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さまざまな大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。
今回は、養豚家として活動する高橋希望さん。東日本大震災の津波により、一度は流されてしまった豚たちが奇跡的に戻ってきたことをきっかけに、養豚家として生きていかれることを決意されました。一頭の豚を中心に作られるコミュニティ、高橋さんの考える“食育”など、養豚家としての働き方をお伺いしました。
東日本大震災で被災した豚たちが奇跡の生還。養豚家として生きていくことを決意。
——今、どんなお仕事をされていますか?
高:養豚に関わる全てを生業としています。豚の飼育から豚肉の販売に至るまでの全ての経緯を管理し、養豚家として働いています。
また「有難豚(ありがとん)プロジェクト」やメディアへの出演など、豚をきっかけとした食育活動も積極的に行っています。
——これまでの経歴を教えていただけますか?
高:大学を卒業後、障がい者の就労支援の仕事をしていました。
在学中は教育学科で学んでいたので、ゆくゆくは小学校の先生になろうと思っていたんです。
でも、いざ進路を考え始めた時、このまま教員の世界に入るよりも、自分自身の見聞を広げたいという想いを持ち始めたんです。
そこで、障がいを持った方の就労支援という職業に興味を持ち、働くことにしました。
——どういった部分に興味を持たれたんでしょうか?
高:障がいを持っている方でも、仕事を諦めるのではなく、周りのサポートや仕事とのマッチングがうまくいけば、きちんと働いて自分自身の決定権を持った人生を歩んでいけるという所にやりがいを感じました。
7年働いて、その後1年、海外から日本にやってきた方々の就労支援を仕事にしていました。
——実際働かれて、魅力を感じたところはありましたか?
高:障がい者の就労支援の仕事でも、障がいの種別や年齢、スキルなどを問わず、個人個人と対話していく中で、その人自身の強みを引き出していける所に魅力を感じていました。これは“個を見る”という意味で、今の養豚の仕事にも通じるものがあります。
——どういった所に共通点があるんでしょうか?
高:“個=人間や動物”が、どの環境にいれば一番輝けるかを考える、プロデューサー的な役割があるんです。
「この豚だったらどういう環境がベストかな」って、その子がのびのびと生きる場所を共に考えるというのは、就労支援の仕事も、今の養豚業も同じ。
なるべく自分が前に出ないように黒子みたいな役割ですね。
——なるほど。
高:海外の方の就労支援は、私の中ではそれと同じ延長戦上にありました。
ハローワークの外国人向け雇用相談で働いていたので、滞在資格や性別、年齢、国籍などを問わずに、ご相談に乗る仕事だったんです。
ここでも個別にお話しをしていく中で、その人自身の強みや素晴らしい部分を引き出し、最適な仕事を紹介するということに、非常に面白みを感じながら仕事をしていました。
——その後、養豚業に移られたんですか?
高:実家が養豚業を営んでいましたので、お手伝い程度に携わってはいたんです。
本格的に仕事を養豚一本としたのには、あるきっかけがありました。
——どういったきっかけでしょうか?
高:2011年に起こった東日本大震災で、宮城県にある実家が被災したんです。実家で営んでいた養豚場から、約2千頭の豚が津波と共に流されてしまいました。
人間ですら生きるのに必死な状況の中、豚たちのことはもう諦めるしかないだろうと思っていました。
ところが、被災から2週間ほどたった頃、流されてしまったはずの豚たちが生きて戻ってきてくれたんです。1ヵ月かけて帰ってきた豚もいました。
——奇跡的な生還ですね。
高:津波で流された先で保護してくださっていた方などのお力もありましたが、自力で養豚場に戻ってきた豚たちもいて、それにはとても驚きました。
人間の管理下で飼われている豚に、帰巣本能で家まで戻ってくる能力があるなんて、きっとそれまで誰も知らなかったことだと思います。
「豚ってすごいな」って、これまでと豚への見方が変わった瞬間でもありました。
そういったことがあった中、多くの方のサポートや応援を受け、「こんな奇跡的な出来事を経て戻ってきた豚たちを大切にしたい」という想いから、養豚家として生きていくことを選んだんです。
「いただきます」の本当の意味を伝えたい。“食育”に取り組む理由。
——豚の飼育や販売以外にも、多くの“食”にまつわる活動をされている高橋さんですが、最初はどういった想いから始められたんでしょうか?
