2018年6月12日、米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の歴史的な首脳会談が開催された。

この首脳会談の開催場所として、スイス、モンゴル、韓国・北朝鮮の非武装地帯などが候補に挙がっていたといわれている。しかし、最終的に選ばれたのは東南アジアの小国シンガポールだった。

シンガポールが選ばれた理由は、米国、北朝鮮との良好な外交関係があることや、数多くの重要な国際会議が開催された実績があるためと報じられていた。一方、金委員長は首脳会談中の暗殺を恐れていたとも報じられており、セキュリティ水準の高さも会談場所選びの重要条件だったとみられている。

実際、シンガポールでは暴動やテロが起こることは稀で、世界的に見ても政治的・社会的にもっとも安定した国の1つと考えられている。

セキュリティ水準の高いシンガポールだが、近年ではテロの脅威が増大していることに加え、人口減による警察人員確保が難しくなっており、国内セキュリティの刷新が喫緊の課題になっている。

スマート国家を目指すシンガポールは、この課題に人工知能やVR(仮想現実)などのテクノロジーを駆使して取り組む計画だ。

シンガポールはどのようにテクノロジーを活用しようとしているのか。その最新動向に迫ってみたい。


シンガポール警察

世界中で高まるリスク、VRでセキュリティ強化

安全な国というとかつては日本を真っ先に思い浮かべることが多かったかもしれないが、いまではそのような実感を持つことが難しくなっているのではないだろうか。安全と感じられないのは日本だけでない。世界中で安全と感じることができる国が少なくなっているのだ。

保険・人事コンサルティングを行う米企業AONがまとめた世界各国のリスクレポートによると、世界の40%の国々ではテロや破壊行為のリスクが、60%がストライキや暴動のリスク、約33%が紛争やクーデターのリスクにさらされているという。

日本と並びもっとも安全な国の1つといわれるシンガポールも例外ではない。シンガポールを含め、インドネシア、マレーシア、フィリピンなど東南アジア諸国では、これまでに何度もテロ攻撃が実施されたり、テロ計画が発覚したりしている。シンガポールでは2016年に同国を狙ったテロ計画が発覚、未遂に終わったもののそれ以降も警戒レベルは高いままだ。

この状況にシンガポールが頭を悩ませていたのが、巧妙化・複雑化するテロ攻撃の阻止、そして少子高齢化・人口減のなか警察人員をどのように確保するのかということだ。

シンガポール政府が目をつけたのは、人工知能やVRなどの先端テクノロジーだった。

2018年1月、シンガポール内務省ではVRを活用したシミュレーションセンターを開設。ここではVRを使い、テロ攻撃やナイフを振り回す暴徒などを想定したシミュレーションが実施される。参加者はこの状況に臨機応変に対応できるように訓練を行う。シンガポールの街なかがシミュレーション内に再現され、そこで起こるテロや犯罪などに対処するというもの。参加者はシミュレーション内でどのような意思決定を行うべきなのか、実際その場にいる感覚で訓練することができる。

このシミュレーションシステムの基盤となっているのは、オランダ企業XVRが開発したシミュレーション。それを内務省がカスタマイズし、シンガポールの街なかを再現した。


XVRシミュレーション

同国内務省の担当者はGOV・INSIDERの取材でVRシミュレーションを導入した理由として、これまでは銃を打ったり、レーダーの解析方法を学んだりとシンプルな「スキルベース」の訓練が行われたきたが、テロや犯罪の巧妙化・複雑化にともない、複雑な状況に迅速に対応できる知識とスキルを習得する必要性が高まっているからだと述べている。

このシミュレーションで特筆されるのは、現場の予測不可性を再現できる点で、訓練を通じて予期せぬことが起こった場合でも冷静に対応する力を養えることだ。

また、コスト面でも非常に優れた訓練方法といえる。これまで同様の訓練を実施しようとすると大規模なロジスティクスや人員が必要となり、多大な時間と費用がかかっていた。このため、頻繁に実施することは非常に困難だった。しかし、シミュレーションであれば低コストで何度も訓練を実施することが可能となるのだ。

顔認識テクノロジーでセキュリティ強化と人手不足解消

このように質の面でセキュリティ強化を狙うシンガポール政府だが、同国では少子高齢化・人口減が進んでおり、警察人員増加による量的な強化は難しい状況だ。

人手不足の問題は、人工知能を活用することによって解決を目指そうとしている。

2017年5月、シンガポールのシャンムガム内相兼法相は、警察や消防における人手不足を解消するために、人工知能を多いに活用すると発言し注目を集めた。特に、顔認識技術を使い、警察などでのプロセスの一部を自動化したい考えだ。

ロイター通信は、近い将来シンガポール国内にある11万基の街灯に監視カメラが設置され、その画像から顔認識が行われる可能性があると報じている。「スマート国家」構想の一環で実施されるもので、テロや犯罪の捜査での時間とコストの大幅な削減が期待されるという。

セキュリティだけでなく、さまざまな分野で人手不足が懸念されるシンガポール。チャンギ空港では、乗り遅れの搭乗予定者を探し出す目的で、顔認識システムの試験運用が実施されているとも報じられている。プライバシー問題が絡むため、実際に利用する場合は航空会社の許可を得て実施されるようだ。ちなみに、チャンギ空港第4ターミナルでは、チェックインや搭乗手続き用に顔認識システムが導入されている。


チャンギ空港ターミナル4

トランプ・キムサミットを主催するにあたり、シンガポールは1,500万ドル(約16億5,000万円)を拠出したといわれている。シンガポールにとっては、外交的なプレゼンスを示すとともに、自国の安定や安全性をアピールする絶好の機会だったといえる。特に同国が力を入れるMICE(会議・報奨旅行・展示会)市場の宣伝として絶大な効果があったはずだ。

南国の気候で、会議や旅行に安心して集中でき、英語も通じる。このような条件がそろっている国は、世界中探しても見つけることは難しいかもしれない。セキュリティ強化でさらに安全に、人工知能などの活用でさらに効率的に、スマート国家としてシンガポールがどのような進化を遂げるのか、これからが楽しみである。

文:細谷元(Livit