皆さんの老後の青写真は?
このサイトの読者の大半にはまだ遠い先の話だろうが、あなたはどんな老後を送りたいだろうか?そしてもしも痴ほうや身体の不自由で自立した生活が難しくなった場合はどうしたいだろう。
一昔前までは「子どもに面倒を見てもらう」「潤沢な老後資金で完全介護付きの豪華なホームに入る」などがそんな場合の理想の一例だったのかもしれない。しかし今この記事を読んでいるあなたにこの青写真はピンとくるだろうか。
どんな老後がいい?(写真ACより)
例えばミレニアル世代は、お金や贅沢品に興味が薄く、個人主義で自分のことは自分でやりたい反面、情緒や人とのつながりを大切にし、ボランティアや社会問題への関心が高いことが繰り返し指摘されている。
そんな世代がシルバーライフを送る頃には、人に面倒を見てもらうことやリッチさよりも、クリエイティビティや人とのつながり、QOLや自分なりの社会への貢献をもっと気に掛けるようになっているのではないだろうか。
そこでまず紹介したいのが、筆者が生活するオランダにおいては今、自宅もしくはケアホームでできる限り自立した生活をし、日中は一緒に自然に触れ、社会貢献をするコミュニティで過ごすのがヒップなイケている痴ほうシルバーのライフスタイルである。
オランダでは高齢者向けの「自然と触れてハッピーに」プロジェクト進行中
先進国の例にもれず高齢化の進むオランダでは、日本と同様高齢者の孤独・介護などが大きな課題となっている。
75歳以上の高齢者の半数以上が孤独を感じているとのデータを受け、昨年国の健康福祉スポーツ庁のHugo de Jonge大臣は、高齢者の孤独に関する啓発や、自治体による定期的な訪問、ホットラインの設置などを含む行動計画を発表した。
また、増大する介護のニーズに応えるため今年1月には、高齢者向けのホームや在宅ケア部門に6億ユーロを投資して1万人の職員増員を目指す方針が議会を通過。
元々「自立」と「活動」が幸福の大きな要因として尊重され、退職後も元気にフルで孫の面倒を見ながら趣味や社会活動にアクティブに従事するシニアが多いこの国で、それでも残る後期高齢期のQOL低下の課題に各種アプローチが試みられている。
高齢者を外に連れ出し、無理な場合は「自然の詰まった箱」をお届け
その中でも特に注力されているのが、体の動きにくさや失敗への恐れで自宅に引きこもりがちになる高齢者を外に連れ出し、自然に触れさせる取り組み。
引きこもると社会からの隔離が進むだけでなく、認知機能や筋力の衰えも加速する可能性があることから、全国組織であるIVN(自然教育及びサステイナビリティ研究所)は「Grijs, groen en gelukkig(シルバーで緑でハッピー)」と銘打ったプロジェクトを推進中だ。2015年から開始され、2019年末までに1万人の高齢者に自然体験を提供することを目標にしている。
「シルバーで緑でハッピー」(Grijs, groen en gelukkigキャンペーンサイトより)
主な活動は、100棟の介護施設の緑化と、高齢者向き屋外イベント(ハイキングなど)の開催、そして「Natuurkoffer(自然ボックス)」の配布。
介護施設の「緑化」といっても、「都会のビルに目に涼やかな観葉植物を」みたいなスマートなものではない。具体的には農園の設置である。自分たちや近隣住民が食べる野菜を作るための植物のお世話は、施設に入居している高齢者の仕事だ。収穫による自給自足や地域への貢献だけではなく、他の入居者や職員、訪問してくる家族などと一緒に作業をすることで情緒的なつながりが強化されることも歓迎されている。
Natuurkofferは、外出が難しくなった高齢者のもとに定期的に配達される「自然」が詰まった箱。四季折々の自然の写真や、音が楽しめるメディアとともに、触ったり匂いを嗅いだりできる植物などの現物が入っている。森に散歩に行かなくても、自宅に居ながらにして自然の刺激を受けられる「自然の宅配便」だ。
