エコロジー+エコノミー=サーキュラーエコノミー
「儲かるエコ」「ゴミからトミ(富)へ」などとも表現されるサーキュラーエコノミー。基本的な概念としては「資源を有効活用しかつ循環させていくサステイナブルな経済システム」といったところだが、2015年にEUが経済成長戦略のひとつとして「サーキュラー・エコノミー・パッケージ」を採択したことから、最近の議論で言及される際には経済効果もややその概念に含まれるようになっている。今世紀最大の資本主義革命とも云われ、アクセンチュアの調査によるとその経済効果は2030年までに4.5兆ドルに上る。
この「エコ」と「経済成長」がセットになったシステムにおいては、従来の「リサイクル」の枠にとどまらず、製品寿命の延長(企画設計段階から製品の寿命を長くすることを考慮する)や、休眠資源のシェアリングプラットフォーム構築による活用なども含めた5つのビジネスモデルが提唱されており、EUでも雇用創出と経済効果に大きな期待が寄せられている。
意外と歴史の古い「サーキュラーエコノミー」の概念
先述の通りEUによるサーキュラー・エコノミー・パッケージは、採択から間もなく3年になる。使い捨てプラスチックの廃止、企業レベルでの食品や衣類の廃棄の禁止など、ここ数年ヨーロッパで思い切った政策が次々と推進されているのはこのためだ。それを機に日本においても今年、経団連のシンクタンクである21世紀政策研究所がサーキュラーエコノミー研究プロジェクトを立ち上げた。
こうして見ると近年にわかに世界のメインストリーム入りを果たした感のあるサーキュラーエコノミーだが、実は大して新しいコンセプトではない。歴史上初めてその原型に言及したとされているのは、アメリカで活動した経済学者ケネス・E・ボールディングが1966年に発表した『来たるべき宇宙船地球号の経済学(The Economics of the Coming Spaceship Earth)』という小論文。
その中で彼は、資源とその利用後が循環してつながっている「閉じた経済」のシステムを描き、それと対比して無限に資源がつぎ込まれては消費される「開かれた経済」の上に立つ現状への認識を促したのが、それがサーキュラーエコノミーの概念の最も古い記述だとされている。
さらにアメリカの思想家バックミンスター・フラーが、ボールディングが借用した「宇宙船地球号」というフレーズを初めて使って資源の有限性と有効利用の必要性を説いたのは、その3年前の1963年であった。
とっくの昔に声高に叫ばれていたサーキュラーエコノミーを見過ごしていたのはアメリカだけではない。日本にもかつて「『エコロジー』と『エコノミー』の共存」の上に築かれ、日本中で知らぬ人はいなかった循環型経済の町があった。1988年に着工し、のちに「東のディズニーランド」と並び称された「西のハウステンボス」である。
瀕死だった大村湾の生態系の修復を当初の目標に、土壌改良・自家発電・用水の再利用・ごみの有効活用などを施設内で賄う設備を擁し、「21世紀の理想的な循環型都市」として運営されていた同施設は、しかし、時代の理解が追い付かず2003年に経営破綻してしまう(現在はエンターテイメントにあふれたテーマパークとして大復活を果たしているが、環境への取り組みはPRの前面から姿を消している)。
「待ったなし」の状況により急流となり世界を巻き込むサーキュラー・エコノミー
長きにわたり時代の片隅で声を上げ続けていた「サーキュラーエコノミー」が近年にわかに注目を浴びている背景には、もちろん「待ったなし」の淵に立つ環境問題の数々がある。一番最近世界をざわつかせたのは、国連が「このままのペースで地球温暖化が進んだ場合、早ければ2030年にも深刻な気候変動が生じる」と警告した報告書であろう。
資源の枯渇や廃棄物による環境破壊は、度重なる問題提起もむなしく緊迫感を増す一方だ。また世界経済が失速してからそれなりの月日が経ち、先進国の価値観も大量生産・消費から地に足の着いたスローライフに傾いたこと、先進国がモノの製造による雇用の確保が困難になってきたことなども、サーキュラーエコノミーの支持を後押ししているのではないだろうか。
サーキュラーエコノミー都市・アムステルダム
一方ヨーロッパには、サーキュラーエコノミーのコアである「エコ」と「ビジネス」の両者を歴史的なお家芸とする国が存在する。先述のハウステンボスのモデルとなった国・オランダである。
特に首都のアムステルダム市は、市民・企業・各種団体などが意見を出し合って2040年の街のビジョンを決定するキャンペーンの結果、現在「経済力があり、サステイナブル」をメインテーマに街づくりを推進している。
