筆者の義父が発症

筆者は現在オランダで暮らしているが、3月28日に義父(筆者の夫の父・オランダ人)が入院し、次の日に新型コロナウイルス陽性が判明した。結果から言うと彼は奇跡的に持ちこたえ、現在段階的な退院に向けて準備しているが、入院時には医師に「おそらくこれが最期になります」と言われる状態だった。

信じられないことにまだ日本ですら一例目が確認されてから3か月も経っていないこの病気、インターネット上にも回復した人からの詳細な体験談は数が少ないように見受けられるので、この際家族の目から見た義父の入院までの経緯と、病院で受けた処置、現在までの経過や本人の談などを詳細にまとめたいと思う。

ご参考にしていただければ幸いだ。

オランダのコロナを巡る現状

同国の新型コロナウイルスを巡る現状だが、2月27日に国内で最初の感染者が確認されてから約5週間が経過した現時点(4月5日)で感染者数は17,851人、死亡例は1,766人。

1月16日に日本で最初の感染例が報告されてから1か月あまりは母国を心配していたが、あっという間にこの総人口が日本の7分の1以下である小国のオランダの方が感染者が圧倒的に多くなってしまった。

3月13日夕方のオランダ中央政府の発表をもって接客業や施設は全て休業、可能な限りのテレワーク推奨、教育機関は保育園から大学まですべて臨時休校が決まり、現在ほぼ全ての学校がオンライン授業を行っている(現時点で少なくとも4月28日までの現状維持が決定)。

スーパーなどの小売店は営業しているが、1.5mの社会的距離を保つための工夫があちこちになされている。イベント・集会は6月1日まで禁止、個人的な訪問はいちどに3人まで。

早期から的を絞ったロックダウンで感染のスピードを遅らせることで医療崩壊を防ぎ、集団免疫獲得を狙う「インテリジェント・ロックダウン」と呼ばれるこの戦略が吉と出るか凶と出るか、普段は楽観的で上からの支持に従わないオランダ人が珍しく息をひそめて(彼らにしては)動向を見守っている。

ショッピングモールの入り口に印字された「距離を保って!」の表示(筆者撮影)

いま思えば私自身、ウイルスの急速な拡大に薄気味悪さは覚えていたが、義父の検査結果が出るまではどこか他人事だった。

むしろそれによる休校や経済的ダメージといった、目の前に立ちはだかる「二次被害」への対応で精一杯だったように思う。そこから一気に家族を失う恐怖に突き落とされるプロセスは、ものすごく非現実的な体験だった。

義父のケース・陽性判明まで 

義父の感染経路は分かっていない。

家族思いで友達も多い義父は、71歳になり妻と二人暮らしをしている今も、頻繁に孫の面倒を見るために息子たちの家を訪れたり、週に何回か地元の老人ホームにボランティアに行ったり、体調を崩した友人を見舞ったり、妻や友人とアムステルダムなどの美術館を訪れたりと多忙な生活を送っていた。

つまり逆に言えば、恰幅がいいことと高血圧で常に服薬していた以外は、いたって健康で活動的な人だったのだ。風邪を引いても「時間が経てば治る」といつも通りの生活を続ける典型的オランダ人だった。

以下、義父の入院までの経緯を、本人(義父)視点で時系列にまとめたい。本人はまだ回復途中で長時間話をできないため、本人からの情報が限られていることをお詫びしたい。

3月上旬

鼻風邪をひく。8日に遠方に住む長男(41)と近所に住む次男(39)の家族全員(2人の義理の娘と孫5人を含む)が自宅を訪れる。

(筆者メモ:この時点ではまだ国内に上陸したてという感じで、人々は当事者意識がないままに不安にあおられていた。欧州におけるコロナによるアジア人差別が問題になっていて、しっかり者の義兄の嫁が自分の子どもが冗談で『コロナ』と言うたびに、私が気を悪くしていないか気遣うような目で見ていたのを覚えている。)

3月12日

8日に自宅に来た長男(41)と、その妻(39)が、自宅で同時に体調を崩したらしい。長男は息切れと胸の圧迫感(常に誰かが胸の上に座っているような感覚)を感じたといい、妻の方の症状は咳と頭痛から始まり、それが息切れとひどい倦怠感に変わったらしい。

