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ファストファッションブランドのH&Mが先日、スウェーデンの首都ストックホルムのカーラプラン地区に新しいコンセプトの店舗を試験的にオープンした。
そこでは、会員向けにスタイリストがアイテム選びを手伝ったり、招待制のイベントを開催したりする。
それにより、顧客に特別感を与えるほか、彼らが居心地の良い空間でリフレッシュできるような店舗づくりを目指しているという。
「買いたい」ではなく「行きたい」と思われる店舗に
新コンセプト店であるカーラプラン店のターゲット層は、主に高級志向のローカル客。この地区は流行や環境保護に敏感な人たちが多く、比較的裕福なストックホルム市民が集まるエリアである。
H&Mのイノベーション・シンクタンクの責任者であるAnna Tillberg氏は、「温かみやパーソナライズされた要素を加えたい」という目標を掲げ、同じくストックホルムとパリで事業展開するデザイン会社Open Studioと共同で同店を開発。
会員を対象に、デザイナーが集結するイベント、料理やヨガクラスなどを開催する予定。内装には、木と緑を散りばめ、高級感を醸し出すデザインに改装した。併設されるカフェでは、エスプレッソを飲みながらくつろぐこともできる。
カーラプラン店内(出典:Open Studio H&M ホームページ)
H&Mを運営するヘネス・アンド・マウリッツが以前から力を注いできた高価格帯のブランド、COSやARKETなどの商品も並べ、さらにスタイリストを配置し、コーディネートのアドバイスも受けられるようにすることで、来店客の増加を狙っている。
会員制の背景に、順風満帆な経営からの転落
H&Mは1947年の創業以来、何十年にもわたって成長を続け、今年5月時点で世界69カ国に4,801店舗を出店している。
ファッション企業として、そのビジネスの規模ではZARAを運営するスペインのInditex社に次いで世界2位。日本でも全国に86店舗あり、最も受け入れられているファストファッションブランドの一つだ。
順風満帆な成長を遂げてきたかに見えるH&Mだが、実は2015年から経営不振に陥っていた。売上は減少し続け、運営するヘネス・アンド・マウリッツの株式は、2015年からわずか数年でピーク時の価値の2/3を失ってしまった。
その原因について、経営陣であり筆頭株主でもある創業家は、高価格帯商品の開発に投資しすぎるあまり、顧客目線でのマーケティングを怠ったことを認めている。
マーケティングの失敗に気づいていなかった
そんな同社の顧客の一人、21歳のNicole Archieは、H&Mのニューヨーク・タイムズスクエア店でのとある出来事を機に、商品を購入する先をファッションEコマースサイトのBoohooやFashion Novaに乗り換えてしまったという。
「会計の列が長すぎて、空くまで靴が陳列されているエリアのベンチに座りに行ったのを覚えています。せっかくなので靴を見ようと思ったら、床に散乱している靴と靴のひもが絡まってしまっていて、その紐をほどくところから始めなければいけなかったんです(ロイター通信の取材に対して)」。
現代のリアル店舗は、「デスティネーション・ストア」という言葉も登場しているように、「行きたい」と思える目的地であることが重要視される。顧客はそこで、試着など買い物とは異なる用途を済ませ、実際の購入はネットで行う。つまり、リアル店舗は顧客の心を掴むための空間なのだ。
今回の「会員制」は、そうした顧客のニーズの変化に対応してこなかったH&Mの挽回策とも捉えられる。
事実、そうした考えーーリアル店舗は、目的地であるーーで、実はさまざまなブランドがH&Mに先んじて、快適な空間づくり、買い物の利便性向上に努め、顧客の心を掴もうと工夫を凝らしている。
店舗を小規模化し、デジタル化を加速させるAbercrombie & Fitch
A&FやHollisterを展開するAbercrombie & Fitchは、一部店舗にある試着室を改装。個室一つひとつに携帯電話の充電スポットを設置。顧客がスマホを充電している間に試着を楽しめるような空間にした。