Natuurkoffer一例(IVN公式サイトより)
「特に痴呆がある場合は、言語によるコミュニケーションが徐々に難しくなっていきますが、自然はワクワク感を呼び覚ます、いい非言語的刺激になります」とIVNのMari Verstegen氏は語る。また、人には多くの場合自然にまつわるいい思い出があり、自然の刺激は痴ほうのある高齢者と過去をつなぐきっかけになるという。彼女は介護職を対象に研修会を開催し、高齢者を自然に触れさせる様々な方法についてレクチャーも行っている。
オランダには常設の「介護牧場」も
オランダには大規模な農場併設の高齢者向け施設もいくつか存在する。その一例が、「介護牧場」を自称するケアホーム・デイケア施設のDe Port。
現在の入居・通所者は60歳から92歳までの痴ほうや精神障害のある高齢者だが、全員が毎朝タクシーかボランティアの運転で契約農園へ「出勤」する。
「意義のある活動」を基本方針としており、少なくとも午前中は全員、50頭以上の牛など家畜の世話や畑仕事、農園で収穫した野菜を利用して職員と利用者全員分の昼食を作るなど、実益のある仕事をする。
趣味の「ガーデニング」ではなくあくまで「農作業」(デ・ポート公式HPより)
昼休みをはさんで午後は外に設置されたテーブルに座ってボードゲームをしたり、他の通所者や職員と会話を楽しんだり、ケーキを焼いたりする人もいるが、そこでも天気を味わい、他者とつながることが重要視される。
政府の補助を受けて運営してはいるが、資金集めのためにオープンデーなどのイベントも定期的に開催する。牧場の動物を使った体験乗馬や、農園で収穫した野菜を使った「農家のブランチ」などを有料で提供するのだ。
デイケアコーチのジュリエット・ドルムス氏はこう語る。
「自然の中で作業することで必ずしも痴ほうの症状が劇的に改善するかといえば、決してそうではありません。最も重要な効果は、成果が目に見えやすい農作業を通じて、通所者が自分が役に立っているという自己効力感を持てることです。通所者の働きを褒め、社会とつなげ、彼らの一日に構造を与えることが私たちの大切な仕事です。通所者は仲間と一緒に働き、一日を共に過ごすことで孤独感を軽減します。通所によりご家族の負担を軽減することは言うまでもありません。在宅介護は膨大なエネルギーを消費しますので」。
イギリスでは自然と親しむプログラムを医師が「処方」できるように
一方、イギリス・シェトランド諸島では昨年10月、医師が患者に「自然にふれること」を治療の一環として正式に「処方」する権限を与えられて話題になった。
少なくともイギリス初と言われるこの試みは、NHS(国民保健サービス)シェトランド支部とRSPB(英国王立鳥類保護協会)スコットランド支部が共同でイニシアティブを執るれっきとした公的プロジェクト。
両機関はGP(総合医/かかりつけ医)の各診療所に配布するため、自然に触れることが人体に与える治療効果に関するリーフレットと、月ごとに地元シェットランドにおいてどこでどんな「自然活動」をできるか、具体的なプランが満載のカレンダーを作成した。総合医が来院した患者に自然療法が有効であると判断した場合、治療の一環としてそれらを手渡し、実行を指示することができる。
今回の実施にあたって自然の治療的効果に関する様々な研究が参照されたが、特に血圧、精神疾患、心臓、糖尿病などにまつわる問題への効果が期待されているという。地元の自然を利用して実行でき、副作用もなく、何よりお金が一切かからないので患者や財政のふところに優しい手軽さも歓迎されている。
冬は「自然の音を聴く」、夏は「タンポポを食べる」?