高:最初は、お肉を食卓で食べる子どもたちや消費者の方達に、「いただきます」という言葉の本当の意味を知ってほしいという想いからでした。
——「いただきます」の本当の意味とは?
高:私は実家が養豚業だったので、“動物の命に感謝して食事をし、決して食べ物を粗末にしない”ということを非常に身近に感じて育ってきたんです。
そういった、「命をいただいている」といった意味での「いただきます」を、もしかしたら食育活動を通して皆さんに伝えられるんじゃないかなと思ったんです。
——どういった活動を行ってこられたんでしょうか?
高:うちで育てた豚を使った食事会を催したり、食育をテーマとした映画の公開時に、プロモーションを手伝ったりといった活動を行ってきました。
そうしているうちに、色んな方から活動に賛同をいただくようになり、仲間が増えていきました。
食べることを通して、「家畜である動物をしっかりと食べることが、家畜を守ることにも繋がる」というようなことを、伝えてきたつもりです。
「ありがとう、いただきます」と言える食卓って素晴らしいなと思います。
——高橋さんにとっての「キャリアの転機」はいつですか?
高:キャリアの転機というか、「何かしらの形で、将来は食育に携わりたいな」と思った出来事はいくつかあります。
まず、私が大学生の時、少年犯罪が世間を賑わせていました。
あの時期に多くの少年犯罪に関する報道を目にする中で、「どうすれば子どもたちに命の大切さが伝わるのか」と考えていたんです。
その時に、“食育”って一番身近にできる教育なんじゃないかと、まず思いました。
その考えが、養豚家として活動するようになってからも根底にあるように思います。
——他にはどういった出来事があったんでしょうか?
高:障がい者の就労支援の仕事をしていた時のことです。
知的障がいを持っている方の就職先が決まっていざ職場で働き始めるも、周囲とうまくコミュニケーションが取れないことにストレスを多く感じ、過食に走ってしまうことがあったんです。
人とのコミュニケーションがうまく取れなくなると、人間って安易な方向に行ってしまうんですよね。
コンビニフードや安いお菓子をついついたくさん食べて、一時的な安心感を得ようとしてしまうんです。
——高橋さんがそこから学ばれたのは、どういったことだったんでしょうか?
高:そこで、「食べ物の大切さを伝えるのも食育だけど、人間関係の構築も食育には欠かせない要素なんだ」と感じました。
誰かと一緒に笑ったり、みんなで食事することって大切なんだなと気づいたんです。
——他にはありますか?
高:日本に来た海外の方への就労支援を行っている時も、食に関して気づかされたことがありました。
皆さん最初は緊張されているんですが、「好きな食べ物は何ですか?」とか「なぜその食べ物が好きですか?」と質問すると顔がほころぶんです。
「おばあちゃんが作ってくれたあの味が忘れられない」「家族みんなで食べるのが一番楽しい」といった食にまつわる思い出を共有することで、距離が縮まったように思います。
「食って文化なんだな」と再認識すると同時に、人と人とのコミュニティの大切さを感じました。
——なるほど。
高:そしてその後、東日本大震災が起きました。
「もうダメだ」という状況の中、周囲のサポートを受けて奇跡的に戻ってきた豚たちと、「戻ってきた豚たちを応援したい、そしてきちんと美味しく食べたい」と言ってくださる支援者の方が多くいらっしゃったので、その両者を自分で繋げていきたいとスイッチが入り、養豚家として生きていく覚悟が決まったんです。
震災によってご自分のコミュニティを失った方がたくさんいたので、戻ってきた豚の役割をきっかけに、色んなコミュニティが生まれればという想いもありました。
豚がみんなを力づけてくれたように思います。
当たり前の日常に感謝する。感動する。それが“はたらく”を楽しむことにも繋がる。
——高橋さんが“はたらく”を楽しむために必要なことはなんだと思いますか?
