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アイルランドは欧州の中でも、リーマンショック前後の経済危機からいち早く立ち直った国として知られている。2010年にはEUやIMFから金融支援を受けるほど財政難に陥っていたが、2014年以降は毎年5%以降の経済成長を続けており、EU加盟国の中でのGDP成長率は5年連続1位だ。
しかし好調な経済成長の陰で、アイルランド国民の生活を脅かす危機的な状況も生じている。住宅不足や家賃の高騰で住む家を見つけられず、ホームレスになる人が急増しているのだ。これにはAirbnbの盛り上がりや外国企業の進出といった要因も絡んでおり、日本にも無縁とはいえない状況だ。アイルランドの住宅危機とホームレス問題への取り組みに迫ってみよう。
家賃の高騰で地元住民が家を借りられないアイルランド
アイルランドの首都ダブリンでの平均家賃は、2018年末時点で1,620ユーロになった。これは前年より141ユーロも高い金額だ。アイルランドの賃貸価格は急激な値上がりを続けており、家賃相場は2015年と比べ30%も値上がりした。
家賃高騰の大きな原因は、賃貸物件の不足だ。アイルランドでは2007年~2008年にかけて不動産バブルが崩壊し、建設が中断する物件が多発した。政府は不動産バブルの再来を避けるため、住宅ローンの融資限度額を年収の3.5倍までに制限している。現在のアイルランド人の平均年収を3.5倍しても、住宅の販売価格には10万ドルほど足りない。そのため住宅の購入を断念せざるを得ない人が多く、賃貸物件に需要が集中しているのだ。
これに加え、外国の大企業の進出も家賃の高騰に拍車をかけている。アイルランドは法人税が12.5%と低く、さらに英語圏でもあるため、GoogleやFacebook、Twitterなど多くの世界的企業がダブリンに欧州本部を置いている。このような大企業で働く高所得の人材は、家賃が月20万円以上の物件にも平気で住むことができる。そのためオーナーはどんどん家賃を上げ、一般のアイルランド国民は家賃が払えず賃貸住宅を追い出されるという事態になっているのだ。
さらにアイルランドを訪れる観光客の増加で、所有物件を長期賃貸にせず、Airbnbなどで短期滞在者向けに貸し出すオーナーも急増した。これにより賃貸住宅の不足はますます加速し、ガーディアン紙は「観光客が家で寝泊まりし、ホームレスになった住民がホステルで寝泊まりする。これが21世紀のアイルランドだ」と評している。
小さな子どもを抱えるミレニアル世代のホームレス化も
アイルランドは人口約480万人の小さな国だが、増え続けるホームレスの数は今年1万人を超えてしまった。驚くべきは、そのうち4,000人弱が子どもということだ。少し古いデータになるが、2016年のホームレスの平均年齢は30.5歳で、アイルランド国民の平均年齢を7歳も下回っていた。首都ダブリンでは、ホームレス状態の家族がこの1年でも20%以上増えているという。家賃が払えなくなったミレニアル世代の親とその子どもたちが、家族ごとホームレス状態になるケースが多発しているのだ。
アイルランドの住宅難の一因と目の敵にされているAirbnbだが、実はダブリンのホームレス保護団体ICHHは、半年で3万ユーロもの金額をAirbnb上の物件に支払ったという。夜遅くに駆け込んでくるホームレスの子連れ家族に寝る場所を提供するためには、Airbnbで即日滞在可能な場所を探すしかないからだ。Airbnbによって家を追われた地元住民が、Airbnbで駆け込み寺代わりの宿を借りるという、奇妙にねじれた状況まで生まれている。
一般的なホームレスのイメージと異なり、アイルランドではホームレス状態の人のうち約2割は定職についているという。親は毎日仕事に行き、子どもは学校にも通っているが、住む場所だけがないのだ。しかしそれも綱渡り的な状態で、一旦職を失ってしまえば、居住地不定の状態で新しく仕事を探すのは困難だという。
住宅難に対するアイルランド国民の危機感と怒りは高まる一方で、ダブリンの中心部では、政府に「すべての人のための住宅」の整備を求める大規模なデモが多発している。中には空き家になっている住宅を占拠して過激な抗議活動をするグループもあり、警察と衝突する事件も起こっている。
アイルランド政府は今後20年間で15万戸の新築住宅を供給する計画を発表し、その40%は公営住宅もしくは「手頃な価格」の住宅にするとしている。しかし「手頃な価格」とは何を指すのか法的な定義はなく、アイルランド国民からは「大部分の住宅は、一般人には高すぎる価格帯になるに違いない」と既にあきらめに近い声が聞かれている。
観光客の増加とホームレスの収入を結びつける取り組み
(動画)ホームレスが観光ガイドとして活躍するMy Streetsの取り組みは、2018年のソーシャルアントレプレナー・アワードを受賞した
アイルランドの住宅不足問題はすぐに解消できそうにないが、ホームレスの人が収入を得られる仕組みを提供する社会起業家なども現れ、他の国からも注目を集めている。
その中で地元住民から家を奪う遠因にもなっている「観光客の増加」を逆手に取り、ホームレスの収入に結びつけているのがMy Streets Irelandだ。2014年に設立されたMy Streetsでは、ホームレスを観光ガイドとして雇用するプログラムを提供している。ホームレスの人が観光客にウォーキングツアーを行い、その代金の50%を収入として得ることができる仕組みだ。ダブリンでの展開は2018年に始まったばかりだが、すでに1万人以上の観光客にツアーを提供している。
My Streetsが重視しているのは、ただホームレスに仕事を与えるのではなく、プロのガイドとして就職できるような教育プログラムも併せて提供することだ。My Streetsのトレーニングは3か月コースで、ガイドとしてのプレゼンテーションスキルやリサーチ力の習得に加え、自分に自信を持てるようにすることも目標にしているという。
My Streetsの取り組みは昨年アイルランドのソーシャルアントレプレナー・アワードを受賞し、アイルランドの有名俳優がパフォーマンススキルを磨くためのレッスンを提供するなど、新たな展開も加速している。My Streetsでガイドの仕事をしたホームレスの半分以上が、学校に行き始めたり、就職先を見つけたり、住居を見つけたりといったポジティブな変化をしているという。ガイドとして働くことに自信をつけ、オリジナルのツアーを企画するなど自発的に活動する人も増えている。
経済が好調な都市部でのホームレスの増加は、決してアイルランドだけの現象ではない。現在ロンドンには17万人のホームレスがいると言われており、デンマークの首都コペンハーゲンでは若年層のホームレスが、この10年で75%も増加している。都市部でのホームレス増加の原因の多くは、安価な住宅の供給不足と観光客・高所得層の外国人の増加によって、地元住民が住居を失うパターンだ。日本の都市部も例外ではないだろう。先立つ国の実例を目の当たりにして予防策が取れるか、日本に残された時間的猶予も長くはないかもしれない。
文:平島聡子
編集:岡徳之(Livit)