二人とも下腹部に鈍い痛み、軽い下痢もあったが、熱はなかったとのこと。

近所に住む妻の弟がその前週におそらく新型コロナウイルスによる倦怠感を訴えていたので、ホームドクターに電話して事情を話し、指示を仰ぐ。おそらく同ウイルスによるものであること、福祉施設勤務の妻は症状が消えて24時間が経過するまでは出勤しないことを言い渡された。

(筆者メモ:彼らの症状はそこまで悪化せず一週間程度で消えたが、咳が残ったという。)

3月14日

発熱。ほぼ自宅ベッドに寝たきりになる。アセトアミノフェン(解熱鎮痛薬)500mgの錠剤を飲むが、効かない。

(筆者メモ:これを知らなかった筆者が18日にどうしても助けが必要になり彼にSOSを出すと、駆けつけてくれたのは義母だった。数時間子どもたちと遊んだり、私とおしゃべりをした後に、『今日はお義父さんは熱を出して寝ているから代わりに私が来たの。大丈夫、まさかコロナじゃないわよ』とあっけらかんと言う。筆者ちょっと心配になるも、この時点では自分にも『まさか』という思いもあったので深く追求せず。)

3月20日

家族グループメッセージに次男より「風邪治った?」とメッセージ。「熱は下がらない、とにかく具合が悪い。下腹部の痛みがしつこくて、膀胱炎じゃないかと思っている」と返信。救急の仕事をしている長男がコロナを疑い、「熱に加えて咳か息苦しさがあったら、医者に電話しろ」と指示。

この時点で今まで経験したことのない具合の悪さながら、そこまで深刻な病気ではあるまいという思いと、新型コロナウイルスの感染者が増えて日々忙しいであろう地元の医療現場に余計な負担をかけまいという配慮で様子見。もうこのあたりから、食べることも寝ることもままならなくなる。 

3月22日

38度前後の熱・咳・息苦しさ・下腹部の痛みが全くひかないので、妻に無理やり救急病院に連れて行かれる。血液中の酸素量と肺の検査を受けるが、どちらも正常なので、今のところは病院でできることはないと引き続き自宅療養の指示を受ける。

(筆者メモ:義母はどうしてこの時点でコロナの検査をしてくれなかったのかと今は怒っているが、この時点で陽性が判明してもできることもなかったらしい。)

3月26日

症状は変わらず、熱が39.1度まで上がったので、昼過ぎに妻がかかりつけ医に電話。アセトアミノフェン1,000mgを2時間おきに服用して様子見し、悪化したらすぐにまた電話するように言われる。言われたとおりにガンガン薬を飲んでいると、夜の8時には37.3度まで熱が下がる。

3月27日

おそらく薬のおかげで熱は下がっているが、咳がひどく血が混じる。睡眠・食事はできない。

3月28日

朝、しびれを切らした息子2人が私の妻を説得し、仮設コロナセンター(筆者注:現在、街中の格式あるホテルを国が借り上げて設備をそろえ、一時的にコロナセンターとして運営している)に検査の予約を入れる。息苦しさもだんだんひどくなっていたし、かかりつけ医も検査を勧めたので了承する。

予約の時間にセンターに向かうと、血液と肺の検査の後すぐに病室に移送されてしまった。待合室で待っていた妻は、そのまま帰されたようだ。

(筆者メモ:待合スペースで義父が戻って来て結果を知らせてくれるのを待っていた義母のもとに看護師がやって来て、『原因はコロナ検査の結果が出ないと分かりませんが、肺炎を起こしていて血中の酸素量がひどく低下しています。危険な状態なのでこのまま入院になりますので、奥様はこのままお帰り下さい。コロナウイルス陽性の可能性があるので、濃厚接触者のあなたも人に会わないように』と告げたそうだ。)

入院からの経過

センター病室にて

付き添いの看護師と待っていると、検査をした医師、呼吸器科の医師などさらに3人のスタッフが来た。全員、防護のために大きなマスクとゴーグルをしているので、表情などは見えない。

自分が肺炎を起こしていること、血中の酸素量の目安となるSpO2の値(健康な人は96~99%で、90%以下だと呼吸不全と見なされる)が72%であることを伝えられる。

