなどを自在にカスタムできる「Xbox Adaptive Controller」。米国では99.99ドルで発売されている。
「Seeing AI」を担当するシニア アクセシビリティ アーキテクトのメアリー・ベラード氏によれば、アプリはハッカソンから約2年かけて開発され、2017年にローンチされた。
カメラで映したもの認識して読み上げる機能のほかに、バーコードを読み取って商品がなにかを判別したり、看板やメニューなどの文字を読み上げる機能も備えている。「2017年の12月に手書き文字を認識、読み上げる機能を追加したところ、SNSで初めてクリスマスカードが読めたという、うれしい声が寄せられました」とベラード氏。
「Seeing AI」は米国盲人協会の「Helen Keller Achievement Award」を受賞するなど高い評価を受けていて、最近も写真の一部をタッチするとそこに写っているものを教えてくれるなど、新たな機能がアップデートがされている。なお、「Seeing AI」に用いられている技術の一部は、ホワイトボードや書類をデータ化できる「Microsoft Office Lens」でも活用されているという。
「Seeing AI」をデモンストレーションするシニア アクセシビリティ アーキテクト メアリー・ベラード氏。2014年のハッカソンから、プロジェクトに携わっている。
「The Garage」のWebサイトにある「Wall of Fame」を見れば、このほかにも多くのプロジェクトがハッカソン、そして「The Garage」を経て、マイクロソフトの製品に組み込まれたり、アプリやサービスとしてローンチされていることがわかる。
6月に訪れた本社キャンパスでは、7月22日~24日に開催予定の今年のハッカソンへの参加を呼びかける案内をいくつも目にした。そこからまた、どんなイノベーティブなプロジェクトが生まれるのか、楽しみでならない。
取材・文・写真:太田百合子