カレンダーに掲載されている活動(各月ごとに10項目前後が挙げられている)を見てみると、1月は「家の外に出て、3分間じっとして音を聞く」、2月は「マツユキソウをスケッチする」など冬でもできる小さな行動が主だが、春は3月の「8歳児のように遊ぶこと!友達と昔よくした外遊びをしてみるなど」、4月の「芝に顔をうずめてみる」など徐々に活動的になる。
夏の7月は「料理にタンポポの花を取り入れる」の他に「キャンプで野生化する、もしくは釣りに行く」「目に入る全ての鳥の種類を特定する」など、8月は「海鳥を10分間ずっと観察」、9月は「外で食べる3品コースを家族に振る舞う」など、外で長時間過ごせることが前提の活動が主になる。
全体的に鳥関係の指示が多いのはプロジェクトに鳥類保護協会が一枚噛んでいるせいだろう、などという筆者の邪推は野暮の極み。空を見上げることにはそれ自体気分を上向きにしてリラックスさせ、血圧を安定させるなどの効果があるとも指摘されている。さあ、上を向いて鳥を見て歩こう。
プロジェクト担当者のビジョンは
上記RSPBスコットランド支部の地域参画担当者、カレン・マッケルビー氏は、「自然が心身に良い影響を及ぼすというエビデンスは豊富にあります。そして多くの医師が自分の健康維持のためにアウトドア活動を実践している。それなのに、それを患者に勧めようとする医師ははるかに少ないのです。そこで、医師が患者に自然から得られる利益を説明するのをサポートするリーフレットを作成しました」と語る。
ただし、「従来の薬物療法とそっくり置き換える、という種類のものではありません」と、全島実施に先立ち試験的に「自然療法の処方」を行い、効果を確認したクロエ・エヴァンス医師は語る。「病気を薬で治す方法はいくらでもあります。でも私たちは患者さんたちに自分で自分の体を上手にケアする方法も学んでほしいのです。患者さんたちも、自分の治療に権限を持てることを喜んでくれますよ」
医療が発達した現代、恵まれた国で生まれ育つ私たちは特に、病院に行けば医者の治療や薬ですぐに「治してもらえる」という受動的でマジカルな期待を抱きがちだ。その一方でこの自然処方プログラムの背景には、患者が自然と触れあい自分の体に耳を傾けることで「自分で自分の体をケアする」という能動的な感覚を取り戻すことへの啓蒙があるようである。
発達障がい者向け研修農場も
最後にこちらもイギリスになるが、自然の教育的効果を最大限に活用しようと試みる研修農場を紹介したい。イースト・サセックス州にあるLittle Gate Farmである。対象者は基本的に自閉スペクトラムや学習障害をもつ成人で、学校の長期休暇中のみ同様の障害のある子ども(8~18歳)を受け付ける。
目的はあくまで「お金を稼げる仕事」に就くためのスキルを身に着けること、つまり充実した経済的自立のための職業訓練だ。彼らは農場での仕事を、経済的利益をもたらすのみならず、自尊心や肉体的・精神的健康、人間関係を構築する手段として障がい者にとっても重要であるというポリシーを持っている。
自社開発の有害物質の放出が少ない木炭も販売(Little Gate Farm公式Facebookページより)
通所者は「職業訓練生」(子どもは『ヤングレンジャー』)と呼ばれる。家畜の世話、農作業、森林の管理、そこで育つ植物を使った工芸品の作り方などに関して、本人と指導者が納得するまで研修を受けた後、提携している就職先にジョブコーチとともに送り出す。ここでも時間をかけて、本人の職場適応と雇用主へのマネージメントサポートを行い、関係者全員が納得した時点でコーチング終了となる。
創設者であり現CEOのClaire Cordell氏は、「発達障害を持つ人でも、本人が希望する限りきちんとお金を稼げる仕事に就く権利が守られるべきです。現在の状態では社会的にはひどく不公正であり、経済的には活用できる資源が未開発のまま無駄になっています」と語り、今後も提携先を開拓していくとともに自社農園でのビジネスも充実させ、そこでの雇用も拡大していく方針だ。
自然の治療的・教育的効果の利用は、他にもヨーロッパ各地で次々に始まっている。今後どんな広がりを見せるか楽しみにウォッチしたい。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)