高:感動することです。
新しいことにチャレンジするのも大事ですが、平穏な日常の中でも、「すごい!」「やった!」っていう、感動する気持ちは常に持っていたいなと思います。
うちでは有難豚(ありがとん)という豚を育てているんですが、「ある(有る)ことが難しい豚」っていう意味で名付けたんですよ。
——どういった想いが込められているんですか?
高:当たり前のように続いている日常や、好きなことを仕事にできている喜び、そして、辛いことがあっても、感情を揺さぶられるということ自体が今までの積み重ねであり、ご縁の賜物だと考えています。
「ありがたいな」と感じる心や、これまでのご縁、周囲の方への感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいという気持ちを込めたんです。
——どのようにしてやりたいことや自分の道を見つけましたか?
高:昔から「成長する人を応援したりすることが好き」と感じていましたが、じゃあどんな仕事に就けばいいのか迷っていました。
でも、世の中にいる色んな人と対話して、何かを育てたり、応援したりするのって面白いなという気持ちから、最初の就労支援の仕事を選んだんです。
養豚家としての活動もチャレンジを続けていますが、悩みよりもやりがいや、人や動物を幸せにしたいという気持ちの方が勝っています。
「これでいいのかな」って振り返ることはありますが、今は迷いはまったくありません。
大学生と一頭の豚の成長を見守り、最後にきちんと食べるという食育プロジェクト
——今、大学生と「有難豚」に関する食育プロジェクトも行っていらっしゃるんですよね。
高:はい。慶應義塾大学商学部牛島ゼミや早稲田大学大隈塾の有志の学生たちに、豚一頭のオーナーになってもらい、子豚から実際に食べるまでを見守ってもらうという「有難豚プロジェクト」をやっています。
——どういったプロジェクトなんですか?
高:自分たちでどの子豚がいいかをまず決めてもらい、一緒に遊んだり、餌をやったり、人と豚の関係を考えながら、「動物が成長する」ということがどういうものなのかを観察してもらいます。
そうやって経過を見守りつつ、成長した豚を最後に一緒に食べるんです。
育てる過程から、「誰と食べたいか」ということをそれぞれに考えてもらい、食事会に招待してもらいます。
家族や友達やお世話になった方など、自分にとっての大切な方たちと同じ食卓を囲むことで、自分たちのコミュニティを振り返るきっかけにもなっていると感じています。
——豚を中心として、自身を振り返る良い機会となっているんですね。
高:はい。そしてその大切な人たちと過ごす時間が一頭の豚を中心に成立しているということが、私としても大変やりがいを感じています。
震災で生きて帰ってきた豚たちの子孫を、意味のある形で食べていただけることが嬉しいですね。
——「はたらく」ことに関するご自分のルールや、これだけは譲れないというような思い、信念などがあれば教えてください。
高:常に笑いを忘れないこと。
大変なことって次から次にありますが、いつか笑い話にもなりますし(笑)
暗いことも真に受けず、ポジティブにとらえるようにしています。
悔しい気持ちも覚えておくとバネになりますもんね。
——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。
高:色んな大人に会って自分の見聞を広げるのも大切ですが、その時に自分の価値観を常に意識してみてください。
「自分がどこに喜びを感じ、どこに嫌悪感を抱くのか」をしっかり頭に置きながら、社会人に色んな話を聞いたり、仕事を探すと良いと思います。
自分の軸を持っていないと、強い大人にコントロールされちゃうこともあると思います。
自分の感性をしっかり見つめていれば、ささやかでも素晴らしい人生を送れると私は思います。
- 高橋希望(たかはし のぞみ)さん
- 養豚家
大学卒業後、障がい者就労支援の仕事に7年間従事し、その後、日本における外国人の就労支援を行う。2011年の東日本大震災をきっかけに家業の養豚を生業とすることを決め、養豚家としての活動を始める。「有難豚」(ありがとん)の飼育から加工、販売にいたるまでの全てを取り扱い、また学生に向けた食育プロジェクトなども多数行っている。
「ホープフルピッグ」(http://hopefulpig.jp/)にて活動公開中。
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