また、2010年からは4億ドルもの資金を投じ、在庫状況をデジタル化することで、顧客が店舗で購入した商品を自宅や勤務先など指定先に送付するサービスを提供。こうした直販は、今や同社の売上の27%を占めるまでに拡がり、2018年第一四半期の全体売上は11%増加した(伸び率では前年比5%増加)。
それでも、リアル店舗から顧客が離れたわけではない。商品を自宅に持ち帰るストレスから解放されたためか、来店客はその後も増加し続けている。
リアル店舗の位置づけの変更に伴い、同社は “余剰” と仕分けられるようとなった店舗の閉鎖を急速に進めている。2010年以降、全店舗の約1/3にあたる400店舗ほどを閉鎖、2018年に入ってからも60ほどの店舗を閉鎖している。
背景には、アメリカでリース契約をしている店舗のうち、およそ6割は2019年中に契約満了を迎えるため、店舗数と適正な立地を再考するのに良いタイミングだったこともあるだろう。それと並行して、同社はA&Fの13の店舗、Hollisterの50の店舗の改装を計画している。
「お客さまは家族」で心をつかむノードストローム
アメリカのデパートチェーンであるノードストロームは、ハイブランドなファッションブランドの洋服だけでなく、革製品、靴の修理、ジューススタンド、ネイルサロンなども提供し、幅広い顧客のニーズに対応している。
そのため、特に予定のない人でも、ノードストロームに行けば暇はつぶせる。筆者もカナダに住んでいたころ、「とりあえずノードストロームで」とよく誰かとの待ち合わせに使っていたのを覚えている。
同デパートチェーンでは顧客を「家族」と捉え、全店舗で会員制のイベントやコンシェルジュサービスを提供。また、InstagramやPinterestと連携した通販事業に100万ドル以上を投資し、いち早く、主に20〜30代の若い顧客にとっての利便性を高めることに配慮してきた。
業績は好調だ。ノードストロームが行った最新の業績報告によると、2018年第2四半期は、純利益が前年の1億1000万ドルから1億6,200万ドルへと47%も伸長した。物流におけるコストカットもこれに寄与していると考えられる。
H&Mに「まだ改革は始まったばかり」と指摘する投資家も
話を元に戻すと、H&Mカーラプラン店を実際に訪れた顧客の反応は上々だ。
「視覚的にも魅力のある店舗に仕上がっていると思います。他の店舗ではなく、ここに来ようと思わせてくれます(30代/男性)」
「以前は店内に散乱していたプラスチックやパッケージのゴミもなくなり、ほんとうに変わりました。インテリアもまるでラグジュアリーブランドを扱っている店かのように変貌していて、この店が特別なんだと実感できます(20代/女性)」(いずれもロイター通信の取材に対して)
会員限定の体験型店舗の開発に舵を切ったことによる、こうした顧客の好意的な反応はさっそく数字にも表れているようだ。
ビジネス開発部門とオンライン部門の責任者であるDaniel Claesson氏は、明言は避けたものの、「経営数値上にも変化が見られました。客足も売上も順調に伸びています」と語っている。
ピーク時の2015年2月から2018年9月中旬まで下がり続けていたヘネス・アンド・マウリッツの株価も、H&Mの売上改善の発表を機に上昇へと転じた。
H&Mは今後さらに、収益が伸び悩む店舗を改装し、その立地により合いそうな価格帯のコンセプトブランドを投入したり、アウトレットショップへと変える動きを強めたりしている。
一方で、これらの動きだけでは不十分だと指摘する投資家もいる。
ノルウェーの投資ファンドであるOdin Fonderはヘネス・アンド・マウリッツの株を2018年6月にすべて手放した。「思いきって1,000店舗ほど閉鎖するべきだ。そのうえでもう1,000店舗ほど改装するくらいでないと勝ち残れない」とは、同ファンドの関係者のコメントである。
今後も革新性が求められるファッション小売業界で、創業者の孫であり現在の経営最高責任者であるKarl Johan Persson氏の手腕を疑問視しているのがその理由だ。
これから先の時代をブランドが生き残るために、リアル店舗を手がけるマーケターには常に新しいトレンド、顧客の潜在ニーズを切り拓いていくだけの先見性が、今までよりいっそう求められてくるだろう。
執筆:赤江龍介
編集:岡徳之(Livit)
eye catch img:H&Mカーラプラン店(出典:Open Studio H&M ホームページ)