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食事は人間の生命活動を維持するために必要なものだが、食品がすべて安全というわけでは決してない。地球には果たして、安全な食糧生産を行うための余力があとどれくらい残っているのかーー。
近年、平均気温の上昇など気候変動により、穀物の生産量は世界的に見て、減少傾向にある。世界各地で旱ばつや熱波が頻繁に起きているのはよく知られているだろう。
また、中国など、国・都市が近代化して川や海が汚染されたり、農地が減り、食糧が減少する傾向が起きているケースもある。人々の生活が便利になり発展していけばいくほど、優良な農地が道路や工場用地にとって代わり、昔から続いていた農産品の生産量が減少してしまうのだ。
「フード・セキュリティ」とは?
1996年にローマで行われたFAO(Food and Agriculture Organization of the United Nations, 国連食糧農業機関)世界食糧サミットは、世界の食糧問題をテーマにした世界初の国際会議。そこでは「フード・セキュリティ」を構成する4つの要素が定義された。
その4要素とは「(食料の)入手可能性(availability)」「(食料への)アクセス(access)」「(食料や食資源の)活用(utilization)」、そして「安定性(stability)」。このうちの1つでも欠けるとフード・セキュリティ上に問題が起きていることになるとされた。
「フード・セキュリティ」は、日本語では「食糧安全保障」と訳されていて、難しい単語のように聴こえるが、健康な生活を送るために必要な分の食糧をきちんと調達できているかどうか、ということである。
「Food Safety(フード・セーフティ)」という言葉も存在するが、そちらは有害な物質なども含まれておらず公衆衛生の観点で「食の安全」が守られているかということである。
そんな「フード・セキュリティ」について研究を行っているのが、北アイルランドのベルファストにあるクイーンズ大学ベルファスト校の「The Institute for global food security(グローバル・フード・セキュリティ研究所、以下IGFS)」である。
「The Institute of Global Food Security」とは?
イギリス国内の大学で9番目に歴史を持つクイーンズ大学ベルファスト校は、各分野の専門図書館を持つなど研究施設が充実した大学として知られ、1845年、ビクトリア女王がアイルランドに創設した3つのカレッジのうちの一つであるカトリック系のQueen’s College Belfastが前身となっている公立大学である。
北アイルランドの首都、ベルファストの中心部から2kmほど離れた郊外にあるキャンパスには、メインの図書館の他に、自然科学、医学、農学、食品科学などの専門図書館を持つなど研究施設が充実している。
学部に関しては、School of Biological Science(生物科学学部)があり、そこでは食品偽装や安全性などを厳しい検査でチェックする食品品質・安全・栄養学科がある。
IGFSは2009年に設立された。Advanced Food Safetyという1年の修士課程も誕生。イギリス内の食品化学分野でランキング1位となり、世界各国から研究者が集まり、同分野で世界でもトップクラスの評価を受けている。
この研究所の責任者は、食品化学において第一人者と言われるChris Elliott (クリス・エリオット)教授である。
エリオット教授は、1986年から獣医学の薬物残留について1986年から研究し、スクリーニングの技術を元に免疫化学的解析を専門としている。彼の研究は食物や農産物にとって有害な化学物質(マイコトキシン、サイコトキシンといった毒素や植物毒素)に関してまで幅を広げている。
2013年の英国での馬肉混入問題のときに発案されたエリオット教授の分析方法は、現在食品化学の分野で世界中に広まっている。
馬肉混入問題とは、2013年にテスコなど大手スーパーで販売された牛の加工肉に馬肉や豚肉が混ざっていたことが問題となり、欧州全体に広がった事件のことである。フランス、スペイン、オランダ、オーストリアなどでは馬肉は珍しいものではないが、アイルランドやイギリスではタブーとされており、自主回収も行うまでの事態となった。
英国政府は2013年のこの事件を受け、2015年に「NFCU(National Food Crime Unit(食品犯罪ユニット)」を創設するほど本腰を入れて食品犯罪を取り締まっている。ここでは、戦略的な計画レベルでの食品犯罪の理解を促すことや、食品サプライチェーンでの食品犯罪の仕組みに関する具体例を特定することを目的としている。
そんなエリオット教授が主導となり、IGFSは2018年5月、ホスト役として Belfast Summit on Global Food Integrity(グローバルフードの統一化に関するベルファスト・サミット)を4日間に開催した。
この国際会議ではカナダ・ケベック州のLaval Universityが協力して、世界の人口全体にどうやって食糧を調達できるか、について協議された。
フード・セキュリティの重要性を広めたいとするIGFSであるが、次世代への情報発信にも積極的だ。
1つ例に挙げると、IGFSでは地元の小学生を招待するイベント「The Primary Health Sciences(PHS) Conference(小学生ヘルス・サイエンス会議)」を開催している。第3回目となった2017年8月の回では、合計9校からの250人の小学生が招待され、それに加え教師、科学者、保護者なども参加し、合計300人が参加する大きなイベントとなっている。
ここでは小学校教師や小学生たちに生物科学とは何か、実際の生活にどうやって役立たせていくのかについて、簡単な実験などを通して体験させて学ぶことができるようになっている。
また、大学でどうやって実験・研究が行われているかを実際に見ることによって大学で学ぶということはどういうことか、大学の授業はどういう風に行われるかについて、疑似体験することで、大学生活に小学生の段階から興味をもってもらおうという趣旨も含まれている。
世界中で高まるフード・セキュリティにまつわるリスク
他の国でもわたしたちの食を脅かす事件は起きている。
例えば、スペインの「オリーブオイル」。よく知られたとおり、スペインはオリーブオイルの産地として有名。その生産量は世界一で、世界で40~60%のシェアを占めており、国外にも輸出されている。その中にもいろいろな階級があり、エクストラバージンというものが最高級のオリーブオイルとされる。
一方で、世界中のスーパーなどで売られるエクストラバージンオイルと銘打っているものの中にはその基準(風味・香りともに完全で、酸度が0.8%以下のもの)をクリアしてないものもある。「エキストラバージン」であるための基準は、主要な生産国が加盟する国際オリーブ協会(IOC、International Olive Council)によって決められている。
スペインでは2016年に全国にある有名スーパーチェーンDIAやCarrefourの自社製品のエクストラバージンオリーブオイルが実質コストより安く販売されており、実際は他の精製オイルやオリーブ以外の原料から作った安いオイルが混ぜ込まれていると触発され、スペイン農産省より罰金を支払うように命じられた。
遺伝子組み換え作物の脅威もある。インドでテストされた作物のうち30%が遺伝子組み換え作物だったことが判明し、その中には新生児のためのベビーフードにも使われていたというから驚きだ。
こうしたリスクは、日本もTPP(環太平洋経済提携協定)に参加することが今年7月に可決されたため他人事ではない。TPPの関税の撤廃により、日本の肉や野菜に変わり、遺伝子組み換えのモンサントなど外国産のものが国内市場を大量に流入し、日本の農業に大きなダメージが与えられるのと同時に、食品添加物、遺伝子組み換え作物、残留農薬などの規制緩和により、食の安全が脅かされるのである。
何気なく手にしている食品が、安全だという保証はどこにもない。フード・セキュリティ、食品化学という分野はこれから日本でももっと広まっていく必要があるだろう。
文:中森有紀