呼吸器科の医師が、

・今より少しでも悪化したらすぐに集中治療室に入れて人工呼吸器につなぐ必要があるが、それは体への負担が大きく、健康な人でも生存率が50%程度であること

・運よくそれを乗り越えても数か月から1年のリハビリが必要になり、その後も元の体には戻らないこと

・高血圧、大柄(186cmで110kg程度)、71歳という年齢、基礎体力(普段から運動などは全くしていない)、今まで2週間の体調不良で弱り切っていることなどを考慮すると、人工呼吸器を生き延びられる体力が残されている可能性はほぼない

ことを説明し、それでももしもの場合は人工呼吸器を試したいかと尋ねるので、即決で「じゃ、やだ」と答える。

「それではおそらくこれがあなたの最期になりますが、私たちも最後まで手を尽くしたいので、ここよりも治療設備の整った総合病院に行きましょう」と、救急車で移送される。

総合病院に移送されてから

入院初日

病室についてすぐに酸素マスクや導尿のカテーテル、点滴、SpO2をモニターするための指のクリップ?などが装着される。酸素吸入の投与量は40リットル/分。マスクをつけると呼吸は楽になる。

SpO2の値はすぐに92%まで回復したが、「とにかく炎症を起こした肺が血中にうまく酸素を送れなくなっているので、余計な酸素を使わないように」と、力を使うような行為は一切禁止される。

(筆者メモ:病院に問い合わせて現在の処置を知った救急病院勤務の義兄が、『40リットル/分って、それ最大値だから…それ以上悪化したり、何かハプニングが起きて息が上がるようなことがあったらもう打つ手ないぞ…』と青ざめる。)

入院2日目

どうしても眠れず、昨日の入院からも一睡もしていない。検査の結果が出て、新型コロナウイルス陽性が告げられ、コロナ専用病棟に移される。

朝、家族グループに昨日医師から言われたことをメッセージすると心配した家族から返信が多数入るが、来たメッセージを読むことも返信を打つことも非常に疲れるので、その旨を伝えてメッセージのやりとりからいったん離脱する。

新型コロナウイルス感染症への効果の可能性があると言われる、クロロキンというマラリアの治療薬の投与が始まる。夕方、スープとプリンの夕食が出て、頑張って完食する。

(筆者メモ:本人は飄々とした人なので、『(医師から言われたことは)嬉しかないけど、まあそうだろうね~』という受け止め方をしていたが、家族の動揺はかなりのものだった。『疲れるからちょっと携帯を置くね』というメッセージの後には家族から『愛してるよ、パパ』という悲痛な『最後のメッセージ』が寄せられた。夜、元気づけようと孫の画像や動画を本人のスマホに送ると、いかにも苦しそうな息で『みんな、ありがとう』というボイスメッセージが返ってくる)。

入院翌日の夕食(本人撮影)

入院3日目

意外と安定しているようで、酸素の投与量が15リットル/分に減る。看護師から効率的に酸素を取り込める呼吸の仕方を教わり、こころがける。ゆうべも一睡もできず。ただベッドに横たわっているだけでひどく疲れ、動悸がする。

(筆者メモ:感染のリスクも含めもちろん家族も面会謝絶なので、家族が本人の容態を教えてもらうための病院のコロナ患者専用の番号をもらう。しかしこの日から、入院患者の増加に対応できなくなったらしく、電話がつながらなくなる。)

入院4日目

昨日と同じ感じだが、酸素マスクが加湿もできる新しいものに切り替わる。熱も少し下がる。

孫たちからの手紙でいっぱいになった義父の病室(本人撮影)

入院5日目

ゆうべはやっと5分くらい目を閉じていられた。それだけでちょっとリフレッシュした気がする。酸素マスクから経鼻での酸素吸入に切り替わり、量も4リットル/分に。少し食欲が出てきたので看護師さんにお願いして売店でサラミを買ってきてもらう。ちょっとうまい。