2016年から3年計画で推進されている、循環型経済の展開を加速するイノベーションの振興のための官民学一体型プロジェクト「サーキュラー・イノベーション・プログラム」では、市の主導で様々な研究を行っており、「2040年までに7万件の循環型住宅を建設すると、毎年8500万ユーロの経済効果が発生し、700の新しい雇用を創出し、CO2排出量を年間50万トン削減する」などといった具体的なデータに基づく提言を行っている。
また同市は、ローカル発電、ガソリンの利用抑制、廃棄物の効率的リサイクルなどの取り組みが評価され2017年には「ワールド・スマート・シティ・アワード」を受賞した。
サーキュラーイノベーションとクリエイティビティのメッカ・アムステルダムノールト
中でも同市の北部・アムステルダム・ノールドでは、資源の循環とイノベーション、クリエイティビティの粋を集めたスポットに人が集まり、コミュニティを築いている。
そのシンボルとも呼べる存在が、リビングラボ(実際の生活の中で社会検証をし、新しいものを創出していく拠点。日本でも横浜市や鎌倉市などに試みが見られる)のフラッグシップ「De Ceuvel」。
De Ceuvel見取り図(公式サイトより)
元は造船所の跡地だった土地を、ある建築事務所が2012年に10年の期限で市から借用し、サステイナビリティ・コンサルティング会社との提携により生まれ変わらせた複合ビジネスパークだ。
造船所時代の名残で化学物質に汚染された土壌に触れずに活動できるよう、オフィス用にリフォームされ敷地内に配置された17のハウスボートを木の「渡り廊下」が縦横無尽につなぐ。アーティストや起業家がハウスボートにオフィスを構えイノベーティブなコミュニティを構築していたり、レンタルスペースでスポーツや音楽、教育などのイベントが行われていたり、毎週火曜日には地産地消を目的として地元の農家が「顔の見える」作物を販売したり、「都会のオアシス」としての様々な活動が行われている。
敷地内にあるカフェレストラン「Café de Ceuvel」は、自作の世界初の「バイオガスボート」を利用して、店で出た生ごみをバイオガスと有機肥料に分解し、バイオガスは調理に、有機肥料は敷地内の植物に活用している(この植物は、土壌の汚染の浄化のために植えられている)。最近ではコミュニティ内で利用する再生可能エネルギーを購入するための独自ブロックチェーン通貨「Jouliette」を開発したことが話題になった。
単なる汚染された土地の再利用にとどまらず、その上でさらに循環型の街を築くための新しい技術を実験し、そこに人が集まりコミュニティが構築されるプロセスには、これからの大都市が学ぶべきいくつものソリューションを含んでいる。
またTVディレクターのFrank Alsema氏が全国から集めた廃材で築き上げた複合施設Palais Récupも見逃せない。同氏はあちこちから「美しい、もしくは使えそう」と思った廃棄された建築材を集め、それを使ってどんな建物を作れるかというスタート地点から、建築家の John Zondag氏と協働でこの「DIYラボ」を完成させた(同氏はこのプロセスを、設計から始まる通常の建設に対してまず活かすべき建築材ありきという意味で、『リバース・デザイン』と呼んでいる)。現在、アパートが3室、出店や展示用の共同スペースや「温室」と呼ばれる屋上の開放的な「部屋」なども貸し出され、生活や表現の場として注目を集めている。
Palais Récupホール(公式サイトより)
最後に紹介したいのはNDSM埠頭にある「アートの街 」。これまた昔は造船所・格納庫として使われていた8500平方メートルのだだっ広い倉庫だったが、現在は文化活動推進のためにNPO法人により70のアトリエスペースが貸し出され、200人の芸術家が活動の拠点を構えている。年に一度のオープンデーにはその芸術家たちの作品が展示・販売される。「入居」の条件は、「収入の高くないアーティストであること」。人気が高くウェイティングリストに名前を連ねてもなかなか順番が回らないため、市が「空き情報をすばやく入手するため、すでに入居している人とコネを作ること」を推奨している。
「サーキュラーエコノミー」という言葉には、資源がぐるぐる回って無限に活用されるループがスムーズに回るようそこに資金を焚きつける、というようなイメージがあった。しかしクリエイティブで実験的な循環型経済への試みが繰り広げられるアムステルダム・ノールトは、「円」よりも「らせん」のイメージだ。貴重な資源をぐるぐる回し、富を生み出す一方で街や社会が進化して前進していく。なんとなくだが、その先に「終点」は見えない。おそらくこれからもより良い循環を求めて、創造と実験を繰り返す街であり続けるのだろう。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之( Livit )