世界の教育トレンド「コンピュテーショナル・シンキング」激変する労働市場に適応するためのマインドセット

「コンピュテーショナル・シンキング」とは

コンピュテーショナル・シンキング。「なにそれ」と思った人は正直に手を挙げて欲しい。

Wikipedia(英語版)によるとその定義は「教育分野においては、『その問題の表現や解決を何らかの形でコンピューターが行う一連の問題解決方法』を指す」とのことだが、少なくともごく平均的な40代のオバちゃんとか(私だが)はこの定義だけではなんのこっちゃである。

それもそのはず、この言葉を巡っては定義やありがちな誤解を巡って各国でいまだ侃々諤々な上、用語自体に「あいまい過ぎる」との批判が絶えないとのこと。が、あちこちから訂正の矢が飛んでくることを覚悟でものすごく平たく言うと、「コンピューターを使って、あらゆる問題をどう解決するかを様々なレベルで考える思考方法や態度の体系的なセットであり、日常生活の様々な場面で有用なマインドセットである」といったところだろうか(後ほどある程度正式な定義を改めてまとめるので、とりあえず矢は鞘にしまっておいていただきたい)。

ここまで書いた時点ですでに私は満身創痍だが、このコンピュテーショナル・シンキングが今や世界の教育トレンド、いや常識となりつつあり、これを持たない人材は今後世界の労働市場で急速にニーズがなくなっていくというから、ちょっと焦るではないか。

成り立ちと定義

「コンピュテーショナル・シンキング」、または類似の概念はコンピュータ・サイエンス誕生当初(1950年代)から存在したらしいが、用語自体が一般化するきっかけを作ったのは、2006年にコンピュータ・サイエンティストのJ.Wing氏が雑誌に寄稿した視点である。

その中で彼女は、コンピュテーショナル・シンキングを「問題を解決するにあたり、抽象化、分解、関心の分離など、コンピュータ・サイエンスの基本的なコンセプトを用いること」を中心に説明し、「誰もが学ぶことのできる態度とスキルのセット」であり、「読み書き計算に加えて全ての子どもが学ぶべきだ」と主張した。現在の定義は概ねこの稿が基礎となっている。

現在様々なIT企業が教育機関向けにコンピュテーショナル・シンキングの説明を試みているが、その中で最もシンプルにまとめているMicrosoft Communityによる定義はだいたい以下のようなものである。

コンピュテーショナル・シンキングは問題解決に向けた思考プロセスであり、その過程にコンピュータ技術の力を利用する。コンピュータサイエンスの基本である、例えば以下のような工程を含む


コンピュテーショナル・シンキングのイメージ(Computational Thinking公式HPより

Microsoft for Educationは上記のような思考・計算プロセスを実行するために必要なスキルを「問題をコンピュータやその他のツールで取り組めるような形に組みたてる」「データを論理的に構築・分析する」など6点挙げ、さらにそのスキルをサポートする態度として「複雑さに取り組む自信」「曖昧さに耐える耐性」「共通の目的に向け他者とコミュニケーションを取り、協働する能力」などに言及している。やはり「スキル」と「態度」を合わせた、問題解決に向けた思考から結果までの総合的プロセスなのだ。

「トレンド入り」のきっかけ

ただこの用語が世界的に「バズった」きっかけは、アメリカのオバマ元大統領が2016年に40億ドルの予算を投入して発足させた「Computer Science For All」プロジェクトである。

失業率が一定の数値を保つ一方、高収入のIT系ポストには全米で60万人の人材が不足しており、2018年までに理工系の仕事の51%がIT関連のものになるという予測をもとに、コンピュータ・サイエンス教育の必要性を強く訴えた。調査では子どもを持つ親の90%が「初期教育でコンピュータ・サイエンスを教えて欲しい」と回答したのに対し、その時点で関連の授業を行っていた公教育機関はわずか4分の1だったという。

プロジェクトの発表に先駆けてオバマ氏は、2013年に動画で子どもたちに「君たちがコンピュータ・サイエンスを学ぶことには、君たちの将来だけではなく、国の未来がかかっている」と呼びかけている。

彼がその動画の中でも「ゲームソフトを買うのをやめて、作ろう。最新アプリをダウンロードするのをやめて、開発しよう」などと訴えているように、「全ての国民をIT技術の単なる消費者ではなく、能動的な生産者にする」ことを大きな柱としてデザインされたこのプロジェクトでは、道具としてのITスキルの習得がゴールでなく、これからのIT化された社会に生きていく上で必要な能力としてのコンピュテーショナル・シンキングの涵養がより重要な目的であることが強調された。