入院6日目

ついに少し眠れた。SpO2も97まで回復し、酸素吸入の量は3リットルに減った。点滴(クロロキン)が取れ、熱は37度(平熱)まで下がった。カテーテルが取れて、看護師さんが尿瓶を置いて行った。病院食も半量だが3食食べられる。医師から「このぶんならそのうち退院できるでしょうね」と言われる。

入院7日目

少しまとまって眠れた。昨日と同じで安定している。マスクがないと食べたり呼吸したりがだいぶ楽だ。

入院8日目

酸素吸入の量が2リットルになり、ゆっくりなら立てるようになったので、パジャマから普段着に着替えた。病室の窓の外から次男が手を振り、電話をかけてきた(相変わらず面会は出来ないので)。息は切れるがまあしゃべれる。

夕食は体調を崩してから初めてほぼ全量食べられた。それ以外にもチーズだのプロテインシェイクだの、たんぱく質豊富っぽいものをやたらと与えられる。

週明けに検査して、その時点でまだ酸素吸入が必要ならコロナセンターに、必要なければ自宅に移送されるという話だ。

医師も「奇跡扱い」の義父の回復

ざっと現在までの経過はこんな感じだが、現在40人程度が新型コロナウイルス感染症で入院しているこの総合病院でもここまでの状態から回復して退院するのは義父が1人目だそうで、医師も彼の奇跡的な回復を「針の目を抜けた」と表現している。

正直なところ、医師も何が良かったのか分からないらしい。もしかしたらそのマラリアの薬が効いたのかもしれないし、肺炎を起こしてすぐに酸素吸入をしてもらえたのもラッキーだったのかもしれない。彼に意外と免疫力があってウイルスに打ち勝ったのかもしれない。

筆者は医療に関しては完全な素人だが、この綱渡りだった彼の闘病を横で見ていて、もしも彼が10年ほど前にタバコを止めていなかったら、もしももっと忙しくて疲労やストレスを溜めていたら、もしももしも…と、結果的に彼を救ったかもしれない色々な要素に思いを巡らせてしまった。

オランダはホームドクター制度で、かかりつけ医が本当に必要と判断した時にしか投薬や大病院への紹介はされないが、今回に関してはこのシステムの功罪は分からない。それから入院時の医師のストレートな物言いにびっくりしたが、これも患者の主体性とQOL重視のオランダ独特のものらしい。

同じ欧州でもイタリアやスペインでは、日本と同じように「一秒でも長く生かす、わずかでも可能性がある処置はする」のが基本で、弱った患者に悪化したら人工呼吸器をつけたいかどうか選択させるなんてありえないとのこと。

体力をつけておこうと思った 

今回義父の入院からある程度の回復までの経過を近くで見ていて思ったのは、病気との戦いは最終的に体力勝負になることもあるんだなということだ。

義父が入院時に医師から言われた「人工呼吸器を生き残れる体力」という言葉も刺さったし、今回の処置も効果が謎なクロロキン以外は、酸素で命をつないでもらっている間に体がウイルスを乗り越えるのを家族みんなでひたすら祈りながら待つような感じだった。

いわゆる「風邪」だって、特効薬がないという意味では同じことだろう。

京都大学の宮沢孝幸准教授があえて過激な言葉でこのウイルスへの警戒を呼び掛けて「バズった」ツイートで、「いつかはお前もかかる。かかった時助かるように、今からなるべく栄養付けろ。よく寝ろ。タバコはこれを機にやめろ」と言っていた意味を、身近なケースでしみじみ理解した次第だ。

健康のために「ストレスや疲れをためないように」「よく寝るように」というアドバイスを聞くたびに、「できる人はとっくにやっているのでは…?」と斜にかまえた見方をしていた私だが、とにかくこのパンデミックが終息するまでは貪欲に体力を温存しよう、それからどうやら義父に対する医師の口調から、やっぱり普段からもう少し運動もして基礎体力を上げた方がいいよな、と当然のことを再確認した。

もし家族や友人が入院したら 

ないことを祈るが、もしもあなたにとって身近な人の感染・入院が明らかになったら…これはコロナに関係なく、深刻な病気と闘っている人、大変な時期にいる人全般に言えることだとは思うが一応ご参考までに。