高校生のITの授業に参加するオバマ氏(ホワイトハウス公式HPより

「仕事の未来」からの求め

「コンピュテーショナル・シンキング」の必要性が高まった背景にはもちろん、「コンピュータ」関連のニーズの爆発的な増加がある。

世界経済フォーラムは2016年のレポートで、今年小学校に入学した子どもたちが労働市場に入る頃には、その65%が現在は存在しない職業に就いている可能性が高いと指摘し、最新レポートで今後ニーズが高まっていくことが予測される職業・分野をまとめている。

現在・今後ともに圧倒的な人手不足が見込まれるのはソフトウェア開発者やシステムアナリストなどのコンピュータ関連のポストである。多くの仕事がロボットやAIに取って代わられると同時に、そのロボットやAIを作ったり使ったりする「人間」が必要になるのは当然の流れだ(その他は医療や福祉などのケア関連、マーケティングやカスタマーサービスなど「機械が埋めることができないソフト面」をカバーするものが続く)。

そしてそのコンピュータを作り、使う人材に必要不可欠なマインドセットが「コンピュテーショナル・シンキング」であり、そのようなITをベースに成り立つ情報化社会を生きていく人材全てに求められる資質になっていくことが見込まれているというのだ。

各国で教育のスタンダードに

 現在アメリカにおいては上記のプロジェクトの影響もあり、政府が多くの企業や団体とのコラボレーションで作成した「K-12 Computer Science Framework」に基づき、幼稚園を含む12年生(日本でいう高校修了学年程度)までの公教育でコンピュータ・サイエンスを教え、教育を受ける子ども全てにコンピュテーショナル・シンキングを身につけさせる取り組みが進んでいる。

 「21世紀の義務教育で重要な4つのC」――つまりコミュニケーション、クリティカル・シンキング、コラボレーション(協働)、クリエイティビティ(創造性)――に5つ目のCとしてコンピュテーショナル・シンキングを加えようという議論もあるほどで、その波は多くの国に波及している。

イギリスは2012年から義務教育のカリキュラムにコンピュテーショナル・シンキングの科目が加わった。シンガポールはそれを「国民の特性」と位置づけている。オーストラリア、中国、韓国、ニュージーランドなども米英に続き、コンピュテーショナル・シンキングの概念を学校現場で普及させるための熱心な試みを始めている。

もちろん教育者の育成が急務になってはいるが、指導に使える教材やゲームなどを開発・共有するサイトを運営する「コンピュテーショナル・シンカーズ」などの団体も各国で発足して現場の教師のサポートを行っており、先述のWing氏は「指導者不足の問題は、時間が解決するだろう」との見方を示している。

ちなみに彼女は2006年の時点で「初等教育でコンピュテーショナル・シンキングが教えられる時代が来ると思うか」と質問され、「私が生きているうちはないでしょうね」と答えた(当時50歳)が、実際は彼女の予想を大幅に上回るスピードで、たった10年後に初等教育に導入された計算になる(もちろんまだ現役だ)。

日本での取り組み

 一方わが国日本では、2020年から小学校において「プログラミング教育」が必修化される。

文部科学省・総務省・経済産業省の発行によるリーフレット「小学校プログラミング教育必修化に向けて」を見ると、「IT力が今後わが国の競争力を左右する」「現時点で90%の職業が少なくとも基礎的なIT力を必要とする」「2020年までに37万人のIT人材が不足する」などの現状が導入の背景として挙げられており、「プログラミング教育のねらい」には第一に「プログラミング的思考を育むこと」が挙げられている。「プログラミングの技能の習得自体をねらいとしていないことを、まずは押さえておいてください」と念を押す丁寧さは、アメリカのフレームワークで繰り返される「コンピュテーショナル・シンキングを養うことが最大の目的」という方針と重なる。

 多くの国ですでに実行されている「コンピュテーショナル・シンキング」をそのまま導入するのではなくわざわざプログラミングの部分だけ抜き出した意図は不明だが、近年公教育の大きな柱となっている「生きる力を育む」一環としての「思考を育む」という「ねらい」なのだろう。

 ただ、2020年といえば小学校3年生からの英語教育必修化も開始される年である。現場の小学校の先生方の混乱とご苦労が今から目に浮かぶようだが、そのご苦労が報われるとすれば、あと10年ちょっとでどんな職場であろうと新人たちはみんなプログラミングができて、課題があればコンピュテーショナル・シンキング的な思考で解決し、かつ英語がペラペラということになる。皆さん準備はどうだろうか。

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit

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