今回私たちは元救命士の長男の「今俺たちにできるのは、本人の気力が絶えないように励ますことだけだ」という指示により、とにかく読みやすいように短くて義父を励ます言葉(『がんばっているね!』『あなたが誇らしいよ!』『一睡もできない夜をもう一晩越えて偉い!』『マスク交換待てて偉い!』『新しいマスクカッコいい!それ最新型だぜ!』など)、かわいい孫の写真や動画(文字を読むより体力を使わないだろうという判断で)、見るだけで気持ちが晴れそうな美しい景色の写真などを、本人が疲れない程度に送りまくった。

完全防護で顔も見えないスタッフからケアを受けながら(義父は病室に来るスタッフをサンダルで識別するようになったそうだ)、呼吸も睡眠もままならないまま何日もたった一人でコロナウイルスの恐怖と闘うなんて、私だったら心が折れてしまいそうだ。

メッセージでも写真でもいいから、心の支えがあるだけでかなり闘病生活が変わって来るだろう。

家族として凹んでしまった時には、信頼できる友達に打ち明けた。温かい励ましや心配の言葉は本当にありがたかった。

特に「オランダはまだ医療崩壊もしていないし、ちゃんと治してもらえるよ!信じて待とう」と言ってくれた日本人の友人や、「SpO2、今92?よしよし悪くない、悪くないよー!大丈夫、大丈夫だ!お前らは家で祈っとけ!」と暑苦しく希望を与え続けてくれた医師の友人には、どれだけ心強い気持ちになったか分からない。

ただ、少し慎重になった方がいいなと思ったのは、SNSなど情報が拡散しやすい場での報告。私はかなり悩んだ末、日本の友人や家族にも他人事じゃないと知ってほしいという思いから義父の入院から数日後にいつも使っているSNSでお知らせした。

結果、びっくりするほど多くの友人に励ましの言葉をかけて頂いて(それは私ではなく義父の人徳によるものだが)ありがたかった半面、やはり多くの友人に心配をかけてしまって心苦しかったのと、思いの外多くいた共通の知人の何人かが本人にメッセージを送ってくださって、一時は家族とのやり取りでさえ控えていた義父の負担になってしまった可能性があった。

また、あってほしくないことだが特に子どもの場合など、感染したことが知れ渡ってしまうと、いたずらに周囲の不安をあおったり回復後の本人に対する差別につながることもあり得るだろう。現在、全人類が関心を寄せるウイルスなだけに、こういった影響力も大きいことは忘れてはならないと痛感した。

そういう意味ではもし友人・知人がコロナウイルス感染症で入院した、などという話をきいたら、本人ではなく家族に様子を訊くとか、グループで一人が代表になって短く温かく返信不要なメッセージを送るとかいう気遣いが当人にとってはありがたいかもしれない。

ちなみに義父は、病室にカードが届くのが一番嬉しかったそうだ。もちろん感染の可能性がなくなるまで家族でも直接届けることはできない(私もいまだに本人には会えていない)ので、病院の一階に特設されたコロナ患者用物品カウンターに引き渡してあとでスタッフから本人に渡してもらうか、病院宛に郵送で送るかどちらかしか手段はなかったが。

余談だが、こういったカウンターにコロナで入院中の患者のために匿名で花やカード、ちょっとしたアート作品を置いていく人が増えていて、家族とも会えずにウイルスと闘う入院患者の病室に華をそえていると聞いた。

物品やり取りカウンター(筆者撮影)

千羽鶴を折る余裕がなく七羽鶴になってしまったが、着替えと一緒にカウンターに届けた(筆者撮影)

義父からのメッセージ 

先ほどこわごわ電話して義父に「何か日本の人にアドバイスやメッセージある?」と訊いたら、義父は「そんな急にいいこと言えないよ」と笑いながらも、「まあ、この病気思ってたよりずっとやばいよってことかな…」だそう。

とりあえず、義父にはこのまま順調に回復して、「死ぬ前にもう一度日本に行きたい」という夢を早めにかなえてほしいところだ。

まとまらず長くなってしまいましたが、取り急ぎ義父と私から「みなさま、どうぞご無事で」の気持ちとともにレポートをお届けしました。読んでいただきありがとうございました。くれぐれもご自愛ください。

文:ステレンフェルト幸子
編集:岡徳之(Livit